大久保は目を大きく見開いた。「あなた……」この男、一体何者なんだ?こんなことまで調べ上げるなんて!それよりも、もっとゾッとしたのは、雅之が黙って自分の言い訳をずっと聞いていたことだった。きっと心の中で軽蔑して、嘲笑ってたんだろうな。まるで顔を思い切り叩かれたような気分で、全身の力が抜けてしまった。「もう少しマシなこと言えるかと思ったけど、どうやら期待外れみたいだな」雅之はスマホをしまい、里香の方を向いた。「もう行くか?」里香は一部始終を見て、驚きながらもすぐに頷いて、祐介を見た。「祐介兄ちゃん、お疲れ様。この件は私がちゃんと調べるから、みんなを先に帰して」祐介は複雑そうな表情で里香を見つめ、雅之に目を移した。「一体どこまで調べたんだ?」雅之は一瞬彼を見て、「そんなに多くはないさ。ただ、誰がやったかは分かった」祐介:「……」なんて皮肉な言い方だ!かおるも目を丸くし、すぐに駆け寄って尋ねた。「誰なの?」雅之は一瞥して言った。「なんでお前に教えなきゃいけない?」「だって私は里香の大親友よ!結婚式の時、彼女をエスコートするのは私なんだから、里香の手をお前に渡すかどうか、私に決定権があるのよ!」「へぇ」雅之は淡々と返した。「それでも教えない」「ちょっと!このクソ野郎!」かおるは怒りを抑えきれず、雅之に指をさして罵声を浴びせた。里香は呆れたように言った。「私が知ってるんだから、あなたもすぐに知ることになるわ。そんなに焦らなくてもいいでしょ」かおるは急に冷静になり、「そうね。じゃあ、情報はすぐに共有してよ」里香は頷き、雅之を見た。「他に何か分かった?」雅之はじっと里香を見つめ、唇を動かしたが、結局何も言わなかった。里香は一歩近づき、「歩きながら話そう」雅之は里香の後をついて、ホテルを後にした。人々はすでに解散し、さっきまで騒がしかった会場も今は静まり返っていた。昨夜の件はその場で説明がついたため、変な噂が広まることはなかった。車の中で、里香は雅之をじっと見つめ、続きを待った。雅之は少し意地悪にじらしてみようとしたが、里香の真剣な視線に圧倒されて、つい口を開いた。「そんなに見つめられると、キスされるのかと思っちゃうよ」里香は少し驚いた様子で言った。「昨夜もう十分したでしょ?まだ足りな
里香は一瞬表情が止まり、手を引き抜いて言った。「雅之、約束を守ってほしい」雅之の瞳に一瞬、失望の色が浮かんだ。薄い唇を一文字に結び、里香の美しいけど冷たい顔をじっと見つめた。昨夜はあんなに激しく絡み合っていたのに、どうして今はこんなに冷たくなってるんだ?まさに、あの言葉通りだ。終わったら、もう他人扱いか。車内の空気が一気に冷え込み、二人とも黙ったままだった。里香は昨夜あまりよく眠れず、カエデビルに戻ると聡に休みを申し出て、そのままベッドに横になった。でも、心の中に引っかかるものがあって、どうしても落ち着いて眠れなかった。結局、うとうとしながら30分ほど寝ただけで、目を覚ました。仕事場に向かい、中に入ると、ちょうど星野がオフィスから出てきたところだった。彼の顔色はあまり良くなさそうだ。「何かあったの?」里香は何気なく声をかけた。星野は里香を見て、一瞬目をそらし、「何でもないよ。後で社長と一緒に出張に行くんだ」と言った。「出張?」里香は驚いた。聡は今まで一度も出張なんてしたことがない。それに、まだ冬木にしっかり根を下ろしてもいないのに、もう他の地域の顧客と連絡を取るつもりなの?聡って、そんなに仕事熱心だったっけ?「うん」と星野は短く答え、何か言いたげな表情を浮かべた。里香はまばたきして、「どうしたの?」と尋ねた。その時、聡の声が聞こえた。「星野くん、荷物をまとめて。すぐに出発するよ」星野は言いかけた言葉を飲み込み、「何でもない」とだけ言い、里香の横を通り過ぎて自分のデスクに戻っていった。里香はその後ろ姿を見ながら、何かおかしいと思った。変じゃない?聡が近づいてきて、里香の少しやつれた顔を見て言った。「休みを取ったんじゃなかった?顔色が悪いよ。無理して出勤しなくてもいいのに」里香は答えた。「家にいても休めないから、仕事してたほうがいいの。忙しくしてれば、夜はぐっすり眠れるし」聡は頷いて、「それも一理あるね。私と星野君は出張で1週間ほどいない。その間、デザインの仕上げに集中して。他のことは気にしなくていいから」と言った。「分かった」里香は頷いた。それでも、後任のデザイナーを選ばないといけない。冬木を離れる前に、しっかり人選を決めておかないと。デスクに戻り、パソコンを開いてデザインの作業を
