Masuk奏多side
「社長、月末に広告代理店の経営者のパーティーが開かれるそうで招待状が届きました。前日より出張が入っており、こちらに戻ってくるのは夕方になる予定です。お疲れでしょうし、他の者に出席させましょうか?」
「いや、大丈夫だ。俺が出席する。スケジュールに入れておいてくれ」
秘書の佐藤が、俺を気遣って代理出席を提案してきた。最近の俺のスケジュールは過密を極めている。しかし、その申し出を断り出席する旨を伝えた。
「……そうですか。承知いたしました」
「大切な用事って言うのは、あくまで個人的な内容よ。奏多には一切関係ないわ。必要があれば私から事前に連絡していたはずでしょう? そうじゃないってことは、あなたがその場にいる必要はないってことよ」麗華は俺をこの場から退けようと必死で言葉を紡いでいた。その慌ただしく泳ぐ瞳、そしてどこか上滑った声と口調が、麗華の焦りを雄弁に物語っている。言い訳がましいその姿を見て、俺の胸中に湧いたのは怒りではなく深い軽蔑だった。表情を微塵も崩さず、俺はただ静かに麗華を冷たく睨みつけた。「……東宮グループの代表が視察に来るというのに、俺は全く関係ないというのか? 五十嵐工業の親会社は、紛れもなく住吉商事だ。なぜ、その事実を俺に黙っていた」麗華の顔が一瞬で引き攣り、血の気がさっと引いたのが見て取れた。取り繕うように笑みを浮かべたが、その口角は自信満々だったさっきまでの面影を消し去っていた。「……それは、あなたが忙しいから、わざわざ煩わせる必要なんてないと思って……私だけで十分だと思ったのよ」 「嘘だな」俺が低く言い放つと麗華の身体が小さく震えた。今回の情報は、五十嵐工業の経営層から直接届いている。住吉本社から出向・異動させていた複数の経営陣が、限界を迎えた末に俺に助けを求めてきたのだ。彼らが口を揃えて訴えてきたのは、麗華の目に余る傲慢さと、経営者として致命的な無能さだった。独断専行で社内の空気を冷え切らせ、重要な顧客とのパイプを切り、挙句の果てには、何の根拠もないまま東宮グループを勝手に引き込もうとしている。そして、今日の訪問も麗華がまともな対応を取れるはずがないと判断し、このままでは五十嵐工業という会社そのものが崩壊しかねないという現場の切羽詰まった悲痛の叫びが、俺をここに突き動かしたのだ。「麗華、お前が何を画策しているかは知らないが、住吉商事の名を汚すような真似だけは許さない。お前が五十嵐工業を私物化しようとするなら、それは会社への背信行為だ」 「私物化なんてしてないわ! 私は会社を立て直すために行っているの。立派なビジネスよ!それに私がいなかった
麗華side三日後の朝、目が覚めてスマホを確認すると、通知画面に「東宮俊」の文字が表示されていた。俊から直接連絡が来るなんて初めてのことで、眠気は一瞬にして消え去って鼓動が激しく高鳴る。(えっ……嘘?俊さんから連絡?この前のディナーのお礼かしら。それとも、もしかしてデートのお誘い……?) 期待を胸に震える指でメッセージをタップする。すると画面に表示されたのは、少し砕けた口調の短い一文だった。「この前、五十嵐工業の資料を拝見させてもらったけれど、現地も見てみたい。来週あたり訪問することは可能かな」俊から会いに来てくれるなんて、これ以上のチャンスはない。「訪問してくださるなんて光栄ですわ。いつでもお待ちしていますので、都合の良い日を教えてください」私はすぐさま返信を打ち込み、ベッドの上で小さくガッツポーズをした。そして、出社するやいなや、緊急で全社員を事務所に呼び寄せて、声を張り上げた。「いい? 来週の火曜日、東宮グループの社長が視察に来ることになったわ。あの日本トップ企業の東宮社長よ。もし少しでも失礼な態度をとったら、ただじゃおかないから。気を引き締めて覚悟してかかりなさい」 社員たちが困惑と緊張に顔を引きつらせる中、私は事務所の徹底的な掃除と書類の整理を命じた。