Share

第4話

Author: イチタチ
私は仕方なく苦笑した。「ごめんなさい、私宛だと思ってた」

莉子は感謝の眼差しで私を見た。涼太は眉をひそめて言い放った。「これは葵のために用意したプレゼントなんだ!」

涼太は私の手首を掴み、書斎へ強引に引きずっていく。その冷たい指先が肌に触れ、私は反射的に身を震わせた。

莉子は慌てて後を追ったが、涼太は機嫌が悪く、彼女を完全に無視した。

書斎に入ると、涼太は手近にあった文鎮をつかみ取り、「今回こそ覚えとけ!」と声を荒らげた。

私の手をデスクの上に押し付けたその時、莉子が巻いたばかりの包帯が目に入り、涼太は動きを止めた。

涼太が動かないのを見ると、莉子が慌てて口を挟んだ。「若葉様の手首、やっと治りかけたところなんですよ!」

涼太はそこでようやく私の古傷を思い出し、決まり悪そうに文鎮を置いた。

気まずい沈黙の中、莉子がその場を繕おうと声をかけた。「涼太様、さっさと塗り薬を塗ってあげてください。そんなにひどいお顔で……」

私の顔を覗き込んだ涼太の目に、ほんのりと申し訳なさそうな光が宿った。

涼太は私を座らせ、莉子に薬箱を持ってこさせたが、私は彼の手をそっと避けた。

「いいわ。上に行って少し休んでくるから」

涼太の手が空中で止まる。私の突然の拒絶に、彼は驚きを隠せない様子だった。

突如、言い知れぬ不安に襲われる涼太。何かもっと大切なものを、今失おうとしている気がしたのだ。

涼太が気づいた時には、すでに私の姿は書斎になかった。

現実に引き戻された涼太は、リビングまで追ってきた。「おい若葉!いつまでそんな態度をとるんだ?」

私は黙り込んだ。莉子は薬箱を抱えたまま、怯えたように立っている。

その沈黙を切り裂くように、涼太の祖母・中山和子(なかやま かずこ)からの電話が鳴り響いた。

「若葉かい?今日は涼太と二人で、うちの食事会に来るのを忘れないでね。久しぶりに友人たちにも紹介したいし、これから先が長いんだから、色んな人と知り合っておいて損はないわよ」

困った。中山家の中で唯一、優しく接してくれる和子を拒絶することはできない。

初めて中山家に連れて行かれた日のことを思い出す。中山家の方から、どれほど冷たい視線を浴びたことか。

当時、涼太が母親の中山夏美(なかやま なつみ)とどれほど対立していたのかは知らなかった。ただ涼太を困らせたくなくて、すべて呑み込んで耐えてきた。彼には何も言えないままに。

結局、その苦境から救ってくれたのは、いつだって和子の一言だった。

けれど、飛行機のチケットは既に手配済みだ。ここで涼太と食事会に行けば、この地から離れる好機を逃してしまう。

断る言葉を探していると、不意に現れた涼太が消毒薬を手に持ち、私の代わりに応答した。

「おばあちゃん、若葉は今風邪を引いていて、医者からも静養するようにと言われてるから、残念ながら行けないんです。

嘘をつくわけがないよ。無理をさせたくないんだ。有給休暇だって取らせたし、どれだけ深刻か分かるでしょう?