雅之のからかうような口調に、里香はぐっとこらえ、さらに冷たい口調で言った。「来ないなら、それでいいわ」「行くよ、絶対行く。お前が誘ってくれたなら、たとえ今飛行機に乗ってても機長に命じて引き返してでも、絶対お前と一緒にご飯食べるから」雅之は即答した。その態度、まさに本気だ。里香の腕には一瞬、鳥肌が立った。そして彼に向かって言った。「バカみたいなこと言わないで、そんなこと言ってると雷に打たれるわよ」そう言うと、すぐに電話を切った。雅之は軽く笑いながら、切られた電話を見つめた。それから閉まりかけている機内のドアを一瞥し、口を開いた。「フライト、キャンセル」フライトアテンダントは目を丸くして驚いた。前の席に座っている桜井はすぐに振り返った。「社長、今回アメリカに行くのは戦略提携の話し合いじゃないですか?ドタキャンされたら、相手が不満を抱くでしょう。そしたら、次に協力をお願いするのが難しくなるんじゃないですか?」雅之は冷たく答えた。「じゃあ、別の会社とやればいい」そう言い放ってから、ビジネスクラスの席を立ち去った。桜井:「……」もう助けてくれ!うちの社長、最近本当に気ままになりすぎてるよ!でも桜井も分かっていた。雅之に仕事を放り出させるような存在なんて、里香以外には絶対いないだろう。前は、口を開けば「興味ない」とか「好きじゃない」とか言ってたけどさ、どうだ?見事に手のひら返しだ!夜が深くなった頃、里香は食卓に座り、冷めかけた料理を見つめながら、美しい眉を少ししかめた。時計を見ると、すでに1時間が過ぎていた。どういうこと?来ないの?来ないなら、一言くらい知らせてくれてもいいのに。里香の表情はますます冷たくなり、スマホを取り出して、かおるに連絡し、一緒に夕食を食べようと思ったその時、インターホンが鳴った。里香は立ち上がり、ドアを開けに行くと、黒いコートを着た雅之がそこに立っていた。その中は深いグレーのビジネススーツで、同系色のネクタイまできっちりと締めていた。「遅れてごめん、途中で渋滞に巻き込まれちゃって」彼は美しい瞳で里香を見つめ、一言そう言うと、そのまま部屋に入ってきた。コートを脱いで、そのまま里香に渡した。里香は呆れながらも仕方なくそのコートを玄関口のハンガーにかけた。雅之がテー
里香はリビングでテレビを見ていた。雅之はスーツのジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げて、ダイニングとキッチンをさっと片付けてから出てきた。里香がクッションを抱えて足を組み、テレビに夢中になっている姿には、柔らかな明かりが差し込んでいて、まるで絵のようだった。雅之はその光景に引き寄せられ、里香の隣に座って、視線をテレビに向けた。画面には時代劇が映っていた。衣装やメイクも良く、俳優の演技もまずまずだった。里香は没頭しているが、雅之はあまり興味が湧かず、代わりに彼女の横顔をじっと見つめていた。テレビを見てるより、もっと面白いことができるだろうに。「考え、まとまった?」ドラマの中で男女の主人公が会話を交わしている最中、雅之の低く落ち着いた声が響いた。里香のまつげがわずかに震え、少しだけ間を置いてから言った。「この話が終わるまで待って」雅之はくすっと笑い、里香の背中に手を回し、肩を抱き寄せた。里香の体が一瞬こわばったが、やがてゆっくりと力を抜いた。ドラマの1話は45分。二人はその間、ストーリーについて話し合った。まるで今までこんなに穏やかで温かな時間を過ごしたことがなかったかのように、二人の間にほのかな温もりが流れていた。雅之は、まるで自分たちがとても仲睦まじい恋人同士で、これがこれからの日常になるんだと錯覚しそうになった。「終わったよ」ドラマが終わると、里香はリモコンを手に取ってテレビを消し、クッションを脇に置いて彼の膝の上に座り、そのまま唇を重ねた。まるで義務を果たすように、そこには何の感情もなかった。雅之は細めた目で里香を見つめ、動かずに彼女の動きを見守った。そのキスは少し上達していて、そこには彼の影響が感じられた。里香の舌先が唇の隙間をなぞった瞬間、雅之の手が動き、後頭部を押さえ、腰を支え、キスを深めた。夜が深まり、窓の外には星が瞬いていた。部屋の中には甘い空気が漂っていた。最も親密な行為をしているのに、二人の心は深い溝で隔てられ、決して交わることはなかった。すべてが終わると、里香は疲れ果てていた。雅之は彼女を抱き上げて風呂に入れ、パジャマを着せた。ベッドに横たわると、里香は手を差し出して、「ちょうだい」と言った。雅之は里香の手を押し戻し、「メールで送る」と答えた。里香はその言
