Masukそして衣装についても、紬は千鶴の体型に合わせてすでに調整を済ませていた。だが、一分一秒と時間だけが過ぎていき、コンペ開始まで残り一時間を切っても、千鶴はまだ戻ってこなかった。雅乃の胸の奥に、かすかな不安がよぎる。カナに至っては、落ち着きなくその場を行ったり来たりしながら、両手を合わせて必死に祈っていた。「神様たち、家を出る前にちゃんとお願いしたはずですよね。どうか何事もなく進みますように。絶対にトラブルが起きませんように!」もともと雅乃は、まだ冷静さを保っていた。しかし、時間が経つにつれて、隣でカナが途切れることなく念仏のように祈り続けているせいもあり、彼女の心にも次第に焦りが広がっていった。「紬さん、やっぱり一度お手洗いへ様子を見に行ってみましょう」どうしても嫌な予感が拭えなかったのだ。紬もとっくに同じことを考えていた。ただ、みんなの気持ちを乱したくなくて、あえて口に出さずにいただけだった。彼女はカナへ念を押す。「ええ、二人で見に行ってみましょう。カナ、あなたは衣装をちゃんと見ていてね」「任せてください!絶対に一歩も離れませんから!」カナは自分たち専用のフィッティングルームの前に立ち、誰一人として中へ入れまいと、番をするように見張り始めた。紬と雅乃は、急いでお手洗いへ向かって駆け出した。馨はそんな二人の動きに気づき、瞳の奥に鋭い光を宿した。彼女は伏し目がちになりながら、これまで二度のコンペで起きた出来事を思い返していた。どうやら、紬はいつも何事もなく進むような運命ではないらしい。――どう見ても、紬はずいぶんと人から恨みを買いやすい性質のようだね。でなければ、どうしてこれほど多くの人間が、我先にと彼女へ手を下そうとするのだろうか。馨は思わず、ふっと冷たい笑みを漏らした。その様子を見たモデルは、胸を締め付けられるような緊張を覚えた。「井上さん、私……何か至らないところでもありましたか?」先ほど浮かべた馨の笑みは、どこか背筋が凍るような不気味さを感じさせたのだ。それを聞いた馨は、機嫌よく首を横に振った。「何でもないわ。後でステージに上がったら、最高のパフォーマンスを見せてちょうだい」「お任せください!」モデルの声には、強い決意が込められていた。何しろ彼女は、こ
そう言い終えると、カナは千鶴まで引っ張ってきて、一緒に彫像を拝ませようとした。最初は、千鶴もあまり乗り気ではなかった。だが、カナは至って真剣な表情で言った。「千鶴さん、ここにいらっしゃるのはみんな神様なんだから、不敬な態度を取ったらバチが当たるよ!信じる者は救われるって言うでしょ」それを聞いた千鶴は、すぐに素直になり、小さな彫像たちへ順番に深々と頭を下げていった。カナは満足そうに頷き、千鶴の肩をポンと叩く。「いいよ、千鶴さん。もう私の立派な弟子ね」「はいはい、もう行くわよ」紬は眉間を揉みながら、呆れたように口にした。「いつまでそこにいるつもり?コンペが順調に進むかどうかは分からないけど、このままだと絶対に遅刻することだけは確かよ」「ああっ、早く行かなきゃ!」カナはここでようやく事態の深刻さに気づいたらしく、千鶴の背中を押しながら慌てて部屋を飛び出していった。部屋を出る直前、紬の視線が愛らしい彫像たちへと落ちる。すると、胸の奥がふっと温かくなった。もちろん、彼女には分かっている。これらはすべて、カナなりの優しさなのだと。ほどなくして、一行はコンペの会場へと到着した。紬は千鶴へ視線を向ける。「まずは楽屋へ行きましょう」「はい!」一行は頷き合った。今回のコンペは、さすがに規模が桁違いだった。楽屋のメイクルームでさえ、選手五人につき一室が割り当てられており、さらにフィッティングルームに至っては、一人ひとりに専用の個室が用意されていた。そのため、少しも窮屈さを感じることはない。以前参加したコンペと比べれば、環境は格段に恵まれていた。カナはまるで初めて大都会を訪れた田舎者のように、ひたすら感嘆の声を漏らしていた。「こんなに大きな舞台に立てる日が来るなんて、夢にも思わなかったよ」何しろ、ここは海原市最大のスタジアムなのだ。国際的なイベントでも開催されない限り、普段は一般開放すらされない場所である。「これからも、こんなチャンスはきっとたくさんあります」雅乃が静かに口を挟む。その瑞々しい瞳の奥には、強い野心が宿っていた。「その通りよ!」カナは力強く拳を握り締める。「ここで立ち止まってる場合じゃないよね。どうせやるなら、一番を目指さなきゃ」「はいはい、