ああ、大丈夫だから。良くなったら必ず、また一緒に顔を出しますから」

電話を切ると、涼太は無理やり私をソファに座らせ、数枚の書類を差し出してきた。

「見てくれ、これならどうだ?」

封を切ると、かつて私が切望していた案件ばかりが並んでいる。

不思議がる私を見て、涼太は笑った。「これは今日のお詫びさ。やむを得ない事情だったんだ。分かってくれるだろう?」

私は答えなかった。以前の私なら、実績を作って中山家に認められるためならと、迷わず飛びついただろう。

だが今は違う。涼太と一緒にいるつもりはなく、この会社に固執する理由もない。これはただの紙くずだ。

それなのに涼太はまだ、利害関係があれば私の心をつなぎ止められると信じているらしい。

強圧と甘い餌。涼太、本当に底知れぬ策士になったものだ。

涼太は続ける。

「今はそんな状態で帰るわけにもいかないだろう?葵を連れて行くことにするよ。お前は家で休んでいろ。人事部には3日分の休暇を申し伝えておいた」

言いながら綿棒で顔に触れようとする手を、私は反射的に避けた。

涼太は虚しく手を下ろし、眉間にしわを寄せた。

「今日の騒ぎだって、お前が自分で招いたことだろう?先に手を出さなきゃ、俺が力ずくで押さえつける必要だってなかったはずだ。なのに何を拗ねてるんだ?」

私が黙り込むと、涼太はカバンから小さなヘアピンを取り出し、愛おしそうな顔で私の髪にそっと留めた。

「すべては会社と、俺たちの未来のためだ。すでに離婚届も準備済みだ。手続きが終われば、お前と本当に一緒になれる。もう少しだけ待ってくれ。心はずっとお前と一緒だから」

髪留めが髪の毛に引っかかり、小さく痛みが走った。

付き合っていた頃は、涼太はいつもこんな調子で私を慰めていたものだ。可愛いヘアピンを付けられるたびに、幼い仕草だと思って笑い、大事に保管した。

以前なら無限にときめかせてくれたその行動が、今ではただ虚しくて、滑稽にみえた。

涼太はその場を立ち上がり、車の鍵を手に外へ出た。

窓越しに見る、赤いスポーツカーが瞬く間に遠ざかっていく。

葵が住んでいる場所に向かっているのだ。

あの新築のマンションの部屋一つで、私の50年分の給料が消えてなくなるような場所だ。

私は髪の留めを外すとテーブルに投げ捨てた。心に渦巻いていた最後の情念が、今ここで音もなく消えていった。

涼太は、私に内緒で葵のためにマンションを買っていたのだと、今の今まで思い込んでいた。
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第26話

    涼太は自分の判断力のなさを疑い始めた。このどうにも動けない状況は、自業自得だ。涼太は俯いて葵を見た。葵は血の気がなく真っ白で、目の下にはくっきりと青い隈ができていた。目立った外傷はないものの、見た目には相当やつれている。それでもなお、自分に盾突く度胸を見せていた。葵ははっきり言った。自分を信用していない、と。もし要求を飲まなければ、彼女は意地を通して、絶対に離婚届にサインしないだろう。もし自分に葵との間に子供ができれば、若葉は一生、よりを戻すことなんてありえない。望みをかけられるのは、葵を追い詰めて精神的に崩壊させ、無理やりサインさせることだけだ。とはいえ、本当に葵を命の危険に晒すわけにもいかない。どこにも逃げ道はない。涼太は完全に詰んでしまった。ふと、若葉と別れた時の言葉がよみがえった。「涼太、今回は葵さんが転んだだけで入籍したのね。次は彼女が怪我でもしたら、二人で子供を作る気?」言葉通りになってしまった。今、葵はまさに自分に子供を産ませようとしているのだから。これが報いだったのか。涼太は疲れ切った様子で葵に言った。「こうなれば、二人で一生かけあって過ごすしかないな」葵は口角を上げた。「今や、決定権をお持ちなのは涼太さんの方ね」涼太と葵は、2ヶ月間お互いに泥沼のような戦いを繰り広げていたが、勝負はつかなかった。これらのことは、すべて智子から耳に入ってくる話だ。結局、葵との状況に行き詰まった涼太が、遠回しに私に弱みを見せて同情を引こうとしているだけだろう。聞き終えてから、私は首を横に振った。「智子ちゃん、私と涼太の間にはもう何もないわ。彼のために気を利かせる必要なんてないから」智子はクスクスと笑った。「先輩、気を使っているんじゃないですよ。彼が受けている天罰について報告しているだけです。今はもうその奥さんにがんじがらめになっていて、下手したら1年は抜け出せないんじゃないですかね。自分で選んだ相手だし、自分で結婚を望んだ結果です。まさに自業自得のフルコースですよ!」私は微笑むだけで、何も言わなかった。涼太と別れたあの日から、彼に関する知らせには一言たりとも耳を傾けたくないと思っている。涼太が幸せだろうが破滅しようが、私とは何の関係もないことだ。私は窓の外に目を移し、

