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93.鍋パーティーは突然に

last update Date de publication: 2026-09-14 05:25:01

 11月も下旬に差し掛かり、街を吹き抜ける風はいよいよ冬の厳しい冷たさを帯び始めていた。

 夕刻。フルリールの店内は、暖房が効いてほんのりと花の香りが漂う温かい空間を保っている。

 本日の営業を終え、店のブラインドを下ろしてエプロンを外しながら、梓が意気揚々と声を上げた。

「みんな、今夜は鍋パしましょう!」

「……鍋パ、ですか?」

 箒で床を掃いていた和花が手を止め、目を丸くする。

 ゴミをまとめていた雄之助と、レジ締めを手伝っていた理聖も一斉に梓の方を振り向いた。

「これを、見なさい!」

 梓がドヤ顔でレジカウンターの上にドンッと置いたのは、みずみずしく立派な葉を広げた、巨大な白菜が三玉だった。

「さっき、常連さんが畑で採れたての白菜をくださったの。こんなに立派な白菜を見たら、これはもう日本酒……いえ、絶対に鍋パをしなきゃいけないっていう、熱い使命を感じてね!」

「梓さん、いま思いっきり〝日本酒〟って言ったッスよね……?」

 雄之助が呆れたようにツッコミを入れると、梓はパチンと可愛らしくウインクをした。

「あら、気のせいよ♡」

 相変わらずの梓の酒好きっぷりに、和花と理聖は思わず顔
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  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   181.身体が知っている

     監視カメラの死角を縫うように、理聖は音もなくビルの側面へと回り込んだ。  どこから内部へ侵入できるか。通用口のロック構造や、窓の配置を目で追いかけた瞬間だった。 ふと、奇妙な感覚が全身を駆け巡った。  頭では、こんな強固なセキュリティを施された建物への侵入方法など知らないはずなのに、身体が勝手に周囲の状況を読み取って動いているのだ。 遠くを走る車のエンジン音。風が吹き抜ける微かな響き。  警備員が巡回する規則的な足音。人の視線の動き。  誰にも見つからず、気配を完全に消して移動するためには、何を警戒し、どこへ身を隠せばいいのか。理聖の身体は、その最適解を瞬時に導き出していた。 記憶をすべて失っていても、かつて錦戸大翔に〝狂犬〟として骨の髄まで叩き込まれた潜伏の技術だけが、理聖の細胞に色濃く残っている。「……こういうことだけは、忘れていないんですね」 理聖は暗闇の中で、小さく自嘲するように呟いた。  昔の自分であれば、こうして夜の闇に紛れて敵の拠点に忍び込む目的は、標的の命を奪うためだったのだろう。何の感情も持たず、ただ命じられるままに刃を振るっていたはずだ。  でも、今は違う。(和花さんを、連れて帰る) ただそれだけだ。  誰かを傷つけるためではなく、愛する人を守り抜くために、この能力を使う。 理聖は小さく息を吐き出し、深く影の落ちた非常用扉のロックを特殊な手順であっさりと解除すると、滑り込むようにして建物内部へと潜入した。  ビルの内部は、一見するとどこにでもある一般的な企業と何ら変わりはなかった。  規則正しく並んだ事務机。消灯されたままの薄暗い会議室。静まり返った無機質な廊下。 理聖は、猫のようにしなやかな足取りで暗闇を移動していく。  時折、離れた場所から警備の人間が近づいてくる気配を感じ取れば、咄嗟に物陰や空き部屋へ身を滑り込ませてやり過ごす。  人の往来の規則性を読み、視線が向かない僅かな隙を突いて、理聖は一度も姿を晒すことなく奥へ奥へと進んでいった。 だが、上の階へ向かうにつれて、建物の纏う空気が少しずつ異質なものへと変わっていくのを感じた。  表向きのクリーンなオフィスエリアとは違う、重く張り詰めた空気。「……おい、そっちの様子はどうだ?」 「異常なしです。外の警戒も続けています」 廊下の角を曲が

