LOGIN結婚七周年の日、夫は急な予定を理由に約束をすっぽかし、私は病院の産婦人科へ戻って残業することにした。 真夜中、救急に運ばれてきたのは、取り乱したひとりの妊婦だった。妊娠後期の激しい性行為が原因で早産となり、さらに大量出血まで起こしていた。 だが、彼女は助からず、手術台の上で息を引き取った。手術室を出て家族に結果を告げようとした私が目にしたのは、本来フランスへ出張しているはずの夫だった。 夫は早産で生まれた子を抱き、私を指さして怒鳴った。 「お前は今まであれだけの人を助けてきたくせに、どうしてよりによって美玲を死なせた!最低な女め、お前に医者を名乗る資格はない!」 夫は、私が水沢美玲(みずさわ みれい)に嫉妬してわざと手術を失敗させたと思い込み、私を裁判にかけた。私は医師免許を剥奪され、服役の末、獄中でひどい仕打ちを受け命を落とした。 だが次に目を覚ましたとき、私は美玲が破水して病院に運ばれてきたあの日へと戻っていた。 美玲はその場にひざまずき、泣きながら私にすがってくる。 「あなたがこの病院でいちばん腕のいい先生だと聞きました。お願いです、私とこの子を助けてください……!」 私は彼女の手を振り払い、冷たく言い放った。 「今日は休みを取って離婚するんです。手術はしません」
View More誠司は、私に病院の視察へ戻ってきてほしいと言った。彼は正面玄関で私を出迎え、へつらうように頭を下げる。「白石社長、何なりとご指示ください」そのとき、美玲が子どもを抱いて病室から突然駆け出してきた。「この前戻ってから、赤ちゃんが何度も全身を震わせてるんです。白石先生、お願いです、診てくれませんか?澪士は最近、一度も顔を見せてくれないし。私にはもう、この子しかいないんです。本当に、この子しか――」彼女は涙ながらに訴え、その場にひざまずいた。「あなた、優しい人なんですよね?仕事にだって誠実なんですよね?だったら、どうしてうちの子を助けてくれないんです?どうして……!」私は彼女を見下ろしながら、ただ哀れだと思った。「水沢さん。あなたの子がそうなったのは、あなた自身のせいよ。診るべきなのは私じゃない。小児科へ行くべきだわ。母親として、この子を産みたいと思ったことは間違っていない。元気に育ってほしいと願うのも当然よ。ただ、あなたの間違いは、澪士を信じたこと。あの男の愛情なんてものを、本気にしたことだけ。でも、どれだけ信じたくなくても、妊娠後期にあいつが自制を失った時点で、目を覚ますべきだった。彼が自制を失ったのは、あなたを愛していたからじゃない。どうでもよかったからよ。あなたのことも、子どものことも」美玲はその場にへたり込んだ。そんなこと、本当は彼女自身がいちばんよくわかっている。ただ、あまりにも残酷で受け入れられなくて、ずっと見ないふりをしていただけなのだ。私は一枚の名刺を差し出した。「この人が、私の知る限りいちばん信頼できる小児科医よ。子どもを連れて、この先生のところへ行きなさい。できるだけ早く転院してくださいね」美玲はふらふらと立ち上がり、ぶつぶつと何かをつぶやきながら、子どもを抱いたまま半ば取り乱したように去っていった。誠司は、横で息を潜めるように立っていた。私の怒りが自分に向くのを恐れているのが見え見えだった。私は容赦なく、その頬を張った。「水沢さんは、この病院の患者でしょう。子どもに異常があるなら、どうして小児科を受診させなかったの!」かなり強く打ったせいで、誠司は痛みに悲鳴を上げ、切れた口元を押さえながら、ろれつの回らない声で言った。「き、霧島社長の指示です……社長が、この子も水沢さんも厄
病院の廊下を歩いているだけで、看護師たちがこちらを見ながらひそひそと囁き合っていた。その光景に、前世の記憶がまた鮮明によみがえる。私は深く息を吸い込んだ。瑛斗が心配そうに声をかけてくる。「……大丈夫ですか?」その目には不安が滲んでいた。けれど、知り合ってまだ間もない私を、まるで疑いもしないような眼差しでもあった。私は思わず問い返す。「神谷先生。もし私が、本当にあのニュースに書かれているような人間だったら――あなたは怖くないんですか?」彼は一秒たりとも迷わなかった。「いいえ。あなたはそんな人じゃない。三年前、妹が出産したとき、僕は外で別の診療に入っていました。妹の夫は亡くなっていて……妹も危うく手術台の上で命を落とすところだった。でも、あなたが助けてくれた。費用まで立て替えてくれたんです。あなたがいなければ、僕は家族を誰も残せなかった」その話には、かすかな覚えがあった。私はこれまで、本当に多くの出産に立ち会ってきた。さまざまな事情を抱えた患者を、数えきれないほど見てきた。でも私にとっては、それも仕事の一つにすぎなかったのだ。私はそれ以上何も聞かず、前の院長に電話をかけた。「白石先生?何の用だ?君はもう解雇されたぞ。今じゃ霧島夫人でもない。水沢さんがおっしゃっていたよ。君が彼女に謝らない限り、絶対に許さないそうだ」私は病院の屋上に立ち、大きな赤い十字を見上げた。胸の中に恐れは、ひとかけらもなかった。「田口院長。あなたの言うとおりなのは一つだけです。私はもう霧島夫人ではありません。ただ、澪士とはすでに離婚していて、彼の財産の半分は私に渡っています。その中には、あなたの病院も含まれています。この病院の株も、今は半分が私のものです。ですから、私を霧島夫人と呼ぶ必要はありません。これからは、白石社長とお呼びください」田口誠司(たぐち せいじ)は、受話器を取り落としそうになるほど動揺していた。――そんな話、聞いていない。美玲が霧島夫人の立場で命令してきたときも、相手が今やオーナー側だなんて一言も言わなかったのだ。私は淡々と告げる。「物わかりがいいなら、今すぐ謝罪声明を出して、私の名誉を傷つけたことへの賠償をしてください。でなければ――その病院、院長を替えることになりますよ」そう言って、私は先に
