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君を消して、君に出逢う

君を消して、君に出逢う

Par:  黙璃Complété
Langue: Japanese
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タトゥーの施術者が声をかけた。「小林さん、本当に消してしまうんですか?その『愛』のタトゥー」 小林愛は一拍置き、静かに頷いた。「はい……全部で、何回かかりますか?」 「詰めて通っていただいて、七回、といったところですね」 七回――その響きが、鈍く胸を打った。櫻井湊と過ごした、七年という月日。そのすべてと同じ回数。 この七年間、肌を重ねるたび、湊は必ず彼女の腰に顔を埋め、そのタトゥーをなぞるように何度も口づけを繰り返しながら、熱に浮かされたように囁いた。「愛……愛、大好きだ」 愛がスマホで決済を済ませると、施術者は淡々と準備を進め、レーザーを腰に当て始めた。 記憶の熱とは裏腹な、機械の冷たさが肌を刺す。 「七回……終わったら、これ、跡形もなく消えますか?」 「いえ。タトゥーは消えますが、火傷の跡は残りますよ。まあ、いずれ薄くはなりますけど」 施術者は、何の感情もこもらない声で、さらりと答えた。

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Chapitre 1

第1話

「小林さん、本当に消してしまうんですか?その『愛』のタトゥー」

施術者の問いかけに、小林愛(こばやし あい)はしばし黙し、やがてゆっくりと頷いた。「はい……ちなみに、何回かかりますか?」

「詰めて通っていただいて、計七回ですね」

七回――その響きが、胸の奥を冷たく疼かせた。櫻井湊(さくらい みなと)と過ごした七年間と、奇しくも同じ数。

振り返ってみると、この七年、肌を重ねるたび、湊は必ず彼女の腰に顔を埋め、そのタトゥーに唇を這わせながら囁いた。「愛……愛、大好きだ」

だが今、愛は自らの手でそれを消し去ろうとしている。

スマホで決済を済ませると、施術者である店主がレーザーを腰に当て始めた。

「七回終わったら……完全に消えますか?」

「いえ。火傷の痕は残りますよ。まあ、時間が経てば薄くはなりますけど」

本当に薄れてくれるというのだろうか。流れ去ってしまった、この七年という――あまりにも甘ったるい月日が。

脳裏を、湊との七年間が、まるで走馬灯のように駆け巡っていく。

一年目。櫻井家に身を寄せた最初の夜、湊が彼女の部屋を訪れた。目尻に艶っぽい笑みを浮かべ、「試してみる?」と誘うように囁かれた。

幼馴染だった二人。思春期の衝動。実はずっと前から彼に恋をしていた。でも怖くて、どうしていいか分からない。湊が耳たぶに唇を寄せた瞬間、体が痺れるように震えた。そして唇を奪われ、身を焦がすほどの熱で求められた。

あの日から、絡み合った後、湊は彼女の腰に自らの手で「愛」のタトゥーを彫った。「お前は、俺のものだ」そう、刻みつけるように。

二年目。湊が恵川大学を卒業し、離れていった時、二人の関係はてっきり冷めていくと思っていた。だが湊は大学の向かいにマンションを買い、「毎晩来い」と命じた。

三年目。そのマンションで、我を忘れて溺れあった。湊の求めは常軌を逸し、場所を選ばなかった。学校で、車の中で、マンションで、彼の部屋で、彼女の部屋で……

四年目。湊の仕事が多忙を極めても、彼は彼女が自分から一秒たりとも離れることを許さなかった。ビデオ通話の最高記録は、実に二十三時間に及んだ。

五年目。湊が二人の結婚準備を始めた。十六億円のウェディングドレスをオーダーメイドし、すべて手作業で、六百日以上かけて完成させた。

六年目。彼女が緑色を好きだから、結婚指輪のために、湊は六年かけてグリーンダイヤモンドを探し出した。あの二百億円の指輪は、世界中のメディアを騒がせた。

七年目。すべてが変わった日。湊の親友、荻原哲朗(おぎわら てつろう)が事故に遭った。レース中、哲朗が湊を庇い、車ごと崖から転落した。その日を境に、湊は哲朗に代わり、彼の妹・荻原詩帆(おぎわら しほ)を守ると誓った。

