LOGIN律side
「専務、何かいいことでもあったんですか?」
車で移動中に隣に座っていた小森が、唐突に尋ねて来たので俺は動揺しながらも眉間に皺を寄せて聞き返した。
「なんだ、急に?」
「いや、専務、いつも親族の総会の後は数日は気難しい顔をしていることが多いけれど、今日はなんだかにこやかな気がして。結婚して奥様が隣にいたおかげですかね?」
「……そう、かもな」
俺が否定をしなかったことに小森は驚いて見返してきたが、これ以上話題を広げられたくないので、仕事の話をしようとしたが一足先に小森が口を開いた。
「そういえば、ワインって奥様になんと言って渡したんですか?この前の口ぶりだと、私が用意したような言い方に聞こえたのですが。専務、自分で選んだって言いました?」
「……いや、特には」
「奥様きっと誤解していますよ。そういう時は、ワインを選んだ理由を伝えたり、君を想って選んだとか言えばいいのに」
隣で小森はまだ何か言っていたが耳に入ってこなかった。
(確か、あの時は
香澄side「香澄、どこ行っていたの?探したんだよ。あれ、その人は?知り合い?」「そう。私の従兄弟の隼人。隼人、私の友人で大学時代の同級生なの」友人に隼人を紹介をすると爽やかな笑顔で友人たちに会釈をしている。少しうっとりした顔で友人は私に話しかけてきた。「隼人君っていくつ?かっこいいね。香澄の親戚にこんなイケメンがいるなんて知らなかった!」「七個下よ。小さい頃から天使のような美少年だったけれど、いつの間にかこんなに立派な大人になってね。私にとっては弟みたいな存在なんだ」「隼人くんも二次会には行くの?行くなら、私たちと一緒に会場まで行こうよ!」こうして私の友人と隼人の友人とみなで移動することになり、二次会の会場についてからも各々が談笑をしている。隼人は瑠理香やほかの友人に話しかけられて、私も隼人の先輩と話をしていた。「香澄ちゃんって隼人と親戚なの?と、いうことは将来は蓮見家を継ぐ人?」隼人の先輩は、酒が入ったせいか遠慮なく核心に触れてきた。彼の探るような視線は、少しばかり不快感がある。「……そうですね。いずれはそうなるかと思います」
香澄side「今日は、これから用事があるからまた来るね。隼人もまたね!」祖父母宅を出た帰り道、頭の中では先程の隼人の言葉が何度も反芻されていた。隼人の眼差しがフラッシュバックして心がざわつく。(もし私が従兄弟でも何でもなくて、隼人の見た目であんな言葉を言われたらときめいて即決するよね。きっと隼人はモテるんだろうな……。隼人はいつからあんな言葉を覚えたのだろう)天使のお人形のように可愛かった私の隼人は、いつしか女性を喜ばせる言葉も得意になっていた。「待って!これだと、私、隼人にも先を越されてしまう。七個も下の隼人が先に結婚をしたらショックかも……。でも、隼人が結婚して式場でタキシードを着て幸せそうに歩いているところを見たら、感動で号泣しちゃうんだろうな」この時の私のショックという思いは、『年が七個も離れているのに先に結婚をすること』に対するもので、実際に結婚式場で隼人の幸せそうな顔を見たら、自分まで幸せな気持ちになると思っていた。私は隼人の提案を、縁談疲れを気遣った「弟からのエール」のようなものだと都合よく解釈していた。二週間後の土曜日―――――私は、大学の友人の結婚式に参列していた。旦那さんは偶然にも隼人の大学の先輩で、隼人は新郎側、私は新
香澄side「はー、またか……」クリアファイルの中にある書類を見て嘆いている私を見て、隼人が声をかけてきた。週末の昼下がり、祖父母の家で久しぶりに顔を合わせた私たちは、お茶を飲みながら話をしていた。「香澄さんが溜め息なんて珍しいね。どうしたの?」「律が結婚したでしょ?それで私への結婚圧力が強くなって、どんどん縁談を入れられているのよ。毎月三件ペースでこなしているわ。ひどい時は土日両方で嫌になっちゃう」最近の縁談事情を隼人につい愚痴ってしまった。その言葉に、隼人は考え込むように指で口元を押さえている。隼人の視線は、私の顔ではなくテーブルの上に広げられた縁談相手のプロフィールへと注がれていた。蓮見家は、縁談をする前に相手だけでなく相手のご両親の職業や家族構成・学歴など、相手のことを徹底的に調べる。そのため、縁談というのは名ばかりで企業の重役面接のようだった。そして、蓮見家が相手の家柄を気にするように、先方も同じことを考えて事前にこちらの情報収集している。「初めまして」と挨拶をするのに、私の出身校や仕事内容まで把握していて、こちらが口にする前に話題に出してくるのである。おかげで、無言で気まずくなることはないが、どこまで把握しているのだろうという疑念と、値踏みされている感覚しか残らず話が弾むことはなかった。
