LOGIN蓮司は少しだけ冷静さを取り戻した。その場に立ち尽くし、しばらく地面を見つめて黙り込んだ。やがて顔を上げ、透子を見た。「今日はわざわざ来てくれて、ありがとう」透子は何も答えなかった。その頃、執事もようやく悲痛な感情をどうにか押し殺せるようになっていた。蓮司のそばへ歩み寄り、低い声で告げる。「若旦那様、ドローンの件はすでに調べさせております。結果が分かり次第、すぐにご報告いたします」蓮司はその言葉には答えなかった。ただ執事を見つめ、静かに尋ねる。「高橋、お爺様は本当はどういう状態なんだ。なぜ、あんなふうに泣いていた?」これまで新井のお爺さんが二度倒れ、緊急処置を受けた時でさえ、執事がここまで取り乱すことはなかった。それなのに今日は違う。執事は人目もはばからず、声を詰まらせるほど泣いていたのだ。蓮司は指をきつく握りしめた。手の甲に青筋が浮かぶ。その視線は、執事の表情に釘づけになっていた。その答えを聞くのが怖い。それでも、新井のお爺さんの本当の状態を知らずにはいられなかった。「旦那様は、急に意識を失われただけでございます。強いショックを受けて、お倒れになったのです」執事はそう答えた。リハビリ担当者や透子が見た光景は、蓮司には伏せておいた。先ほどまでの蓮司は、怒りで完全に我を失いかけていた。透子が止めて、ようやく落ち着きを取り戻したところなのだ。ここで残酷な真実を告げれば、蓮司はさらに崩れ、再び怒りに飲まれてしまうだろう。だが、蓮司は恐ろしく勘が鋭い。執事の答えを聞いても、納得した様子は微塵もなかった。「ただ意識を失っただけなら、どうしてお前が泣くんだ。前の二度は泣かなかった。なのに、なぜ今回は泣いた?」執事は口を開きかけ、一瞬だけ言葉に詰まった。それでも、すぐに答えを絞り出す。「旦那様のことが、あまりにも心配だったからでございます。今回で三度目です。以前から医師にも、これ以上強い刺激を受ければ危険だと言われておりました。ですから、心配のあまり、つい取り乱してしまいました」執事は短い時間のなかで、もっとも筋が通り、説得力のある理由を必死にひねり出した。どうかこれで蓮司が信じてくれればいい。せめて今だけは、これ以上疑いを深めないでほしい。しかし蓮司はまだ疑っていた。執事を見つめたまま、眉間に
「だが、リハビリ室は正門とは反対側にある。お爺様がどうして入口の騒ぎを知るんだ。誰かが余計なことを吹き込んだのか!」蓮司の矢継ぎ早の問いに、リハビリ担当者は一つずつ答えた。新井のお爺さんは、ドローンに積まれた拡声器から新井グループのプロジェクト事故や株価下落の話を耳にし、その直後に容体が急変した。そう知った瞬間、蓮司の目は血走り、握りしめた拳がぎりっと音を立てるほど強くこわばった。「誰だ……誰が仕組んだ!」蓮司は怒りに任せて吠えた。「あの拡声器を仕掛けたのはどこの記者だ。それとも博明の仕業か!」相手は、わざと新井のお爺さんに聞かせたのだ。病状を悪化させるために。これは単なる騒ぎではない。新井のお爺さんを直接死に追いやる、殺人に等しい行為だ。犯人には命で償わせる。関わった者すべてに、必ず相応の代償を払わせる。「社長、拡声器はドローンに取り付けられていました。当時、我々はフェンスの外に群がる記者たちへの対応に追われていました。警察車両へ連行する手筈を整えていたところで、まさか上空からドローンが飛来するとは予想だにしませんでした」その場にいたボディーガードの一人が説明した。「気づいてすぐに撃ち落としました。ですが、位置を確認して狙いを定めるまでの二、三分の間に、拡声器から一通りの内容が流れてしまいました。そのため、会長のお耳にもすべて入ってしまったのだと思われます」その言葉を聞いた途端、蓮司は振り向きざまにボディーガードの胸ぐらをわし掴みにした。血走った目で、今にも噛みつきそうな勢いで怒鳴りつける。「なぜもっと早く落とせなかった!なぜ事前に予測して止められなかったんだ!お前たちの怠慢だ。役立たずどもが!」胸ぐらをつかまれたボディーガードは、抵抗も反論もしなかった。ドローンの出現があまりにも突発的で、誰も予測できなかったのは事実だ。だが、それでも警備に穴があったことは否定できない。あらゆる可能性を想定し、防げなかったのは自分たちの落ち度だった。ボディーガードはうつむいたまま、蓮司の怒りを無言で受け止めた。蓮司の怒りには行き場がなかった。感情も理性も振り切れ、目の前の男を引き裂こうとする獣のような殺気をまとっている。彼が拳を振り上げた、その時だった。横から伸びてきた細い手が、蓮司の拳をしっかりと掴んだ
