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第490話

Author: ちょうもも
着る物にまで口を出すなんて......

けれどまあ、普段から割と落ち着いた服装を好んでいるし、大した問題でもない。

悠良は適当にスーツを一着選んだ。

今日は葉を連れて入社手続きをする日。

気迫で負けるわけにはいかない。

おそらく葉の履歴書はもう人事部に届いている頃で、つまり莉子や雪江の耳にも入っているはずだ。

着替えを済ませたあと、彼女は何気なく尋ねた。

「寒河江さんは?」

「寒河江様なら、朝早くに会社で会議があると出て行かれましたよ」

悠良は少し迷ってから、結局聞かずにはいられなかった。

「昨日......彼はちゃんと眠れた?」

思いがけない問いに、大久保さんはぽかんと目を丸くする。

「え?それは......私が知るはずが......小林様のほうがわかってるんじゃないんですか?」

二人は同じ部屋で過ごしていたのに。

伶の寝つきがいいかどうか、一番知っているのは彼女のはずだ。

悠良はその言葉にハッとし、自分の質問が妙に聞こえたことに気づく。

慌てて言い直した。

「そうじゃなくて......その、夜中に起きてたり、リビングで起きてたことがなかったかなって」

大久保さんは首を振る。

「いいえ、見てませんね」

「そう。ありがとう。じゃあ、仕事に行ってくるね」

「はい。朝ごはんはもうできてますから、召し上がってから行ってください」

悠良は階下に降り、サンドイッチと牛乳を手に取った。

大久保さんの料理は本当に絶品で、朝食ひとつとっても文句のつけようがない。

ふと葉のことを思い出し、テーブルの上にもう一人分あるのを見つけると、にこにこと尋ねた。

「大久保さん、これもう一つ持って行っていい?」

「もちろん。本当は小林様と寒河江様の分を作ったんですけど、先生は急いで出てしまって食べなかったので、少し冷めてますが......」

「大丈夫!会社で温め直せばいいから」

そう言って包みを取り、慌ただしく家を出た。

玄関を出てタクシーを拾おうとしたが、なかなか捕まらない。

そこへ、白い車が彼女の前に止まった。

窓が下がり、光紀が顔を出す。

「小林さん」

「村雨さん!ちょうどよかった。市内に戻るんですよね?もし良ければ乗せてもらえますか?」

ところが光紀はエンジンを切り、淡々と告げた。

「すみません、私はこれから書類整理しな
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