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第3話

Auteur: 冬咲
沙羅は唇をかみしめ、必死に涙を堪えていた。震える指先でズボンの裾をぎゅっと握りしめ、指が真っ白になるほど力が入っていた。

悠人は沙羅の姿にうんざりしたような顔をし、黙って目をそらした。その直後、携帯電話が不意に鳴り響いた。沙羅の視界の端に、着信画面がちらりと映る。相手は悠人の幼なじみ、橘玲奈(たちばな れいな)だった。

それまでの冷たさが嘘のように、悠人の声が柔らかく変わる。「もしもし、玲奈?……分かった、すぐに行く」

電話を切ると、悠人はあっさりと沙羅の前から去っていった。

撮影スタジオを出ると、沙羅の手には監督から渡された五千円札が残っていた。屈辱と悔しさで顔が熱くなり、まるで殴られた後のようにじんじんと痛みが広がっていた。

監督は下品に言い放つ。「楠本さんからの指示だ。君みたいな女は、五千円の価値しかないってさ。これ以上は一円も出せないんだと」

容赦なく降り注ぐ陽射しが、沙羅の心までじりじりと焼き尽くしていくようだった。もう耐えきれず、沙羅はその場にしゃがみ込み、声を殺して泣いた。

――あの優しくて明るかった悠人は、もう自分の中で完全に死んでしまったのだ。

やがてお月見の季節が近づき、楠本家では盛大な家族パーティーが開かれることになった。

毎年こんな日、沙羅は峻の姿を遠くから眺めることすら許されなかったが、今年は悠人の許しがあって、パーティーの手伝いとして屋敷に入ることになった。

楠本家は大きな家系で、お月見ともなれば何十人もの親族が集まる。

悠人が玲奈の腕を取り、家族の前に現れたとき、誰も驚かなかった。

あちこちでグラスが上がり、まるで二人が婚約でもしたかのような空気になる。

「家族パーティーにまで玲奈さんを連れてくるなんて、悠人と本当に結婚間近なんでしょうね」

「そりゃそうよ。玲奈さんはお嬢様だし、悠人とはお似合いだし、何より峻も玲奈さんが大好きらしいわよ。もうすぐ正式に家族になるんじゃない?」

そんな囁きがあちこちから聞こえてくる。沙羅の胸は苦しくなった。

思えば、悠人と玲奈は昔から家族のように仲が良かった。自分が悠人と付き合っていた頃でさえ、玲奈はいつも割り込んできて、沙羅を責めたものだ。そんな二人が結ばれるのも、今となっては当然なのかもしれない。

――でも、それはもう自分には何の関係もない。

沙羅はうつむき、手早く酒を運ぼうとしたが、そのとき向こうから峻が元気よく駆けてきて、思わず彼にぶつかりそうになった。

沙羅は反射的に手を伸ばし、「大丈夫?怪我してない?」と声をかけた。

だが峻は、沙羅の手を振り払った。「そんな汚い手で触らないでよ!こっちに来ないで!どうしてまたあなたがいるの?本当に大っ嫌いだ!僕、玲奈お姉ちゃんのところに行く!」

峻は沙羅を一瞥もせず、すぐに立ち上がると、全速力で玲奈の元へと駆けていった。

みんなで満月に手を合わせ、静かに願いごとをするのが、楠本家のお月見の恒例だった。玲奈と悠人も、峻の小さな手を取り、一緒に月に祈った。

「峻、お願いごとがあるなら、お月さまに向かってそっと心の中で唱えてごらん。きっとお月さまが叶えてくれるよ」

「本当に!?」峻の目が一瞬で輝く。「僕ね、ママが欲しい。玲奈お姉ちゃんにママになってほしい。みんなで、ずっと一緒に暮らしたいんだ」

悠人は優しく峻の頭を撫でて言った。「子どもがずっと一緒なんて、分かるのか?」

「分かるよ、もちろん分かるよ。だって結婚したら、ずっと一緒にいられるんでしょ?パパ、早く玲奈お姉ちゃんと結婚してよ!」

麗奈は顔を赤らめ、悠人の答えをじっと待つ。

そのとき悠人の視線がふと屋敷の中を横切り、沙羅の姿が目に入る。沙羅は心臓をぎゅっと握られるような思いで、彼の答えを待っていた。

悠人は口元に冷たい笑みを浮かべた。「そうだな――じゃあ、玲奈お姉ちゃんにママになってもらおうか」

「やったー!やったー!」峻は無邪気に飛び跳ねる。

沙羅の顔は真っ青になり、首を絞められたみたいに苦しくて、呼吸するのもつらかった。

悠人に深く憎まれ、峻にも激しく拒まれている――そんな現実を、沙羅は痛いほど分かっていた。もう、自分には何も期待できるものなど残っていなかった。

沙羅がその場を離れようとした瞬間、ふと視界の先に紗希の姿があった。

彼女は、以前とは違い、穏やかとも取れる冷静な顔で沙羅を見つめていた。

「見たでしょ?お兄ちゃんと玲奈さんこそ、本当の家族なのよ。あんたなんか、最初から峻の母親になる資格なんてなかったんだから。

分かってる?もう峻やお兄ちゃんに近づかないでよ。これ以上あんたが関わったら、『あの子の母方のおばあちゃんが、昔、父方のおじいちゃんを誘惑して家を壊したんだって』って、絶対に陰で言われるから。あんたは平気でも、峻はずっと笑われるのよ」

沙羅は無表情で答えた。「心配しなくてもいいわ。これからはもう、誰にも自分が峻の母親だなんて言わない」

――峻にはすぐ、新しいお母さんができる。すべては、もう過去になるのだ。
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