20歳の誕生日の朝に夫スタンリーの浮気現場を目撃し揉み合いの末、頭を打ったルミエラ。彼女は、前世で自分が言葉を話せない子を育てた記憶を思い出し、言葉以外の仕草や表情で相手の気持ちを知ろうとするようになる。ルミエラはここが前世で読んだ小説の世界だと気づき、自分と夫は息子クリフトに殺される運命だと知る。クリフトに殺される度に時を戻るルミエラ。戻る度に変わるスタンリーの浮気の言い訳。自分と同じように時を戻るレイフォード王子は離婚して自分の元に来るように薦めてくる。言葉とは違う心の内をを知ろうと人を観察するルミエラは、一見不正解の道を選びながらも幸せになっていく。
もっと見る「スタンリー、私と離婚して!」
「ルミエラ! 突然、何を言い出すのだ? クリフトは渡さないぞ」「渡さない? あれだけ、跡取りには相応しくないと言っておいて? あなたは父親失格よ⋯⋯育てる自信がないのなら、クリフトを手放して」
13歳になるクリフトには発語がなかった。
夫のスタンリー・モリレード公爵は、それが私の育て方のせいだと罵った。
私と彼が結婚した9歳時点でもクリフトは一言も言葉を発したことがなかったのにあんまりだ。私の剣幕にスタンリーが一瞬たじろぐのが分かる。
このまま一生言葉を発しないかもしれないクリフトを跡継ぎにする自信がないのだろう。
黒髪に澄み渡る海のような澄んだ瞳を持ったクリフト。夫のスタンリーと外見こそ似ているが、私の中では彼とは切り離された別の存在だ。
クリフトが私の目をじっと見入る。
一言も話さないけれど、何もかも理解しているのようなそのアクアマリンの瞳に魅入られそうになる。
「話したくないのなら、何も言わなくても良いのよ。あなたはいるだけで、宝石のような存在なのだから」
クリフトは相変わらず全く何も話さないままだった。
しかし、いつもと違ったのは私を抱きしめ返してきたことだ。
まだ成長途中の大きさの手が背中に回るその瞬間、私は何でもできると思った。
(これで、私は生き残れるはず⋯⋯)
私は今、小説『アクアマリンの瞳』の中にいる。
小説の主人公は、16歳のクリフトだ。3年後、クリフトはこの公爵邸の人間を惨殺し、悪政で民を苦しめるレイフォード・レイダード国王を倒し聖女マリナと平和な王国を築く。
小説の中のクリフトは非常に弁が立つ。
演説が抜群に上手くて、反逆さえも正当化し民衆からは英雄と讃えられるのだ。
モリレード公爵家の人間は、後妻である私ルミエラを中心にクリフトを虐待した。言葉を発せない少年は自分がされた事を他の人間に説明する事はできない。
彼は人々のストレスの格好の捌け口になり、彼の父親であるスタンリーは彼を庇う事はなかった。
私は、小説開始の3年前の世界にいる。
そして、3年後にクリフトに殺される予定だ。
ちなみに私は後妻なので、クリフトと私に血の繫りはない。
夫にクリフトの件で責められる度に、彼を虐待してきた記憶がある。私は前世の記憶を3日前に取り戻すと同時に、虐待をやめた。
そして、既にクリフトにとって憎む環境であるこのモリレード公爵邸を出ようと決意したのだ。「跡継ぎが欲しいのならば、3日前に貴方の寝台に寝ていた女にでも頼んでくださいな」
捨て台詞を言って、クリフトの手を引いて公爵邸を出る。
これからは私は全力で彼を愛するつもりだ。
彼を傷つける全てのものから彼を守ってみせる。私は前世でもシングルマザーとして言葉を発さない子を育ててきた。
「冗談じゃない。お前らみんな死ね」13歳、声変わりを済ませていない少し高めの声がして振り向く。
そこには、明確に殺意を持ったアクアマリンの瞳があった。公爵邸の護衛の騎士の腰から剣を抜いたクリフトは、次々と人を斬っていく。
血飛沫が顔にかかり、私は自分の選択が間違えたことを知った。途中までは、クリフトも私と逃げる事をよしとしていた気がする。
でも、今は何が間違ったかなんて考えている暇はない。
(とにかく、逃げないと⋯⋯)咄嗟に私は荷物を投げ捨て、逃げようとする。
「逃がすかよ」
氷のような冷たい声と共に背中を刺された。鈍い痛みと共に意識が途絶える。
(私⋯⋯死んだ?)♢♢♢
うっすらと、目を開ける。
カーテンから差し込む陽の光が眩しい。「奥様、今日は奥様の20歳の誕生日です。早速、準備に取り掛かりましょう」
