Masuk玲の前にはすでにアイスコーヒーがあったため、速やかにドリンクバーを注文した和彦は、自分の分のオレンジジュースを入れてくる。改めて席についてから、辺りを見回す。
「店の中にはいませんよ。父さんのところの組員は」 玲のこの言い方は少し新鮮だった。同じく組長の一人息子である千尋ならしない言い方なのだ。現役の大学生とヤクザの違いだなと、和彦は一人納得する。 そして、正面に座る玲の顔を改めてじっくりと見つめる。さきほどは言えなかった言葉が口から出ていた。「垢抜けたね」 途端に玲が複雑そうな表情を浮かべる。世辞ではなく、実際そうなのだ。白いシャツの上からジャケットを羽織り、細身のパンツを身につけた姿は、シンプルな組み合わせながら野暮ったくないうえに育ちのよさも感じられる。「あっ、いや、ごめん。前に会ったときは純朴な高校生だったから、そのギャップをどう表現していいか……。女の子からよく声をかけられるんじゃないか?」「そんなこと、ないです」「大学で友人はできた?」「好きなんです、佐伯さんのこと。去年の秋から、あなたのことばかり考えています。父さんはこういうのを、『骨抜きになった』と言うんでしょうけど」「ぼくは……、君の一回り以上も年上なんだよ?」「でも、長嶺組の跡目と俺は、そんなに歳は変わらないですよね」 これも、前に同じようなやり取りをした。 こんなに押しが強い子だっただろうかと思ったが、そもそも玲を深く知るほど一緒にいたわけではない。千尋が甘えながら自分の主張を押し通すのに対し、玲はただ一直線に向かってくる。搦め手で迫ってくる男たちのほうがまだ、打算含みで相手をしやすい。 和彦の中には、玲を傷つけたくないとか、穢したくないとか、どこか庇護欲にも似た情があるのだ。 さりげなく周囲に目を向け、念のため誰もこちらに注意を払っていないと確認すると、和彦は声を潜めて言った。「君は……、お父さんの影響なのかもしれないけど、〈オンナ〉に夢を見すぎているんじゃないか。いまだに、君の中で美化されている気がする」「俺の中で美化されていたとしても、こうしてあなたを目の前にして、俺はすごく嬉しいです。それはダメなことですか?」」「ぼくは厄介な存在で、君は普通の大学生でありたいなら、これ以上関わるべきじゃない」「俺のことを、心配してくれているんですね」「……それは、当たり前だろう……」 よかったと、玲はほっとしたように笑み浮かべる。断固とした態度を取るべきだと和彦も頭ではわかっている。それが玲のためであり、余計な揉め事を長嶺の男たちや長嶺組に持ち込まないためにも最善なのだ。 そう、和彦が自分に言い聞かせていると、少し困ったように玲は眉を八の字にした。「玲くん?」「すみません。うそをつきました。ただの大学生なんて言って、俺、御堂さんのところ――総和会の第一遊撃隊でしたよね。そこの人たちにときどき尾行されています。監視というより見守られてる感じではあるんですが、それで……、それがわかっていながら、佐伯さんに会いに来ました」
見るからに緊迫した様子の男たちに、和彦は軽く眉をひそめる。少し前の玲の蛮勇を思い出したのだ。「この間、無茶しただろう」「無茶?」「ぼくに……会いに来てくれただろう。この店の前まで」 申し訳なさそうに玲が目を伏せる。一応、自覚はあるようだ。「正直、君が伊勢崎組の人間を使ってぼくのことを調べさせていたというのは、けっこう……ショックだった。なんて手段を使ってるんだ」「俺じゃなくて、父さんが勝手に調べさせたとは考えなかったんですか?」「伊勢崎組長だったら、用があれば御堂さんを通してまた接触してくると思った。……先日のやり方は迂闊だ。おかげでぼくの周囲がピリピリして大変だったんだからな」 すみませんと素直に頭を下げた玲に、さらにきついことは言えない。玲のつむじをたっぷり数十秒眺めてから、和彦はテーブルに身を乗り出して手荒く頭を撫でてやった。「……もう、気は済んだだろう? こうして再会して、話もできた。ぼくは、君の元気そうな姿が見られて満足したよ。まっとうな大学生なんだから、自分から面倒事に突っ込むようなことは――」「大学生という身分だからこそ、俺は自由だと思いませんか?」 ぐっと顔を上げた玲と目が合う。眼差しの鋭さに一瞬和彦は怯む。 同じような会話は、玲と体を重ねたときに交わしている。それでも言ってしまうし、玲も律儀に応じる。「俺は、会いたいときに佐伯さんに会いたいんです。そのことで誰にも制限されたくない」「いや、それは……」「クリニックで俺の顔を見て、佐伯さんが少しでも嫌そうな顔をしたら、素直に帰るつもりだったんです」「……実際、すごく困ったんだけど」「それは気づきませんでした」 そう言い切った玲が自分のスマートフォンをいきなり差し出してくる。意味がわからず和彦は首を傾げた。「佐伯さん、今スマホ持ってますか?」 和彦がジャケットのポケットからスマートフォンを取り出