古びたプリンターに書類の山、壁には剥げかけたポスターが所狭しと貼ってあるこの現状は、東宮グループの社長という最高峰の人物にはあまりにも不釣り合いだ。「社長……! なぜ東宮の代表がうちの会社に? 住吉商事の方から何か話があったのですか? 当日は本社からどなたか応援に来られるのでしょうか」 古参の社員が不安げに尋ねてきたが、私は鼻で笑い飛ばした。「いいえ。住吉商事は関係ないわ。私が直接、話をつけたの。これは私が獲得した極秘案件よ。だから話がまとまるまでは、本社には絶対に漏らさないこと。分かったわね?」「え……でも、相手の立場から言ったら我々だけでなく住吉社長も同席されたほうが……」「何? 私に口
麗華side高級エステの個室でオイルマッサージを受けながら、私は昼間に遥と対面した時のことを思い返していた。「ふふ……あの女の顔。私を見つけた瞬間に顔を青ざめて必死に動揺を隠そうとする様子ときたら……。今頃は、俊さんと私が親密な関係を築いていることに、ショックと焦りで取り乱しているんじゃないかしら」私の計画は、完璧な滑り出しを見せていた。遥と住吉奏多の疑惑つき結婚秘話を、『元婚約者』として被害を受けたと暴露したあの夜。私の狙い通り、東宮俊はその餌にすぐに飛びついてきた。裏切られた可憐な元婚約者として同情を買い、連絡先を交換してからというもの、カフェやディナーなど俊と外食を重ねる時間は私の日常になりつつある。思った通り、彼は突然現れた「妹」の遥の存在を心の底では快く思っていないようだった。最初のうちは警戒心を解くことに専念して、感情的にはならずにいかにも客観的な事実を冷静に語る「思慮深い女性」を演じ続けたのだ。「遥さんは、住吉と一夜を過ごしたような記事をでっち上げて強引に結婚まで漕ぎつけたのです。あの時、住吉は成瀬家との巨大な商談を締結した直後で、周囲からは次期役員と噂されるほど高く評価されていました。私の内助の功もあって商談は成功し、落ち着いたら正式に婚約する予定だったのに……あのスキャンダルが出てしまったんです」目を伏せて、鼻をすすり泣くのを堪えているよう
遥side「今のビジネスや将来のビジョンってどういうこと……? 本当に仕事の話なら、彼女じゃなくて住吉商事の社長である奏多と協議する方がビジネスとして合理的じゃないの?」社長室へ戻ってきた俊にすぐさま問い詰めると、 俊は小さく溜め息をついてからゆっくりと首を横に振る。その瞳は、どこか遠くの霧の向こうを見つめているようで、いつもの温かな兄の眼差しではなかった。「いや、話をすべきなのは彼女だ。彼女に聞きたいこと、彼女にしか分からないことがたくさんあるんだ」 「……ねえ、最近麗華と頻繁に会っているようだけれど、どんな話をしているの?彼女が今までしてきたことを知っているのになんで、麗華となんか関わっているの?」「明らかにしなければならないことがある。そのためには、彼女の証言が必要なんだ……」 「明らかにしたいことって……? もしかしてそのために私と住吉の結婚についても影で調べていたの?」俊の肩が一瞬だけ硬直した。その反応だけですべてを確信した。「なんでそれを……」 「ごめんなさい。……この前、花蓮とかくれんぼをしていた時に、住吉に関する報告書を偶然見つけてしまったの。私と奏多の結婚について、細かく調べ上げられた記録があったわ。俊は、あの報告書の内容を信じたから麗華に話を聞こうとしているの?」今まで聞くのが怖くて黙っていたことを尋ねると、俊はしばらくの間、じっと目を伏せていた。そして、絞り出すように静かに口を開いた。「前に新製品を案内するためにハリーと四人でパーティーに出席したのを覚えているかな?その時に、彼女から遥と住吉社長の結婚について聞かされたんだ。それで、話に信憑性があるか確かめるために調べたまでだよ」俊の言葉が鋭い刃のように私の胸に突き刺さる。『信憑性を確かめるため』と言っているが、それは事実かもしれないと思ったからではないのだろうか……。ショックで足元の床が抜け落ちるような感覚に陥り言葉を失った私に、」隣にいた直人がすぐに一歩前へ出た。「俊さん、……まさかあの星野って女のことを信じるんですか?彼女は、遥にありえもしない罪まで偽造して離婚させようとしたんですよ。最近だってSNSに酷い投稿をして、彼女の人格を俊さんなら分かっているんじゃないですか?」「……彼女が妊娠していた時に、遥が流産させようとしたという話か? それについては、彼女から直
