เข้าสู่ระบบ寝所として奈世が通されたのは修繕途中の棟で、壁は新しい木の匂いがした。この街での夜は、奈世にとって異様に長く感じられた。店も表の戸を開けず、烈焔の兵にまで“謀反人であるそちらの女子を敵に引き渡すべき”と言われてしまったことが、思いのほか堪えている。連合に来て1年。慣れ親しんだ者もおるが、やはり自分は異物なのだと改めて思う。そんな夜こそ、余計に永井康夜の肌が恋しくなる。ずっとそこにいて良いと思っていた。あの男に安心を抱いていた。それが今や、この世で一番憎き相手だ。乱世の習いとは言え、あまりに無慈悲だ。ただ、それでも生きてゆかねばならぬ。異物であっても――否、異物なればこそ、ここで生きて良いという意味を、自らの力で生み出していくのみだ。眠れず、そのようなことを考えて自らを奮い立たせていると、すっかり夜も明け始めていた。夜明け前、克時の兵から出ていた斥候が、城へ戻った。「他所の兵の動きがありまする。帝国の旗が見えました」烈焔が先に土間へ出、奈世も続く。党吉は寝巻の上に鎧を引っかけ、紐が背中で解けている。源次が「紐が」と言いかける前に、半太郎が無言で結ぶ。党吉は「今のは見なかったことにせよ」と言うが、それを約束する者は誰もいなかった。土間では、皆の息が白い。「数は。言え」克時の命令に、斥候が一度喉を鳴らしてから報告した。「少なくとも、1,000はおります」土間が凍る。味方の兵300に、敵の兵1,000。数が足りぬ。あの帝国の声明で、そんなに兵が集まるのか。こちらも戦支度を整えて待っておったが、やはり帝国の方が勢いは強いと見える。党吉が寝巻の袖で顔をこする。声がいつもより小さい。「……樽の数なら、まだ計算できたがな。樽が1,000なら、俺が先に500は飲み干して減らしてやれるのだが」「今は樽の話ではない、兵の数だ。500もの兵を、酒と同じように飲み干せるなど……」いや待て、樽でも500は無理だろう。奈世はそう言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。党吉の冗談に付き合っておるような場合ではない。だが、300と1,000では数が違い過ぎて、もはや真面目に語っておれるような場合でもない。彦九郎が暗がりの端から、広間より本音に近い声を出した。「やはり女子を突き出すべきです。1,000の兵
都々樹に着いたのは昼だった。薄い石垣は修繕の途中で、新しい石と古い石の色がはっきり分かれている。前城主が城を爆破したことで、茶畑の半分は瓦礫に埋まってしまったが、もう半分は新しい芽を出している。風になびく旗には織部家の家紋があり、新しかった。森の木の多くは城や城下の修繕に使われた。烈焔が“燃えにくい性質”だと門を破った夜に言っていた木だ。しかし自然は多く残っており、まだここは「南の都」には見えぬ。城下は静かだった。店が戸を閉めているからだ。看板は出ているが、中は暗い。今日の商いは休み、というわけでもないようだ。城まで向かう道中、源次が声を潜めた。「姫様、やはり先に噂が――“謀反人の女子が来る”と伝わっておるのでしょう」「わかっておる。静かで良いなどとも言うてはおられんな。多少なりとも賑わいながら、泥でも投げられた方がマシだったやもしれぬ。泥は、払えばそれまでだからな」党吉が店の戸を指の背で二度叩くも、返事はない。あるのは隙間から漏れる茶の匂いだけだ。「おいおい、戦の前に腹が減るというのに、飯も酒も売らぬのか。金ならあるぞ」半太郎が荷の陰から、通りの角を見た。「表は閉じておりますが、裏は灯がついておるようでござりまする」「なんだ、裏手に回れば買えるのか?」党吉が髭を撫でながら訊くが、半太郎は首を振る。「裏手に回っても、我らには売ってくれぬでしょう。ああいう連中は、取引する相手を決めておるのでござりまする」「ならば都々樹の民のフリでもして忍び込むか」「まぁ、お試しになるのがよいかと……まずはその髭を剃られてから」「なんだと!? この髭を剃れるものか! 父親譲りの大事な髭だ!」党吉が髭を剃らぬ理由を初めて聞いた気がする。大事な髭なら、もう少し揃えてほしいものだ。まるで山賊のように、いつももじゃもじゃだった。例の侍女は「あのもじゃもじゃが良いのではありませぬか!」と言っておったような気もするが、あれはかなり特殊な性癖だ。ともあれ、一向は烈焔のものとなった城へ向かう。広間に通されたとき、烈焔はすでに絵図の前にいた。仲間を暖かく迎える顔ではない。「遅れたな。どこかで迷うておるのかと思ったぞ。女子の軍師では兵たちの案内もできぬのか」 早くも“女子”弄りだ。心底ウンザリし