玲の前にはすでにアイスコーヒーがあったため、速やかにドリンクバーを注文した和彦は、自分の分のオレンジジュースを入れてくる。改めて席についてから、辺りを見回す。「店の中にはいませんよ。父さんのところの組員は」 玲のこの言い方は少し新鮮だった。同じく組長の一人息子である千尋ならしない言い方なのだ。現役の大学生とヤクザの違いだなと、和彦は一人納得する。 そして、正面に座る玲の顔を改めてじっくりと見つめる。さきほどは言えなかった言葉が口から出ていた。「垢抜けたね」 途端に玲が複雑そうな表情を浮かべる。世辞ではなく、実際そうなのだ。白いシャツの上からジャケットを羽織り、細身のパンツを身につけた姿は、シンプルな組み合わせながら野暮ったくないうえに育ちのよさも感じられる。「あっ、いや、ごめん。前に会ったときは純朴な高校生だったから、そのギャップをどう表現していいか……。女の子からよく声をかけられるんじゃないか?」「そんなこと、ないです」「大学で友人はできた?」「俺と同じように地方から出てきた男子たちと、よく一緒にいます。友人……と言っていいかな」「サークルか部活には入った?」「……いえ、どちらも入ってないです。なかなか忙しくて」 玲の微苦笑を目にして、和彦は自省した。「あー、これじゃあ、事情聴取だね」「というより、うちの母さんと同じこと聞いてますよ、佐伯さん」 乾いた笑い声を上げた和彦だが、すぐに深々と息を吐き出す。「本当に、君が希望していた大学に合格できてよかったよ。ぼくが悪影響を与えたんじゃないかと心配だったんだ」「――地元を離れられて、父さんの希望も叶えられたら一石二鳥だという程度にしか考えてなかったんです。今は、いい選択をしたと思っています」「大学生活に満足してるんだ」「それもありますけど、こうして佐伯さんに会えるようになったことが、何より嬉しいです」 はっきりと玲から言われ、和彦は即座に反応できなかった。 じっと玲が見つめてくる。熱
「今のところニキビもシミもシワもない肌に、施術はもちろん、あえてアドバイスも必要ないと思いますね。……あっ、脱毛は興味ありませんか?」 和彦はぐいっと身を乗り出し、玲の顔を間近から覗き込む。数秒の間を置いて、玲は視線をさまよわせてから顔を赤くした。「いえ、あの……、脱毛は、いいです、かな……」 玲が赤面した理由にうっすらと思い当たったところで、和彦の頬もじわりと熱くなってくる。それを悟られる前にカウンセリングを終えた。「興味のある施術がありましたら、またお気軽にどうぞ。今日のように説明させていただきますね」 スタッフがドアを開けて一旦診察室を出る。玲がそれに続こうと、立って見送ろうとした和彦の側を通り過ぎる。ほんの一瞬の出来事だった。「あっ……」 和彦が思わず声を洩らしたときには、右手に小さな紙片を押し付けられていた。危うく落としそうになり反射的に握り締めたが、ハッとして顔を上げたときには玲は診察室を出て行ってしまう。あとを追いかけるわけにもいかず、動揺を押し殺しながらイスに腰掛ける。 一人となっている今のうちにと、そっと紙片を開くと、細かい字がびっしりと書き込まれている。内容は、クリニックが終わったあと、和彦と二人きりで会いたいというものだった。しかも場所まで指定されている。行動を制限されがちな和彦に一応気をつかってくれたのか、ときどき通っているクリニック近くのファミリーレストランだ。 面倒なことになるのは目に見えているので無視するのが賢明なのだろうが、ご丁寧なことに、来てくれないなら毎日クリニックに通うと書かれていては、こちらが取れる手段は限られる。 和彦は大きくため息をつくと、紙片をスラックスのポケットに突っ込んだ。** 和彦の立場上、誘われたからといって無防備に出向くわけにもいかず、速やかに長嶺組の護衛に予定の変更をメッセージで伝え、次に、賢吾には判断を仰ぐメッセージを送る。こちらは文章を考えるのに少々頭を捻った。賢吾が玲に会うなと言えば従うしかないが、できれば二人で話してみた