香澄sideそこから数年が経ち、私たち三人は大学卒業後に蓮見のグループ企業に入社した。それぞれ与えられた部門で頭角を現し始めていた。学生だった頃とは違って一人暮らしをするようになると、以前のように頻繁に顔を合わせることはなくなっていった。隼人は相変わらず律を意識していたようだが、思春期が過ぎて大人になったことと物理的な距離ができたことであの刺々しい空気は薄れていった。たまに会っても、それは祖父母の家かグループの会合の場などで、話の内容も仕事の目標や戦略のことばかりだった。(それぞれ大人になったし話す内容も立場も変わっていくわよね。こ)幼い頃、隼人と一緒の布団で手を繋いで眠っていた日々が、遠い過去のように感じられる。思春期の頃のように、『付き合っている人はいるか?好きな娘はいる?』なんてことを聞くことも聞かれることもない。蓮見家では、血筋と家柄が重視されるため、恋愛は常に縁談やお見合い、紹介などと結びついており、自由な恋愛へのハードルは非常に高かった。蓮見家に生まれた宿命だと思っていたが、内心ではその窮屈さから逃げたいと常に感じていた。だが、律だけは違った。律だけは血筋を理由に紹介や縁談を全て断り続けていた。そして、律が養子だと知ると、相手方から断りが入ることもあった。
香澄side関係が変わったのは、律が家に来てからだ。大学生の私と高校生の律、中学生の隼人―――隼人は突然現れた律に対して何かと対抗心を露わにして競おうとしていた。「律、俺とバスケで勝負しろよ!」 「律、この数学の問題解けるか?」律は、蓮見家の人間に目をつけられないようにしたいようで、集まりがあっても自分から関わることはなく、いつも部屋の隅で出来るだけひっそりと存在を隠すように静かに過ごしている。そんな律だから、隼人からの言葉も面倒でしかなかっただろう。体格差や学力においても勝負となると律の方が有利だ。思いっきり勝ち負かす事もできるが、隼人の負けん気とプライドを傷つければ、それは蓮見家の内部に波風を立てることになる。だからといって手を抜いてもすぐにバレてしまう。律は隼人を「面倒な相手」として認識し、次第に隼人から距離を置くようになっていった。律の躱し方はいつも穏やかだったが、その裏にある冷めた態度が隼人の苛立ちに拍車をかけた。仲が悪いわけではないが、何かとライバル心を持つ隼人と、面倒で逃げる律。警察と泥棒のように二人の距離は縮まることがなかった。「隼人、どうして律に対してそんなにつっかかるの?律の母親のことで面白くないかもしれないけれど、仮にも私の弟だから仲良くしてほしいな」
香澄side「香澄ちゃん、俺はずっと香澄ちゃんのことだけを見てきた。結婚するなら香澄ちゃんがいい」木々が強風に煽られて枝葉を揺らしている。友人の結婚式の帰り道、突然腕を掴まれて振り返ると、少し切なそうに真剣な顔で告白する隼人に私の心も大きく揺れ動いた。これは、律が凛ちゃんと結婚して蓮見家の後継者争いが最も激化し、全員が警戒心を剥き出しにしていた、私たちにとって最も不純な時期の私と隼人の秘密の話だ。私にとって隼人は、守ってあげたい可愛い弟みたいな存在だった―――私が小学一年生の頃に生まれた隼人。生まれたばかりに初めて隼人を見た時、小さな小さな手で私の指をキュッと握る姿が可愛くて、ずっと隣で隼人の様子を観察していた。あくびをする姿もすやすやと眠る姿も足をバタバタさせる姿も、何をしても可愛くて仕方がなかった。幼稚園で赤ちゃんのお人形のお世話をして遊んでいたけれど、本物の赤ちゃんはもっと柔らかくて温かい。ぷっくらしたほっぺたも綿毛のようにふわふわな髪の毛も、私が知っていた赤ちゃんとは全く違っている。そんな隼人に、私は一気に夢中になっていた。大きくなって寝返りやハイハイをすると、手を叩いて喜び、歩き始めると一緒に手を繋いで歩いた。可愛いと思う気持ちは隼人が小学生になってからも変わらなかった。「隼人、今日は誰とお風呂入るー?」