そうでなければ、リハビリ担当者が「新井のお爺さんはもう危ないかもしれない」などと言い、透子があれほど取り乱して泣くはずがない。リハビリ担当者も、医療に携わる資格を持つ専門職だ。軽々しくそんな死の宣告を口にする人間ではない。そう考えてはいけないと分かっていても、執事の頭の中では最悪の想像が勝手に膨らんでいく。それでも信じたくなくて、執事は透子をじっと見つめた。彼女の口から、何か別の答えを聞きたかった。透子はまだ嗚咽をこらえていた。必死に呼吸を整え、震える唇を開く。「お爺様が……その時、目の焦点が……合わなくなって……」透子は伝えたいことを何とか言葉にしようとした。けれど、声は途切れ途切れで、息を吸うたびに喉が震えた。最後にはまた嗚咽がこみ上げ、言葉はそこで崩れ落ちてしまった。その横で、「焦点が合わなくなった」という言葉を聞いた瞬間、執事の頭の中で凄まじい轟音が鳴り響いた。全身から一気に力が抜け、体がグラリと横へ傾く。ボディーガードたちが素早く手を伸ばし、倒れかけた執事を支えた。執事の赤く充血した目から、ついに涙がこぼれ落ちる。体は震え、指先まで小刻みに揺れていた。「……旦那様ッ!」胸の奥には、言いたいことが山ほど詰まっていた。だが、何一つ言葉にならない。最後に絞り出せたのは、悲痛に引き裂かれたような、その一声だけだった。執事は深い悲しみに打ちのめされ、突然突きつけられた残酷な現実をどうしても受け入れられずにいた。だからリハビリ担当者はあんな宣告をしたのか。だから透子は、あれほど泣き崩れていたのか。旦那様は……旦那様は、本当にもう危ないのだ。「お爺様!お爺様はどうなったんだ!」廊下の入口から、切羽詰まった声が響いた。蓮司だった。病院の外に記者たちが押し寄せていると聞き、自ら戻って事態を収拾するつもりだったのだ。だが、記者への対応どころではない。蓮司を待っていたのは、それよりはるかに重く残酷な凶報だった。執事はボディーガードに支えられたまま振り返った。若旦那様を見て何かを言おうとしたが、口を開いても嗚咽が漏れるだけで、一言も発することができなかった。蓮司は執事のその悲痛な姿を見た。さらに、傍らで涙を拭っている透子を見た。その瞬間、最悪の予感が氷の刃のように胸を突き刺した。「お爺様……まさか
ボディーガードに制止され、執事はようやく我に返ったかのように足を止めた。その場に立ち尽くし、少し離れた場所からベッドのほうを呆然と見つめる。だが、幾重にも医師たちに囲まれていて、新井のお爺さんの姿はまったく見えない。今どんな状態なのかも分からない。執事にできることは、ただ祈るように待つことだけだった。やがて、リハビリ担当者と透子が執事のそばへ歩み寄ってきた。リハビリ担当者はボディーガードへ目配せし、執事を室外へ連れ出すよう促す。三人は重い足取りでリハビリ室を出た。廊下に出ると、執事は声を殺して泣きじゃくる透子を見た。先ほど電話越しに透子の悲鳴を聞いたからこそ、執事は血相を変えて駆けつけたのだ。彼はどうにか激しく波打つ心を立て直し、二人へ問いかけた。「栞お嬢様、リハビリの先生。旦那様に、いったい何が起きたというのですか?」透子は口元を覆っていた手をゆっくりと下ろした。答えようと口を開いたが、嗚咽に喉が詰まり、声にならない。そばにいたボディーガードが、すかさずティッシュを差し出した。代わりに、リハビリ担当者が努めて冷静な声を保ちながら事情を説明した。「私は新井会長のリハビリを行っていました。始める前に体調確認も済ませています。その時はあなたもその場にいらっしゃいましたよね。リハビリの最初の段階では、会長に目立った不調はありませんでした。状態は極めて安定していました。