まだ確信が持てなくて、とりあえず証拠は全部保存しておくことにした。どうせ錦山にはすぐ行けないし。ここ数日忙しなく動き回って、ようやく原稿が完成。ワイナリーの工事もついに始まった。里香はデザイナーの面接をスタート。一人ずつ確認していったものの、なかなか満足のいく人材には出会えなかった。アイディアはあっても現実離れしていたり、突飛すぎる発想が多かったり……創造性はあっても、実現できるかどうかは別問題って感じだ。そんなある日、かおるから食事の誘いが来た。グツグツと煮えたぎる火鍋から立ち昇る熱気に、芳醇な香りが食欲をそそる。目の前に広がる光景だけで、もうお腹が鳴りそうだった。一口肉を口に運んだところで、かおるがまたため息をつくのが耳に入った。「ねえ、どうしたの?ここに来てからもう28回はため息ついてるけど?」冗談混じりに言うと、かおるは驚いた顔でこっちを見た。「えっ、数えてたの?まさか……そんなに私のこと好きだったなんて知らなかった!」「バカ言ってないで。で、何があったの?」軽くいなして促すと、かおるはもう一度ため息をつきながら話し始めた。「月宮家の人たちに呼び出されちゃったの」「えっ?」里香は思わず箸を止めた。かおるは苦笑いを浮かべながら続けた。「数日前、祐介の結婚式に綾人と一緒に行ったじゃない?その時に月宮家の人たちに見られてたみたいで、その後で呼び出されちゃったの。『綾人とは釣り合わない』とか『彼のお嫁さんになる人は家柄が見合ってることが条件だ』とか……散々言われちゃった」里香は少し考え込んでから、「それで?何にため息ついてるの?」と尋ねた。かおるはムスッとした顔で箸をつつきながら言った。「だってさ、まさかここまで厳しいとは思わなかったんだもん。彼氏と付き合うたびにこんなふうに呼び出されて文句言われるの?時代錯誤もいいとこでしょ!今は恋愛も結婚も自由のはずなのに!」一気にまくし立てるかおるを、里香はじっと見つめて聞いていた。「綾人と結婚したいと思ってるの?」「そんなわけないでしょ!」かおるは即座に否定した。「そんなこと、これっぽっちも考えたことないわ!」「じゃあ、何をため息ついてるの?最初から三ヶ月だけ付き合うって決めてたじゃない。それなら、誰に何を言われても気にする必要ないんじゃ
里香の表情が一瞬止まった。「もう吹っ切れたの?」かおるは里香の肩に腕を乗せ、ほろ酔いでほんのり赤くなった小さな顔を、チラチラと光るライトの下で照らされながら、ぼんやりと前を見つめていた。「実はね、月宮の家の人が私に会いに来て、初対面から圧かけてきたんだよね。庭で二時間も待たされて、やっと会ってくれたと思ったら、何も話さずにいきなりお嬢様たちの写真をどっさり見せてきてさ。ほんと笑えるよ、私に月宮の未来の妻を選ばせようとしたのよ?」話しながら、かおるの目からポロっと涙がこぼれた。慌てて手で拭いながら、続けた。「里香ちゃん、私はね、自分がまさか月宮のことを好きになるなんて思ってなかったの。あの人たちの見下した態度なんて気にも留めないと思ってたし、むしろバカみたいって笑えるくらいだと思ってた。でも、違ったのよ。その瞬間、本当に心の底から『惨め』って何なのかを思い知らされたの」かおるは赤くなった目で里香を見つめながら言った。「何も言われなかったし、直接バカにされたわけでもないのに、どうしてか耐えられなかった。里香ちゃん、私、もうダメなのかな?」「うん、ダメだね」里香はそう言うと、かおるは即座に「うわぁぁぁ!」と叫びながら、里香にしがみついた。「じゃあさ、どうすればいいの? もしかしてこのまま、月宮と愛憎劇を繰り広げる羽目になるわけ? それ、ほんとドラマじゃん!」里香はじっとかおるを見つめ、しばらく沈黙した後に言った。「とりあえず家に帰ろう。シラフになったら、解決策を考える」かおるは両腕を里香の首に回し、上目遣いでじっと見つめてきた。「今じゃダメ?」里香は首を振った。「ダメ。今のあんた、冷静じゃない。この状態で決めたことなんて、大体後悔するから」かおるは口をとがらせた。「……なら仕方ない。今日、一緒に寝よ」「いいよ」里香は頷き、かおると一緒にカラオケの店を出た。ところが、店を出た瞬間、路肩に停まっている一台の銀灰色のマイバッハが目に入った。車の横には、キャメル色のコートを着た月宮が立っていて、手にスマホを持ち、電話をしている。その視線はずっとこちらを見ていた。里香たちが出てくるのを見ると、電話を切り、二言ほど告げた後、歩み寄ってきた。「お前たち、一緒に飲むと必ず酔っぱらうよな。で、帰ったら俺
