LOGIN朝食の席でも、リビングでも、玲は常に両親の機嫌を取り、父や母の言葉に熱心に耳を傾けていた。俺が話しかけても適当な返事をするか、時には露骨に無視されることもあった。
「お父様がお好きそうな新しい茶葉を見つけましたのよ」
「お義母様、最近お疲れのようでしたからリラックス効果のあるアロマを買ってきました。」そうやって玲の言葉はいつも両親に向けられていた。両親からの評価はうなぎ上りだった。俺が少しでも父と母に近づこうとすれば、玲が素早く間に入り俺を遠ざける。いつしか、俺は家の中でも自分の居場所を失ったような気持ちになっていた。
結婚した当初から玲との夫婦関係は冷え切っていた。俺の会社の副社長になり、俺の実家一条家の本邸に住む玲だが、まるで最初から自分の所有物だったかのように当然と言わんばかりの我が物顔でいる。会長である父や母の前では猫を被ったように健気で献身的な嫁を演じているが俺や社員の前では、傲慢な暴君だった。
玲は本当に俺のことが好きだったのか? もしかして俺ではなく、興味があったのは『一条家』という家柄だけだったのではないか?
華が財産目的で俺に近付いたと言っていたが、本当は玲自身のことだったのではないか? と疑念が渦巻く。その他の出来事も玲が何か裏で手を回したのではないかとさえ、考えるようになっていた。
俺の心が玲への不信感で満たされていく。玲の顔を見るたびに、裏切られたような騙されたよう
華side「華さん、来週の火曜日ですが協会の懇親会があるのですが良かったら参加してみませんか?」「私が行ってもいいのですか?是非参加してみたいです。茶道界の皆様にご挨拶させていただきたいです」「ええ、もちろん。それでは一緒に行きましょう。昼前には終わるのですが、この後、どこかでランチでもしませんか?」「大丈夫です。楽しみにしています」「良かった。それではよく行く店があるので聞いてみますね」講師となって一か月が経ち、北條先生に誘われて懇親会に参加することになった。協会の集まりで、茶道界のトップを君臨する人たちも参加するらしく、茶道の講師として、その場に居合わせることが出来ることに私は心から感謝をしていた。――――当日、懇親会の会場である都心の高級ホテルのロータリーで待ち合わせをしていると、たくさんの着物をきたご婦人たちがタクシーから降りて来ている。その中に、茶色の落ち着いた訪問着姿の北條先生の姿があった。男性というだけで珍しいが、若くてモデルのようなルックスの北條先生は、有名人のようで到着するや否や多くの人に囲まれていた。「華さん、お待たせしました。お着物素敵ですね、よく似合っ
華side「実は、事前に師匠に神宮寺さんの印象を尋ねたんです。事前に伺っていた通りの方だ。あなたの指先と背筋から並々ならぬ『気品』と『優雅さ』を感じます。この気品と優雅さは、茶室でお客様を魅了するための神宮寺さんだけが持つ魅力になります。」「気品と優雅さですか?恐れ多いですが、先生にそう言っていただけると大変嬉しいです。ありがとうございます」ハンカチで口元を隠し少し俯いた私に、北條先生は再びにこやかに笑いかけた。そして、今度は緊張をほぐすかのように明るい口調で言った。「あとずっと気になっていたのですが、そのほくろ……」「え?」北條先生は私の目元をじっと見つめている。「神宮寺さんも目元にほくろがあるなと思いまして。私も左目のここらへんかな、ほくろがあるんです」彼は、微笑みながら指で指した。その辺りを見ると、彼の穏やかな目元に小さな黒いホクロが見える。「私も左目の下にあるので、場所も同じですね。」「奇遇ですね。左目下のホクロは、『泣きぼくろ』と言って、人を引きつける力があって、感情表現が豊かで相手の気持ちに寄り添う優し方が多いようですよ。神宮寺さんは、
