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第523話

Auteur: 桜夏
だが、ここは海外じゃない。一発で仕留めるのは最終手段であり、一生指名手配されるような真似はごめんこうむりたい。

それに、この女の夫はただ者ではない。金も権力も持ち合わせ、軽率に手を出せば厄介なことになる。でなければ、依頼主がこれほどの高額な報酬を提示するはずもない。

もともと接触しづらい相手だというのに、おまけに相手の警戒心は相当高い。

加えて運にも恵まれない。女が住むマンションは最近セキュリティが強化され、部外者は住人に付き添われないと入れず、同時に顔認証システムへの登録まで義務づけられている。

女自身の移動手段はすべて公共交通機関で、タクシーさえ利用しない。

男は焦りと苛立ちを必死に抑え、まるで獲物を狙う野獣のように、執拗に追跡を続けていた。

時間を計り、テーブル上の空き瓶の数を数えながら、そろそろトイレにでも立つ頃だろうか、と機会を窺っていた。

それが絶好のチャンスになる。

彼の予測通り、芝生の上で理恵が立ち上がり、透子の腕を引いて言った。

「透子、トイレ付き合って」

透子は立ち上がり、駿に一言断ると、二人は店内のトイレへ向かった。

理恵は酒豪で、まったく酔いの回っていない様子だった。透子を誘ったのは、ただ一緒に行きたかっただけだ。

対照的に透子は違った。頭ははっきりしているものの、足元がやや不安定で、理恵に支えられる必要があった。

理恵は冗談めかして言った。「えー、あなた、この歳になるまで一度もまともにお酒飲んだことないの?私より堅物じゃない」

透子は答えた。「飲んだことはあるわ。大学のサークルの飲み会で」

だが、彼女はほんの少し口をつける程度で、社交辞令として一杯飲む程度だった。今日のようにたくさん飲んだ経験はなかった。

理恵は彼女に言った。「大学の飲み会でも、誰かに送ってもらってるところ見たことないし、あなたいつも一口しか飲まないじゃない」

一人は絵画を、もう一人はデジタルメディアを専攻しており、本来なら同じ寮室になるはずもなかったが、彼女たちが入居していたのは専攻混合の寮だった。

理恵は本来、寮に入る必要など全くなかったが、自宅に戻れば両親の厳しい監視下に置かれるのが嫌だった。

それに、中学高校と実の兄による束縛の下で育った彼女は、自由な生活を強く望んでいた。

寮生活はその願いを叶えてくれたが、何せ狭くて不便で、
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