メイドのエリカの言葉に、私は心臓が止まりそうになった。
私は死んだ3日前に戻っている。 「エリカ⋯⋯ごめん。私、公爵夫人になったからって、急に態度を変えて嫌な奴だったよね」 私には謝りたい人が沢山いる。 その中の1人が元同僚のエリカだ。彼女とは公爵邸に雇われた時から、一緒に住み込みで働き苦楽を共にしてきた。
ミランダ・モリレード公爵夫人が亡くなり、当時16歳だった私をスタンリーは妻に迎えた。
平民出身のメイドが公爵夫人になるというシンデレラストーリーは王国中を熱狂させた。
流れるような銀髪にエメラルドの瞳をした若く美しい身寄りのない16歳の少女は、突然お姫様のように扱われるようになった。
見た目だけが取り柄の私が、スタンリー・モリレード公爵と結婚できたのは幸運だと周囲は噂した。
主人公のシンデレラになった私は調子に乗りまくった。
今まで同僚だったメイドを邪険に扱い、少し気に入らないことがあればムチでふくらはぎを叩いた。
人に少しの権力を与えると、その人の本質が見えるというが私の本質は最低だ。
なぜスタンリーが私を妻として迎えたのかは、はっきりしていた。
彼は美しく若い女が好きだった。
死んだミランダ公爵夫人は隣国バリアトの元王女で、彼と彼女の結婚はカルロイス・レイダード国王からの命令でした政略的なものだった。
彼は美貌も若さもない妻が死んだ後は、自分好みの女を娶りたかったのだろう。
そして、私はこのモリレード公爵家の秘密である当時9歳のクリフトが一切発語がない事を知っていた。
身寄りのない私は逃げ出す実家もなく、問題のあるクリフトに献身的に関わる事を期待されていたのかもしれない。 「奥様?」 エリカの瞳が揺れている。明らかに私の変化した態度に戸惑っているのが分かり、私は過ぎた日々は取り戻せないことを悟った。
今日は私の20歳の誕生日。
夕方からの舞踏会の打ち合わせをしようとスタンリーの寝室を訪れたら、浮気現場に遭遇した日。
そして、不倫相手のメアリア子爵令嬢と揉み合った時に転び頭を打ち、前世の記憶を取り戻した日だ。
「クリフトはどうしてる? 一緒に朝食をとりたいわ」 「坊っちゃまは先程部屋に行きましたが、おりませんでした⋯⋯」 「何ですって?」私は寝巻き姿で部屋を飛び出した。
私は本当に最低の母親だった。 クリフトが自分の思い通りにならないからと当たり散らしただけでなく、彼をネグレクトしていた。「クリフトー! クリフトー!」
私の誕生日、舞踏会を開催したがクリフトは体調不良という事で欠席させた。もちろん、それは彼に発語がない事を周囲に隠すための嘘だ。
私はてっきりその間、クリフトが部屋でじっとしているのだと思っていた。
(どこかに出かけていたの? 一体、どこにいるの?)「ルミエラ夫人、どうかしましたか?」
邸宅を出て自慢のバラ園の横を通りかかった時、なぜだかクリフトとレイフォード王子が剣を交わしていた。
レイフォード王子は私の1歳下で、小説通りにいけば来年王位を授かり国王になるお方だ。
小説だとかなりの悪王だったが、そのような悪い方には見えない。
日差しに照らされるプラチナブロンド髪に、王家の血筋の証であるアクアマリン色の瞳⋯⋯本当に美しい方だ。
クリフトとレイフォード王子は従兄弟関係に当たるが、剣術の稽古を共にする程仲が良いとは思わなかった。
「あ、あのクリフトを探していて⋯⋯このような不躾な姿で申し訳ございません。レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」
朝方にも関わらず、護衛も付けずに公爵邸を訪れたレイフォード王子。 彼の目的はクリフトと会うことだとしたら、隠れるように会っているのはなぜだろう。2人が仲良しだとは、にわかには信じがたい。
レイフォード王子はクリフトの剣で3年後には命を落とすはずだ。「お母上は優しそうな方ではないか。心配を掛けてはいけないよ」
レイフォード王子はふわっと笑って、クリフトの肩を叩いた。
瞬間、クリフトから殺気を感じたのは気のせいとは思えない。「レイフォード王子殿下、良かったらこの後、朝食でもご一緒しませんか?」
「そうだな、そうしよう。そなたと1度話してみたかったのだ」
レイフォード王子は柔和な表情で剣をおさめてそっと私をエスコートした。