遥side午後、直人が業績の報告をするために俊のいる社長室に向かってすぐのことだった。まだ五分しか経っていないのに、スマホが鳴って画面を見ると、直人の名前が表示されている。(直人……? 向かったばかりなのに、何か資料に不備でもあったのかしら?)「もしもし、どうしたの?」 「……遥。今、社長室の前まで来たんだが、俊さんは来客応対中でね。外で待機しているんだ。どうやらその来客というのが、星野社長らしいんだよ……一応報告した方がいいと思って」星野と言う言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がして胸が大きく跳ね上がった。 「嘘でしょ……? 私たちの会社とは何の取引もないはずよ。本当に、彼女なの?」 「ああ。秘書に確認したから間違いない。社長室の中にいるのは間違いなく彼女だ」俊が、よりにもよって麗華を社長室に招き入れているなんて……耳を疑う情報に、指先が冷たくなる。「……打ち合わせは、もうすぐ終わるのよね?」 「十四時からだから、あと数分で終わるはずだ」 「それなら私もそっちへ行くわ。直接確かめたいことがあるの」 「え……一人で大丈夫なのか? なんなら俺も一緒に……」 「大丈夫。ありがとう。とにかく、今すぐ向かうわ」直人は心配してくれたが、この問題は麗華と直接対峙して解決したかった。ノートパソコンを片手にすぐさまエスカレーターに乗って社長室のある二十三階へと急いだ。「遥……。まだ中にいるよ」廊下の角で待ち構えていた直人が、小声で手招きをする。私が駆け寄ったその瞬間、背後の社長室の扉が音もなく静かに開かれた。「まあ、これは……月島社長と、遥さんじゃない。親会社の社長室に何の用なの?」」扉の向こうにいた麗華が私たちを見つけると、勝ち誇った笑みを浮かべながら話しかけて来きた。麗華はまるでこの場所の主のような態度でこちらを見下ろしている。その声を聞きながら、反論したい気持ちをぐっと抑えて拳と口元に力を入れた。(それはこっちの台詞よ……あなたこそなんでうちの会社の社長室になんか来ているのよ。あなたの方がよっぽど部外者でしょ?)喉まで出かかった言葉を必死に飲み込み、お腹に力を入れた。麗華は私たちが何も尋ねていないにもかかわらず、高揚した様子でペラペラと言葉を並べ始めた。「私は俊さんとこれからの仕事の話をしていたのよ。今後のビジョンについても詳しく共有させても
遥sideこの日、直人にランチに誘われて車に乗り込むと創作和食が楽しめる落ち着いた雰囲気の店に着いた。中は全室個室で他の客の会話は全く聞こえない。「遥……この前、話をしていた住吉社長と星野麗華の件だけど……」 直人は言葉を慎重に選びながら、手元のタブレットを私の方へ向けた。「遥があの家を出てから現在に至るまで二人は独身のままで婚姻届は一度も出されていない。それと、彼女に子供がいる、あるいは妊娠していたと証言する人物は、調べてもらった限り一人もいなかったそうだよ」私は絶句した。耳を疑うような言葉に思考が追いつかない。「え、それなら……あのお腹の子は、産まれる前に……?」「ああ。残念だが、そういうことになるね。妊娠も周囲に知られていなかったということは、体型の変化が現れる前の初期の段階だったのかもしれない」心臓が冷たく収縮するのを感じた。「それなら私が離婚して家を出ていってすぐに流産したことになるわ……」