紬がスタジオに到着すると、メンバーたちの顔には少なからず疲労の色が浮かんでいることに気づいた。特に雅乃は、目の下のクマが以前よりも濃くなっていた。紬はからかうように笑いかけた。「雅乃、他の人の顔に疲れが出ているのは分かるけど、どうしてあなたまでパンダみたいな目になってるの」「紬さん、からかわないでくださいよ」雅乃はがっくりと肩を落としながら答えた。彼女の頭の中は、昨日、清彦が口にした言葉でいっぱいだった。もともと少し酔っていたはずなのに、シャワーを浴びた途端、すっかり目が冴えてしまったのだ。どうやら、自分の心を石のように冷たく固めて割り切るには、まだ少し時間がかかりそうだった。紬の瞳に一瞬、深い色が宿った。だが、雅乃がこれ以上話したくないと思っていることを察し、それ以上問い詰めることはしなかった。誰にだって、他人には知られたくない一面があるものだ。紬は気持ちを切り替えるように表情を明るくすると、パンパンと手を叩いて、みんなの意識を引き締めた。「午後はいよいよ決勝よ。勝負はこの一戦にかかってる!ここまで本当にたくさんの困難を乗り越えてきたんだから、今日の午後だって絶対に大丈夫。千鶴、午後のランウェイは今まで通り、肩の力を抜いて臨んでね」紬は千鶴が緊張しすぎないよう、優しく声をかけた。「はい、紬さん」千鶴は心の中で、もう一度自分を奮い立たせた。昨夜帰宅した後も、ネットでピラティスのレッスン動画を探して練習していたのだ。すべては、最高の状態で舞台に立つためだった。今回の「刹那」というブランドを、誰もが心から大切に思っている。そして、この日のために、みんなが裏でどれほど努力を重ねてきたのかも痛いほど分かっていた。だからこそ、この最後の舞台で、絶対にみんなの期待を裏切るわけにはいかない。カナは千鶴の肩を抱き寄せた。「千鶴さんも、そんなに緊張しないで、気楽にいこうよ。それに、そのスタイルで舞台を歩いたら、全員を圧倒して圧勝間違いなしだって!」カナの腕が宙で大きく振り回される。その姿はまるで、兵を率いて戦場を駆け抜ける将軍のようだった。そんなカナの中二病じみた明るさが、張り詰めていた空気をあっという間に和らげた。スタジオの仲間たちは、思わず吹き出してしまう。食事を終
温かいハチミツ水を一杯飲み干したところで、紬の耳にドアをノックする音が届いた。扉を開けると、そこにはすらりと背の高い男が立っていた。紬は少し驚いたように問いかける。「どうしてここに来たの?」理玖は手にしていた朝食を掲げて見せた。「起きたばかりで、まだ何も食べていないだろうと思って。買ってきたんだ」紬の表情がぱっと明るくなる。「本当に気が利くわね。それじゃあ、遠慮なくいただくわ」「もともと君のために買ってきたんだから」理玖は手際よく、買ってきた朝食を一つひとつテーブルの上に並べていく。どれも紬が普段から好んで食べているものばかりだった。紬は一口サイズの肉まんを次々と頬張り、至福の表情を浮かべていた。「そういえば、今日は会社に行かなくてよかったの?」「午後はもう決勝だろう。君のそばにいたくてね」理玖はいつだって、紬への深い愛情と気遣いを隠そうとはしなかった。紬はからかうように笑う。「いいわ。それじゃあ、『Nirvana』の特別スタッフとして雇ってあげるよ」二人の間には、和やかで穏やかな会話が流れていた。そんな中、理玖はふと、昨日の二次審査で起きたアクシデントを思い出した。少し迷った末、彼は意を決して口を開く。「紬、昨日のコンペのことだけど……あの生地の件は、一体どういうことだったんだ?」その話題に触れられた瞬間、紬の瞳の奥に影が落ちた。「生地の縫い合わせ部分に、何か特殊な薬剤が吹きかけられていたみたい。だから、私が少し力を込めただけで、裂けてしまったのよ」理玖は手にしていた箸を強く握り締め、この件をどう切り出すべきか迷っていた。そんな彼の様子に気づき、紬は不思議そうに首を傾げる。「どうして急にそんなことを聞いたの?」理玖は我に返ったように答えた。「ああ、いや……なんでもないよ。ただ、あの時君が少しも動じずに対応できて、本当によかったと思ってね。そうでなければ、今回のコンペは終わっていた」紬はふと、理玖をまっすぐ見つめた。「ええ、その通りね。実は、誰がやったのか心当たりがあるの。たぶん、あなたも分かっているでしょ」理玖にも、紬が何を言いたいのか痛いほど分かっていた。胸の奥に、苦いものが込み上げてくる。「紬、少し時間をくれ。俺が必ずきちんと解決するから
