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第4話

Author: まわりまわり
雫は反射的に電話を切ろうとしたが、母の蒼白な顔を思い出し、目を閉じて通話ボタンを押した。耳をつんざくような罵倒が、潮水のように流れ込んでくる。

「おい雫!金はどうした!」

雫は深呼吸し、冷然と返した。

「今、お金はないわ」

母の入院費を払ったばかりで、手元にはほとんど残っていない。父は開口一番、汚い言葉を浴びせてきた。

「クソが!金がねえなら体売ってこい!その狐みたいな顔して、男誘うぐらいできんだろ!」

雫は歯を食いしばり、怒りで全身を震わせた。実の父親の口から、なぜこのような言葉が出るのか理解できなかった。

「お父さん!私が死ねば満足なの!?」

「金食い虫の売女が!お前なんか死んだ方がマシだ、そうすりゃ賠償金が入るからな!犬を飼ったほうがマシだったぜ、この疫病神め!」

雫は電話を切った。やがて、空から小雨が降り始めた。雫は呆然と立ち尽くしていた。目元から滑り落ちるのが雨なのか涙なのか、自分でもわからなかった。

スマホのアラームが思考を中断させた。今日は月曜日だ。司は来るなと言ったが、退職の引き継ぎはしなければならない。

スマホにメッセージが入った、司からだ。

【退職の引き継ぎは一ヶ月だ。ボーナスが欲しいならな】

雫は目を伏せた。やはり、彼はこれをネタに脅してくると思っていた。

会社に着いたのは八時半ちょうどだった。周囲の同僚たちが彼女を見てひそひそと話している。野次馬のような目つきだ。

雫は無視して席に着き、私物を片付け始めた。先週の書類を整理し終えたところで、デスクがコンコンと叩かれた。

司だった。

後ろには怜奈もついてきている。今日の怜奈は白のオフィスライクなワンピースにハイヒールを合わせ、誇り高い白鳥のようだった。

司の声には何の感情もなかった。

「今日から、お前は南部の支社の補佐役だ。会社が午後のフライトを取った。まずは社長室で異動届にサインをしろ、荷造りは後だ」

雫はっきりと答えた。

「社長、私は退職します」

司はふと冷笑した。

「雫、お前が見つけた転職先が役に立つとでも思っているのか?」

「……え?」

雫の心臓が凍りついた。

司は振り返りもせずに歩き去り、雫は一瞬硬直したが、彼を追った。司は椅子に座り、万年筆を指で弄んだ。雫は問い詰めた。

「どういうことですか?」

司は答えた。

「一つ、たとえ退職するにしても、この一ヶ月の決定はお前が履行しなければならない。

二つ、明光商事(めいこうしょうじ)は桐生グループが定める違約金を支払えない。

お前と、桐生グループとの取引、彼らがどちらを選ぶと思う?」

雫の目が赤く充血した。

「桐生司……!」

なぜ彼はこれほどまでに自分を苦しめるのか!退路を断つだけでなく、南部の支社は帝都から極めて遠い。母はまだ病院で病と闘っているというのに!

憔悴を隠せない雫の怒りを見て、司の口調は少し和らいだ。長い指でデスクを叩く。

「お前の家族のことは、会社が手配する。

南秘書、仕事に私情を持ち込むな。南部の市場はいい機会だ、しっかりやれ」

そう言って、彼は余裕の表情で雫を見ていた。彼女が拒否できないことを知っているかのように。雫はその辞令を手に取り、彼女が担当すべきプロジェクトのリストに目を通した。