里香はかおるを見て、優しく声をかけた。「先にお風呂に入って、それからゆっくり寝なよ。他のことは起きてから考えればいい」「うん……」かおるは小さく頷くと、そのまま以前泊まっていた客室へ向かった。里香も主寝室に戻り、シャワーを浴びた後、ドレッサーの前に座ってスキンケアをしながらぼんやりとかおるのことを考えていた。かおる、自分の考えた方法を受け入れてくれるかな……でも、今は他に方法はない。月宮が家族のプレッシャーに耐えてでも、かおると一緒にいるって決断してくれれば話は別だけど。でも、それができるの?月宮は雅之とは違う。幼い頃から厳しい教育を受けて育ち、そのすべてを月宮家に与えられてきた。彼の今の立場も、財産も、生活のすべてが家族に支えられたもの。そんな月宮が、自分のすべてを捨ててまでかおるを選ぶ覚悟があるのか?それは、天に昇るより難しいことかもしれない。考えれば考えるほど答えの出ない堂々巡りに、里香はそっとため息をついた。もう考えるのはやめよう。布団をめくってベッドに入り、ゆっくりと目を閉じた。うとうとと眠っていた真夜中、スマホの振動音で目が覚めた。眉をひそめながら手探りでスマホを掴み、目を細めて画面を確認してから通話ボタンを押した。「誰?」眠気と不機嫌さが入り混じった声で問いかけると、通話の向こうから低くて落ち着いた声が返ってきた。「里香、会いたい」雅之だった。いつものように心地よい声。でも、どこか掠れている。里香は目を閉じたまま、深いため息をついた。「頭おかしいんじゃない?」そう言い捨てて、容赦なく通話を切った。夜中に何やってんの、ほんとに。スマホを枕元に放り投げ、そのまままた眠りに落ちた。朝、しっかり熟睡できたおかげで目覚めは悪くなかった。キッチンに立ち、朝食の支度をしていると、ベランダからふらふらと魂の抜けたようなかおるが降りてきた。パジャマ姿にボサボサの髪、目の下にはくっきりとしたクマ。「一晩中、寝てないの?」驚いたように尋ねると、かおるは小さく頷き、そのままふにゃっと抱きついてきた。ひんやりとした体温が肌に伝わった。「一晩中考えてた。私、本当に月宮のことが好き。でも、彼はきっと、そんなに私のことを好きじゃないの。私に対する気持ちは『興味』
深冬に入り、初雪が舞い始めた。里香はマフラーで小さな顔をすっぽり包み込みながら、ビルのエントランスを出た。空はすでに薄暗く、少し離れた場所に停まっている車が目に入った。ふと足を止めると、黒いコートを着た景司の姿を目にした。「瀬名さん」声をかけながら近づき、微笑みながら言った。「お待たせしちゃいました?」景司は穏やかに微笑み、車のドアを開けた。「いや、ちょうどよかった。とりあえず乗って」「はい」里香は頷いて車に乗り込んだ。今日、景司が突然連絡をくれて「会いたい」と言ってきた。正直、少し驚いた。でも、断る理由もなかった。血の繋がりでいえば、景司は自分の兄。だったら、彼の本当の考えを探るには、ちょうどいい機会かもしれない。車内は暖房が効いていて、寒さで冷えた体がじんわり温まっていく。マフラーを外しながら、自然と肩の力が抜けた。二人は車でそのままレストランへ向かった。レストランに着いて個室に入ると、景司が口を開いた。「急に戻ってきて驚かせなかった?」「ううん。安江でのお仕事、もう片付いたんですか?」里香が尋ねると、景司は頷いた。「ああ、全部終わったから戻ってきた」そう言いながら、真正面からじっと里香を見つめた。端正で上品な顔立ち。ナチュラルメイクが基本だけど、ときどき鮮やかなリップを引くことがある。それでも――いや、むしろだからこそ、彼女の美しさは際立っていた。柔らかな眉、澄んだ瞳。今も何の警戒心もなくまっすぐ自分を見つめている。景司は、一瞬言葉を飲み込んだ。本題を切り出そうとしていたのに、この瞳の前では妙にためらいが生まれてしまう。沈黙が流れ、耐えかねたように里香が口を開いた。「瀬名さん、私に会いたいって……何かご用ですか?」景司は軽く息をつき、ゆっくりと切り出した。「君は……雅之と別れるつもりはないの?」里香はスプーンを持つ手を止めた。話したかったのは、それ?「どうして?」静かに問い返すと、景司は少し申し訳なさそうに目を伏せ、それでも真剣な顔つきで答えた。「君はアイツと一緒にいても幸せになれない。きっと辛い思いをするだけだ。だから、別れたほうがいい」まさか、離婚を勧めに来たの?あと半月もすれば、離婚の手続きは終わる。それさえ済めば、正式に婚姻関係は解消
もういい。帰ってきてくれただけで十分。帰ってきてくれた、それだけでいい。少なくとも、今こうして二人が同じ場所にいれば——雅之が目を覚ました時に、ちゃんと説明できるはずだから。里香は帰らず、そのまま病院に泊まり込むことにした。雅之が目を覚ますのを、ここで待つつもりだった。かおるも仕方なく一緒に残ることにした。やっぱり心配だったのだ。何と言っても、里香は今、妊娠中なのだから。翌日。景司が病室にやってきた時、里香は丁寧に雅之の身体を拭いているところだった。優しい眼差しで、根気よく、ひとつひとつ心を込めて世話をしていた。「里香、家に電話しとけよ。今日は大晦日だし」「うん、わかった」頷いた里香は、身体を拭き終わるとスマートフォンを取り出してソファに腰掛け、グループチャットを開いてビデオ通話をかけた。すぐに繋がり、画面には眼鏡をかけた秀樹の姿が映った。「お父さん、大晦日おめでとう!」にこっと笑いかけると、秀樹もにこやかに頷いた。「おめでとう。お前もな。それで、雅之はどうだ?」「危険な状態は脱したよ。