LOGIN王立監察局──。
王都でも屈指の厳格さと中立性を誇る場所。 石造りの塔は曇天の下で重々しくそびえ立ち、近づくだけで胸に圧力がかかるような気がした。レオンはヒスイの横で、変わらず落ち着いた表情をしている。
それでも、彼の指先から伝わる力はいつもよりわずかに強く、ヒスイを守る意思がにじみ出ていた。「ヒスイ。何があっても、私のそばを離れないでください」
「うん……」
局の扉が重く開く。
中には魔力の検知結界がいくつも張られており、ひとつひとつを通るたびに空気がわずかに震えた。そのたびにヒスイの魔力偽装護符が、胸元でかすかに熱を持つ。
ばれていない……はず。けれど緊張は、否応なしに高まっていく。
「レオン殿。例の件について伺いましょう」
応対に現れたのは、監察局副長の ライオネル=クレイド。
レオンと親しいという噂もあり、実直な性格で知られる人物だ。だが今日の彼の顔には、明らかに警戒と苛立ちが混じっていた。
「レオン殿。あなたが“汚染の痕跡が意図的なもの”と言い切ったと聞きましたが……本当に確証が?」
「はい。解析の詳細と魔術官の証言も揃っています。汚染は外部からの魔力干渉によるものと断定できます」
「……では」
ライオネルの視線がヒスイに向く。「彼女が狙われたと?」
鋭い視線。
その裏には“何が目的なのか”を探る思考がある。 ヒスイの喉がひりついたけれど、真正面から視線を受け止めた。「ヒスイさん。怖い思いをされたでしょうが……ひとつ、伺っていいでしょうか」
レオンがすぐに身を寄せる。
「副長。ヒスイに対して過度な圧をかけるのは控えていただきたい」
「申し訳ない。しかし、狙われた理由を突き止めるには、
ヒスイの視界に“黒い影”が見えてから、わずか数分。二人はその魔力痕が示す、局の深層部──禁秘管理室へ向かった。重々しい扉の前に立つと、ヒスイの心臓がドクンと高鳴る。「……この奥だ。」レオンも表情を引き締める。「覚悟はいいか、ヒスイ?」「うん。行こう。」扉が軋みながら開いた。そこで二人を出迎えたのは──局の上層部に君臨する人物のひとり、副局長・クロードだった。「……やはり来たか、ヒスイ。そしてレオン。」ヒスイの喉が僅かに震える。「クロード副局長……どうして、こんな……」クロードは深いため息をつくと、まるで叱るような声音で言った。「私としては、君には“気づかれずに”退職してもらいたかったのだがね。」「なんで……?」レオンが一歩前へ出る。その目は怒りに燃えていた。「ヒスイの魔力体質に目をつけて、“封印破片”で誘導したのか……!」「誘導? いや、もっと単純だよ。」クロードの瞳が薄く笑う。「ヒスイの魔力は――“私が手に入れたかった”。」クロードは淡々と語り始めた。「この国の最高位結界の更新には、膨大で純質な魔力が必要だ。だが、近年は供給源が減り続けている。そこで私は考えたのだよ。」「まさか……」ヒスイは息を呑む。「才能ある若手を、徹底的に“磨り減らす”仕組みを作り、負荷に耐えた者だけを資源として利用する。」レオンが怒声を放つ。「それでヒスイを狙ったのか!!」「ええ。彼女の魔力量は規格外だった。あとは“追い詰めて開花さ
封印庫の奥。局内でも限られた者しか入れない“結界最深部”へ向かう通路は、冷気が漂っていた。レオンさんは私の手を離さないまま、前を歩きながら言った。「ヒスイ。あなたが視た“黒い痕跡”がある層には、誰も触れていないはずなんです。それなのに細工があった……ということは」「黒幕は、権限を使って……密かに侵入した?」「そういうことです。証拠さえ掴めば、もはや言い逃れできません」レオンさんの声は低く、いつもの柔らかさの奥に鋼が宿っていた。「僕は……あなたの力が必要です。あなたの“特異な視え方”がなければ、この調査は進まない」「……私で、いいの……?」「あなたでなければ、だめなんです」その一言で、胸がぎゅっと締め付けられた。(……こんな言い方されたら……)嬉しさと不安が甘く混ざり合う。最深部の扉が重く音を立てて開いた。中は──冷たい光が淡く揺れ、静寂が支配していた。一点。奥の結界壁に、ヒスイだけが“視えるもの”があった。黒い痕跡が、まるで誰かの手形みたいに結界に染みついている。「……いた……」「ヒスイ、視えるのですか?」「うん……レオン。あれ……上書きされた結界術式……しかも、魔力の癖が……強い」私は震える指でその方向を指した。なんとかレオンに魔力の癖の説明をする。「あの癖……この局で扱える魔術師は、一人しかいない」レオンの表情が険しくなる。
