ANMELDEN柔らかい光が、まぶた越しに差し込んでいた。
光がまぶたの裏でゆらめき、意識がゆっくり浮かび上がる。
香りの記憶が先に戻ってくる――花と紅茶と、ほんの少しの魔力の気配。
(……あれ? 神殿じゃ、ない?)
目を開けると、見覚えのない天蓋とレースのカーテン。
クロイツ公爵家の紋章入りのカップが、すぐそばのテーブルで湯気を立てていた。
「やっと起きたのね、リリィ」
ソファに腰かけていたローザリア様が、ほっと息をつく。
いつもの制服ではなく、家用のゆったりした服。
淡い金糸の刺繍が光を受けてやわらかく輝き、
それだけで、ここが“学園の外”だと実感する。
「……ローザ様、私……?
訓練後、選抜の発表があった。 もちろん、私は選ばれていた。ローザ様も一緒に。(……まぁ、そうよね。嬉しいような、怖いような) 今回の訓練は、魔導理学科との合同演習。 いかなる外圧下でも防御膜を維持するための、実践的な応用訓練だ。 これが“あのイベント”につながるという確証はまだないけれど、 そのつもりで動かないと、命に関わる。 ゲームでは、火竜が暴走する中、私が必死に結界を張って耐えていると―― もう駄目だ、というそのときに、ライナーが現れて火竜を鎮圧するという流れだった。 彼はもしかしたら、演習の補助として駆り出されていたのかもしれない。 あるいは、騒ぎを聞きつけて駆けつけた、という展開も考えられる。(……いずれにせよ、今回は私が“死なない”ように動かなくちゃ) 私は図書館にこもり、火竜に関する記録をあさり始めた。(気性は荒く、怒りに任せて我を忘れ、主以外のすべてを焼き尽くす―― そんな恐ろしいもの、なんで授業に使うのよ)(え、ちょっと待って。熱風だけで屍の山って……!?)(自分より強いと認めた相手を“主”とする、か。 ……ゲーム内で火竜を鎮めたライナーは、まさか火竜に“主”と認められた?)(ともかく、問題は“気絶”よ。結界を張る前に意識を失ったら即アウト) 私は神殿で学ん
あのあと私たちは、露店を覗いて、クレープを半分こして、流行りのお菓子を買って……ときおり、まるで本物の姉妹みたいに手をつないで歩いた。それがなんだか嬉しくて、気付けばもう夕方。まずい、寮の門限!と焦った私に、ローザ様はさらりと微笑んで言った。「ふふ、今日は我が家に泊まるのよ。学園の寮には、もう連絡してあるわ」そうして、両手いっぱいの戦利品を抱えて公爵家に戻ったのだった。「そういえば、ローザ様とジュリアン殿下って、幼馴染なんですよね」ふわふわのネグリジェに身を包み、ローザ様の広いベッドに横になりながら、ふと思いついて尋ねてみる。「あら、殿下から聞いたの?」「はい。以前、ローザ様が呼びに来てくださったときに」「ふふ、そうね。年も近いし、“ご学友”ってところかしら。 気づいたときには、よく王城で一緒に遊んでいたわ。 ……まぁ、婚約者候補の素行を見極める狙いもあったんでしょうけど」「婚約者候補……」その言葉に、私はどきりとした。「その……ローザ様は、王太子妃になりたいと、思っていらっしゃるんですか?」我ながらおかしな質問だった。けれどローザ様は、長いまつげをゆっくり瞬かせて、小さく首を傾げる。「そうねぇ……そこに私と殿下の意志が関係あるのかどうかを考えたことはあるけれど……実際にどうしたいのかは、あまり考えてこなかったわね」「ローザ様……」「ふふ、あなたも同じでしょ、聖女様?」「いえ。私は神殿のイベントも、学園行きも、できる限りのことをして拒みましたよ。無駄でしたけど」「ええ!? 本当に? やだ、リリィってば、真面目かと思ったら、意外とじゃじゃ馬だったのね」「……その言い方。ローザ様も、意外と破天荒ですよね」「うふふっ。そう言ってもらえて嬉しいわ」「嬉しいんですか?」「ええ。両親以外に、初めて言われたもの」「……殿下には言われたこと、ないんですか?」「あ、あったかもしれないわね。小さい頃は、今より自由に接していたし」「……殿下の片思い、か……」「ん? どうしたの、リリィ?」(……殿下は、私になんて見向きもしなかった。 ここからどうしたら、私とローザ様が“恋のライバル”になるっていうのよ?)ゲームでは、まずすべての攻略対象との個別イベントをこなしたあと、全員が私に好意を抱いた状態で“全員合同イベント”が発生する。