心の準備を整える間もなかった。和彦はぎこちない動きで診察室に玲を招き入れると、他の患者に対するようにイスを勧め、記入してもらったアンケート用紙を眺めながら簡単な質問をする。 診察室は二人きりではなく、看護師資格を持つスタッフも補助のために同席するため、当然、個人的な会話は交わせない。玲もその辺りは心得ているのか、生まじめで初々しい様子で、和彦の質問に答えていく。 相対していると、大学生になって髪型がおしゃれになったとか、少し表情が柔らかくなったとか、服装に気を使っているのだなとか、さまざまなことがわかる。それらは、元々際立っていた玲のきれいな顔立ちをより特別なものに見せ、こんな子が構内にいたらさぞかし目立つだろうなと想像してしまう。 自覚もないまま口元を緩めていたらしい。玲が不思議そうな顔をしたので、慌てて和彦は表情を取り繕う。「今回はカウンセリングということでよろしかったですか」「そうです。――今年、田舎から出てきて大学に通ってるんですが、友達がみんなおしゃれなのもあるけど、肌とかピカピカで。俺も気をつけたほうがいいのかなって」 玲の率直な物言いに、思わず和彦は笑みをこぼす。最後に会ったときから変わっていないのだなと、安堵していた。おかげで、少しばかり口が滑らかになっていた。「大学は楽しいですか?」 これはまだ緊張を解くための会話として通じるはずだ。傍らにちらりと視線を向けると、スタッフも表情を緩めている。「楽しいと実感するには、入学してからまだあまり時間が経ってなくて。高校とはまったく違うし、俺は田舎から出てきたばかりなので、都会での生活に慣れるのも大変です」 そうはいっても玲の場合、生活をサポートする人員が揃っているはずだ。誰かと同居しているのだろうかとふと気になって、つい和彦はこんな質問をしていた。「今は一人暮らしを?」 スッと表情を消した玲を見て、しまったと思った。他愛ない質問のつもりでも、玲にとっては自分の――というより父親である伊勢崎龍造の動向を探られていると受け止めるかもしれない。「ああ、すみません。立ち入ったことを聞いて」「いえ。一応一人暮らしですけど、世話焼きな身内が多いも
「元気だけど、忙しくて。今度、知り合いと一緒にネイルサロンを始めるんだー」「へえ、ネイル好きだったんだ」 由香の爪はきれいに手入れされて、淡いピンク色をしているが、ラメやストーンがついているわけではない。「うーん、共同経営者、ってやつで、お店を切り盛りするのは他の人。そもそも、派手な爪って、難波さん好きじゃないんだよね。でも、若い娘が経営しても不自然じゃないからって、ネイルサロンに決まったんだよ」 愛人である由香に過保護な昭政組組長の難波が許可したとなると、事情があるようだ。和彦も表に出せない事情をたっぷり抱えているため、由香からは仲間と認められているのだろう。ちらりと舌を出してから、こんなことを言われた。「オープンしたら、佐伯先生も来てよ。男の人でも、爪のお手入れきちんとしないと。あと、ここのスタッフの人たちにも声かけて」 今日の差し入れは、しっかり営業活動らしい。クリニックをオープンしたとき、由香には特に気にかけてもらったので、恩返しはさせてもらうつもりだ。 美容外科クリニックで取り扱っている美容液を試してみたいということなので、肌の調子を見てから問題ないと判断する。一回目の施術のあと、次回の予約を入れてから由香は可愛らしく手を振って診察室を出ていった。 このあとはのんびりと――暇な時間を持て余していたが、夕方近くなってから、クリニックの電話が鳴り、今からカウンセリングを受けたいと問い合わせがあった。大丈夫だと和彦が頷き、電話を受けたスタッフが相手の名前や年齢、何を目的としてカウンセリングを受けたいかなどを尋ねている。「――学生さんで、ニキビ跡の治療について相談したい、か」 電話を切ったスタッフから、話した内容を簡単に書き留めたメモを見て、和彦はふむふむと頷く。「もう近くまで来られているそうです」「だったら今日最後の患者さんかな」 カウンセリング用のタブレットを準備してから、美肌治療の資料をすぐに出せるよう自分のパソコンでファイルの確認をしていると、来院を告げるベルが鳴る。近くまで来ているということだったが、思っていた以上に早い到着だ。 診察室のドアを開けたままにしていると、応対するスタッフ