激した感情が少しだけ冷める。リストには、以前から注目していた製薬会社の本社が含まれていた。さらに、その大半が新興産業の成長株であり、将来性は計り知れない。

確かに、これは大きな「贈り物」だ。これら全てを成功させれば、違約金を支払えるだけでなく、母の一年分の入院費も賄える。

どれくらいの時間が経っただろうか。雫は無理やり笑顔を見せた。

「承知いたしました、社長」

彼女は一度病院に戻った。母は娘のやつれた姿を心配し、体に気をつけるよう言った。

翌日の午前四時、空港を出た雫はホテルのベッドに倒れ込み、泥のように眠った。

朝早く、支社に着くと、アシスタントの小林が資料を抱えて雫の後ろをついて回り、報告を始めた。

「雫さん、これが現在進行中の重要案件です。

クライアントがかなり手強くて、本社の上層部はやはり雫さんに直接指揮をとってほしいと……」

雫は資料を受け取った。確かにこれは自分が以前関わった分野だ。もう一度よく見ると、相手が見知った堂島グループであることに気づいた。雫は安堵すると同時に、頭痛を覚えた。

堂島社長は契約に関しては厄介な相手で、一度ならず自分を引き抜こうとしてきた。前回、商談の場で堂島社長が引き抜きを口にしたのを司が目撃し、帰ってから酷いお仕置きを受けたことがある。

とはいえ、堂島グループは仲介業者として一貫しており、人脈としては悪くない。ここで根を下ろす助けになるはずだ。

雫の脳裏に閃いた。

……

会食の席で、雫はグラスを掲げた。

「堂島社長、乾杯させてください」

堂島文祥(どうじま ふみよし)は四十過ぎで、裸一貫から数十年戦ってきた叩き上げだ。そのためか、雫のような必死な若者を高く評価していた。彼は訛りのある言葉で言った。

