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第9話

Auteur: 広野
宥丸は片眉を吊り上げ、「ああ、聞こえない方が都合がいい。騙しやすいからな」と言い放った。

その言葉は、一言一句漏らさず千穂の耳に届いていた。

彼女はスッと目を伏せ、瞳の奥に浮かんだ嘲りと冷ややかな色を隠した。

そう、彼女には何もかも聞こえていたのだ。

もう二度と、何も知らない耳の聞こえない女のままで、宥丸に騙され続けるつもりはなかった。

彼女の人生を照らしていた光は、すでに完全に消え去った。

今度こそ彼のもとを永遠に去り、二度と戻ることはない。

時計の針が一分、また一分と進み、やがて6時50分になった。

招待客が続々と集まり始めると、宥丸は時間を確認し、千穂の手を引いて大広間の脇の扉へと向かった。

彼は自ら千穂の耳に補聴器を着け直すと、「千穂、たった今連絡が入ったんだ。俺が恋愛関係を公表するって聞きつけた芸能記者たちが、大勢こっちに向かってるらしくて、俺は……」と切り出した。

千穂は彼の白々しい演技を静かに見つめ、彼が描いたシナリオ通りに、淡々と答えた。

「それなら、今日の公表はやめましょう。私、もう疲れたから、帰って休みたいわ」

彼女が期待通りの反応を見せたことに、宥丸は安堵の息を漏らしたが、同時にほんの少しの違和感も覚えた。

あんなに関係を公表したがっていたのだから、もっと悲しむはずじゃないのか?なぜ、これほどまでに平然としているんだ。

そう怪訝に思っていた矢先、七緒からメッセージが届いた。【もう着いたけど、どこにいるの?】という連絡だった。

彼はもはやそんな違和感に構っている余裕はなく、適当な気遣いの言葉をいくつか残して、そそくさとその場を立ち去った。

千穂は彼の背中が見えなくなるまで見送った後、待たせていた車には乗らず、ホテルの窓際へと歩み寄った。

窓越しに、満面の笑みで七緒を抱き寄せる宥丸の姿を見つめても、彼女の心にはもう何の感情も湧かなかった。

6時55分。一人の配達員が美しくラッピングされたギフトボックスを手に、大広間へと入ってきた。

「笠井宥丸様はいらっしゃいますか?ある女性の方から、誕生日プレゼントをお届けにまいりました」

宥丸は千穂からのプレゼントがホテルに届くとは思っておらず、ハッとして動きを止めた。

傍らにいた七緒はそのギフトボックスを見て片眉を上げると、躊躇うことなく勝手に包みを開けてしまった。

箱の中に入っていたのは、千穂が初めて宥丸と出会った時の、彼の横顔をかたどった水晶の彫刻だった。

このプレゼントを用意するため、千穂は2年間も彫刻を学び、ようやく本物と見紛うほど精巧な作品を彫り上げた。

それを見た宥丸は、胸の奥が激しく揺さぶられるのを感じ、手を伸ばして受け取ろうとした。

しかし、七緒が一足先にそれを手に取って弄びながら、意味ありげな口調で言った。

「宥丸、これ誰からのプレゼント?どこで買ってきたのか知らないけど、ひどく安っぽい水晶ね。本当にダサいから、捨てちゃっていいわよね?」

宥丸はほとんどためらうことなく、彼女の言う通りにした。

次の瞬間、その彫刻は七緒の手によって窓の外へと放り投げられ、まさに窓外に立っていた千穂の目の前でガシャンと砕け散った。

バラバラに砕け散った彫刻を見つめながら、千穂は固く握りしめていた手をふっと緩め、無言のまま背を向けて車に乗り込んだ。

家に帰り、荷物をまとめ終えたちょうどその時、実鈴から電話がかかってきた。

「千穂、もう家の前に着いてるわよ。出てきて」

「はい、先輩。今すぐ行きます」

千穂は頷くと、あの失聴完治診断書を手に取り、リビングのテーブルの上に置いた。

宥丸が帰ってきた時、真っ先に目に入る場所へ。

これで彼はすぐに思い知るだろう。本当は、彼女にはすべて聞こえていたのだということを。

診断書を置き終えると、彼女は荷物を手に取り、一切の未練もなく、決然とその邸宅を後にした。

彼女を縛るものは、もう何一つない。どこまでも広がる自由な世界へと、彼女は歩み出した。二度と、誰も彼女の行方を見つけることはできない。

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