  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   180.ここから先は僕ひとりで

     深夜のオフィス街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。 等間隔に並ぶ街灯の冷たい光だけが、人気のない無機質なアスファルトを照らし出している。 君代の運転するセダンは、綺麗に整備された中規模のオフィスビルの少し手前で、音もなく滑らかに停車した。「……ここよ」 ハンドルから手を離し、君代が窓の外へ視線を向けながら静かに告げた。 理聖は助手席に座ったまま、窓ガラス越しにその建物をじっと観察した。 ガラス張りのエントランス。整然と並んだ窓。どこからどう見ても、ごく普通のクリーンな一般企業にしか見えない。 本当に、こんな場所に暴力団が潜んでいて、若い女性を攫い込んでいるのだろうか。 外観だけなら、到底そんな恐ろしい噂の出所になるとは思えなかった。 ここに和花がいるという確証はどこにもない。 君代が近所で耳にしたという、単なる根も葉もない噂話に過ぎない可能性も十分にある。 それでも今の理聖にとっては、暗闇の中に垂らされた唯一の蜘蛛の糸だった。 どんなに僅かな可能性でも、今はそれに縋るしかない。「ありがとうございます。ここで結構です」 理聖がシートベルトを外し、ドアノブに手をかけた時だった。「待って」 君代が、ひどく不安そうな顔で理聖の腕に軽く触れた。「私も、一緒に行った方がいいんじゃないかしら。もし本当に怖い人たちがいたら、あなた一人じゃ……」 純粋に理聖を案じる、心優しい常連客としての申し出。 しかし理聖は、即座にそれを制止した。「いいえ。五十嵐さんは、このまま真っ直ぐご自宅へ帰ってください」「でも……」「ここまで連れてきていただいただけで、十分すぎるほどです。ただでさえ物騒な噂がある場所に、これ以上五十嵐さんを危険に巻き込むわけにはいきません」 理聖は、助手席から君代へ向けて深く頭を下げた。「本当に、ありがとうございました」 その真摯な言葉と眼差しを受け、君代はしばらく躊躇うような素振りを見せた。 やがて、小さくため息をつき、祈るように両手を握り合わせる。「……わかったわ。でも、絶対に無茶だけはしないでね。危ないと思ったら、すぐに警察を呼ぶのよ」「はい」 理聖は短く答え、車を降りた。 バタン、とドアが閉まる。 君代は運転席の窓から、冷たい夜風の中を歩き出す理聖の背中を静かに見送った。 真っ直ぐにビルへ

  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   179.心当たり

    「……いなくなった?」 君代の顔から、いつもの柔和な笑みがスッと消え去った。  理聖は焦燥に駆られた声で、手短に状況を説明し始めた。  閉店後の片付け中、ほんの少し目を離した隙に、和花が店から姿を消してしまったこと。  スマートフォンにかけても電源が入っておらず、まったく繋がらないこと。  フルリールの周辺をくまなく探したが見つからなかったこと。「和花さんは、自分から誰にも黙ってどこかへ行くような人ではありません。何か……事件に巻き込まれたんじゃ……」 理聖の口調には、誘拐の可能性を危惧する切実な響きが混じっていた。「警察には連絡したの?」 君代が当然の疑問として尋ねるが、理聖は苦しげに言葉を濁した。「……今の事情では、すぐに警察へは頼れない部分も多くて」 極道同士の因縁が絡んでいる以上、迂闊に表沙汰にするわけにはいかないのだ。「それに、雄之助くんや梓ちゃんには? あの子たちなら……」 「二人とも、まだ病み上がりで本調子じゃありませんから。まずは、僕ひとりで探そうと思って」 君代は両手で口元を覆い、痛ましそうに眉を寄せた。「まあ……そんな……」 表向きは、親しい花屋の女の子を純粋に心配する、気のいい常連客の顔。  しかし、その完璧な仮面の下で、君代の内心は一気に氷のように冷静さを取り戻していた。(佐伯和花が、消えた?) 君代は頭の中で、目まぐるしく情報を整理し始める。  和花は現在、深凪組と不破組の双方に絶大な影響を与える存在だ。  そして何より、自分たちの計画を完璧に遂行するための、最も重要な鍵でもある。  そんな彼女が、この緊迫した時期に偶然いなくなるはずがない。  誰かが、意図的に先に動いたのだ。 君代は即座に候補を絞り込む。  深凪側であれば、錦戸大翔が復讐の駒として和花を攫った可能性が考えられる。  だが、理聖の目の届くフルリールから、一切の物音も立てずに力ずくで彼女を連れ出すのは至難の業だ。  とすれば、和花自身がある程度警戒を解き、大人しくついていくような相手の方が遥かに自然。  そこで、君代の脳裏に一つの確信が閃く。(不破側の人間ね) 源蔵本人が直接動くとは考えにくい。  となれば、和花を守るという名目を掲げ、強引にでも彼女を安全な場所へ連れ去りそうな男は一人しかいない。 不破の若頭で