昨夜、恵川市の夜空――午前四時十二分。青い花火が恵川市の空の半分を染め上げた。花火の最後に大輪と咲いた二文字が、愛の目を焼いた。

「詩帆」

花火を上げたのは、湊だった。花火の下で、湊は詩帆を手すりに押し付けていた。苦々しげにかすれた声で、彼女を叱りつけている。「体にタトゥーなんざ入れるな。そんなもんは悪い奴らの印だ」……かつて自分の腰に「愛」と刻んだ、その唇で。

二週間後は、愛と湊の結婚式の予定日だったのに。詩帆との恋を知った愛は、ただただ笑っていた。

そして今、腰に走る鋭い痛み。レーザーで焼かれた皮膚は赤く腫れ上がっているが、そこにあるはずの「愛」は、まだ一回目で鮮やかな色を保っている。でももう、構わない。あと六回。

それでこの「愛」は完全に消える。

そして、湊との愛も、綺麗さっぱり終わらせる。

スマホが鳴った。画面に浮かぶ、見慣れた名前。「湊」

電話に出る。いつもの深みのある、色気のある声。一言一句が、かつてのように甘く鼓膜を震わせ、心臓を掴む。

「愛、すまない。今夜の便が遅れちゃって、明日にならないと帰れない。埋め合わせは、ちゃんとするから、怒らないで」

愛の体はぴくりとも動かない。しかしその心は、とうに引き裂かれていた。

彼が今詩帆と一緒にいることを知っている。昨夜、詩帆を連れて帰ってきたことも。それでも愛は、凍てついたような平静さで、湊に何の違和感も抱かせないよう答えた。

「わかった。気をつけて」

「ああ……おやすみ」

電話が切れた。

かつては、どちらが先に切るかで、互いに通話終了のボタンを押すのをためらった。

一言も話さなくても、どんなに遠く離れていても、彼は一晩だけ会うために飛んできた。

以前、愛が家に引きこもって誰とも連絡を絶っていた頃、玄関先には湊が届けた食べ物や日用品が毎日置かれていた。

しかし、いつからかだろうか。その習慣は途絶えた。

この一年、湊が多忙だから一緒にいる時間が減ったのだと、そう信じようとしていた。

実際は、一年前から湊が詩帆の留学を手配し、毎月海外まで密会を重ねていた。

湊が急に海外事業を展開したのも、すべて詩帆のいるM市に拠点を置くためだった。

詩帆が電話口で泣き言を漏らせば、たとえ真夜中に愛を抱いている最中であろうと、湊は平然と体を離し、空港へ向かい、M市へ飛んでいった。

爪が掌に食い込み、血が滲む。愛は痛みすら感じなかった。次の瞬間、スマホを手に取り、別の番号へ電話をかけた。

「田原(たはら)さん、タレコミがあります」

「愛ちゃん、分かっているのか。麻薬捜査は危険すぎる。ご両親もお兄さん方も亡くされ、君は一家でただ一人の生き残りなんだぞ」

「もちろん。だからこそ、それは私が生きる唯一の理由なんです」

田原は長い沈黙の後、ついに折れた。「わかった。そちらを片付けたら、数日後に境見市へ来い。二度と、戻れない覚悟をしておけ」

「分かりました」

六時間後。

愛は家に戻った。休む間もなく、寝室へ向かい荷物をまとめ始める。

この寝室には、湊の痕跡が嫌というほど染み付いている。クローゼットには、湊が買い与えたダンス衣装がぎっしりと詰まっている。

彼は、彼女を好きなように「着せ替え」て、弄ぶのが好きだった。

愛はダンス衣装をすべて黒いゴミ袋に叩き込んでいく。そして、湊がこれまで贈ってきたプレゼントも、何もかも。

すべてを袋に詰め終わった、その時だった。

がチャッ。ドアが開く音が聞こえた。

戸口に立ったまま、湊が愛の様子をじっと見つめている。その昏い視線は、床に無造作に散らばる黒いゴミ袋に突き刺さっていた。

部屋に静かな圧力が満ちていく。

それでも、彼が口を開くと――「愛。どうしたんだ?」

その声色は、険しい眼差しとは裏腹に、あくまで優しかった。

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commentaires

Hashimoto Miyuki
Hashimoto Miyuki
