تسجيل الدخول終末が世界を覆ったあの日から、俺、宇田孝之(うだ たかゆき)は恋人の河越未月(かわごえ みつき)を支え、生存者の小隊を結成した。 ある外部任務でのこと。仲間のふたりを庇った俺は、ゾンビウイルスに感染してしまう。 拠点に残された解毒剤は、わずか2本。未月は「身内びいきを疑われたくない」という理由で、迷わず感染したふたりにそれを与えた。 それでも彼女は目に涙を浮かべ、俺をまっすぐ見つめて言った。 「孝之、私を信じて。症状が出るまでの3日間に、必ず新しい解毒剤を見つけてくるから」 体の奥で焼かれるような激痛に耐えながら、俺はただ頷いた。 そして翌日、彼女は言葉通り、奇跡的に1本の解毒剤を持ち帰る。 だが、その薬液が俺の血管に注がれようとした、まさにその寸前。一度も拠点の外へ出たことのない宮里哲也(みやざと てつや)が、唐突に顔を歪めたのだ。 「くっ。怖いよみっちゃん……頭が痛いんだ。もしかして……感染したのかも」 周囲の視線が集まる中、未月の手がぴたりと宙で止まった。次の瞬間、彼女は迷うことなく哲也へと向き直っていた。 「哲也くんだって、大切な仲間なの。もし何かあれば、隊長の私にも責任があるわ。 孝之、あなたは副隊長で……それに、私の彼氏でしょう?だからこそ、身内びいきだと思われるようなことはできないの」
عرض المزيد哲也は逃げようとしたが、折れた脚が決定的に動きを鈍らせた。先頭のゾンビが飛びかかり、彼の首筋に深く食らいついた。鮮烈な血飛沫が宙を舞った。未月は一瞬固まった後、身を翻して全力で走り出した。だが、ゾンビの敏捷性には到底敵わない。瞬く間に、3体のゾンビが彼女の退路を塞ぎ、取り囲んだ。彼女は崩れかけた壁に背を預け、弾切れの銃を構え、無意味に引き金を引き続けた。カチ。カチ。カチ。ゾンビたちが一斉に飛びかかった。俺は視線を逸らした。「記録に残しますか」助手席の隊員が尋ねた。「いい。構わず進め」車列は廃墟を離れ、悲鳴と血の匂いを背後へ置き去りにした。その夜、玲奈が書類を抱えて俺のところに来た。「北区の拠点から連絡があったわ。血清の効果は良好。30人の感染者のうち、29人が完全に回復した。残るひとりは感染から時間が経ちすぎていて助けられなかったけれど、少なくとも変異だけは免れたわ」「いい知らせだな」俺は素直に言った。「もうひとつ朗報があるの」玲奈が俺の目を真っ直ぐに見た。「研究チームがあなたの抗体をもとに、予防ワクチンを開発したわ。一度接種すればゾンビウイルスに対する完全な免疫を獲得できる。効果は少なくとも5年は続く見込みよ」俺は言葉を失った。「これが何を意味するか、分かるでしょう」玲奈の瞳に強い希望の光が宿る。「終末が終わるってことだ」俺は言った。「そう」彼女が頷いた。「人類がようやく反撃の手段を手に入れたということ。もう壁の内側で怯えながら死を待つだけじゃなくていい。外に出て、失われた文明をもう一度築き直せるってことよ」彼女が、細くしなやかな手を差し出した。「本当にありがとう」俺はその手をしっかりと握り返した。「礼はいらない。当然のことをしただけだ」「いいえ」玲奈が首を振った。「あなたには断る権利だって十分にあった。それでも、私たちを助けることを選んでくれた。それは、私たちにとって大きな恩よ」彼女は少し間を置いて続けた。「避難居住区議会は、あなたに『曙光勲章』を授与することを決めたわ。最高の栄誉よ。それに研究チームは、最初のワクチンをあなたの名前にちなんで『宇田孝之型免疫製剤』と名づけるそうよ」俺は思わず苦笑した。「いくらなんでも大げさすぎるだろう」「大げさじゃないわ」
ひとり、ふたり。やがて5人、10人と続き、最終的にその場に取り残されたのは、未月と哲也のふたりだけだった。亮太が俺の目の前まで歩み寄り、深く頭を下げた。「副隊長……本当に、すみませんでした。あの時、俺は何も言ってやれなくて……」「今は言えるようになったのか」俺は尋ねた。彼は頷いた。「分かりました。ついていく価値のない人もいるんですね」俺は彼の肩を軽く叩いた。「乗れ」車列がエンジンを吹かし、出発しようとしたその瞬間。未月が唐突に駆け寄ってきて、俺の腕にすがりついた。「孝之……私を連れていって。お願い」俺は、腕を掴むその手を見下ろした。かつて、俺が心から信頼し、頼りにしていた手だった。今はただ、嫌悪しか湧き上がってこない。「その手を離せ」俺は冷たく告げた。彼女は手を離さない。その瞳から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。「間違っていたって、分かった……本当に分かったの……だからもう一度だけ、最後にもう一度だけ私にチャンスをちょうだい……!」俺はその手を振り払った。「未月、俺はもう三度もお前にチャンスを与えた。一度目、お前は『身内びいきを疑われたくない』と言って、解毒剤をほかの隊員に渡した。二度目、お前は同じ理由で、俺に抑制剤を渡した。三度目もまた同じ理由で、俺を拠点から追い出した」俺は彼女を見下ろした。「四度目はない。俺たちは終わりだ」彼女はその場に崩れ落ち、声を上げて泣き崩れた。哲也が慌てて助け起こそうとしたが、未月は彼を突き飛ばした。「あっちへ行って!もう顔も見たくない!」やがて、車列が無情にも動き出した。サイドミラーの中に映る彼らの姿が、土煙の中でみるみる小さくなっていく。地面に泣き伏せる未月。その傍らで、ただおろおろするだけの哲也。やがて、ふたりの姿は廃墟の闇へと完全に呑み込まれていった。玲奈が隣に座ったまま、静かな声で問いかけてきた。「後悔はしていない?」「何を後悔するんだ」俺は窓の外を流れる景色へ目を向けた。「もっと早く見抜けなかったこと、か」彼女はそれ以上、何も言わなかった。装甲車は廃墟を離れ、曙光へと疾走する。新しい始まりへと。……避難居住区へ戻ってから、林教授の研究は飛躍的な進展を遂げた。俺の血液サンプルから抗体の抽出に成功し、精製と培養を経て