私はふと新たな生存計画が思い浮かんだ。
前世で一生言葉を話せない子を育てた経験からか、自分はどのような生命にも愛を注げると思っていた。
しかし、突然殺しにかかってくる子からは離れた方が懸命だ。
私はダイニングルームと寝室を間違ったふりをして、夫の不倫現場をレイフォード王子に見せて今日中に離婚することにした。
死の運命にあるモリレード公爵邸宅から出て行くことさえできれば、私は生き残れるはずだ。
「タチアナ嬢、僕と婚約してください」 11歳の時彼と婚約できて自分は世界一幸せな女だと思った。 初めて出会った時からレイフォード王子が好きだった。 麗しく輝かしい未来を約束された王子様だ。 私は厳しい妃教育も必死に耐えた。 ルミエラ夫人と彼のキスを見た瞬間、時間が止まったような感覚を覚えた。 美しい王子様と麗しのルミエラ様。 ルミエラ・モリレード、貧しい平民出身でモリレード公爵家で働いていたメイド。 美しく優秀なスタンリー・モリレードから求婚され全てを手にいれた女。彼女の手に入れた地位を考えればうまくやらなければいけないと分かっていた。でも直感的に嫌いだった。美しさだけで成り上がってきた読み書きも怪しい女だ。 レイフォード王子に彼女を辱めた罪で婚約破棄を言い渡された。 私はそこまで既婚者でもある彼女に夢中な彼に苛立った。 何度も抗議の手紙を書き、彼に今の気持ちを訴えようと謁見申請をした。 全ては無視され、自分の存在とはレイフォード王子にとってその程度だったのかと落ち込んだ。 「久しぶりだな、タチアナ」 建国祭を終えて1ヶ月。 やっとレイフォード王子が私に会ってくれた。 プラチナブロンドにアクアマリンの澄んだ瞳。 私の王子様⋯⋯。 「殿下、お会いしとうございました。殿下がルミエラ様を好きなら構いません。殿下のような方のお心を私が留めておけるとは思ってませんから」 私は別に美しくない。 家柄だけは超一流だが、殿下は結婚したら他に女を迎えると思っていた。 それでも構わなかった。 彼の正室になれるのは私だけだ。 彼が娼婦に夢中になろうと、側室を何人とろうと気にしないと思っていたのにルミエラ様だけは許せなかった。 女の私でもときめいてしまう美しい姿。 淡白で仕事人間のスタンリー・モリレード公爵を落とした女。 誰が見ても分かりやすい悪女で、国を傾かせるような危険な匂いを感じさせる女だ。 そのような彼女を魅力的な女だと客観視していたが、自分のテリトリーを侵され彼女は完全に私の敵になった。 「ルミエラが僕の子を身ごもっているのだ。僕もそなたの献身を理解していない訳ではない。そなたと結婚か⋯⋯ルミエラが僕の子さえ宿していなければ叶うのに⋯⋯」 言い辛そうに伝えてきたレイフォード王子
クリフトは新学期になり、アカデミーの寮に戻って行った。スタンリーはクリフトと聖女マリナを婚約させた。 私は妊娠5ヶ月になり安定期に入った。 妊娠初期はつわりもなく妊娠した実感がなかったが、ようやくお腹が出てきて実感が湧いた。「お、お母様、なにかお手伝いできることはございますか?」 「マリナ、もう十分よ。お茶会を開催するのは実は初めてなの。緊張するわ」 「わ、私もお茶会初めてです。ど、同年代の子とお話するのも」 マリナは今モリレード公爵邸に滞在している。 クリフトは彼女に聖女の力を使わせないように気をつけていた。 そのせいか、マリナは随分と顔色も体調も良くなってきた気がする。 生命力を吸われることがなくなったことと、クリフトという味方ができたせいかもしれない。 初めて見た時、今にも死にゆく顔をしていたが、今は生きるのが楽しくて仕方がないという顔をしている。 マリナは3歳で聖女の力を発現して以来、崇められ各地を巡礼し聖女の力を使い続ける生活をしていたらしい。 クリフトは彼女に自由を与えたいのかもしれない。 私は公爵夫人としての仕事として、他の貴族の夫人方や令嬢と交流を持つことにした。 彼女たちは特権階級意識が強いから、正直気が進まなかった。 私の元気がないことを心配してくれたのか、マリナが私のお腹に手を翳し聖女の力を使った。 温かく柔らかい光が私を包み込む。 とても気持ちが軽くなるが、これはマリナの苦しみと等価交換されているものと考えると胸が痛くなる。「だ、大丈夫です。