接点は少ないのに心に引っかかる人、愛する人が近くにいることを知りながら自分の想いを決して押し付けないところがクズとは大違いだな〜 前半と後半で別の話のようにう展開が変わって読み応えがありました
2025-11-15 09:32:38
3
0
蘇枋美郷
蘇枋美郷
クズ男は言い訳ばかりのクズで、ハッキリ言われなきゃ分かんねーのか!とイライラ。それに対し、まさかの人がまさかの事をしていて、久しぶりにハラハラしつつかなり楽しい1作だった。悪党も一網打尽!二人はお幸せに♪
2025-11-11 15:24:34
2
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松坂 美枝
松坂 美枝
とき◯モガール◯サイド3を思い出してニマニマしながら読んでしまったw 愛憎蠢く艶めかしい話だった 悪党共までもがクズ男を責めて主人公を思いやってるようなこと言うシーン毎度笑える タトゥー店主もいい味出してた
2025-11-10 12:06:04
2
0
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第1話
「小林さん、本当に消してしまうんですか?その『愛』のタトゥー」施術者の問いかけに、小林愛(こばやし あい)はしばし黙し、やがてゆっくりと頷いた。「はい……ちなみに、何回かかりますか?」「詰めて通っていただいて、計七回ですね」七回――その響きが、胸の奥を冷たく疼かせた。櫻井湊(さくらい みなと)と過ごした七年間と、奇しくも同じ数。振り返ってみると、この七年、肌を重ねるたび、湊は必ず彼女の腰に顔を埋め、そのタトゥーに唇を這わせながら囁いた。「愛……愛、大好きだ」だが今、愛は自らの手でそれを消し去ろうとしている。スマホで決済を済ませると、施術者である店主がレーザーを腰に当て始めた。「七回終わったら……完全に消えますか?」「いえ。火傷の痕は残りますよ。まあ、時間が経てば薄くはなりますけど」本当に薄れてくれるというのだろうか。流れ去ってしまった、この七年という――あまりにも甘ったるい月日が。脳裏を、湊との七年間が、まるで走馬灯のように駆け巡っていく。一年目。櫻井家に身を寄せた最初の夜、湊が彼女の部屋を訪れた。目尻に艶っぽい笑みを浮かべ、「試してみる?」と誘うように囁かれた。幼馴染だった二人。思春期の衝動。実はずっと前から彼に恋をしていた。でも怖くて、どうしていいか分からない。湊が耳たぶに唇を寄せた瞬間、体が痺れるように震えた。そして唇を奪われ、身を焦がすほどの熱で求められた。あの日から、絡み合った後、湊は彼女の腰に自らの手で「愛」のタトゥーを彫った。「お前は、俺のものだ」そう、刻みつけるように。二年目。湊が恵川大学を卒業し、離れていった時、二人の関係はてっきり冷めていくと思っていた。だが湊は大学の向かいにマンションを買い、「毎晩来い」と命じた。三年目。そのマンションで、我を忘れて溺れあった。湊の求めは常軌を逸し、場所を選ばなかった。学校で、車の中で、マンションで、彼の部屋で、彼女の部屋で……四年目。湊の仕事が多忙を極めても、彼は彼女が自分から一秒たりとも離れることを許さなかった。ビデオ通話の最高記録は、実に二十三時間に及んだ。五年目。湊が二人の結婚準備を始めた。十六億円のウェディングドレスをオーダーメイドし、すべて手作業で、六百日以上かけて完成させた。六年目。彼女が緑色を好きだから、結婚指輪のために、湊は
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第2話
愛は湊の手を見つめた。昨夜、この手が振り上げられ、詩帆の誕生日に二億円の花火が夜空を埋め尽くした。七年間共に過ごして、どんな高価な贈り物も、どんなロマンチックな演出も、湊は愛にしてくれた。ただし、花火だけは違った。「確かに綺麗だけど、俺は好きじゃない」そう、彼は言っていた。愛は知っている。湊が花火を嫌うのは、幼い彼が母親と花火を見た直後、その母親が櫻井家を去ったからだということを。その心の傷を、湊は別の女のためにあっさりと捨て去り、盛大な祝福を贈ったのだ。愛は視線を落とし、努めて平静に言った。