あとは、目を覚ましてくれれば大丈夫」秀樹は安心したように頷いて、「里香ちゃん、無理すんなよ。ちゃんと休めよ、いいな?」と声をかけた。「うん、わかってるよ、お父さん」そのあと賢司も少しアドバイスをくれて、瀬名家のほかの家族たちも次々に顔を出して声をかけてきた。今の里香は、瀬名家にとっていちばん大切な存在。みんなが自然と彼女に気を配っていた。里香は一人ひとりに丁寧に応じ、ほぼ一時間ほど通話してから、ようやくスマートフォンを置いた。外はすっかり車通りが少なくなり、街は静けさに包まれていた。みんな、家で年越しをしているのだろう。昼頃、かおると月宮がやって来た。「特別においしい料理、用意してきたのよ。場所が病院でも、お正月はお正月!おいしいものたくさん食べて、元気つけなきゃ!」かおるはにこにこしながら声を弾ませた。「うん。彼が退院したら、今度は私がご飯作ってあげるね」その言葉に、かおるはぱっと顔を輝かせた。「わあ、いいね!どんな腕のいいシェフが作っても、あなたのご飯には敵わないわよ!」月宮も穏やかに頷いた。「うん、確かに」里香の視線は自然と、病室のベッドの上に向かった。雅之はまだ昏睡状態
里香はなんとか感情を抑えながら、月宮に尋ねた。「中に入ってもいい?」ここまで来て、断れるはずがなかった。月宮はすぐに人を手配してくれた。里香は防護服を身に着け、病室へと入った。マスク越しでもわかるほど、消毒液のきつい匂いが鼻をついた。そんな中、彼のもとへ一歩一歩近づいていく。雅之の周囲には数々の医療機器が並び、顔には酸素マスク。整った顔立ちは青白く、やせ細っていた。里香はそっと歩み寄り、触れようと手を伸ばしかけたが、ふと自分の手袋に気づき、手を止めた。これじゃ、何の感触も伝わらない。「雅之……」手を下ろし、ベッドのそばに立ったまま名前を呼んだ。その声は鼻が詰まっているような、こもった声だった。瞬きを繰り返しながら、必死で感情を抑えようとした。「なんで……なんで何の連絡もなしに消えたの?メッセージのひとつもなくて、私がどれだけ怒ってたか、わかってる?それに……聡があなたの人間なら、なんでもっと早く教えてくれなかったの?ちゃんと説明してくれてたら、私、あんなに怒らなかったのに……」ねぇ、わざとでしょ?わざと目を覚まさないで、わざと私に会わなかったんでしょ?私が焦ってるの見たかったんでしょ?私に折れてほしかったんでしょ?」だんだんと声が震え、最後には嗚咽混じりになっていた。けれど、涙を拭くこともできなかった。ただ、頬を伝う涙が視界を曇らせるのを、なすがままにするしかなかった。「雅之……お願いだから目を覚まして。それだけでいい。それだけで……全部、許すから」その言葉が終わった直後だった。突然、荒い呼吸音が響き、すぐそばの医療機器が警報を鳴らし始めた。医者と看護師が飛び込んできて、里香は外へと押し出された。「どうしたの!?彼、どうなったの!?」里香が必死に問いかけると、医者は手短に告げた。「今すぐ検査をしますので、外でお待ちください!」廊下へ押し出された里香のもとに、かおるが駆け寄って支えた。「どうしたの!?何があったの!?」里香は混乱したまま首を振り、まつ毛にはまだ涙が残っていた。「わたしにも……わからないの……今、彼と話してたのに、急に外に出されて……」かおるはそっと彼女を抱きしめた。「大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫だから。たぶんね、雅之が里香ちゃんの
里香が突然帰ると言い出したことで、瀬名家の人々は驚きを隠せなかった。賢司と秀樹が慌てて里香の部屋に駆けつけると、彼女はすでに荷物をまとめ終えており、二人とも不安げな表情を浮かべていた。「里香、一体どうしたんだ?なんでそんなに急いでるんだ?」秀樹が一歩前に出て問いかけると、里香は深く息を吸い込み、落ち着いた声で答えた。「雅之がケガをしたんです。どうしても会いに行かなきゃって思って……」「な……」秀樹は一瞬言葉を失った。つい最近まで、彼女は雅之のことをひどく嫌っていたはずだ。顔も見たくないって言っていたのに……どうして突然、気持ちが変わったんだ?秀樹をまっすぐ見つめながら、里香は目を潤ませて言った。「お父さん、ごめんなさい。一緒に年越しできなくて……でも、行かなきゃ。行かなかったら、きっと後悔する。きっと一生悔やむと思うの」その様子は、あまりにも切実だった。秀樹は「年越してからにしろ」と言いかけたが、結局その言葉を飲み込んだ。代わりに賢司が口を開いた。「まず、こっちでも状況を調べてみるよ」もはや、二人にも彼女を引き止めることはできなかった。なにしろ、雅之は里香のお腹の子の父親なのだから。秀樹は小さく息を吐いて言った。