ですが、外からあの拡声器の声が聞こえた直後、急に体が痙攣し始め、必死にベッドから降りようとなさいました。拡声器では、新井グループのプロジェクトで死者が出たことや、株価が大きく下がったことが叫ばれていました。おそらく会長は、それがご自身の会社のことだとすぐに理解されたのだと思います。それで、急激なショックを受けられて……」リハビリ担当者の話を聞きながら、執事もすでにおおよその事態を察していた。──旦那様は新井グループに関する絶望的な知らせを耳にし、感情が一気に高ぶってしまったのだ。「それで、旦那様のお加減はどうなのですか!今、どういう状態にあるのですか!」執事は問い詰めた。それこそが、彼が今もっとも知らなければならないことだった。あの拡声器による奇襲は、完全に執事の不意を突いていた。外に群がっていた記者たちは警察に連行させたはずだった。まさか、
拡声器からの声は、なおも途切れなかった。「新井グループの海外港湾プロジェクトで重大事故が発生し、十数人の死傷者が出ています!グループのトップとして、この件について正面から説明していただきたい!」「新井グループの株価は八パーセントも下落し、市場に大きな動揺が広がっています!実質的な意思決定者として、このまま影響が拡大するのを放置し、事態が自然に沈静化するのを待つおつもりですか!」……拡声器はまだ何かを叫び続けていた。だが、その先の言葉はもう新井のお爺さんの耳には入っていなかった。海外プロジェクトで十数人の死傷者。株価の大幅下落……昨日、蓮司が一日中病室に姿を見せず、夜遅くに戻ってきた時も疲労困憊していた理由が、ようやくひとつにつながった。新井のお爺さんは目を見開いた。声を出したかった。何が起きたのか、詳しい経緯を問いただしたかった。なぜプロジェクトでそれほど多くの死傷者が出たのか。なぜ株価がそこまで急落したのか。事故はいつ起きたのか。会社はすぐに対応しなかったのか。広報部は何をしているのか。問いただしたいことは山ほどあった。けれど、どれほど口を開いても言葉にならない。喉の奥から漏れるのは、ひゅう、ひゅうと詰まったような荒い息だけだった。まるで巨大な石で喉を塞がれているかのようだ。新井のお爺さんは震える手を伸ばした。外へ出たい。執事を呼び、状況を聞き出したい。だが、もともと体はほとんど動かない。そこへ極度の焦りが重なり、顔はゆがみ、手足は意思とは違う方向へ激しく引きつった。「新井会長、無理にお体を動かさないでください!」そばにいたリハビリ担当者が慌てて声をかけ、体を元の姿勢に戻そうと手を伸ばした。しかし、新井のお爺さんの体は枯れ枝のように硬くこわばっていた。そこへ本人が無理に力を入れたことで、筋肉が一気に痙攣を起こしたのだ。「誰か!誰か来てください!至急、医師を呼んでください!」リハビリ担当者はナースコールを連打しながら、外にいるボディーガードたちへ切羽詰まった声で叫んだ。その頃、リハビリ室の外では。拡声器の声が響いた直後、透子は真っ先に執事へ連絡を入れていた。まだ通話はつながったままだったが、拡声器を積んでいたドローンはすでに撃ち落とされている。すべては、ほんの数分のうちに起きたことだった
リハビリ室の中は静かだった。透子はその場に十五分ほどとどまっていた。その時、ポケットの中のスマホがかすかに震えた。取り出して見ると、執事からのメッセージだった。【外の記者たちはすべて対応いたしました。ただ、世論への影響については、まだ火消しが必要です】透子はすぐに返信した。【そちらの対応に集中してください。お爺様のことは私が見ていますから、こちらは大丈夫です】執事から感謝の言葉が返ってきた。それを最後に、彼は事態の収拾へ戻った。本来なら、この騒動はすべて新井のお爺さんに気づかれないまま処理されるはずだった。だが、その二分後、リハビリ室の入口に四人のボディーガードが現れた。彼らの制服は、新井家のボディーガードのものとは違っている。新井家のボディーガードに扉の外で制止されると、四人は室内の透子へ目を向け、居住まいを正した。「お嬢様。社長のご指示で、お迎えに上がりました」透子は立ち上がり、扉の外へ出た。