「俺のことを、本当にお抱え運転手だとでも思っているのか?」雅乃の顔に、珍しくわずかな戸惑いの色が浮かんだ。視線の端で、清彦が不満そうな表情を浮かべていることに気づく。そこで雅乃は後部座席のドアを閉めると、助手席のドアを開けて乗り込み、シートベルトを締めた。「さあ、出してください」清彦の顔が、途端にぱっと明るくなる――そうこなくてはな。移動中、雅乃はずっと目を閉じ、静かに過ごしていた。膝の上に置いた手は固く握り締められている。隣の運転席から伝わってくる男の気配を、必死に意識しないようにしていた。いつもと何も変わらない帰り道のはずなのに、今の雅乃にとって、その道のりは果てしなく長く感じられた。やがて、車がゆっくりと停まった。自宅に着いたのだと思い、雅乃はほっと胸を撫で下ろした。目を開けてシートベルトを外そうとした瞬間、目に飛び込んできたのは、車が絶え間なく行き交う大きな交差点だった。どうやら、清彦はただ赤信号で停車しているだけらしい。「秋葉さん、俺と同じ空間にいることが、そんなに苦痛なのか?」清彦の声には、どこか傷ついたような響きが滲んでいた。「俺が一体何をして、君を怒らせたっていうんだ?」「何もしていません。私自身の問題です」雅乃は再び目を閉じ、瞳の奥に浮かんだ動揺と痛みを隠した。話し合うことすら拒むような雅乃の頑なな態度に、清彦の胸の奥には次第に苛立ちが募っていく。何か言い返そうと口を開きかけた、その時だった。後ろの車から、けたたましいクラクションの音が響き渡った。清彦は仕方なく感情を飲み込み、アクセルを踏んで車を発進させる。いつの間にか、信号はとっくに青へ変わっていたのだ。二人とも、そのことに気づかないままだった。その後、車は再び停まった。雅乃は気まずい空気から逃げるように、見慣れた自宅マンションであることを確認すると、「ありがとうございます」と一言だけ告げ、ドアを開けて降りようとした。だが、清彦は彼女をそのまま帰すつもりはなかった。伸ばされた手が、雅乃の手をしっかりと掴む。その瞳には、抑えきれないほど深く熱い感情が揺れていた。「雅乃、ちゃんと話をしよう」普段呼ばれることのない、親しげな名前で呼ばれた瞬間、雅乃の背筋がびくりと強張った。清彦に握ら
雅乃は眉をひそめ、清彦の腕を掴んで振りほどこうとした。だが、相手の腕はまるで鉛でも詰め込まれているかのように、びくともしない。「適当なことを言わないでください」「俺は本気で言ってるんだ!」清彦は雅乃の態度に不満そうに声を上げた。これほど真剣に話しているというのに、なぜ雅乃は冗談だと決めつけるのだろうか。そもそも、こんなことで冗談を言うほど自分は軽薄ではない。清彦はさらに言葉を重ねる。「俺はただ、君を家まで送っていきたいだけだよ。君は酒を飲んでるし、外ももう暗い。一人で帰らせるなんて危なすぎるだろ。放っておけるわけがない」「ヒューヒュー、放っておけないだって〜」カナはすっかり酔いが回り、ふらふらと体を揺らしながら雅乃のそばへ近づいてきた。今の一言を放ったのは、ほかでもないカナだった。彼女は雅乃の肩にもたれかかり、とろんとした目で清彦を見つめる。「清彦さん、うちの雅乃にそんなに気を遣うなんて……もしかして、雅乃のこと好きで、アプローチしたいんですか?」清彦が堂々と肯定しようとしたその瞬間、雅乃から鋭い視線の刃が飛んでくる。清彦は仕方なく、口を閉ざすしかなかった。視界の端に、寄り添い合う理玖と紬の姿が映る。その仲睦まじい様子に、清彦の胸の奥には羨望の熱が込み上げてきた。一体いつになれば、自分もあんなふうに堂々と雅乃に向き合えるのだろうか。カナは完全に酔いのタガが外れていた。千鶴が止めようとしても、もはや手に負えない状態だった。理玖は仕方なく、文人に車を出してもらい、二人を送り届けることにした。それを見て、紬もようやく安心し、理玖と共に帰路についた。一方、雅乃は最終的に、清彦のしつこくも真摯な説得に根負けし、彼と一緒に帰ることになった。ただし、雅乃は厳しい条件を付けた。清彦が送っていいのは、あくまでマンションの下まで。それ以上は絶対に許さないと、念を押したのだ。清彦は口では素直に頷く。「はいはい、分かったよ。安心してくれって。俺は誠実な紳士だからな」雅乃は何も答えず、ただ彼の全身を上から下まで、じっくりと値踏みするように見つめた。その視線が何を意味しているのかは、もはや火を見るより明らかだった。清彦の表情がみるみる曇っていく。――どういう意味だよ?!雅乃の