「せっかく帰ってきてくれたし、みんなで久しぶりに団らんの年越しかと思ってたんだが……来年までお預けになりそうだな」「彼が無事なら、すぐ戻ってきます」里香がきっぱりとそう答えると、「うん、無理するなよ。子どもの父親でもあるし……」と、秀樹もそれ以上は何も言えなかった。景司はすぐにプライベートジェットの運航ルートを手配し、里香はスーツケースを持って飛行機へと乗り込んだ。景司も同乗していた。「一人で帰らせるのは心配だしな。俺も一緒に行くよ」「そうだ、それがいい」秀樹も頷いた。「何かあったら、景司に全部任せておけ」賢司も一言添えた。「里香のこと、頼んだぞ」ここまで言われて、里香もさすがに断れなかった。「できるだけ早く戻ります」家族の顔を見つめながら、涙ぐんでそう言った。飛行機は滑走路を離れ、夜の空へと飛び立っていった。冬木。二宮グループ傘下の病院内。集中治療室の明かりは、いつもどおり、こうこうと灯っていた。桜井はいつものように様子を見に
里香はまだ少し半信半疑だったが、景司の落ち着いた表情を見て、彼が否定しないことに気づいた。……本当なの?もしこれがかおるの耳に入ったら、喜びすぎて気絶するんじゃないか?そう思いながら、里香は鼻を軽くこすってから視線をそらした。夕方。秀樹が帰ってきた。明日は大晦日。瀬名家の人たちも次々と集まり始めていて、リビングはいつも以上ににぎやかだった。里香はかなり疲れていて、二階で少し眠ったあともそのままベッドで横になっていた。ときどき、階下から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。外では子どもたちが雪遊びをしているらしく、にぎやかな声が混じっていた。でも、里香の心はぽっかりと穴が空いたようで、どこか現実感がなかった。ふいに月宮に言われた言葉を思い出し、唇をきゅっと引き結んだ。スマホを手に取り、ロックを解除して、スクリーンセーバーの写真を見つめながら、お腹にそっと手を添えた。そのとき、スマホが震えた。かおるからのメッセージだった。【大変!!】【里香ちゃん、雅之が銃で撃たれて、ずっと昏睡状態なんだよ!】【ねえ、見た!?メッセージ見た!?】立て続けに三通。尋常じゃない内容に、里香は思わず体を起こした。顔から血の気が引いていくのが、自分でもはっきり分かった。文字は読めるのに、意味が頭に入ってこない。銃で撃たれた?長い間昏睡状態って、どういうこと?そんなはずない。雅之が撃たれただなんて……なんで……!?震える指で、かおるの番号をタップした。なんとか発信できたものの、声を出そうとしても、うまく出なかった。「……もしもし、かおる?さっきの……どういうことなの……?」なるべく冷静に話そうとしたけど、声の震えは止められなかった。電話の向こうのかおるも、明らかに動揺していた。「私も、さっき聞いたばっかりなの!あのね、瀬名家であなたの歓迎会が終わった後、雅之、何も言わずに帰ったでしょ?それで、その夜に冬木に戻って、いきなり撃たれたんだって!しかも心臓をかすめたって言うから、本当に危なかったらしくて……今も集中治療室にいて、まだ意識が戻ってないの!」「どうしてそんなことに……」里香の顔は信じられないというより、恐怖に染まっていた。かおるは焦りながら、なおも言葉を重ねた。「詳しいことは全然わか
月宮の目を見つめながら、かおるはしばらく黙っていた。――月宮と縁を切る?無理に決まってる。月宮家は冬木じゃいろんな人脈が絡んでて、普通の集まりでも顔を合わせることなんてざらにある。だから、唯一の方法は距離を取ること。あとは冷たくするしかない。それに、こんなことで月宮と揉めたくもなかった。「じゃあ、それで決まりね。あの人からまた連絡きたら、すぐ教えて」かおるは、本気でこれ以上この話を引きずる気はなかった。月宮は口元に微かに笑みを浮かべ、「もちろん」と答えた。そして、かおるのそばに腰を下ろし、じっと見つめながら聞いた。「一緒に帰るか?」明日は大晦日。結婚してから初めての年越しで、年が明けたらすぐに式も控えている。かおるは「うん」と頷き、立ち上がりながら言った。「ちょっと、里香に声かけてくるね」月宮も頷いた。「一緒に降りようか」玄関に向かって歩きながら、かおるはふと思い出したように聞いた。「そういえばさ、雅之って今何してるか知ってる?全然連絡ないし、音沙汰なしじゃん」月宮はどこか意味ありげな目でかおるを一瞥し、「さっき里香と話したけど、彼女、雅之には全然興味なさそうだったよ」と言った。かおるはその言葉に少し違和感を覚えた。でも、里香の最近の様子を思えば、あながち間違いとも言えず、それ以上は何も言わなかった。「じゃ、その話は置いとこっか」階段を降りたかおるは、里香に冬木へ帰ることを伝えた。「ほんと、あんたって根性ないんだから」里香は笑ってからかうと、それを聞いた月宮は眉をひそめた。「かおる、やっと機嫌取れたばっかなんだから、邪魔しないでくれる?小松さん」里香はそれを無視して、かおるに持たせる荷物を用意させた。かおるは遠慮なく、それらを全部受け取った。玄関まで来て、かおるは里香をぎゅっと抱きしめた。「じゃ、数日後に戻ってくるから。外寒いし、見送りはいいよ」「うん」里香は頷き、二人の背を見送った。ふと振り返ると、賢司が階段から降りてきた。黒のタートルネックニットがよく似合っていて、姿勢もしゃんとしていた。「お兄ちゃん」里香が声をかけると、賢司はそれに応えて尋ねた。「もう帰ったのか?」「うん」里香が頷いた。「誰が?」ちょうどそのとき、景司