柔らかい光が、まぶた越しに差し込んでいた。 光がまぶたの裏でゆらめき、意識がゆっくり浮かび上がる。 香りの記憶が先に戻ってくる――花と紅茶と、ほんの少しの魔力の気配。(……あれ? 神殿じゃ、ない?) 目を開けると、見覚えのない天蓋とレースのカーテン。 クロイツ公爵家の紋章入りのカップが、すぐそばのテーブルで湯気を立てていた。「やっと起きたのね、リリィ」 ソファに腰かけていたローザリア様が、ほっと息をつく。 いつもの制服ではなく、家用のゆったりした服。 淡い金糸の刺繍が光を受けてやわらかく輝き、 それだけで、ここが“学園の外”だと実感する。「……ローザ様、私……?」「神殿の司祭たち、慌ててたわよ。あなた、結界用護符を十五個も作ったんですって?」「……十六個目で気絶しました」「ふふ、そうでしょうね。見学に来ていた修道院の子供たち、聖女様の献身に感動していたわ」 ローザリア様は微笑んで、カップを持ち上げた。 紅茶の表面に光の粒が揺れ、室内に淡い金の反射を散らす。 ……どうやら、ゲーム通り、ちゃんと名誉ポイントが上がっているらしい。 嬉しいような、嬉しくないような。(そういえば……ローザ様ってあんなに魔法を扱えるのに、結界は張らないのかしら。 この間も防御膜を応用していたわ。結界用護符が高級品とは言え、公爵家ならいくらでも用意しそうだけど) 思い
朝の学園は、どこか落ち着かない空気に包まれていた。昨日の騒ぎのせいで、授業は午前中だけ。廊下のあちこちには修復班の上級生がいて、焦げた壁やひび割れた床に魔法をかけている。廊下を歩けば、どこからともなく噂話が耳に入ってくる。「聖女の光が暴走を鎮めた」とか、「クロイツ公爵令嬢が身を挺して守った」とか。(合ってる……合ってるんだけど、なんか違う……!)パンとスープだけの朝食を済ませ、中庭へ抜ける。外はすっかり晴れていて、昨日の熱気が嘘のようだった。でも、石畳の隙間に残る黒い焦げ跡だけが、あれが現実だったと教えてくれる。「おはようございます、ローザリア様」中庭の中央で、風の流れを操りながら落ち葉と煤をまとめている後ろ姿。珍しく後ろで編みこんでいるのは、髪の毛が焦げてしまったからだろう。それでも鮮やかな金髪は光を集めて、まるで何事もなかったみたいに美しい。焼け焦げていたはずの制服は、新品に取り換えられていた。……さすが、公爵令嬢。私はというと……うん。ちょっと黒ずんでるけど大丈夫。すぐにパトロンである王家から新しい制服が支給されるはずだ。「おはよう、リリエル。今日は授業が短縮されたの、ご存知?」「はい。先生方、徹夜で対応されてるみたいですね」「ええ。おかげで魔導学科の講義が二つ飛んだそうよ。 研究棟の修復は時間がかかるでしょうね」ローザリア様の声はいつも通り穏やかで、でも、指先の動きは昨日より少し早い。ガシャンガシャンと、魔力で浮かせた瓦礫を一か所に放り込んでいく様子は、どこか無言の苛立ちを含んでいるように見えた。(……怒ってるのかな。怒るよね、そりゃ)私は迷った末に口を開く。「クラヴァール先輩は……その、どうしてるんでしょう」「まだ眠ってるわ。命に別状はないそうだけれど、魔力の回復には時間がかかるでしょうね」「そう、ですか」風が止まり、沈黙が落ちる。ローザリア様は、きらりと光るガラスの破片を手に取る。「彼、目を覚ましたらきっとすぐに研究に戻るわよ」「……そんな気がします」「止めても聞かないでしょうね」(確かに……それに、落ち込んでいないか心配だわ)そう思うと、なんだか少しだけ心がざわついた。「お見舞い、行ってもいいでしょうか」「もちろん。行くならこれを持っていって」「ローザリア様は?」