【華栄14年・11月】 あれから半年が経ち、いよいよ帝国の旗が整う音も聞こえてきた。もちろん連合側も、それをただ待ち続けていただけではない。この半年の間、領内の要所への砦の建造や、兵糧の確保、近隣諸国の侵略や調略も進めていた。 侵略や調略に関してはすべてがうまくいったわけではない。むしろ「お味方をいたす」と良い顔をする国があったとしても、戦況によってはすぐに手のひらを返すのが乱世の習いである。とは言え、帝国との戦に向け、やれることはやった。 ついに連合の本隊が端毬を発つ朝は、奈世が思ったより人が出ていた。門前に残る兵、見送る使用人、そして信焔までも門前にいる。これより始まるのは、それほど重要な戦だという意味である。 此度も総大将を務める烈焔は、先に拠点となる都々樹で戦支度を整えて待っている。奈世は先鋒ではない。読み役――つまりは軍師にも近い役職を与えられた。 数字が読めるのは奈世の強さだ。算衛門と秀久の連合軍と相見えた4月の戦とも異なる。此度の味方の兵は300。あれに比べて3倍の兵を動かさねばならぬ。数が増えれば、まとめ上げるのも難しくなる。 これより出立だというのに、責任の重さから顔を強張らせる奈世。源次も党吉も、長谷部半太郎をはじめとする氷室の間者も、すでに馬のそばにいる。党吉は、動かぬ奈世の肩をバンバン叩いた。 「緊張しておるな、軍師殿。いつものように気丈にしておれば良かろう」 「党吉……」 しかし奈世は、せっかく励ましの言葉をかけてくれたその男の頬を思いっきり引っぱたいた。 「馴れ馴れしく女子の体に触れるな! この助兵衛が!!」 「うぉ、いたたた……威勢がいいな。いつもの奥方だ、がっはっはっは!」 叩かれて笑っている。ますます気色の悪い男だと、奈世は渋い顔をする。 「我が妻よ」 と、そのやり取りを傍らで見ていた信焔は、右手を出さなかった。出しかけて、引っ込めた。党吉より、夫の方が何やら奥ゆかしい振舞いをしているように見える。手も握ってくれぬのかと思ったが、もしかして周りの目があるからか。 出会ってから約1年。党吉はますます慣れ慣れしくなっていくのに、夫とはいまだにこんな関係とは。 奈世は、思い切って|自
翌日。都の永井の屋敷は、夜でも灯が消えなかった。康夜は文机に向かい、短い文を書いていた。帝国の名で流す声明である。筆は速くないが、迷いがあるようには見えぬ。すぐに出さねばという切迫感もない、淡々とした速度だった。書き終えた文を一度だけ読み上げる。聞き役は、下段に膝をつく丹波算衛門だった。「かつて帝国に仕えた女武者・奈世は、北へ走り謀反を働いた。織部信焔の妻となり、帝国と蛮族連合の緩衝地帯であった境の小城が落ちた戦に、兵のひとりとして加担していたことがわかっている。奈世を捕え、都へ送るべし。殺してはならぬ」算衛門は顔を上げた。“元妻”とは呼ばず、家名もない。そして“殺してはならぬ”とある。「永井殿、そのように書かれた意図は――」「あの女子を俺に追放された元妻のままにしておけば、いきなり殺されるやもしれぬ。帝国側の者か、或いは帝国に寝返るようなお前のような者からな」“お前のような者”と言われ、算衛門は青ざめた。「どうした、具合でも悪いのか」康夜が真顔で尋ねてくる。松山の城で“首を奪えば良い”と口にしてしまったことは伏せていたはずだった。なぜ知られておるのか――それとも、知らぬから鎌をかけただけか。「いえ、急に疑いをかけられたようで……」算衛門はモゴモゴし出すが、腹を括って弁明した。「儂は、女子を殺めたりなどいたしませぬ……帝国では女子も尊ぶべきと存じておりますれば。謀反人は、男子であれ、女子であれ、しかるべき手続きに則って処罰するが寛容かと。ただ、儂も連合に与していた武者であれば、疑われるのも当然でござる……」「そうか。それはすまなかった」特に感情も乗せず、康夜は述べた。単に算衛門の肝が冷えただけのやりとりに終わった。康夜は文を置く。地図は見ぬ。見る必要はなかった。「文には、謀反人の女武者とも書いた。今や連合に与するひとりとして世に知らしめるためだ。そして、今は織部信焔の妻である、とも。これを無下に殺せば、蛮族連合と帝国の大戦となることを示しておる」算衛門は、康夜が何を言っておるのか今ひとつ理解に苦しんだ。追放した元妻を殺されたくないのか。未練がある……という風には見受け