「雫ちゃん、やっとこっちに来てくれたか!安心しろ、南部の件は俺がバックアップしてやる!親戚の叔父さんだと思って頼ってくれ!」

雫は苦笑しながらも、やはり「叔父さん」なんて呼べなくて、「堂島さん」と呼んだ。

二人が談笑していると、突然、耳障りなドアの開く音が響いた。入ってきたのは、なんと司と怜奈だった。

雫は条件反射で頭痛を感じた。悪霊のように付きまとう。なぜ二人がここにいるの?司の眼差しは恐ろしいほど暗く、二人の会話を聞いていたのは明らかだった。

「感謝する、堂島社長。今回の契約の続きは、彼女に引き継がさせるので」

怜奈が一歩前に出て、しとやかに微笑んだ。雫は呆然とした。自分がまとめた契約を、怜奈に引き継がせる?自分を踏み台にするつもり?堂島社長は眉を顰めた。

「桐生社長、これは――」

司が遮った。

「堂島社長」

男は椅子の背にもたれかかり、鋭い威圧感を放った。司はただの放蕩息子ではない。若くして桐生グループを財界のトップに押し上げた手腕に、誰もが一目置いている。

「どの担当者が堂島社長とやり取りしようとも、俺が堂島グループの利益を保証する。

堂島社長は……まさか桐生グループと対立するおつもりではないよね?」

堂島は雫を見て、言葉を詰まらせた。いくらこの若い娘を評価していても、彼女のために数百億の契約を棒に振るわけにはいかない。

雫の両手が震えた。司は自分の才能を知っている。これは明らかに、自分を彼の掌の中に支配ておくための仕打ちだ。

怜奈は甘い笑みを浮かべ、心配そうに言った。

「雫さん、気分が優れないの?運転手に送らせましょうか?」

雫は本能的に首を振った。思考が、喧嘩をするか、背を向けて去るかの間で揺れ動く。

まだチャンスはある。今ここで負けを認めるわけにはいかない。考えがまとまると、雫は冷静に怜奈を押しのけ、未練なくその場を去った。後のことは自分には関係ない。

彼女はあてもなく街を彷徨い、ようやくホテルに戻った。堂島を利用する計画は失敗したが、南部には他にも着手できる産業がある……

部屋の灯りをつけた後、思考の海を漂っていた雫は、そこに司がいることにようやく気づいた。背筋が凍る。

「どうして私がここにいるとわかったの?」

司はネクタイを緩め、美しい鎖骨と、酒に酔って半ば虚ろな瞳を晒した。

「さっきまでどこに行っていた?」

雫は一歩後退した。

「あなたには関係ない!カードキーはどうしたの?桐生司、これは不法侵入よ!」

司は笑い、長い脚で歩み寄ってきた。

「会社のホテルだぞ。俺が場所を知らないわけがないだろう?」

彼は雫を見下ろし、強引に唇を塞いだ。壁に押し付けられ、身動きが取れない雫は、力一杯噛みついた。

「桐生司!私たちはもう終わったの!」

司は口の中に広がる血の味を感じながら、雫を必死に見つめた。

「雫、言ったはずだ。俺たちの関係は、俺が終わると言うまで終わらない」

荒い息遣いの中、司は一瞬彼女を離し、再び口づけ、彼女を抱き上げた。

服が剥ぎ取られる。司は彼女の全てを知り尽くしており、雫は力を失い、目に涙を溜めた。司は彼女を見下ろした。

あの日、彼が怜奈の話をして以来、二人は体を重ねていなかった。

三日?五日?一週間?

彼らはあまりにも離れすぎていた。司が苛立ちと中毒症状を覚えるほどに。雫が去った直後、彼が同じ便のチケットを買うほどに。

男の灼熱の吐息がかかり、彼のものであるという痕跡が刻まれる。司は低い声で言った。

「俺から離れることは許さん。

俺から離れて、桐生グループから離れて、お前に何ができる?」

男の手が体を蹂躙する。雫は涙を流し、男の背中に爪を立てた。

「桐生司!あなたなんて大っ嫌い!

私を何だと思ってるの?何もしてないのに、どうしてこんなに苦しめるのよ!?

出て行けと言ったのはあなたでしょ、南部に行かせたのもあなた。橘と一緒になればいいじゃない!放してよ!犬みたいに扱われて、私が一体何をしたっていうの!

私はただ働いて、お母さんの治療費を稼ぎたいだけなのに、お願いだから、放して……」

司は動きを止めた。頭はあまりはっきりしていなかったが、一つだけ確かなことがあった――雫を手放すことはできない。どんなことでも約束するが、それだけは駄目だ。

怜奈との結婚は単なるビジネスパートナーとしての提携だ。彼女がそんなに気にしているなら、後で説明すればいい。

司の動作がふと優しくなり、雫の涙に口づけた。久しぶりの再会で、彼は一晩中彼女を貪った。

夜が明け白む頃、雫の手は疲れ果てていた。司の背中は傷だらけだったが、彼は気にも留めなかった。雫が微睡みの中で意識を手放す直前、彼女の眉間にキスをした。

「雫、お前はこれ以上どこへも行かせない」

目が覚めた時、司の姿はなく、雫の体は綺麗に拭かれていたが、辛い痛みだけが残っていた。彼は先に帝都へ戻り、怜奈だけを南部の支社に残した。

今後の日々は、雫と共に仕事をさせるつもりらしい。雫はうんざりした表情を浮かべた。怜奈のことなどどうでもいい。ただ、司がいつ自分に興味を失うかだけが気になった。

司から六百万円が振り込まれていた。提携プロジェクトの慰労金なのか、昨夜の体を売った代金なのかはわからない。雫は自嘲し、その金を病院へ送金した。

出社すると、ロビーにいる全員の視線がおかしかった。雫の胸に嫌な予感が走る。

受付の前で、中年の男が警備員と揉み合っていた。顔立ちは整っているが、服は薄汚れており、サンダル履きでだらしがない。

「娘がここで働いてるんだ!調べたんだぞ、南雫を知らないのか!桐生社長の女だ!俺の娘は社長の恋人なんだぞ!

会わせろ!早く娘を出せ!」

雫の顔色が蒼白になった。きびすを返して逃げようとしたその時、怜奈が口を開き、「雫さん」と呼んだ。

「雫さん、この人、知り合い?」

剛はその声を聞きつけ、娘の方を振り向き、興奮して駆け寄ってきた。

「娘、こいつは俺の娘だ!

おい!親父が借金取りに殺されかけてるんだ、早く金を出せ!」
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