私は彼が言葉を失っている隙に、そのまま畳みかけた。「あなた、自分とその女の子どもを私に育てさせようとしたわよね。星奈ちゃんは私と彼の子じゃないけど、あなたに預けて育ててもらうっていうのはどう?子育てが大変だといけないから、三歳までは外で育てておいてあげたの」私は一歩、また一歩と彼に詰め寄り、彼を壁際まで追い詰めた。「どうして引き受けないの?」澪士は完全に言葉に詰まった。「お前……、俺は……」私はさらに問い詰める。「言ってみなさいよ。愛してるから子どもを育てさせるんだって、そう言ったのはあなたでしょう?!」彼は長いこと黙ったままだった。……くだらない。私は二歩ほど引いた。前世では、私は澪士の妻だった。霧島家の力はあまりに強く、私は逃げ場を失ったまま、じわじわと破滅へ追い込まれていった。でも、澪士と離婚して初めてわかった。この男は、所詮ただの張り子の虎にすぎない。「澪士、そんなに驚いた顔をしないで。星奈ちゃんは私の子じゃない。結婚している間に平気で浮気するような人間ばかりだと思わないで。気持ち悪い」ようやく澪士が口を開いた。「……すまなかった、澄乃。俺が悪かった。そこまで深く考えていたわけじゃない。ただ、あいつが妊娠してしまって……それでもお前とは別れたくなかったんだ。澄乃、俺にはお前が必要なんだ。子どもも美玲も、俺がちゃんと片づける。だから家に戻ってきてくれないか?」彼は何度もそう繰り返した。けれど、聞けば聞くほど吐き気がした。澪士が何か言う前に、私は瑛斗の腕を取って先にその場を離れた。美琴と星奈はもういない。私と瑛斗も、まだそこまで親しいわけではない。彼は薬をきちんと飲むよう念を押すと、そのまま帰ろうとした。けれどエレベーターを降りる前に、ふいに振り返る。「白石先生。あなたの腕なら、もっと大きな場所に立つべきです。院長から伝言です。うちの病院は、あなたを歓迎します。その気があるなら、いつでもすぐ働けますよ」そう言って、彼は名刺を一枚、私の手に握らせた。私はその名刺をつまんだまま、しばらく動けなかった。――私は本当に、もう一度手術台に立てるのだろうか。その夜は一睡もできなかった。それでも翌朝、私は早くから身支度を整え、瑛斗の名刺を握りしめて病院へ向かった。私がこの手で救った星奈
それぞれ食事をしていた三人が、同時に顔を上げた。星奈は私の隣に座っていて、そのうえ瑛斗まで一緒にいた。こんな言葉を子どもに聞かせたくなくて、私はとっさに星奈の耳をふさいだ。それを見た澪士は、ますます怒りを募らせる。「澄乃、俺との子どものことは放っておいて、今度はよその子の面倒を見てるのか!いつまでそんなくだらない意地を張るつもりだ?」あまりに大きな怒鳴り声に、店内の視線がいっせいにこちらへ集まった。そのとき、不意に温かな手が私の手に重なる。瑛斗もまた、子どもに聞かせまいとしていたのだ。澪士の目が、私たちの手をじっと見据える。私はそっと手を引き、立ち上がった。「澪士、あなた文字くらい読めるでしょう。離婚協議書の意味もわからないの?私たちはもう、とっくに夫婦じゃないわ」澪士は怒りで胸を上下させながら、しばらく私を指さしたまま言葉を失っていた。ようやく搾り出すように口を開く。「あの書類は見ていない。見る気もない。霧島夫人の座は三日だけお前のために空けておいてやる。戻ってくるなら、そのあいだだ」そう言い捨てると、彼は苛立ちを隠しもせず立ち去っていった。取り巻きたちはその場に残り、今度は私に食ってかかる。「白石さん、澪士さんに見初められただけでもありがたいと思いな。よくそんな相手と離婚なんて言い出せたな?わかってるのか?俺たち、その気になればあんたをA市で生きていけなくするくらい簡単なんだぞ」私は相手を見下ろすようにひと目やった。「霧島家の下請け会社の責任者、ってところかしら。今の私でも、あなたをここで立ち行かなくするくらいはできるわよ」私がそう簡単な相手ではないとわかったのだろう。連中は捨て台詞を吐きながら、そのまま去っていった。私は星奈の耳をふさいでいた手を離した。何もわかっていないような、その無垢な目が痛いほど胸に刺さる。瑛斗は先に会計へ向かったが、店員はすでに支払いが済んでいると言った。「霧島社長からです。ここは社長の系列店ですので、どうぞ皆さまごゆっくりお楽しみくださいとのことです。もっとも、こうして食事できるのも今のうちかもしれませんが」瑛斗の顔色が変わる。けれど私は、むしろ笑って店員を呼び止めた。「じゃあ、山崎を二本追加で。持ち帰りにして」向こうが気前よく払うつもりなら、遠慮してやる
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