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第3話

Author: 匿名
透が一か月の入院生活を終え、退院する日。

迎えに来たのは、もちろん志保だった。

俺が孤独の中で死んだ時、そばにいてくれたのはレイただ一人だけだった。

けれど透の病室には、親族や友人たちが大勢集まり、退院を祝っていた。

志保が病室に姿を見せた瞬間、場の空気が一気に華やいだ。

「神崎さん、いつになったら透と一緒になるんですか?こんなに大事にされて、透は本当に幸せ者ですね」

友人から冷やかされ、透はうつむきながら、声を潜めて言った。

「そんなこと言わないで……志保には旦那さんがいるんだから。慎に聞かれたら、また誤解されちゃう。僕、そんな関係だって思われたくないし……また慎に責められるのも、怖いんだ」

すると、友人の一人が鼻で笑い飛ばした。

「あんな嫉妬深くて器の小さい男のどこがいいんだよ。志保さんに愛されてるのは透だろ?だったら、邪魔なのはあっちのほうじゃないか。まだ夫面してるほうがおかしいだろ」

その言葉を聞いて、俺は思わず吹き出しそうになった。

そうか。俺のほうが「邪魔者」だったのか。

いつものように、透は弱々しい被害者を装い、すべての矛先が俺に向くように仕向ける。

だが、それ以上に心が冷えたのは、周囲の言葉を否定しなかった志保の態度だった。

ただ黙って、透の荷物をまとめている。病室には大勢の人がいるのに、手を動かしているのは志保だけだった。

結婚してからの日々が脳裏をよぎる。

「一生愛する」と言ってくれた志保だったが、その言葉に行動が伴ったことは一度もなかった。

家事をするのも、理不尽に耐えるのも、いつだって俺の役目だった。

志保となら、どんな困難も一緒に乗り越えられると思っていた。

けれど実際には、俺を一番傷つけていたのは志保だった。

「透は神崎さんを一途に想って、ずっと独り身だったんですよ。そろそろちゃんと応えてあげてもいいんじゃないですか?」

さっきから一番はしゃいでいた男が、志保の腕を取り、透とくっつけようとする。

胸の奥がひどく苦くなった。

ああ、俺は彼らの間で、ずっとそんなふうに見られていたのか。

二人の仲を邪魔する、ただの悪者として。

あの言葉にはっきり答えはしなかったけれど、否定もしなかった以上、志保自身もきっと同じように思っていたのだろう。

退院した透は、そのまま志保のマンションへ連れて行かれた。

そこは、俺とひどい喧嘩をした後、志保が一人で過ごすようになった部屋だった。

夫である俺は、一度も足を踏み入れたことがない。

透だけが、志保にとって特別だった。

もっと早く気づくべきだった。

彼のためなら、志保はどんな原則でも簡単に曲げる。

マンションに着くと、透の荷物を丁寧に片づけ始める志保。

その背中が少し屈んだ瞬間、透がふいに近づき、後ろから腰に腕を回した。

胸が、ぎゅっと締めつけられる。

俺は死んで、まだ葬られてすらいないというのに。

二人は、こんなにも自然に寄り添い合っている。

まるで志保が、最初から結婚などしていなかったかのように。

避けようとしたのだろう、志保の体がわずかに強ばった。

だが透は、回した腕にさらに力を込め、志保の頭頂に顎を預けた。

そして、かすれた声で囁く。

「もう一度だけ、僕にチャンスをくれないかな。あの時、君から離れたのは本意じゃなかったんだ。母の治療費がどうしても必要で……君のお父さんからお金を受け取るしかなかった。そうじゃなければ、君の前から消えたりなんてしなかった……」

なるほど。

金のために身を引いた、悲劇の初恋。ありきたりな悲劇の恋愛話だ。

けれど志保は、それをずっと美しい思い出として抱え続けていたらしい。

感情の読めない笑みが、志保の唇に浮かんだ。

「あの時、本当のこと言ってくれればよかったじゃない。父が出した程度のお金なら、私にだって用意できたのに」

その言葉に、透は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

けれど、すぐに立て直す。

今の志保が俺をどれほど憎んでいるか、透はそれをよく分かっていた。

だからすぐに、話題を俺への怒りへとすり替えた。

「じゃあ……僕を恨んでいたから、慎に何をされても黙っていたのか?会社で変な噂を流された時も、柄の悪い人たちに襲われた時も、君は何もしてくれなかった。僕が病気になって、本当に命が危なかった時でさえ……慎は助けてくれなかった。これが、君なりの復讐だったか?」

嘘だ。

こいつは、息をするように嘘をついている。

今口にしたことは、何一つ事実ではない。

そもそも俺は、透の会社がどこにあるのかさえ知らなかった。

孤児で、芹沢家とも縁を切った俺に、裏の人間を動かすような金も力もあるはずがない。

少し調べれば、透の言葉にはいくらでも綻びが見つかったはずだ。

けれど志保は、疑うことすらしなかった。

そもそも、透が口にした「黙って見ていた」などという言葉は、笑い話でしかない。

その一言で、あの日のことを思い出した。

透の嘘を信じ込んだ志保が、会社に怒鳴り込んできた日のことを。

真っ先に俺の会社へ乗り込み、大勢の同僚が見ている前で俺の腕をつかむと、無理やり外へ引きずり出した。

まるで俺が本当に許されない罪を犯したかのように、志保の顔は憎しみに歪んでいた。

それだけではない。

どこからか柄の悪い連中まで手配していた。

人気のない場所へ連れ込まれた俺は、男たちに罵られ、殴られ、地面に叩きつけられた。

その間、志保はただ冷たい目で見下ろしているだけだった。

あの時の俺は、絶望と恐怖で震えることしかできなかった。

男たちはスマホを向け、ぼろぼろになった俺の姿を面白半分に撮影していた。

ひとしきり暴行が終わると、志保はその動画の画面を俺の目の前に突きつけた。

その声には、明らかな脅しが混じっていた。

「今度、透に指一本でも触れたら、この動画をネットにばら撒くわよ。あなたの人生なんて、これでいつでも終わらせられるんだから」

「俺じゃない!俺は何もしていない」

何度そう訴えても、志保の耳には何一つ届かなかった。

そんなことを思い出しながら、俺は今の二人を見つめていた。

透が都合よく過去の話を持ち出しても、志保は何も答えない。

彼のたった一言の嘘を信じて、自分が俺に何をしたのか――その事実を、透に話そうとはしなかった。

なんて皮肉だろう。

志保は、俺のことなど欠片も愛していなかったのだ。

それなのに、どうして俺と結婚したのだろうか。

死んだ今でも、最後まで分からなかった。

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