「古い服を整理してるだけ」湊が近づき、愛の体を軽々と抱き上げると、そのままクローゼットに押し付けた。熱いキスが、有無を言わさず唇に落ちてくる。愛の脳裏に浮かぶのは、湊が詩帆の額に触れた、あの優しいキスだけだった。壊れ物を扱うように、大事な宝物のように。だというのに、今、自分に向けられるのは、苛立ちをぶつけるような荒々しい所有欲だけだ。愛は、衝動的に湊を押しのけた。湊の表情が、ガッと険しくゆがんだ。次の瞬間、伸びてきた彼の人差し指と親指が、ギリ、と痛いほど強く愛のあごを掴む。そのままグイ、と力任せに顔を上向かされた。金縁のメガネの奥にある瞳は冷たい。その姿は、それでもなお圧倒的な威圧感と強さを放っていた。「お前、怒ってるのか?」低い声が問う。愛は、自分の感情が常に淡白だと思っていた。それでも、この男には見抜かれる。「ううん。もっとセクシーなのを買ったよ。だって好きでしょう?」必死で、誘うような声を絞り出す。湊の濃い眉がすぐに緩んだ。「ああ。今夜はここにいる」その声は限りなく甘く、機嫌を取るように響く。しかし、続く言葉は刃のように突き刺さった。「そうだ。恵川市バレエ団の首席、明日付けで辞退しろ」無情に告げられた言葉に、愛の指先が、ぷるぷると小刻みに震えだした。その震えを、まるで確かめるかのように。湊の手が、ぴたりと愛の下腹部に当てられる。「子供が欲しいって言ってたよな?早速明日から、妊活しよう」愛の顔から血の気が引いた。「どうして、急に……」「詩帆が、今回俺と一緒に帰ってきた。だが足を怪我していてな。この一年、ずっと海外でリハビリしてたんだ。ようやく普通に動けるようになった。
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第3話
翌朝、愛が目を覚ました時、すでに世界はひっくり返っていた。恵川市中のありとあらゆるマスコミが、一斉に彼女のスキャンダラスな写真で溢れかえっていたのだ。画像の中では、薄暗いダンススタジオで、愛のダンス衣装が男によって無残に引き裂かれている。涙を流しながら、男に組み敷かれ、求められている。男の背中は、意図的にぼかされている。だとしても――彼女の腰に食い込むように置かれたその手は。あまりにも見覚えのある、あの強い力に満ちた感触を思い出させた。写真の下のコメント欄には、ネット民の悪意に満ちたコメントが殺到していた。【へぇ〜首席ダンサーの小林愛じゃん。クールな女神とか言われてたさ、裏じゃこんなことしてたんだな】【ヤバすぎ。こんな女だと思わなかったぜ。学生時代に知ってたら、金払ってでもヤってたのに】【小林愛のスタイルと顔はガチで極上品だろ。億単位の資産がなきゃ手も出せねえよ】【まあ、小林愛みたいな女は、嫁には向かないよな。愛人には最高だけど……】愛は震える手で、湊に電話をかけた。昨夜、彼女が従わなかったことに怒り、湊は家を出て行った。彼女はただ、確かめたかった。これが彼の仕業なのかを。コール音の末、電話が繋がった。だが、愛が何かを問いかけるより早く。「もしもし?あ〜愛さん?」詩帆の、甘ったるい声が聞こえてきた。「ごめんなさいね〜湊さんなら今シャワー浴びてるの。さっき、すごく汗かいちゃってね……スマホ、持って行ってあげようか?」詩帆の、勝ち誇ったような優しい声が、研ぎ澄まされたナイフのように愛の心臓を突き刺した。愛の頬を静かに涙が伝う。必死に声を平静に保って、絞り出した。「……いえ、結構です」通話を切り、愛は湊にメッセージを送った。【わかった。すべて、あなたの望む通りに】恵川市バレエ団の首席の座も湊も、もう手放す。一時間後。愛は私物をまとめるため、バレエ団を訪れた。入ってすぐ、純白の白鳥の衣装をまとった詩帆と出くわした。彼女は、まるで本物の白鳥のように誇らしげに、ステージの中央に立っている。愛の姿を見つけた瞬間、電話口の猫なで声は消え失せた。冷たく傲慢な口調で、詩帆は言い放つ。「ふん。本当に使えないわね。二人のベッド写真をちょーっとだけネットに流しただけで、もう
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第4話
