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第163話

Author: ちょうもも
「先に着替えてくるよね」

「うん、分かった」

悠良は山荘に戻って荷物を取り出し、その中からゆったりとした服を選んで着替えた。

その後、一行は続々と登山の準備を始めた。

葉は悠良と一緒に歩いていたが、少しして彼女の肘で軽く突いた。

「見てよ、あの石川玉巳。あの図太さ、すごくない?あれだけのことがあったのに、全然気まずそうにもしないし。だって相手は彼女の旦那でもないのに」

悠良は、こういう場面にはもう慣れっこだった。

葉の言葉に、ただ口元を少しだけ引き上げてみせた。

「もしかしたら、いつか本当にそうなるかもね」

その言葉に、葉は目を丸くして悠良を見た。

「どういう意味?まさか、白川社長と離婚するつもり?ダメよ、それじゃあ彼女の思うつぼじゃない」

「私だったら絶対に譲らないわ。結局、略奪する方が恥ずかしいのよ。それに石川玉巳が現れてから、あんなたがどれだけ我慢してきたか......」

「この前、胃が痛くなったときも、白川社長は心配してくれなかったでしょた?昔だったら、ほんの少しでも不調があったらすぐ病院に連れて行ってくれたのに」

葉は玉巳の名前を出すだけで、怒りで歯ぎしりしていた。

だが悠良は一言も返さなかった。

ただ、その表情は意外なほど穏やかだった。

彼女には分かっていた。

史弥の気持ちが自分に向いていないのは、単なる一時的な気まぐれではない。

もう一つの理由、それは、――

あの日、彼が病室で伶を見かけたこと。

男というのは、自分の気持ちが離れていても、他の男が彼女に近づくのは絶対に許さない。

そんな嫌悪感すら覚える独占欲。

悠良は軽く葉の肩を叩いた。

「ここまでにしとこもういいわ。集合場所に行きましょう」

二人は着替えを終えて外に出たところで、誰かとぶつかってしまった。

悠良が先に謝る。

「すみません」

「いえ、こちらこそ......あ、小林さん」

里花は自分の服を拭きながら顔を上げ、悠良と目が合った。

悠良は社内の誰に対しても印象に残る人物だった。

たとえ普通の社員であっても、彼女のことを忘れることはなかった。

「中西さん、これは......」

さっき彼女が手にしていた箱から、地面にクッキーが散らばっているのを悠良が気づいたのは、頭を下げたときだった。

彼女は慌ててしゃがんで拾おうとするが、その拍子
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