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第292話

Author: ちょうもも
孝之に呼ばれ、伶は足を止めた。

孝之は眉間に深い皺を刻み、不安げに言葉を落とす。

「悠良のこと......頼んだぞ」

今、この場で悠良を託せるのは伶だけだった。

史弥が関わっている。

悠良がどうして怪我をしたのかは、まだわからない。

伶は重々しくうなずいた。

「わかってます。任せてください」

そう言うや、さらに歩を速めて外へ出る。

孝之もすぐさま使用人に命じた。

「車を用意しろ!」

伶は悠良を抱え、狂ったように車を飛ばした。

信号も交通ルールも完全に無視し、渋滞も強引にすり抜けていく。

何度も他の車と接触しかけ、そのたびにタイヤが悲鳴をあげた。

後部座席の光紀は、背中に冷たい汗をびっしりと浮かべながら、その無茶な運転を見つめていた。

長年、伶の傍に仕えてきたが、こんなにも取り乱した姿は初めてだ。

命の危険を感じつつも、彼は必死に悠良の頭部をガーゼで押さえ続けた。

このまま失血すれば、病院に着く前に息絶える。

だが、それでもスピードを落とせとは言えなかった。

人命がかかっている以上、今は一刻を争う。

光紀の心臓は喉元までせり上がり、胃の中身が逆流しそうになる。

まるで死神と隣り合わせで走っている気分だった。

それでも幸運にも、大きな事故にはならず、無事に病院へと辿り着く。

光紀は胸を撫で下ろしながら、今さっきまで死の縁を彷徨っていた感覚に震えた。

すでに数分前から、伶は病院側と連絡を取っていた。

車が止まるや否や、待ち構えていた医療スタッフが駆け寄り、悠良を手術室へと運び込む。

扉が閉じられた瞬間、伶の全身から力が抜け落ち、椅子に崩れ落ちるように腰を下ろした。

吐き気に苦しんでいた光紀も、外で何度か嘔吐した後、蒼白な顔で戻ってきた。

身なりを整え直し、伶の前へ歩み寄る。

「寒河江社長」

伶はわずかに呼吸を整えると、突如として立ち上がり、光紀の胸ぐらを掴んだ。

浮き出た血管がその焦燥を物語り、声には氷のような冷気が宿っていた。

「旭陽に伝えろ。どんな手を使ってもいい、必ず助けろ!」

光紀はその殺気に一瞬怯みながらも、すぐさまうなずく。

「わかりました」

やがて、小林家の人々も駆けつけてくる。

孝之が焦燥の色を隠さず、伶に問いかけた。

「伶君、悠良は?」

「手術中です」

掠れた声で答える伶。

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