そのまま数歩離れ、リハビリ室から少し離れた中庭へ続く階段の下まで彼らを連れて移動する。「まだ帰りません。こちらのことが、まだ完全には片づいていませんから」透子はボディーガードたちに言った。「ですが社長は、現場の処理は新井家側で十分に対処できるとおっしゃっていました。お嬢様がこんな危険な場所に残られれば、ご家族が心配なさいます」ボディーガードの一人が答えた。透子はわずかに唇を引き結んだ。彼らを困らせたいわけではない。「お兄さんには、私から直接話します」そう言ってスマホを取り出すと、十分前に雅人から何件もメッセージが届いていた。どれも、早く安全な場所へ戻るよう促す内容だった。透子はうつむき、返信を打ち始めた。その頃、リハビリ室の中では。口が利けず、体も思うように動かないぶん、新井のお爺さんの耳は以前よりも鋭くなっていた。透子が外へ出た瞬間、新井のお爺さんはまばたきでリハビリ担当者に合図し、リハビリを中断させた。そして静かに、外の会話へ耳を澄ませる。透子の声は小さく、内容までは聞き取れなかった。だが、橘家のボディーガードたちの声はよく通る。断片的にではあるが、いくつかの言葉が耳に入った。現場の処理?何の現場を処理するというのだ?家族が心配する?透子がここに残ると、なぜ家族が心配する?
受付はスマホを開き、いくつかのグループチャットを確認した。大輔がチャット履歴に目を通すと、どれも社員たちの噂話と憶測ばかりで、確かな証拠はなかった。大輔は再び念を押した。「この件は他言無用だ。誰かに聞かれても、知らないと答えて」社員間の噂など、数日もすれば消える。この件は、以前の社長と美月のゴシップほど大きな騒ぎにはなっていない。大輔は最上階へと戻った。その頃、路上では。助手席には、書類の束とUSBメモリなどが置かれていた。雅人は眉をひそめ、物思いにふけっていた。裁判の証拠として使うため、パパラッチの連絡先もすべて手元にある。あとは、秘書に再度事実確認をさせるだけだ。頭
車は陽光団地まで順調に進んだ。理恵は以前、顔認証を登録していたため、スムーズに入ることができた。それに、彼女はカードキーも、透子の部屋の暗証番号も知っていた。暗証番号を入力してドアを開け、彼女は呼びかけた。「透子」返事はない。リビングに目をやると、誰もいなかった。キッチンへ行き、ベランダを見渡し、それから主寝室のドアのそばへ向かった。鍵はかかっていなかった。理恵はためらわずにドアを開けたが、部屋の中にも人の気配はなかった。透子の布団はきちんと畳まれており、昼寝をした様子は全くない。理恵は立ち止まり、眉をひそめた。透子が行きそうな場所を考えながら、彼女は電話をかけ続けた。
透子とは何の関係もない。それどころか、ほんの一時間ほど前には、悪趣味な冗談で彼女をからかったばかりだ。聡は自分が最低な人間のように感じた。透子の人生はすでに十分すぎるほど辛い。離婚したというのに蓮司にしつこく付きまとわれ、その上、自分まで彼女を不快にさせてしまった。聡は両手を強く握りしめ、唇を真一文字に結んだ。その表情には後悔と自責の念が浮かんでいた。理恵は透子に状況を確認しながら、兄にリアルタイムで報告していた。「警察には通報してないって。透子が言うには、二つの会社は今提携中だし、会社で起きたことだから、事を荒立てたくないんだって」そして彼女はため息をついた。「はぁ、透子
「あの、本当に新井社長と離婚したの?」彼女は慌てて付け加えた。「あ、別に深い意味はないよ。言いたくなければいいんだけど……」透子はうなずき、淡々とした声で言った。「ええ。昨日、半休取ったのは、控訴審に出るためだったの」それを聞いて、同僚は驚きを隠せない顔をした。さすがは名家だね。離婚するだけで控訴審まで行くなんて、本当に面倒くさそう。同僚は彼女を慰めた。「離婚もいいことよ。お金持ちの奥さんなんて大変だもの。慰謝料をたっぷりもらって、気楽に暮らせる小金持ちになって、好きなだけホストを養えばいいのよ」透子の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。彼女は何も言わなかった。蓮司の