赤ちゃんも応援してます。赤ちゃん女の子みたいですね」 「そんな事も分かるの? それよりも聖女の力は使ってはダメでしょ。自分自身を一番大切にね」 「す、すみません。クリフトには私が聖女の力を使った事、内緒にしてください」 私は微笑みながら頷いた。彼女もクリフトに大切にされていることを自覚しているようだ。 スタンリーに守られていた事に4年も気が付かなかった私から見ると、彼女はとても人の気持ちの分かる優しい子だ。 今日のお茶会は温室ですることにした。 続々と招待客が集まる。 今まで、招待状を送って来た人たちを招待したが皆が来るとは思わなかった。 (私は招待を無視してたのになんで?) 急に怖くなってきた。 も
馬車に乗せられ、家路を急ぐ。「スタンリー、帰ってきてしまって良かったの?」 彼は貴族たちに囲まれていたから、仕事の話になって執務室に何かをとりに来たような気がする。 それなのに会場にも戻らず、勝手に帰ってしまって良かったとは思えない。 スタンリーは私の方を見ようともせず、ずっと真っ暗な窓の外を見ている。「⋯⋯別に、問題はない。ルミエラはまだ帰りたくなかったのか? その⋯⋯体調が悪いと聞いたが⋯⋯」「懐妊の話ね。それは、誤報だから⋯⋯私は、子供は欲しくないの」「君が、そう思うのは当然だ。あのような過ちを犯した俺との子供なんて穢らわしくて欲しくないのだろう⋯⋯」 彼は一体何を言っているのだろう。 3ヶ月以上、仲睦まじく毎晩のように抱き合ってきた。 (穢らわしいなんて思ってる訳ないじゃない、むしろ⋯⋯) 私が子供が欲しくないのは、子供を持つことの大きな責任を知っているからだ。 健太が生まれた時、私は輝かしい未来しか想像していなかった。 結婚して、子供が産まれて、子供が反抗期になったら喧嘩するかもしれないけれど、大人になったら一緒にお酒を飲んだりして、孫が産まれて⋯⋯。 そのような思い描いた将来は、健太が1歳になる前に消滅した。 そして、私は今でも自分が死んだ後、彼が無事に生活しているか考えるだけで気が狂いそうになる。 子を持つ事による発生する責任を私は恐れている。 「私は子供を持つのが怖いだけ⋯⋯スタンリーは関係ないわ」「君はクラフトの事を怖がっていたからな。確かに子供は思うようにはならん。別に逃げて良いのだぞ。君はクリフトの親ではないのだから」 私はスタンリーの言葉に流石に頭がきた。「クリフトは私の子よ! それに、私がスタンリーを好きだから一緒にいたいって分からない? あなたのその目は節穴なの?」「えっ? 君が俺のことが好き?」「そうよ、ムカつくから、絶対言いたくなかったけどね!」 私は振り向いたスタンリーの髪を引
私は小説『アクアマリンの瞳』を思い出していた。今、考えると、まるで伝記のように客観的視点でかかれた不思議な小説だ。 16歳になったクリフトは、自分を虐待して来た公爵邸の人間を惨殺する。 彼には殺人容疑が一時はかかったが、彼自身も怪我を負っていたのと公爵邸にあった宝物『アクアマリンの瞳』が所在不明だった為に賊の仕業という事で片付けられた。 彼はスタンリーが死んだ事で公爵位を授かり、怪我を治しにきた聖女マリナと出会う。 2人は運命のように恋に落ちて、その時「呼吸が止まる瞬間まで、あなたのアクアマリンの瞳を見つめていたい」と彼女はプロポーズのような言葉を告げる。 2人は結婚。 クリフトは挙兵し、レイフォード国王を倒し、悪政に苦しむ民を救う。 なんと、たった3ヶ月の出来事を描いた物語。 私はこの話を天才クリフトのサクセスストーリーだと思っていた。 クリフトは周辺諸国の強力を得て、クーデターを成功させている。 今はこの小説が愛の物語のように感じる。 人を追い詰め楽しんでいただけの少年が、聖女マリナと出会い愛を知る。 彼女が力を使わなくて済む世を作る為、少年は初めて人の為に動く。 クリフトと聖女マリナはお互いしか見えないように、静かに見つめあっていた。「母上、先にお帰りください」「え⋯⋯あ、はい⋯⋯」 私の事を一瞥もしないで告げるクリフトの言葉に、私はそっと部屋を去った。 以前、クリフトに口撃された時に彼をサイコパスだと決めつけた。 彼を理解できなかった自分への言い訳を用意しただけだ。 聖女マリナといるクリフトは、初めて恋をした男の子に見えた。 彼は人一倍、人の心の機微に敏感な生きづらい子なのかもしれない。 会場に戻ろうとした時に、私の前に怒りを抑えたようなレイフォード王子が立ち塞がった。(勘違いじゃない⋯⋯付き纏われている⋯⋯)「そなたと、しっかり話をしたい。僕を避けているだろう。こっちに来い」
