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第4話

Author: 浪川
私は彼女と数秒間、静かに視線を交わした後、踵を返して階段を降りた。鞄さえ個室に置いたままで。

歩いて家に向かう途中、アフロディーテ広場で、男の子がバラの花束を抱えて女の子に告白している場面に出くわした。

かつての、青臭くも誠実だったあの少年と同じ姿だ。

「年齢も距離も関係ない。君がその気なら、俺は一生君だと決めている。何があっても、俺たちを引き離すことはできない」

……一生というのはあまりに長く、人の心はあまりに移ろいやすいものだ。

翌日、目を覚ますと、蓮司がベッドの脇に立っていた。

彼は沈んだ瞳で私を見下ろし、手には私のスマホと鞄を持っていた。

「雪乃。スマホに『同意書への署名完了』って通知が来てるけど、何の同意書だ?

それに、どうして俺の指紋認証を削除したんだ?」

その言葉に、私は胸の奥が冷えるのを感じ、寝ぼけた頭が一気に覚醒した。

何の同意書か……

もちろん、私の「遺体引き取り」に関する同意書だ。

私は黙って彼の手からスマホを受け取り、慌てることなく淡々と答えた。

「旅行ツアーに申し込んだのよ。近いうちに少し出かけようと思って。

指紋とパスコードは、たぶんシステムアップデートのせいね」

それを聞いて、蓮司は安堵の息を漏らした。彼はベッドの端に腰掛け、屈み込んで私にキスをしようとした。

甘ったるい香水の匂いが、鼻を突く。

私は無意識に顔を背け、キスは頬に落ちた。

「君、ずっと瑠璃島に行きたいって言ってただろ?今度の出張が終わったら、連れて行ってやるよ。一週間くらいなら休み取れるから。俺が帰ってきたら行こうな」

私は何も答えなかった。彼自身、このセリフを何度口にしたか忘れているのだろう。そのたびに、様々な理由をつけて約束を破ってきたことを。

それに今後、私にはもう必要のないことだ。

私が黙っていると、彼が何か言いかけた。その時、彼のスマホが鳴り響いた。

彼は私の額に軽くキスをした。

「待っててくれ」

そう言い残し、電話に出ながら部屋を出て行った。

ドアが閉まった瞬間、私のスマホに知らない番号からショートメッセージが届いた。

開いてみると、文字はなく、あるSNSアカウントのスクリーンショットが一枚だけ添付されていた。

私はアプリを開き、そこに記されたID――莉奈のアカウントを検索した。

プロフィール欄には、『蓮ちゃんとのラブラブ日記』と書かれている。

タイムラインを遡ると、一番古い投稿は一年前。フォロワー数は数万人にも上っていた。

この不倫関係を、彼女は隠そうともしていなかったのだ。

数百件に及ぶ投稿が、彼女と蓮司の愛の軌跡を記録していた。

【蓮ちゃんが直々に採用してくれたおかげで入社できた!これからは顔を上げれば旦那様がいる生活】

【就活フェア、人が多すぎてヤバかった。汗だくで人混みに揉まれてる同級生を見て、ハイスぺ彼氏がいる幸せを実感。私は何もしなくていいんだもん】

さらにスクロールしていくと、彼が彼女を海へ連れて行き、オーロラを見に行き、『恋人としたい100のこと』を次々と叶えている様子が投稿されていた。

高所恐怖症のはずの彼が、彼女のためにペアバンジーまで飛んでいる……

つまり、時間がなかったわけじゃない。

ただその時間と労力を、すべて別の人に注いでいただけなのだ。

私はもう見ていられなくなり、彼女のプロフィール画面から戻ろうとした。

その瞬間、画面が自動更新され、新しい投稿がトップに表示された。

投稿時間は、三十分前。

メイン画像は、黒いレースのキャミソールを着た彼女の自撮りだ。その腰には、血管の浮き出た、男の逞しい手が回されている。

【25歳を過ぎた男は下り坂だなんて、誰が言ったの?今朝起きたら腰が抜けそうだった。彼はケロッとしてるのに】

コメント欄には、最も「いいね」を集めている固定返信があった。

蓮司:【今度また「おじさん」って呼んでみろ。タダじゃおかないぞ】

本人の登場に、コメント欄のフォロワーたちは狂喜乱舞していた。

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