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第25話

    涼太は離婚届を突き出した。「署名しろ。そうすれば自由になれる。これまで贈ったものはそのままやるし、もし外国へ行きたいなら航空券も買ってやる。だが、それ以外に渡すものは何もない。もっとも、これまでにあげた分で、一生金に困ることはないだろう?」葵は離婚届に目もくれなかった。「私が署名したら、本当に解放してくれるの?」涼太はうんざりした様子で言った。「嘘をつくとでも思っているのか?」葵は離婚届を叩き落した。「私が署名して身一つになったら、守ってくれるものは何もなくなるわ。あなたはまた人を差し向けて私を苦しめ、それをネタに若葉さんへ忠誠心を見せつけるつもりでしょ?」涼太の表情が強張った。「何を馬鹿なことを言っている?」葵は目を閉じ、力なく笑った。「図星のようね」涼太は歯を食いしばった。「つまり、署名するつもりはないということか?」その声に含まれた殺気に触れても、葵は不思議なくらいに恐怖を感じなかった。「署名するわ。ただし、条件がある。あなたの子を産むわ」涼太は目を見開いた。「お前、頭がおかしいのか?離婚するって言っているのに、なぜ子供が必要なんだ?」葵は淡々と言った。「あなたの子を産み、無事に生まれてきて、あなたの家族に引き渡した時点で、すぐに離婚届に署名する。子供を引き取らせろとは言わない」涼太は葵の首を絞め上げた。「離婚させることしか考えていないと思っているのか?今すぐ死なせることもできるんだ」息苦しさの中でも、葵は途切れ途切れに答えた。「いいわよ、そうしても。やってみたら?それが若葉さんの心に、消えない棘として残るのかどうかを。一回目で運悪く死んだと思わせられても、二度目はどうかしら?もしそうなれば、もう若葉さんはあなたのそばに帰ってこないはずよ」涼太はたまらず手を離した。肺に空気を吸い込み、葵は激しく咳き込みながら言った。「中山家に留まるか、それともあなたの子供を生むか。これが私にとっての保険よ。そうでなきゃ、離婚して外に出された途端、私がどうなるかなんて保証がないもの」中山家は代々続く一族だ。子供を産めば、若葉がどれだけ自分を憎もうとも、涼太がどれほど薄情であろうとも、夏美と和子は子供を見捨てるはずがない。後継ぎを守るためにも、中山家は自分を守らざるを得なくなる。涼太がどんなに自分

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第24話

    涼太の気性をよく知る葵は、自分が今や彼の目障りな存在であることを理解しており、戻れば無事でいられるはずがないと悟っていたからだ。手首を砕かれた記憶がよみがえり、葵は身を震わせた。「いやだ。絶対行かない!」ボディーガードは無表情のまま返した。「まだ涼太様と離婚していませんので、同じ家で暮らすのは当然なのでは?行きましょうか」ボディーガードの態度は強硬だった。相談を持ちかけるような口ぶりだが、実のところ葵に拒否権などなかった。中山家に連れ戻された後、涼太は容赦なく葵を地下室に投げ込み、1週間そのまま閉じ込めた。その1週間、葵にとってそれはまさに、死ぬほど辛い時間だった。涼太は二度と葵の手を折ることはしなかったが、常に張り詰めた神経で追い詰めていった。熟睡したところへ突如強烈な照明を浴びせて起こされることを何度か繰り返され、葵は半ばノイローゼ状態に追い込まれた。眠ることを許されないという恐怖。睡眠が奪われることこそが一番の拷問だと、葵は思い知らされた。ある食事の時間、出されたのは芯が残った硬い麺だった。食べたくなかったが、断ることも出来ず、仕方なく半分ほど口にした。葵を見張っていたボディーガードが器を蹴った。「涼太様は残すなと言ったはずです」葵は悔しさを飲み込み、無理やり麺を完食した。硬い麺はほとんど噛めず、喉に押し込むように呑み込んだ。食後、ボディーガードは時計を見た。「今は17時ちょうどです」葵にはその意味がわからなかった。一時間後、ボディーガードたちが視線を交わし、突如として葵の体を縛り上げた。葵は悲鳴を上げて抗議した。「一体、何をするつもり?」ボディーガードはその問いを無視し、逆さ吊りにした。得体の知れない恐怖が、葵の限界を超えていく。懸命に抵抗しても、相手は鼻で笑うだけだった。「無駄ですよ。ここは防音室だから、どんなに叫んでも、外には一切聞こえません」葵は深い絶望に打ちひしがれた。ところが、ボディーガードたちは彼女を吊り上げたあと、何もせずそのまま部屋を出ていった。見逃してくれたのかと疑ったが、そうではなかった。すぐに、それが始まりに過ぎないことを葵は知る。消化されなかった硬い麺が、喉からせり上がり、鼻から逆流してきたのだ。鼻腔の粘膜は非常に弱く、その苦しみは