かおるは思わず目を見開いた。賢司は立ち上がり、彼女のほうへ歩いてきながら尋ねた。「離婚するのか?」かおるは首を横に振った。「別にケンカしたわけでもないのに、なんで離婚しなきゃいけないのよ」賢司はすでにかおるの目の前に立っていて、その言葉を聞くなり、ふいに手を伸ばした。かおるはとっさに身構えて二歩後ろに下がり、背中がドアにぶつかった。そのまま彼を警戒するように睨みつけた。「なにするつもり?」賢司はじっとかおるの目を見つめ、その緊張感を察すると、さらに冷たい表情になってドアノブに手をかけ、そのままドアを開けて彼女を外へ押し出した。「人妻が俺の部屋にいるとか、どう考えてもアウトだろ」そう言い残して、さっさとドアを閉めた。「ちょ、ちょっと、あんた……!」かおるはその場で呆然と立ち尽くした。閉まったドアを見つめながら、何も言い返せなかった。こ、こんな人……どうしてこうなのよ。でも、まぁ、言ってることは正しい、かも。「かおる」そんなことを考える間もなく、月宮の声が聞こえてきた。振り返ると、彼が階下のリビングに立ち、上を見上げてかおるを見ていた。今さら隠れても無意味だし、逃げるタイミングも失っていた。かおるはそのまま階段を下りて、「なによ」と声をかけた。月宮は、どこか冷めた表情をしたかおるを見つめながら近づいてきて、手を取り、真剣な眼差しで言った。「話をしよう」かおるは手を振り払おうとしたが、月宮の力は強くて引き抜けなかった。「手を放して」にらみつけながらそう言うと、月宮はきっぱり言った。「無理だ。一生、放さない」その言葉は強引で、少し傲慢だった。そして、その瞳には、はっきりとした独占欲がにじんでいた。ずるい。こんなふうにされるの、なんか……嫌いじゃないかも。「何を話すのよ?」「どの部屋に泊まってる?」月宮が尋ねた。その言葉を聞いたかおるは、一気に目を見開いて彼をにらんだ。「はぁ!?どういう意味よ?まだ話す前から、もうそういうこと考えてんの?つまり、あたしに会いに来た理由って、それ!?」月宮はすかさず、かおるの口を手でふさいだ。目を閉じると、リビングにいた里香を見て「彼女の部屋はどこだ?」と尋ねた。里香はぽかんとしながらも、指で部屋の
一言で、その場に火薬の匂いが立ち込めたような緊張が走った。月宮はほんの少し眉を上げ、凛とした表情の里香を見つめながら、ぽつりと聞いた。「……俺、巻き込まれてる感じ?」「えっ?」里香は一瞬、その意味がつかめず、きょとんとした。けれど、月宮の笑みはすぐに消え、声にも冷えた色が混じりはじめる。「おかしいと思わなかったか?なんで雅之が急に錦山を離れて、しかもずっと連絡してこないのかって」その言葉に、里香の表情もさらに冷たくなった。「それは彼の問題よ。私には関係ないわ」「はっ」月宮は小さく冷笑した。「関係ない、ねぇ……よく言うよ。俺はずっと、あんたら二人が揉めたり、傷つけあったりしてるのを黙って見てきた。口出しは一切しなかった。でも、雅之には何度も言ってきたんだ。本心から目をそらすなって。後悔するようなことはするなって。アイツもちゃんと変わろうとしてた。それくらい、あんたもわかってたろ?でも……お前、もう雅之のこと、愛してないんだろ?」月宮の視線が鋭く突き刺さった。その言葉に、リビングは一瞬、重い沈黙に包まれた。里香は何も答えなかった。「……そうか。もう本当に気持ちはないんだな」それ以上は追及せず、月宮は話を続けた。「だったら、雅之のこれからがどうなろうと、お前には関係ない。俺もこれからは、雅之のことでお前を巻き込むようなことはしない。今日ここに来たのは、かおるを連れて帰るためだ。戻るかどうかは、本人とちゃんと話して決めたいと思ってる」「彼女、会いたくないって言ってたわ」「それでも構わない。ここで待たせてもらうさ。恋愛ってやつはな、結局、腹割って話さなきゃ始まらない。誰も何も言わなかったら、口なんてあっても意味ねぇからな」その言葉に、里香の胸がわずかに揺れた。腹を割って話す――……そうだ、自分も雅之に、ちゃんと聞くべきなのかもしれない。少なくとも、彼に説明の機会くらいは与えるべきだ。その頃、二階の部屋では、かおるは、浴室から出てきた大柄な男を目にして、思わず目を見開いた。広い肩幅に引き締まった腰、はっきりと浮き出た筋肉のライン。短髪をタオルで拭うたびに、その腕の筋肉がぐっと浮かび上がり、ただ立っているだけでも圧を感じる。濡れて乱れた髪。額の下からのぞくその瞳は、どこか冷たく、じっとこち