人生とは、驚くほど時間がゆっくり流れる。 僕、クリフト・モリレードの人生は物心ついた時から、死ぬまでの暇つぶしだった。 僕が物心がついたのは1歳になるより前、通常よりもだいぶ早い。 「ふふっ、クリフトがアクアマリンの瞳を持って生まれてきて良かったわ」「ミランダ姫、あなたも悪い方だ」「スリルがないと、こんな退屈な人生やってられないでしょ」 僕の産みの母親は、スリルがないと生きられない女だった。 スタンリー公爵と結婚した後も、彼女は祖国から連れてきた護衛騎士との情事を続けた。 赤子である僕の前で彼女がそのような事を繰り返すのは、僕が何も分からないと思っているからだろう。 悲しいことに僕には、その時点で世界の大体を理解する能力が備わっていた。 僕の母親はなんと醜い女なのかと思った。 そして、僕の父親スタンリーは彼女のしていることに気が付きながら、何も指摘しない。 それは本当に彼女に興味がないからだった。 僕は両親を懲らしめてやろうと思った。 言葉を話さない⋯⋯ただ、それだけで両親は慌てふためいた。「喋りなさい、喋りなさいよー!」 鬼の形相で僕を虐待する母が滑稽だった。 彼女はスリルがないと生きられないと言ったから、スリルを見せてやっただけだ。 王位継承権を持つ公爵家の跡取りが、言葉1つ発せないというスリルだ。 彼女は焦って、毎晩のように夫スタンリーを誘惑した。 しかし、彼は仕事人間で彼女に興味を示さなかった。 跡取りを作ったのだから、それで自分の仕事は終いだと考えていた。 そのような毎日が続き、僕が6歳になった時に面白い人物が現れた。 女に興味がないように見えたスタンリーが夢中になる女、ルミエラだ。 スタンリーは愚かにも誰が見ても彼の気持ちが分かってしまう程に、いつも彼女を目で追っていた。 ミランダは、そのような彼を責めた。 彼女はストレスを溜めて精神が不安
あれから3ヶ月の時が過ぎた。 スタンリー狙いのメイド連中を解雇し人員整理も済ませ、公爵夫人としての仕事も交友関係を作る事以外はできるようになってきた。 レオダード王国347年建国祭。 聖女マリナが訪れるとあって、周囲は騒がしい。今日はクリフトも舞踏会に参加する。「レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」 隣にいるスタンリーと腕を組みながら、彼とペアでつくられた青いドレスを着ている私を自分に気があるような女のように見てくるレイフォード王子。(確かに気持ちはあったけれど⋯⋯) 「ルミエラ夫人、久しぶりだな」 レイフォード王子の軽やかな声。 私は彼をすっと避け続けていた。「ええ、レイフォード王子殿下とお会いしたのは、もう3ヶ月以上前になるのですね⋯⋯」 自分でも一度は恋をした相手だという認識はあるのに、目の前のレイフォード王子に興味が湧かない。 クリフトは長期休暇に入り、昨晩寮から公爵邸に戻って来たばかりだ。今日の建国祭初日の舞踏会に出席すると自ら言ってきた。 彼から出席したいと伝えて来たのは、今日聖女マリナがくるからかもしれない。 彼女は小説の中ではクリフトの未来の奥さんだ。 今、クリフトはアカデミー創立以来の秀才だと騒がれていた。 全ての成績でA判定をとってきたのは私の予想外だ。 てっきり彼はアカデミーでも出来の悪い男のふりをすると考えていた。 私は隣にいるクリフトをただ見つめていた。 気品ある佇まいにアクアマリンの瞳。 誰がどう見ても立派なモリレード公爵家の跡取りにしか見えない。 クリフトはアカデミーでトラブルもなく静かに過ごしてくれたが今後は分からない。 彼は急に周囲の人間を惨殺したりする危険な子だ。 そして、人の心を抉るような言葉で攻撃してくる子だ。スタンリーは私と一曲踊り終わると、すぐに他の貴族たちに囲まれてしまった。 私は舞踏会の
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