闇が、すべてを飲み込もうとしていた。その瞬間、熱と冷気がぶつかるような衝撃が走った。熱風の中心で、金の髪がひるがえる。一瞬、風が止まった気がした。(ローザリア様……? なんで、帰ったはずじゃ……)周囲の炎が、彼女を避けるように歪んでいく。炎の中を歩いてきたはずなのに、煤ひとつついていない。そこだけ、世界から切り離されたみたいだった。「リリエル! 無事!?」いつの間にか、引き抜かれる感覚がなくなっている。(何が、起きたの……?)目を向けると、薄い膜のようなものが、クラヴァール先輩を包み込むように広がっている。闇の奔流を押さえ込みながら、膜の表面が淡く脈打っている。「結界……!?」いや、違う。あれは――「ただの防御膜よ! 長くは持たないわ!」爆ぜる音が連なり、破片が光の粒になって飛び散る。熱風が巻き上がり、ローザリア様の制服に焦げ目が走った。さっきまで異様なほど整っていた姿が、みるみるうちに黒く汚れていく。(防御膜を、自分じゃなくて先輩に使ってるから……!)それでも彼女は、まっすぐクラヴァール先輩から目を逸らさなかった。「リリエル、今は回復に集中して。できる?」「は、はい!」できないなんて、そんなこと――あっていいはずがない。(中庭イベントをクリアしたんだから……!)胸の奥に意識を沈めると、そこにあるはずの光が、かすかに脈打つのを感じる。痛みの隙間に温度が生まれ、光の粒が血流を伝って全身に散っていく。(……この感覚。 あの時は、ストレステスターの魔力に翻弄されて分からなかったけど……)鼓動の音が、遠くで雷みたいに
あの日以来、クラヴァ―ル先輩の姿をほとんど見かけなくなった。 授業の合間や廊下でも、前みたいに偶然出くわすことがない。ここ数日、何かに囚われたように研究を続けているらしい――そんな噂を耳にした。 たまに出くわしても、「すまない、あとで」とだけ言って去ってしまう。(会う頻度が減るのは、私にとってはいいことのはずよ)そう思いながらも、胸の奥に小さなざわめきが残っていた。 結局私は、また研究棟へ向かっていた。「先輩、差し入れを……甘いものです」扉の奥で椅子が引かれる音。 少しして顔を上げた彼の頬は、やつれて見えた。「フォーン嬢か……? すまない、今は少し――」「これ、ローザリア様に頂いたんです。 よかったら、少しは休憩してください」その名を口にした瞬間、空気がわずかに張りつめた。 ペンが机の上を転がり、静かな音が響く。「……そうか。クロイツ令嬢が」低い声。その奥に、わずかな苛立ちが滲む。「先輩は、学業も魔法も完璧だと評判です。 それ以上、何を求めていらっしゃるんですか」思わず余計なことを言ってしまう。 でもーー嫌な予感がしてならない。複雑だ。 イベントが起きてほしくないのも、先輩が心配なのも、本当。(分かってる。私が何を言っても、きっと変わらない)「……完璧、か」 小さく笑った唇が、寂しげに歪む。その笑みが妙に胸に残った。 翌日の午後。 魔術理論の実技授業。 教室は、炉の熱でいつもよりずっと暑かった。「……今日、やけに暑くない?」 隣でローザリア様が小声で言う。「昨日の試験の余熱だろうな」 後ろからクラヴァ―ル先輩の声がした。(よかった、少し顔色が戻ってる……)「まったく、これでは集中できませんわね」 「クロイツ令嬢、今は実験中です。冷却魔法は――」 「ふふ、大丈夫、魔力の流れは乱しませんわ」その瞬間、空気がひと呼吸止まり――すうっと冷えた。(……いまの、なに?)外から声が上がる。 『あっつ!? 噴水が温水になってる!? なんで!?』窓の外では、春の光を受けた噴水が湯気を立てていた。 ローザリア様は扇で口元を隠し、くすりと笑う。「……いまのは闇か? 熱を吸収して……安全なところで放出した……? 可能だ。だが……闇単体をここまで制御できるものなのか……?」低い声。「……ローザリ