帝国の都は、端毬より石が多かった。 都に構えられた、とある武家屋敷。荷車の陰から、月明かりに照らされたそれを見上げたとき、丹波算衛門は一度だけ鼻を鳴らした。彼は自ら落ち武者の恰好となり、商人の荷に紛れ、役人へ「北の内情を持っている」と言って自分を売り込んだ。 役人には境が落ちた話を披露したが、それはまだ門を通るための通行手形代わりに過ぎぬ。もっと重要な内容は、その後、目通りを願った帝国の軍師の屋敷で出す。 通された広間は静かだった。飾りは少ない。上段に座し、灯を近くに置きながら、地図を睨みつけている男がいる。それが帝国の軍師――永井康夜だった。 目は細く、肩も細い。戦場より、盤の前にいる時間の方が長い男の体だ。算衛門が想像していた「元妻を捨てた軍師」と、顔立ちは近い。違うのは温度だった。怒りもない。歓迎もない。落ち武者を値踏みする目だけがあった。 「名を申せ」 「丹波算衛門と申す。かつては連合に与し、兵糧を預かっておった者です」 「かつて、か」 「は。今はどこにも属しておりませぬ」 康夜は地図から目を上げなかった。 「俺に売る話を持ってきたのであろう。最も価値のある話から申せ」 算衛門は膝を進めた。“最も価値のある話”など、いきなり出すものか。先に出すのは、この男がすでに知っていそうな話だ。知っている話で席を温め、そのあとで内側を盛る。 「境の小城は落ち、松山秀久は死にました」 「それは都にも届いておる」 「左様でござろう」 「“最も価値のある話から申せ”と言ったはずだ。今のがそうなのか?」 間が落ちる。席が温まるどころか、急速に冷えてしまったようだ。やはり帝国の軍師……愚かな秀久のごとく楽にはいかぬ。算衛門は喉を鳴らしてから、相手の望む通り“最も価値のある話”を出した。 「では、こちらを——儂はかの小城で、永井殿のかつての奥方殿を見てござります」 康夜の指が、地図の端で止まった。 「続けよ」 「は。その女子が織部信焔の妻になったという話は都にも届いておるかと思いまするが、実情は、まだ織部信焔の正妻と認められたわけではござらぬ。杯は交わし、婚礼は執り行われましたが、形だけ。戦果を出せと試されておる最中です」 「なるほどな」 算衛門の口が、ここで緩む。 「連合も一枚岩ではござらぬ。盟主の弟
【華栄14年・4月】 境の松山秀久は死に、その領地は連合が占拠することとなった。薄い石垣の城は焼け、茶の匂いはもうしない。 清蓮城の広間では、その始末が議題になっていた。上段に信焔。一段下に烈焔。壁際に柴山克時と党吉。武者たちの視線は、絵図の南端に集まる。先月まで「境の小城」とだけ記されていた場所が、いまは黒い印で塗られている。 信焔は顎を手に乗せ、弟を見た。 「かの地は烈焔に任せる。お前もようやく城持ちだ」 烈焔は短く頭を下げた。喜びはせぬ。城を欲しがっていたわけではない。叶えたいのは、兄の側から女を遠ざけることだ。それが叶わぬ代わりに、国境の穴を任されるのであれば、それも致し方なしという目だった。 「……承知した」 克時が進み出る。絵図の端を指で押さえた。 「これでまた、帝国に一歩近づきましたな。かの地は連合と帝国の防波堤でもありました。防波堤が落ちれば、向こうも黙ってはおりませぬ。やつら、此度のことで慌て、一気に攻めてくるやも」 信焔は笑わなかった。温度のない声だった。 「むしろ待ち遠しいくらいだ。すぐにでも焼いてやる」 広間が、一度だけ動く。焼きたい、という言葉に武者たちは慣れている。慣れていても、盟主が「待つ」ではなく「待ち遠しい」と言ったことに、いよいよ帝国との戦も近いと感じられ、武者たちに緊張が走る。 一方、壁際で党吉が髭を撫でながら、 「そう言えば、奥方の姿が見えぬが」 空気を読まずに投げかけられたつまらぬ問いに、信焔の目がわずかに動く。 「伏せっておる。具合が悪いらしい」 党吉の目が細くなる。つまり、ニヤついた顔だ。 「もしや、お子では……?」 信焔の顔が、真っ赤になった。 「まだ抱いておらぬわ!」 声が、広間を叩いた。党吉が目を見開く。並んでいた武者たちもそれに習う。婚儀は昨年の12月ではなかったか。4か月も経つのに、まだ手も出しておらぬとは。 だが、誰もそれを口にはしなかった。口にすれば斬られかねない。だが目は、すでに同じ結論へ寄っている。やはり、形ばかりの夫婦なのだろうか。 烈焔だけが鼻を鳴らした。不快なのか、当然だと思っているのか、判然としない。克時は袖を払い、次の議題へ目を移すふりをした。党吉は「がっはっは」と笑いかけ、途中で止めた。盟主の耳が赤いあいだは、笑わぬ方が身のた