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第5話

Author: トマト日和
暁のもとへ駆け寄る和泉は、私の手を容赦なく踏みつけていった。

暁にさきほど踏みにじられた手は、今また男の体重で押し潰され、完全に折れたように感じられた。

私は苦しみながら悲鳴を上げた。

しかし、かつてあれほど私を気遣ってくれた和泉は、私の痛みに目もくれず、私を叱りつけることだけに必死だった。

「彩寧!どうかしてるのか!暁は君の目を心配しただけだぞ!なんで彼女に手を上げるんだ!」

私は唇の端を冷たく吊り上げた。

「どうしていけないの?和泉、あのときの私の母の死も、私の目も、彼女とは無関係だとでも言うの?」

折れた手を押さえて叫ぶと、和泉は一瞬固まり、慌てて弁解を始めた。

「彩寧、何を言ってるんだ?君とお母さんの件が、暁と何の関係がある?見ていられないほどだぞ!そんな戯言を……!

早く暁に謝れ!そうすれば、今回のことは追及しない!」

私が返す前に、暁が弱々しい声で先に口を開いた。

「彩寧のせいじゃないわ。悪いのは私よ。昔、岳が彼女との婚約を解消して私と結婚したから、きっと心にわだかまりがあるの。

彩寧、あなたが私を嫌っているのは分かる。でも、和泉はあなたを心から大切にしてる。責めるべきじゃないわ」

その偽りに満ちた態度に、私は吐き気すら覚えた。

だが和泉は、彼女の怪我を気遣うことだけに必死だった。

「暁、もう話すな。こいつのことは放っておけ。とにかく病院へ行くぞ」

今、彼は心から誰を思っているのか。それはもう、明白だった。

私は乾いた笑いを漏らし、七年分の愛情が、この瞬間すべて灰となった。

和泉との関係は、完全に終わったのだ。

善意の人に病院まで運ばれた後、私は和泉から届いた謝罪のメッセージを受け取った。

【暁は会社のイメージキャラクターなんだ。君が怪我させたら会社に不利になる。

今日君に謝らせたのも、その場しのぎだ。彼女に見せるための芝居だよ、深く考えるな。

処理が終わったら夜には帰って謝るからさ。機嫌直してくれよ】

芝居でも、本心でも、もはや私には何の関係もない。

私はただ、ここから、和泉から離れたい。

彼の署名の入った離婚協議書を、家の誰の目にもつく場所に置いた。

翌朝、研究所の迎えの車がもう到着していたが、

「帰って謝る」と言った人は、結局現れなかった。

私は笑った。

このずっと見えていなかった家も、理解できなかった男も、もう私とは無関係なのだ。

研究所に着くと、教授は残念そうに言った。

「彩寧、以前あなたに頼まれていた調査の結果が出たよ。お母さんの死は……」

教授は言葉を続けるのをためらい、私立探偵が撮影した調査映像を再生して聞かせてくれた。

「偽造された署名だけでなく、伊谷さんとその母親の七年前の交通事故も、人為的なものでした。右側車線から猛スピードで突っ込んできた車の運転者は、笹瀬和泉でした」

和泉……本当に、彼だったのだ。

かつて私の心を震わせた名前が、今では血と涙のように胸に溶け落ちていく。

七年……私は彼をあんなに深く愛し、深く感謝してきた七年。

そのすべてが、最初から最後まで、嘲笑の種にすぎなかった。

私は教授に最後の願いを伝えた。

「どうかこの調査映像を、市内で最も大きなマスコミに送ってください。あの男の本当の姿を、全員に見せたいのです」

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