視界に揺らめいていた翡翠色の光が、徐々に薄れていく。暴れ狂っていた魔力は嘘のように静まり、私の体の奥に吸い込まれるように収まった。「……はぁ……っ……はぁ……っ」息が荒い。膝が震える。でも、倒れはしなかった。支えてくれる腕があったから。レオンが、私の背に手を添えたまま、真剣に覗き込む。「ヒスイ、大丈夫ですか……? 痛みは……?」「だい……じょうぶ……少し、力を使いすぎただけ……」「嘘はだめですよ。顔色が、いつもよりずっと白い」指先がそっと頬に触れた。くすぐったいのに、胸の奥がじんと熱くなる。「本当に……無茶をするんですから。でも……そのおかげで、大きな手がかりが得られましたね」レオンの言葉に、私は震える息を整えながら頷いた。「さっき……見えたの。結界の奥に、黒い魔力の塊があった。あれ、多分……人為的に隠されてた痕跡よ」「その“痕”を見れるのは……ヒスイだけでしょうね。 あなたの魔力特性は、隠匿術式と相性が良すぎるくらいですから」レオンさんの声は興奮と緊張が混ざっていた。いつもの紳士的な雰囲気の中にも、どこか熱がこもる。「黒幕は、おそらく……上層部の中でも“最上位”。 この結界層に細工できる権限を持っているのは、一名だけです」「じゃあ……名前は……?」「まだ確証はありません。 でも、次の層を調べれば決定的な証拠が得られるはずです」レオンさ
ヒスイの胸の奥に、ずっと微かに疼いていた違和感が確信に変わった。局内の封印庫に漂う、灰色に濁った魔力。それは彼女の“生まれつきの魔力体質”と危険なほど相性が悪いものだった。(……この濁り……ただの封印残滓じゃない。人為的に“歪ませてある”。)レオンがヒスイの顔色を見て、小声で囁く。「ヒスイ……無理をしていないか?」「違うわ、レオン。ここ……私の魔力を刺激する“何か”がある。」レオンの表情が鋭くなる。「……黒幕の仕込みか。」部屋の隅──封印器具の影に、小さな“魔力の粒”が震えていた。それは、黒幕が残した未解除の“封印魔術の破片”。ヒスイが一歩近づいた瞬間、破片がまるで彼女を“狙っていた”かのように震え、急激に魔力を放ち始めた。「っ……!」熱が胸に押し寄せる。視界が揺れ、身体の奥に眠っていた潜在魔力が逆流を始める。(……まずい……抑えられない……!)レオンが咄嗟に彼女の腕を掴んだ。「ヒスイ、下がれ! 君の魔力体質が反応している──!」だがヒスイは動けなかった。“封印破片”が、ヒスイの魔力を引き金にして暴発を始めている。荒れ狂う魔力がヒスイを飲み込もうとしたその瞬間、レオンの魔力が風のように伸び、彼女の魔力へ触れた。「落ち着け。俺が抑える──ヒスイ、聞こえるか?」(……レオン……?)彼の魔力は穏やかで、深く、体内の嵐を吸い込むように安定させていく
重い扉が開くと、厚い魔力結界が張り巡らされた無機質な部屋が現れた。 空気がぴんと張り詰めている。「ここなら、闇魔力の侵入は防げます」レオンは慎重に扉を閉め、複数の鍵をかけた。 ヒスイのためと分かっていても、閉ざされる音は胸に響いた。「……レオン、怖いよ」思わず漏れた声に、レオンはすぐそばに来た。「怖がらなくて大丈夫です、ヒスイ」レオンはヒスイの肩に手を置き、ゆっくりと抱き寄せた。「あなたが震えるなら、私はその理由をすべて断ち切ります。どうか……信じてください」 低い声が耳に直接触れ、体が震える。 彼の胸板は温かく、呼吸は落ち着いていて、まるでその温度だけがこの世界で唯一の安心のように感じられた。「レオン……私は……」「大丈夫。ここでは、あなたを傷つけるものは何ひとつ入れません」「……離れたくない」「離しません。どれほど危険が迫ろうと、決して」 腕の力が少し強まる。 その時──。 部屋の結界が微かに軋んだ。 ヒスイは息を飲み、レオンが即座に反応する。「……来ましたか」 冷たく鋭い声。 彼が完全に“監察局魔術官”としての顔に戻った。「ヒスイ、私の後ろへ」 ヒスイをかばうように前へ出て、魔力を展開するレオン。 結界の外側で、何かが蠢いている。 黒い靄のような、闇の塊のような──。「黒幕が、ヒスイの居場所を特定した可能性があります」 その言葉に、ヒスイの心臓が大きく跳ねた。 しかしレオンは微笑む。 強く、美しく、絶対に折れない意志の微笑み。「大丈夫です。あなたが恐れる必要はひとつもない。全部、私が──」 結
「王都内で闇魔力の反応が拡大──?」 局員の震える声が会議室に響いた瞬間、空気は凍りついた。 まるで部屋の温度が急に数度下がったような錯覚さえ覚える。 レオンは反応パネルを覗き込み、わずかに目を細めた。「……複数箇所。同時発生。これは偶然ではありません」「黒幕が動いたか……!」「副長、すぐに封鎖を──!」 怒号が飛び交う中、レオンは静かにヒスイの肩へ手を添えた。「ヒスイ。こちらへ」 その声は低く、落ち着いているのに、どこか焦りの影がある。「レオン……?」「ここは安全ではありません。すぐに、局内の隔離区画へ移動します」 レオンの手が熱い。 それだけで、ヒスイの足は自然と動き出した。 けれど──。「レオン殿、彼女を単独で連れていくのは……!」ライオネルが制止しかける。 レオンは振り返り、きっぱりと言い切った。「ヒスイを最も安全に導けるのは私です。 誰にも任せられません」 部屋が静まり返った。 言葉の端々に滲む“決意の強さ”が、誰の耳にもはっきり届いたからだ。 ライオネルは短く頷いた。「……わかった。責任は私が持つ。 彼女を頼む、レオン殿」「はい。命に代えても」 その言葉は重く、鋼のように強かった。 レオンはヒスイの手を握ったまま、局の奥へと続く廊下を素早く進んでいく。 外の騒がしさとは別に、ここはひどく静まり返っていた。「レオン……そんなに強く握ったら……」「申し訳ありません。ですが……少しでも離れてしまったら、あなたを見失いかねない」 紳士的な口調でありながら







