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第784話

Author: 桜夏
かつて二年間、毎日食べることができた彼女の料理は、今では手の届かない贅沢となり、病気になってようやく、再びその味にありつくことができた。

料理はあっさりしていて消化も良く、魚は柔らかく骨もなく、生臭さは一切ない。素材本来の香りだけがする。

スープも色が澄んでいて、肉と野菜のバランスが良く、食材の旨味が最大限に引き出されている。

蓮司は鼻をすすりながら食べ続けた。透子を庇って事故に遭ったことを後悔してはいない。これは、そのおまけとして与えられた甘いご褒美であり、彼は感動と喜びに打ち震えていた。

病室は静まり返り、誰も口を開かなかった。

新井のお爺さんは、蓮司が大の男でありながら、なりふり構わず泣きながら食べる姿を見ていた。情けないことこの上ないと思ったが、叱りつけることはしなかった。

粥一杯、おかず一品、スープ一杯で感動して泣くとは。最初から透子にもう少し優しくしていれば、こんな境遇に陥ることもなかっただろうに。

結局、食欲がなかったはずの男は、料理をすべて平らげ、それでもまだ物足りなそうに、その味の余韻に浸っていた。

大輔が保温ポットを片付けていると、蓮司は少し考えてから尋ねた。

「透子は……何か、俺に伝言を?」

大輔が答える前に、新井のお爺さんが不機嫌そうに言った。

「食事を届けてもらっただけでは足りんのか?強欲なやつめ」

蓮司はうつむき、悲しげな表情を浮かべた。そうだ、食事を作ってくれただけで、感謝に堪えない。これ以上、何を望むというのか。

大輔は丁寧に言った。

「先ほど社長があまりに美味しそうに召し上がっておられたので、お邪魔するのも憚られまして。如月さんから、確かにお言葉を預かっております」

蓮司ははっと顔を上げ、その瞳には期待の色が満ちていた。

大輔はその輝くような表情を見て、心の中で思った。

……期待が大きければ大きいほど、失望も大きい。本当に、ただの感謝の言葉だけなのだ。他に何もない。

大輔は静かに言った。

「如月さんから、『命を救っていただいたお礼を』、とのことです」

蓮司はそれを聞き、まだ大輔を見つめていたが、彼はそれ以上何も言わなかった。

それだけ……なのか。

彼はゆっくりと視線を逸らし、自嘲するように心の中で思った。

何を考えているんだ?透子が何か別のことを言うとでも?言うはずがない。彼女は、俺に会
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child1028believe
みんなが疑問に思う「美月はなぜ透子を殺したいほど憎むのか?」 その答えは美月自身しか知り得ないのか? 透子の日記帳に書いてあれば良いのに。 蓮司見たくないなんて言ってないで日記帳を読み返して!
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