「移送?」未月は呆然と呟き、その場に固まった。「どこへ移送するというの?」「『曙光』ですよ。あなたたちに、大人しく収容される意思があるのならね」その言葉を聞き、未月の瞳にすがるような希望の光が灯った。だが次の瞬間、施設から逃げ出してきた哲也が俺の姿を視界に捉え、さっと顔から血の気を引かせた。「孝……孝之さん?」その声はひどく上ずっていた。「し……死んで、いなかったのか?」俺は彼を見据えた。ただそれだけで、哲也は激しく怯えたように後ずさり、無様に転びそうになった。「ああ、生きているさ。がっかりしたか」「い、いえ……そんな……」哲也は必死に首を振り、逃げるように未月の背後へ隠れた。「みっちゃん、彼……どうして……」未月は哲也を庇うように前へ出ると、俺を見つめた。「孝之、この前のことは……本当にごめんなさい。でもあの時は、ああするしかなかったの。隊全体の命を優先しなきゃいけなくて……」「分かっている」俺は冷たく言葉を遮った。「身内びいきを疑われたくないため、だろう」未月の顔が、さっと青ざめた。「だが、もう気にする必要はない」俺は淡々と続けた。「俺はもう、お前の隊員じゃない。俺のために『身内びいき』を気にする必要もない」俺は玲奈へと視線を向けた。「桐生隊長、こいつらの受け入れ手続きは」玲奈は未月を一瞥し、それから俺を見た。「原則として、規則を守る意思のある生存者は誰でも受け入れるわ。ただ、こっちの資源には限りがあるから、厳格な審査は必要になるけれど」「なら、審査してくれ」俺はそれだけ告げた。未月が焦った声を上げた。「孝之、待って!私たちは昔……」「昔、か」俺はその言葉を強調した。「未月、お前が俺を拠点から追い出した瞬間から、俺たちの間に残っているのは過去だけだ」彼女が絶望に固まる。その目の縁が、みるみるうちに赤く潤んでいった。そこへ、哲也が唐突に口を開いた。「孝之さん、いくらなんでもひどすぎるよ!みっちゃんだって、あの時はあなたのためを思っていたんだ!あのまま拠点に残って変異していたら、みんな死んでいたかもしれないんだよ!」俺は静かに彼を見て、そして、ゆっくりと歩み寄っていく。哲也が顔を引きつらせ、怯えたように後ずさった。俺は彼の目の前でピタリと足を止め、哲也の腰のホルスター
彼女は俺の目を真っ直ぐに見据えた。「その副隊長って、あなたのことよね」俺は何も答えず、壁際の武器棚へ向かった。「行く気なの?」玲奈が尋ねる。俺は改造された武器を手に取り、冷たい金属製の弾倉を確認する。「助けに行くわけじゃない」「じゃあ、一体何をしに行くというの」「見物に行くだけだ」カチャリと弾倉を装填する。その動きは、まるで何百回、何千回と繰り返してきたかのように淀みなかった。「ついでに、きっちり利子も回収しておくつもりだ」……装甲車列が、廃墟の中を猛スピードで疾走する。玲奈自らが陣頭指揮を執り、精鋭の異能者20名が同行している。装備の質も申し分ない。俺は先頭車両の助手席に腰掛け、窓の外を飛ぶように流れていく瓦礫の街並みを眺めていた。あの死斑が消え去ってからというもの、俺の視力は常人離れするほど鋭敏になっていた。300メートルも先にいるゾンビの眼窩に湧く蛆虫の数さえ、はっきりと見える。ひび割れたコンクリートの隙間から、懸命に伸びる雑草の姿も。そして、遥か彼方の空へ立ち上る、どす黒い硝煙も。あそこが交戦地点だ。「目的地まで、あと2キロです」ハンドルを握る運転手が短く報告した。俺は銃を強く握りしめた。20分後、車列は戦場の縁へとたどり着いた。目の前に広がる光景は、まさに凄惨の一語に尽きるものだった。40人以上もいたはずの大所帯の小隊が、今や20人にも満たないほどに数を減らし、抵抗を続けている。彼らは半壊した商業施設へと追い詰められ、その周囲をゾンビの群れがびっしりと埋め尽くしていた。下級のゾンビではない。素早さも腕力も、下級種とは段違いの凶悪な上位種の群れだった。未月は2階の割れた窓辺から仲間と共に必死の応戦を続けていたが、弾薬は明らかに尽きかけている。哲也といえば、未月の背後に隠れ、真っ青な顔をして、武器を握る手はガタガタと頼りなく震えていた。「直ちに救援を開始する」玲奈が命令を下す。「待て」俺はそれを手で制した。玲奈が視線を俺に向ける。「もう少しだけ見届けてやる」俺は車のドアを開けて飛び降りると、身を隠すのに丁度いい廃墟の高台を見つけ、狙撃姿勢をとった。高倍率のスコープ越しに、未月の顔がはっきりと見えた。やつれ果てていた。目の下には疲労の色濃いくま