華side「神宮寺華さんですか?はじめまして、北條湊(ほうじょう みなと)です。」「初めまして。本日はお忙しい中、ありがとうございます」この日、茶道の師匠の弟子である北條先生とホテルのラウンジで顔合わせをした。北條先生は、艶のある黒髪と、微笑むと左頬に出来るえくぼ、甘いルックスと周囲の喧騒を和らげるような穏やかな雰囲気が印象的な男性だった。男性で茶道の道を選ぶ人は少なく、師匠曰く、茶道会の将来を担う期待の新星として注目されているらしい。(師匠は、私にピッタリだと言っていたけれど、何を持っていっているんだろう?年齢?)北條先生の方が二つ年上だが、茶道は年齢層も幅広いため同世代と会うことは珍しい。歳が近くて話が合うと言いたかったのだろうか。注文したコーヒーが届いて一口飲んでから、北條先生はゆっくりと口を開いた。彼の所作一つ一つが無駄なく洗練されていて美しく、私は先生の動き一つ一つに見惚れていた。「最近、茶道に興味を持ってくれる方が増えたのは嬉しいのですが、自分ひとりでは手が回らなくなってきまして。神宮寺さんを紹介してもらって、本当にありがたいです」北條先生は言葉を選びながら謙虚に話す。教室が盛況なのは単に技術だけでなく、この人柄によるところが大きいのだろう。
華side子どもたちが小学校に入学し生活のリズムが整ったことで、私も週に数日仕事をするようになった。小さい頃からずっと習っていた茶道は、大学在学中に講師の資格を取得しており、教室を開いて教えることが出来る。茶室は静かで心が落ち着く空間だ。将来は、独立して茶道教室を行うことも可能で、子どもを育てながら自分のペースでキャリアを築きたい私にはぴったりだった。しかし、茶道の道から離れて十年以上が経っており、いきなり教室を開くことは躊躇したため、まずは現状を知ろうと習っていた師匠に久々に連絡を入れた。「まあ、華さん。お久しぶりね。お元気だったかしら?どうされているか心配していたのよ」「ご無沙汰しております。連絡が遠のいてしまってすみません。実は、結婚して子どもが産まれまして……」「そうなの、おめでとう!お子さんはおいくつになられたの?」「はい、今年七歳になり、四月から小学校に入学しました。それで、茶道をまた再開したいと思いまして。先生のお教室は今もやっていらっしゃいますか?」「それがね、三年前に引退したの。今でも趣味で楽しむことはあるけれど、教室はやっていないの。でも、良かったら今度子どもたちを連れて遊びに来て頂戴。お茶をたてるわ」教室のことを尋ねる
瑛斗side「え、ちょっと、おい!今日だったのか!」「瑛斗、何?どうしたの?」朝一番で空に用事があって社長室に来てもらっていたが、華から届いた子どもたちのランドセル姿に、思わず大きな声で独り言を放った。「ちょっとこれ見ろよ。華から連絡来たんだけど、今日、子どもたち入学式のようだ」空は驚いた顔で俺を見てきたので、自慢げに慶と碧の顔を拡大して見せつけた。「本当だ。二人とも大きくなったね。華さんに似て美男美女だ」「おい!!俺にも似ているだろ。碧なんて、俺が小さい頃にそっくりじゃないか!」華に一緒に暮らすことを断られたのはショックだったが、まだ諦めていない。父に言われた会社のことなどすべての問題を片付けたら、俺からもう一度華のところへ行って、想いを告げるつもりだ。「瑛斗も諦めが悪いね、『一緒になることは望んでいない』って華さんに断られたんじゃないの?」「それは、華の本心じゃない!……少なくとも俺はそう思ってる!」「それを諦めが悪いって言うんだけどな…
華side「華、慶くん、碧ちゃん――――」校門を出て駅に向かって歩いていると、声を掛けられた気がした。辺りを見渡すと、そこにはスーツ姿の瑛斗が立っていた。「瑛斗?どうしたの?仕事は?」「いや、二人が入学したって言うからお祝いしたくて。これ……」瑛斗は、近くの店で買ったらしい白いケーキの箱を子どもたちに手渡した。その瞬間、子どもたちは、慣れない式典と緊張で一気に疲れた顔から笑顔を取りもどしてはしゃいでいた。「この前、二人がチョコケーキとフルーツタルトが好きって聞いたから、急いで買ってきたんだ。あと華の分でチーズケーキも入ってる」「ふふ、ありがとう。」「瑛斗、ありがとう!ねえ、今日これから遊べる?」慶がねだるように瑛斗の手を掴んで上目遣いで言うと、瑛斗は困った顔をして慶に視線を合わせて頭を撫でていた。彼のネクタイには、一条グループのエンブレムが光っている。「ごめんね、今日は仕事ですぐに戻らなくちゃいけないんだ。みんなは車でおうちに帰るの?」「ううん、学校にはお