愛は、湊が事実確認すらしようとせず、一方的に自分を断罪したことに愕然とした。「私が詩帆を突き落としたと、本気で思ってるの?」「詩帆の足は、元々怪我をしていたんだ」湊は冷たく言い放つ。「首席の座を一つ譲るのも嫌で、譲った挙句、今度は彼女を直接傷つけるのか」愛は、湊が詩帆を心底心配そうに見つめる横顔を、ただ見つめていた。湊が痛みに呻く詩帆を抱き上げる姿をも。詩帆は、か弱く湊の腕の中に寄りかかり、涙でぐしゃぐしゃになって泣きじゃくっている。「湊さん、私の足……また、折れちゃったかも……」詩帆の涙は、常に湊の理性を奪う。その引き金に引かれるように、彼の深い瞳が、剥き出しの憎悪を込めて愛を睨みつけた。「詩帆を傷つけた償いはしてもらう」そして湊は、傍らに控えていた親友に命じた。「隼人、こいつの両足を折れ」愛は衝撃に息を呑んだ。何の反応もできないうちに、鷹野隼人(たかの はやと)と呼ばれた男に無慈悲に地面に押し倒された。頭上から、湊の低く、温度のない声が降ってくる。「加減はしろ。再起不能にはするな」その言葉が許可証だった。次の瞬間、隼人の手が愛の足首を掴み、ありえない方向へと激しく捻った。ゴキリ、と鈍い音が響き、足首に想像を絶する激痛が走った。愛の顔から、瞬時に血の気が失せる。その声も上げずに涙を堪える表情に、湊の胸がわずかに痛んだ。口を開き、愛への罰は詩帆への見せしめ程度で止めさせようと――本気で愛のキャリアを奪うつもりは、なかったのだ。しかし、湊が動こうとした瞬間、詩帆が泣きながら彼の腕を強く掴んだ。「湊さん、やっぱり痛いの……!早く、病院に……っ」湊の端正な顔が、ふっと和らぐ。「待たせてすまない。すぐ連れて行く」湊はもう、床に倒れる愛を一瞥することもなく、詩帆を抱いて足早に立ち去った。愛は、遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、こらえていた涙を流した。足首が焼けるように痛い。この二十年間、どれだけこの足首を大切にケアしてきたか、自分だけが知っている。バレエを踊り続けて、一度だって足首を本格的に怪我したことなどなかった。だが今、湊が彼女のキャリアを、完全に破壊した。その時だった。湊が去っていくと、隼人の態度が豹変した。さっきまでの忠実な友達の仮面が剥がれ落ち、欲望
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第5話
七年間、共に歩んできた。湊がどれほど自分を愛していたか、愛は誰よりも分かっているつもりだった。たとえ二人の関係がここまでこじれても、湊がこんな仕打ちを許すなんて信じられなかった。隼人に服を引き裂かれても、愛はもう何も感じなかった。ただ、胸が引き裂かれるように痛かった。確かめなければならない。湊の口から、直接。愛は突如、隼人を突き飛ばし、狂ったように外へ走り出した。後ろから隼人が下卑た大笑いをしながら、追いかけてくる。「逃げろよ、逃げれば逃げるほど燃えるぜ。あんたとはずっとヤりたかったんだ。ようやく湊も飽きて、お払い箱になったしな!」そう言いながら、隼人は愛の目の前で、スーツのベルトに手をかけた。バルコニーに追い詰められた愛は、一瞬の躊躇もなく身を投げた。三階から、コンクリートの地面へ。ドン!という鈍い音が、バレエ団の建物に響いた。隼人は驚愕に目を見開いた。「マジかよ、本当に飛びやがった……」慌てて電話をかける。声がどもっていた。「し、詩帆ちゃん!ヤバい、飛び降りたぞ!クソ、あんたの言う通り、湊との嘘を適当に並べただけなのに、本気で死ぬ気になりやがった!どうすんだよ、さっき湊の子、妊娠してるって……!さ、三階から飛んで、死んだりしねえよな……?わ、わかった、すぐ消える!」痛みが全身を貫いた。愛は、全身の骨が砕け散ったように感じた。涙で濡れた瞳で空を見上げる。どこまでも澄んだ青い。昨夜、湊が詩帆のために打ち上げた、あの花火の色にそっくりだ。下腹部に、灼けるような激痛が走る。温かい液体が、止めどなく体から流れ出していく。それが何なのか、愛は理解していた――赤ちゃんが、失われていく。体の血液がすべて流れ出していくようだった。愛は、冷たい地面にどれだけ横たわっていたか分からない。すると、遠くで悲鳴が聞こえた。「大変!誰か飛び降りたわ!」愛はすぐさま病院に運ばれた。体の痛みは、意識が途切れるほど激しかった。しかし、手術室のベッドに寝かされても、医者は誰も来なかった。二人の若い看護師だけが、ひそひそと噂話をしていた。「どうしよう?今重症患者が入ってきたのに、先生たちが全員、櫻井グループの社長に呼ばれちゃって」「全員?何があったの?」「櫻井社長の婚約者さんが足を骨折したらしくて。社長