  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   178.すき焼きの卵

     フルリールから帰宅した五十嵐君代は、薄暗い仏間に足を踏み入れた。  コートを脱ぎ、静かに正座をして、買ってきたばかりの花束を丁寧に解く。  白や淡い紫を基調とした、上品で落ち着いた色合いの花々を、磨き上げられた花瓶へと美しく生け直した。  線香に火を灯し、チーンと澄んだ音を鳴らす。「今日も、綺麗なのを選んでもらったのよ」 君代は手を合わせながら、黒い縁取りのされた遺影に向かって、いつもの穏やかな調子で語りかけた。「あの子たち、本当に良いお花を揃えてくれるの。……ええ、そうね。もうすぐよ」 遺影に向かって微笑むその顔は、善良で愛情深い未亡人のそれにしか見えない。  だが、その瞳の奥には、何年もの間決して消えることのない、黒く重い復讐の炎が静かに燃え続けていた。 同じ頃。  仏間から少し離れた佐竹の自室では、ひんやりとした金属音が響いていた。 チャカッ、とスライドを引く乾いた音。  佐竹は机の前に座り、オイルの染み込んだ布で拳銃の銃身を入念に磨き上げている。  弾倉を確認し、引き金の感触を確かめる。  近いうちに必ず起きるであろう、不破と深凪の全面抗争。  その混乱に乗じて、錦戸大翔の命を確実に仕留めるため、佐竹は自室で着々と殺しの準備を進めていた。 仏壇へ綺麗な花を供える母親と、そのすぐ隣の部屋で銃の手入れをする息子。  家の中に立ち込めるそんな物騒な空気とは裏腹に、仏間を出た君代は、ふわりとエプロンを身につけ、ごく普通の主婦として夕飯の支度に取り掛かっていた。  キッチンには、今日フルリールの若者たちに差し入れたものとは別に、自家製の立派な野菜が並んでいる。  みずみずしい白菜、太い長ねぎ、香りの良い春菊。「今夜は、少し冷えるから……すき焼きにでもしましょうか」 独り言を呟きながら、手際よく野菜を切り分けていく。  お正月用に買っておいた、上質な霜降りの牛肉もまだ残っている。焼き豆腐としらたきもある。  これなら十分だわと頷き、君代は冷蔵庫の扉を開けた。「……あら」 ドアポケットを見て、君代は小さく首を傾げた。  すき焼きには欠かせないはずの、卵のパックが見事に空っぽになっていたのだ。「仕方ないわね」 君代はエプロンを外し再びコートを羽織ると、佐竹の部屋のドアを軽くノックした。「景、ちょっと足りないものが