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第23話

    高そうなワンピースで、クリーニングに出すべきだったけれど、今の葵にそんな気力はなかった。今日の喧嘩で、体はあちこち痛んでいた。腰にはくっきりとした青あざができているし、顔の傷はもっと酷い。真帆に張り倒されて腫れ上がり、さらには机の角で顎までぶつけていた。鏡に映るみすぼらしい自分の姿を見て、葵は立ち尽くした。どうしてこんなところまで落ちぶれてしまったんだろう?洗濯機が揺れ始めた。注意散漫だったのか、スマホをポケットに入れたままにしてしまったらしい。誰かから通知が届かなければ、そのまま一緒に洗うところだった。スマホを手に取ると、昼間の取引先の社長からだった。例の「ビッグプロジェクト」についての問い合わせだ。昼間よりさらに下手に出る様子で、協力できれば「恩に報いる」という甘い誘惑が書き込まれていた。その「恩に報いる」が何を意味するのか、葵は痛いほど分かっていた。今までも、何度も同じような誘いを受けてきたのだから。適当な言い訳で断ろうかと考えた。そもそもこれは嘘のハッタリで、相手を繋ぎ止めてもう少し優遇してもらうための手立てだった。ところが、メッセージを打ちかけて、指は送信ボタンの上で止まった。今日味わった屈辱が込み上げてくる。こんな生活をあとどれだけ続ければいいの?仮にしばらく上手く誤魔化せたとしても、また会社に戻らなければならない。行けばまた難癖をつけられ、いじめられるだけだ。それに涼太はいずれ戻ってくる。彼が戻って来れば、状況が良くなるなんてありえるの?それとも悪くなる一方なのか?葵の心は沈んだ。涼太が戻ってくれば、間違いなく今の地獄が待っているだけだ。若葉を連れ戻したところで、自分の鬱憤を晴らすために八つ当たりされるだろう。若葉を連れ戻せなければ、すべての過ちは自分にあるとして、同じようにサンドバッグにされるのは目に見えている。逃げるしかない。ここから逃げ出さなければ。そう決意すると、葵はさっきまで打っていた文章を全て消し、綿密に練り上げた嘘のメッセージを打ち込んで送信した。スマホを置いてから、心臓は激しく波打っていた。涼太、全部あなたのせいよ。……涼太が帰国してほどなくして、葵は確保された。プロの犯罪者でもないのに、被害額があまりにも大きかったためすぐに逮捕された。巻き取った6億もそのまま