Read More
第6話
新居は、湊が長い時間をかけて設計したものだった。あの時、「この家の女主人は、お前だけだ」と、彼は確かに言った。だというのに。今、三階を詩帆に使わせると言う。別荘は三階建てだ。一階はリビングとキッチン。二階は主寝室。三階はゲストルームで、将来は子供部屋にする予定だった。今、その場所を、詩帆が占領する。この別荘の名前は、すべて湊が愛のために付けたものだった。愛の口元に、乾いた嘲笑が浮かんだ。腰の奥がズキリと痛む。タトゥーショップへ二回目のレーザーを当てに行かなければ。そうすれば、すぐに彼女と湊は終わる。「……わかった」この言葉以外、愛に返せるものはなかった。すべて、彼の望む通りに。その後、愛は適当な理由をつけて別荘を出て、すぐさまタトゥーショップへと向かう。そしてベッドに横たわり、上着を脱ぐと、三階から飛び降りた際にできた無数の痛々しい傷痕、そして青あざが背中や体中に広がっていた。それを見た女性店主が息を呑んだ。「これは……!昨日来なかったのは、こんなひどい怪我を……?」愛の瞳は虚ろで、生気がなかった。か細い声で、彼女は言った。「構いません。今日は強めにお願いします。昨日、来れなかった分も……全部」店主の瞳に痛みが走る。「できなくはないけど、ものすごく痛みますよ」「耐えきれます」レーザーの針が、一本一本肌を焼いていく。愛は痛みで涙を流したが、一度も声を上げなかった。体から湊の痕跡を、すべて消し去らなければならない。その時、スマホにニュース通知が来た。ピン、と軽い音が鳴る。彼女は画面を見た。【名門・荻原家の令嬢が電撃帰国、恵川市バレエ団の新首席に!前首席・小林愛の行方は?】誰がこのニュースを流したのか、考えるまでもなかった。湊は、もうこれっぽっちも待てないのだ。スマホが再び鳴った。湊からの電話だ。優しく、どこか懐かしむような口調。「愛、おじいさんが今夜、家族で食事会を開くそうだ。俺は詩帆を先に連れて帰る。後で家で会おう。詩帆のことは、おじいさんに俺からきちんと説明する。余計なこと言うなよ」愛は、最後の望みをかけて言った。「湊。詩帆を櫻井家に連れて行くの、あと五日だけ待ってもらっていい?」もうすぐ、自分はここから去る。五日後には、彼の世界から完全に消える。その時にな
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第7話
愛の肩甲骨が、軋むように痛んだ。それでも、必死に落ち着こうとする。震える声で絞り出した。「告げ口なんて、してないわ」しかし湊の目に、怒りが満ちている。フッと彼は鼻で笑った。「フン。おじいさんの前で俺と詩帆のことを話せる人間なんて、お前以外にいない。誰もが恐れて口をつぐむ。だが、お前は違う。冷静で、決断力がある。報復する時には、容赦ない」湊は一言一句、愛を追い詰めるように告げた。「大学一年の時、誰かに『孤児』と罵られて、絵の具のボトルを丸ごとそいつの頭にぶちまけたな。三年の時は、両親のことを言われて、ダンススタジオのドアを閉め、監視カメラを切り、その女の手を折れるまで殴った……」愛の瞳に驚愕が走った。すべて、知っていたのか。湊の薄い唇が、愛の耳元に触れる。「愛、他人への報復なら、俺が後始末してやる。詩帆だけは別だ。今、おじいさんが荻原家に、詩帆をB市に送れと命じてる」ベッドに押し倒され、脅しつけられる。「今すぐおじいさんに電話しろ。詩帆をここに残させろ。お前には豊市の療養施設に、おばあさんがいたよな。毎月、会いに行ってるだろう?」愛の顔が、真っ青になった。信じられないという涙の瞳で、湊を見つめる。初めて祖母のことを話した時、湊は愛を優しく抱きしめ、熱いキスで体中を覆った。