かおるは彼をじっと見つめながら言った。「お兄ちゃん、それってどういう意味?私みたいに元気で可愛くて綺麗な妹が増えるのが嫌なの?」そう言いながら両手で頬を押さえて、ぱちぱちと瞬きをした。景司は淡々と笑いながら答えた。「俺は別に構わないけど、ある人はそう思わないかもしれないな」「え?」かおるはきょとんとした顔をしてから、すぐに里香の方を見た。すると、里香は両手を広げて「私は何も言ってないよ」と無言でアピール。となれば、「ある人」っていうのは……賢司しかいない。かおるは少し不満げに唇を尖らせた。だめだ、やっぱりちゃんと賢司に直接聞かなきゃ。どうしてそんなに私のことが嫌なの?その頃、秀樹と賢司の話し合いは、もう2時間近く続いていた。ふたりがリビングから出てきた時、階段の下で腕を組んで立っていたかおるの姿が目に入った。「おじさん、もう遅いですから、お休みになってください」かおるが声をかけると、秀樹は軽くうなずいて、「うむ、お前たちも早く休め」と言い、自室へと戻っていった。かおるはすぐに賢司の方へ向き直った。「賢司さん、ちょっとお話いいですか?」賢司は片手で袖を整えながら、ゆっくりと階段を降りてきた。すらりとした長身に整った顔立ち。気品と冷たさを醸し出しながら、無表情のままかおるを見下ろした。「用件は?」かおるはずばり聞いた。「私のこと、何か不満でもあるの?」「別にない」賢司はそう言って、かおるの横をすっと通り過ぎ、バーカウンターで水を汲んだ。かおるはその後を追いかけ、身を乗り出すようにして尋ねた。「じゃあ、私のことどう思ってるの?」「特に何も思っていない」かおるは内心、答えに戸惑いながらも、真正面からは聞けなくて、自分の指を軽く噛んだ。「それって……」「言いたいことがあるなら、はっきり言え」賢司の言葉にかおるは真剣な眼差しを向けた。「おじさんが私を養女にしたいって話してるのに、なんであなたは反対するの?」賢司は水を一口飲み、喉仏を上下させてから静かに答えた。「瀬名家には、娘はひとりで充分だ」はっきりそう言われてしまうと、さすがに言い返せなかった。かおるは悔しそうに賢司を睨みつけた。「……やっぱり、私のこと嫌いなんでしょ?」そう言い捨てて、そのまま踵を返し行っ
「えっ!?」かおるは彼女の話を聞いて、目を見開いた。聡が雅之の手下だったなんて……「ちょっと待って」手を上げて考え込みながらつぶやく。「東雲凛、東雲新、東雲徹、東雲聡……なるほど、全部繋がってたのね!」里香:「……」かおるはじっと里香を見つめ、「こんなに共通点があったのに、全然疑わなかったの?本当に?」里香は素直に首を横に振った。「うん」「はあ……」かおるは深いため息をついた。何て言ったらいいんだろう。雅之は答えを目の前に差し出していたのに、彼女は気づかなかった。聡を信じてたから?それとも、そもそも雅之のことを意識してなかったのかな?たぶん、両方なんだろう。かおるはそっと彼女を見つめ、「じゃあ今、雅之に怒ってるの?」里香は答えた。「怒っちゃダメなの?」かおるは顎に手を当てて考え込んだ。「もちろん怒っていいと思うよ。でもね、聡がそばにいたから、万が一のときすぐに見つけてもらえたんだし、前の一件も、結局は雅之が聡を通して助けてくれたんでしょ?ちゃんと考えてみたら、正しいとも間違ってるとも言いきれない気がするんだよね」里香は無言になった。かおるはそんな彼女の様子をうかがいながら、静かに言った。「里香ちゃん、一番つらいのは、彼が何も言わずにいなくなったことなんじゃない?何の説明もなく」里香は唇をぎゅっと噛んだ。「別に気にしてない」そう言って、立ち上がり、階段を上がっていった。「あっ!」かおるは慌てて後を追い、里香の顔を覗き込みながら言った。「ねえ、月宮に話してみよう?」「やめて!」里香はかおるを睨みつけ、「聞かないで。月宮にも言わないで。今は彼に会いたくないし、何も聞きたくないの」「わかった、わかった、話さないし聞かない。他のこと話そう!」かおるは彼女の感情が不安定な様子に気づいて、急いでそう言った。妊娠中の里香は気分の起伏が激しく、さっきまで笑っていたかと思えば、次の瞬間には泣き出すこともあった。だから、まわりの誰もが彼女の気持ちを気遣っていた。夜。秀樹、賢司、そして景司が帰ってきて、かおるの姿を見つけると嬉しそうに声をかけた。かおるの明るく飾らない性格はみんなに好かれていて、家族も彼女のことを気に入っていた。賢司は彼女の薬指に光る指輪をちらりと見て、表情を