  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   177.保護という名の監禁

    「理聖さんに、連絡させて。私が無事だってことだけでも……それだけでいいから!」 和花の切実な頼みに、蒼士は一瞬だけ口をつぐんだ。 瞳の奥に幼なじみに対する申し訳なさのような色が僅かに浮かび、小さく迷いが過る。 しかし――すぐに、首を横に振った。「……ダメだ」「どうして!?」「そんなことしたら、あいつがすぐにお前を助けに来るだろうが」 理聖が和花の居場所を正確に知れば、どれほど危険な状況であっても絶対に迎えに来る。「今は、深凪と不破がいつ衝突してもおかしくない時期だ。こんなピリピリしてる時に、深凪の若頭である久世が不破の拠点にのこのこ乗り込んできたらどうなる? 余計な火種を生むだけだろ」 蒼士の言うことは、極道という組織の論理としては極めて正しかった。 ここで理聖と不破組が衝突すれば、それこそ大翔の思惑通りになってしまう。「抗争が完全に片付くまでの辛抱だ。それまでは、ここから動くな」「蒼士!」「来い。部屋に案内する」 蒼士は和花の抗議をこれ以上聞く気がないらしく、ソファから立ち上がると、和花の腕を引いた。 当然、和花は強く抵抗し、腕を振りほどこうとする。 だが、蒼士の力に敵うはずがない。 応接室を出て、表のクリーンなオフィスエリアからは完全に隔離された、建物のさらに奥へ。 重厚な扉をいくつか抜け、静まり返った無機質な廊下を進んでいく。 やがて、一番奥にある重そうな鉄扉の前で蒼士が足を止めた。 そこは、不破組が組織の裏切り者や、逆に危険が迫っている重要関係者を一時的に匿うために使っている、特殊な保護室だった。 ガチャリと扉が開かれ、中へ押し込まれる。 部屋の中は、驚くほど簡素だった。 壁際に置かれた硬そうなシングルベッド。二人用ほどの小さなローテーブル。服を数着かけられる程度の最低限の収納。そして、奥にはトイレとシャワーだけが付いた簡易的なユニットバス。 ホテルほど快適ではないが、人が数日過ごすことは十分にできる空間だった。 ただし――和花が真っ先に確認したのは、その部屋の出口だ。「……まさか、本当に私をここに?」 信じられない思いで振り返ると、蒼士はすでに扉の外に立っていた。「食事は、下の者に定期的に運ばせる。必要なものがあればそいつに言え」「そういうことじゃないでしょ! 蒼士!」「大人しくしてろよ。……お

  • 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした   176.綺麗事では止められない

     固く握り締めた自分の拳を見つめたまま、和花はゆっくりと首を横に振った。「……約束なんて、できないよ」 静かだが、頑なな声だった。  蒼士の眉が不機嫌そうにピクリと動く。「理聖さんは、誰かと戦おうとしてるわけじゃない」 和花は顔を上げ、蒼士の目を真っ直ぐに見返した。「大翔さんを殺そうとしているんじゃなくて、暴走を止めようとしているだけなの。お父さんのことも、大翔さんのことも、もう誰も死なせずに済む道を探すって……そう約束してくれたわ」 だからこそ、理聖はたった一人で乗り込もうとしている。  大翔に自分の意志を伝え、これ以上の復讐を思いとどまらせるために。  和花は自分なりに必死に考え、ひとつの可能性にすがりつくように言葉を紡いだ。「だったら……私もその場にいた方が、話し合いがうまくいくかもしれないじゃない。私がいれば、お父さんだって無茶はしないはずだし……」 「ダメだ」  和花の必死の提案は、蒼士の冷たい一言によって即座に切り捨てられた。 「でも――」 「あんな狂った死神の親玉が、そんな生ぬるい綺麗事で上手くまとまる相手じゃねぇんだよ」  蒼士の気怠げな瞳に、底知れぬ恐怖と怒りが入り混じったような険しい色が浮かぶ。 「錦戸大翔って男は、まともな話し合いなんか通じるような奴じゃねぇ。自分の目的のためなら、身内の命すら平気で切り捨てるような異常者だ。お前が行ったところで、どうにかなるような次元の話じゃないんだよ」 それでも引き下がろうとしない和花を見て、蒼士は大きなため息をつき、ソファの背もたれに深く体重を預けた。「……もしどうしても行くってんなら、俺はお前をここから一歩も出さねぇぞ」 「……!」 和花は目を見開いた。「道端でいきなり誘拐しただけじゃ足りなくて、今度は私をここに監禁するつもりなの?」 キッと強い視線で睨みつける。  しかし、蒼士はその鋭い視線を正面から受け止め、まったく怯む様子を見せなかった。「そう思いたきゃ、好きに思え。何と言われようが、お前をあんな地獄に放り込むよりはマシだ」 相手が大翔である以上、一度殺し合いが始まればその場がどうなるか、誰にも予測はつかない。  たしかに、和花は佐伯家に代々伝わる古武術を幼い頃から厳しく叩き込まれている。普通の人間よりも遥かに自分の身を守る術を知っているし、並の

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