共に祖母に会いに行き、大金を払い、海外の医療チームを雇い、豊市の療養施設にずっと付き添わせた。祖母は意識不明のままだったが、湊の尽力のおかげで七年も長く生きられたのだ。「今自分が何を言っているか、本当に分かってるの?」愛の震える手が、湊の白いシャツを強く掴んだ。彼は愛のすべてを、一つ一つ破壊していく。彼が自分にしてくれた、すべての愛を引き裂いていく。正雄への電話をかける、その寸前。湊のスマホに、拉致犯からビデオ通話がかかってきた。「櫻井さん、荻原詩帆は預かってますぜ。身代金は六百億円。この金がなけりゃ、俺たちで散々楽しんだ後、殺すことになりますね」湊の顔が冷たく凍りつく。「お前らは誰だ!」拉致犯が下卑た笑いを浮かべた。「ははは、小物ですよ。金が欲しいだけ。あ、そうだ。傍らにいる小林愛も連れてきてください。小林愛を楽しめるなら、荻原詩帆みてえな水臭い女には興味なくなるんでね」画面の向こうには、ボロボロの倉庫が映っていた。
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第8話
愛は、湊の車で拉致犯が指定した場所まで連れて行かれた。車中で、湊は警察に通報し、友人にも電話をかけた。櫻井家の勢力もすでに動いているという。大橋まで来た時――湊は、手を縛られたままの愛を見つめた。その指が、愛の唇に触れる。目には、深い愛情が宿っている。限りなく優しく、彼は告げた。「愛。戻ったら、すぐ結婚しよう。詩帆は、俺たちの間の障害じゃない。愛してる」愛は最後の告白を聞き、ただ乾いた笑みを浮かべた。愛してる、と?今さらなんて、とんだ笑い話だ。本当に愛している人間が、別の女のために自分を差し出すはずがない。もう、信じなかった。愛は拉致犯に連れ去られた。車の中で、拉致犯が待ちきれずに、彼女の体にベタベタと触り始めた。「ふぅ〜さすが恵川市の白鳥、肌が最高だぜ」「この荻原という女が仕組んだ拉致は、俺たちにこいつを壊させるためだ。俺が……」愛は、「荻原」という言葉を聞いた。拉致犯が、愛の服を引き裂いている。愛は尋ねた。「その荻原って、荻原詩帆なの……?」拉致犯が大笑いした。「そうだ!俺たちに六億円くれた!しかも櫻井湊の女を楽しめるなんて、こんなにいい仕事、滅多にねえぜ!」そう言いながら、拉致犯は興奮に顔を歪めた。愛の服を引き裂こうとしたその時。前で運転している男が、鋭く叫んだ。「兄貴、警察だ!後ろにも!」この時、車はすでに大橋の真ん中にいた。拉致犯のボスが、愛の頬を容赦なく平手打ちした。愛の顔が瞬時に腫れ上がる。ボスが怒りに声を荒げた。「お前の男が、罠を仕掛けやがったな!」遠くからスピーカーの声が聞こえてきた。「愛を放せ!そうすれば、お前たちは生き延びられる!」湊の声が聞こえて、愛の手が震えた。しかしその時、詩帆の泣き叫ぶ声も聞こえてきた。「湊さーん!私は船の上!助けて……っ!」拉致犯は、愛の体を車から引きずり下ろした。湊は愛のスカートが拉致犯に破られているのを見た瞬間、その目に殺意が満ちた。冷たく彼は言い放った。「彼女に、手を出したな!」拉致犯が嘲笑うように笑った。「でも、櫻井社長が自分で女を俺たちに送ってきたんだぜ?車の中で手を出さないわけないだろ。一分あれば、こいつを頂ける」湊が激怒し、拉致犯に向かって突進しようとした。ところで同時に、大橋の下の
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第9話
湊の深い瞳に、激しい苦痛が満ちる。声を押し殺し、信じられないという様子で彼は呟いた。「何だと……?愛が、死んだ……?きっと間違えたんだ!水から救い上げられたはずだ!俺が病院を出た時は、まだ無事だったくせに!」医者は答えた。「櫻井様はすでに四十八時間、病院を離れておられました。小林様の危篤の際もご不在でして……」激しい炎が、なおも燃え盛っている。だが、それは湊が狂ったように愛の部屋に駆け込むのを、止めることはできなかった。消防士が駆けつけ、すぐに湊の腕を掴む。湊は激怒して振りほどいた。端正な顔に青筋が浮き、全身が絶望と不信に満ちている。