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第22話

    「今回はこれまでとはわけが違って、パートナーの選定も慎重を極めています。担当の私のプレッシャーたるや、凄まじいものですよ。だからこうして足しげく通って、ついでに様子を見に来ているだけです」相手は肩を震わせ、一気に酔いが醒めた様子で聞き返した。「本当ですか、それ……」葵は相手を丸め込めたことに手応えを感じつつ、酔ったふりをして懊悩するように装った。「ああ、ダメですね。次の四半期の話で、まだ公にできませんでした。お酒が入るとつい口が滑ってしまいますね」それだけ言うと、適当に話題をそらして、その場をごまかした。葵は単に中山グループの看板を借りてハッタリをかまし、取引先の自分に対する敬意をもう少し長く持たせたかっただけだ。3カ月後に化けの皮が剥がれるとしても、せめてそれまでは楽な時間を過ごしたかったのだ。ところが翌日、相手の会社の社長が食事に誘ってきた。今回の接待は、これまで以上に気合いが入っていた。相手はひどく丁寧にお酒を注ぎ、何気ない言葉の端々で葵をチヤホヤし、すっかり気分を良くさせた。酒が進むと、相手はやはり「新規事業」のことを根掘り葉掘り聞き出そうとした。葵は内心ヒヤリとした。手元にそんな大したプロジェクトなどあるはずがない。ぼろが出る前にと、急いで話をごまかした。だがその態度は相手から見れば、情報を小出しにしているだけで、やはり葵には裏で動いている大きなプロジェクトがあるのだ、と解釈された。宴席の隙を見てなんとか逃げ出しながら、葵は溜息をついた。このハッタリが本当のことならどんなに良かったか。そうすれば自分は今でも中山グループの副社長として、皆が腰を低くして寄ってくるような存在でいられるのに。宴席でのチヤホヤされた記憶を反芻しながら、葵は足取り重く会社へ向かった。社内に足を踏み入れると、再びあの重苦しい空気が漂っていた。ついさっきまでちやほやされていた反動で、社内の殺伐とした雰囲気が一層ひどく耐えがたく感じられた。葵は覚悟を決め、8回も書き直した資料を担当の九条真帆(くじょう まほ)のデスクへと持ち込んだ。真帆はそれを受け取り、パラパラと目を通しただけでパシッという音とともに放り投げた。資料は葵の顔面を直撃した。「こんなもの書いて何になりますか?バカでももう少しマシなものが作れたわ!最初からや

  • 転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ   第21話

    顔をボコボコにされても、翌日から会社に行かなければならず、ますます同僚たちの笑いものにされた。そもそも今の葵の惨状は、涼太の思惑だけでなく、彼女の「人望のなさ」が原因だった。何も優れた能力がないのに特別採用されたことで、周囲から反感を買っていた。そのうえ、涼太の寵愛を後ろ盾にやりたい放題に振る舞い、同僚をパシリに使っていたからだ。これまでは涼太を恐れて、嫌悪感を隠しながらも葵に媚びへつらわざるを得なかったのだ。しかし、今はもう葵に媚びを売る必要はないと確信し、誰もが溜め込んでいた怒りを露わにし始めた。葵にへつらっていた人たちも、今度は彼女をいじめるようになり、関わりを断たないと巻き添えにならないのではないかと、必死に距離を置こうとしていた。会社での居場所を失った葵は毎日が地獄のようで、かといって辞めることもできず、苛立ちで口内炎を腫らしていた。だが、ある時葵は、状況を好転させる「抜け道」を見つけた。社内の立場が最低ランクまで落ちたせいで、厄介な買い出しや雑用をすべて押し付けられるようになったのだ。情報に疎い取引先へ行くと、葵が直接来ただけで相手は恐縮して、歓待してくれることが多かった。会社の連中は葵が失脚したことを知っているが、外部の人間はそれを知らない。中山グループの副社長が自ら出向くなんて、よほど重要視されている証拠だと思い込んでいたのだ。そのため、取引先は葵を丁重に扱い、彼女が伝える内容を前向きに検討するようになった。葵を通して話を持ち込む方が物事がスムーズに進むと知った社員たちは、皮肉にも、より一層彼女を外へ使いに出すようになった。葵にとって、社外に出向く仕事は、社内の息苦しい雰囲気から逃げ出すための唯一の避難所だった。それに加えて、社外ではまだ中山グループの副社長として持ち上げてくれるため、会社にいるより気分がいいのだ。いつしか葵は、こういった仕事を待ち望むようになった。しかし、時間が経つにつれ、化けの皮が剥がれ始めた。あまりに外回りが増えたせいで、相手側も最初は抱いていた畏敬の念が、単なる疑念に変わり始めたのだ。中山グループの副社長が、どうしてこうも頻繁にこんな弱小企業に来るんだ?大した用件でもないのに、毎日暇なのか?もしかして、グループ内部で何かあったのか?立場が危ういからなん

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status