「妻がまだ中に……!お前ら、離せ……っ!」それでも、消防士が頑として阻止する。「櫻井様、火勢が強すぎます!患者の遺体は、すでに焼けて原型をとどめておりません!」湊が瞬時に血を吐いた。赤く充血した瞳に、激痛が満ちる。「そんなはずがない……っ!愛、あいぃいいい……っ!!」湊は絶望の極みで叫んだ。「ちょっと離れただけなのに!愛のことが、すごく心配だったのに!ずっと、心配してたんだ、愛……っ!」だが彼の叫び声は、もう愛を取り戻せない。湊は消防士に無理やり階下へ連れ下ろされた。「離せ!妻を助けなきゃ、ああ……っ!」この時、病院の人々はすでに散っていた。正雄も現場に駆けつけていた。湊を見て、正雄は手を振り上げ、湊の顔を激しく平手打ちした。一枚の婚姻届が、湊の前に投げつけられた。重厚な声が怒りに満ちている。「愛は最後の瞬間、わしにメッセージを送ってきた……死んでも、この婚姻届を取り戻したい、とな!」湊の苦痛に満ちた瞳に、絶望が溢れる。彼は叫んだ。「おじいさん、どうして!?愛は、大橋から落ちても死ななかった!救い上げられたんだ!少し水を飲んだだけで、どうして命に関わるんだ!」正雄は怒りに震えながら言った。「お前が自分の手で彼女を拉致犯に渡したんだ!彼女が川に飛び込んだ瞬間、お前はより遠くにいたあの女を救うことを選んだ!わしはお前のような畜生の孫を持つとはな!」正雄の手にある杖が、湊の背中を容赦なく打った。湊はすべての痛みに耐えながら、何度も血を吐きながら、それでも上の階に駆け上がって確かめようとした。愛が死んだなんて、信じられない。しかし病院のロビーで、ニュ
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第10話
「愛は死んだ。彼女の死が自殺か他殺か、まだ調査が必要だ。湊、言っただろう。愛の一家は櫻井家の恩人だと。それなのにお前は、恩を仇で返した」湊はずっと、小林家が櫻井家に恩があることは知っていたが、具体的な経緯なんか知らなかった。正雄は深いため息をつき、十数年前の出来事を思い返した。「お前が拉致された時、お前の両親がお前を救うために危険に陥った。その時、小林家の人間が、お前たち家族三人を救ったのだ。だがその代償は、愛の両親がその場で命を落としたことだ。お前の父は、そのことに自責の念に駆られていた。お前の母が去ったのも、お前の父と不仲だったからではない。愛と、彼女の兄たちを守るために去ったのだ。お前と愛の婚約は、わしと彼女の祖父が決めたことだ。お前の両親の遺志でもあった」正雄の言葉が、一つ一つ湊の心臓に突き刺さった。長年埋もれていた真実が今、白日の下に晒される。湊は十数年前の拉致事件で、自分と両親が救われたことまでは知っていたが、愛の両親がその大火の中で死んだことなど、想像だにしていなかった。あの時、彼はまだ十三歳だった。誰も彼に、自分が救われるために、どれほどの代償が払われたかなど、教えなかった。湊が膝から崩れ落ち、地面にひれ伏した。頭の中は、愛の両親がすべてを懸けて自分を救った光景ばかりだ。あの凶悪犯たちは、彼を人質にして恵川市を脱出する機会を得ようとしただけ。彼は自分の耳で聞いたのだ。あの連中は最初から彼を解放するつもりなどなかった、と。愛の両親がいなければ、自分はとっくに、十三歳のあの年に死んでいた。湊は後悔の涙を流した。自分は一体愛に何をしたというのか!湊は葬儀場で無言に座っていた。目の前には、黒く焼け焦げた遺体が横たわっている。かすれた声が、喉から漏れた。「……愛してる。本当に、愛してる……みんな、お前が俺に失望して自殺したって言う……信じない。お前がそんなことするはずない。お前の心は冷たかった。六年かけて、やっとこじ開けて、やっとお前が心を開いてくれたんだ。俺がお前を傷つけたからって、自殺するはずが……!」湊は愛に初めて会った時を思い出した。少年は心を奪われたのだ。少女は十九歳で、白いワンピースを着て、白いスニーカーを履いていた。妖艶な顔立ちなのに、顔は清潔で、精緻な五官は人形
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