結婚してからの玲の変わりようは凄まじかった。まるで別人になったかのようで俺は戸惑いを隠せずにいた。玲が海外から帰国した日、俺の元へ泣きながら駆け寄ってきた時のことを今でも鮮明に覚えている。
「私、ずっとずっと瑛斗のことが好きだったの。それなのに、お姉ちゃんに騙されて海外に行くことになった。私、本当は別れたくなかったの」
玲は涙ながらにそう訴えた。
高校の時、俺が卒業する直前に玲から突然別れを告げられた。理由は『大学進学したら環境が変わって、今までのように逢えなくなるから』というなんとも曖昧なものだった。何を言っても聞かない玲を見て、俺は本当は別の理由があるのだと思っていた。結局、その真相は分からないまま俺たちの関係は終わりを告げたのだ。正直なところ、帰国した玲の話を聞いて高校の時に玲が別れを告げた理由は華が原因だと考えていた。妹を欺いて海外に行かせるような真似をする女性なら、玲に俺と別れるよう仕向けることも気にせずやってのけるだろうと、勝手に決めつけていた。
玲は帰国してからも頻繁に俺のオフィスに顔を出し、「瑛斗とやり直したい」と懇願し続けた。しかし俺が相手にしないでいると、今度は華の不貞と失踪を材料に自身の両親と俺の両親にアピールをするようになった。華が別の男の子どもを身ごもり、一条家を裏切ったと、涙ながらに訴える玲の姿を両親は信じ込んでいた。
華の妊娠が分かり、DNA鑑定を受けることになった時も、玲は俺のそばに寄り添い涙ながらに「私が瑛斗のことを支えたい」と献身的に語っていた。
朝食の席でも、リビングでも、玲は常に両親の機嫌を取り、父や母の言葉に熱心に耳を傾けていた。俺が話しかけても適当な返事をするか、時には露骨に無視されることもあった。「お父様がお好きそうな新しい茶葉を見つけましたのよ」 「お義母様、最近お疲れのようでしたからリラックス効果のあるアロマを買ってきました。」そうやって玲の言葉はいつも両親に向けられていた。両親からの評価はうなぎ上りだった。俺が少しでも父と母に近づこうとすれば、玲が素早く間に入り俺を遠ざける。いつしか、俺は家の中でも自分の居場所を失ったような気持ちになっていた。結婚した当初から玲との夫婦関係は冷え切っていた。俺の会社の副社長になり、俺の実家一条家の本邸に住む玲だが、まるで最初から自分の所有物だったかのように当然と言わんばかりの我が物顔でいる。会長である父や母の前では猫を被ったように健気で献身的な嫁を演じているが俺や社員の前では、傲慢な暴君だった。玲は本当に俺のことが好きだったのか? もしかして俺ではなく、興味があったのは『一条家』という家柄だけだったのではないか?華が財産目的で俺に近付いたと言っていたが、本当は玲自身のことだったのではないか? と疑念が渦巻く。その他の出来事も玲が何か裏で手を回したのではないかとさえ、考えるようになっていた。俺の心が玲への不信感で満たされていく。玲の顔を見るたびに、裏切られたような騙されたよう
結婚してからの玲の変わりようは凄まじかった。まるで別人になったかのようで俺は戸惑いを隠せずにいた。玲が海外から帰国した日、俺の元へ泣きながら駆け寄ってきた時のことを今でも鮮明に覚えている。「私、ずっとずっと瑛斗のことが好きだったの。それなのに、お姉ちゃんに騙されて海外に行くことになった。私、本当は別れたくなかったの」玲は涙ながらにそう訴えた。高校の時、俺が卒業する直前に玲から突然別れを告げられた。理由は『大学進学したら環境が変わって、今までのように逢えなくなるから』というなんとも曖昧なものだった。何を言っても聞かない玲を見て、俺は本当は別の理由があるのだと思っていた。結局、その真相は分からないまま俺たちの関係は終わりを告げたのだ。正直なところ、帰国した玲の話を聞いて高校の時に玲が別れを告げた理由は華が原因だと考えていた。妹を欺いて海外に行かせるような真似をする女性なら、玲に俺と別れるよう仕向けることも気にせずやってのけるだろうと、勝手に決めつけていた。玲は帰国してからも頻繁に俺のオフィスに顔を出し、「瑛斗とやり直したい」と懇願し続けた。しかし俺が相手にしないでいると、今度は華の不貞と失踪を材料に自身の両親と俺の両親にアピールをするようになった。華が別の男の子どもを身ごもり、一条家を裏切ったと、涙ながらに訴える玲の姿を両親は信じ込んでいた。華の妊娠が分かり、DNA鑑定を受けることになった時も、玲は俺のそばに寄り添い涙ながらに「私が瑛斗のことを支えたい」と献身的に語っていた。
ある夜のことだ。父が俺に、会社の経営について厳しい口調で意見を言ってきた。最近の業績不振や、社員の離職率の高さについてだ。それは、玲が副社長になってから顕著になった問題だった。しかし、玲は父の隣でまるで俺の無能さをあざ笑うかのようにこう言った。「お父様、瑛斗さんはお疲れなのでしょう。最近は顔色も優れませんし、無理をさせないで差し上げてはいかがでしょう?私が副社長としてもっと頑張りますので。瑛斗さんが不在でも会社が円滑に回るよう、私が日常業務の最適化を図り経営環境を整えます」玲は、俺を庇うような体裁を取りながら、父の前で俺を貶め自分を上げる。その言葉は、俺の社長としての権限を玲が掌握しようとしているように聞こえた。「玲さんがいてくれるから助かるよ。玲さんには会社全体の業務フローを見直し、無駄をなくしてくれ。玲さんが中心となって一条グループの経営効率を最大限に高めて、瑛斗が本来集中すべき大局的な判断ができるよう環境を整えてくれないか」「分かりました。お父様の期待に応えられるように精一杯頑張ります。」父は玲に対して優しく声をかけ、さらに具体的な決定を下した。その瞬間、俺の心に冷たい風が吹き抜けた。父は、玲の言葉に何の疑いも抱かず、むしろ俺よりも玲を信頼しているようだった。俺の社長としての役割が実務面から切り離され、玲がその中心に据えられたのだ。こうして俺は家の中でも居場所を失いつつあった。
華がいなくなってから二年。俺は玲と結婚したが、新居に玲が選んだのはまさかの一条家の本邸だった。結婚当初、玲は「ご両親と一緒に暮らすことで一条家の伝統を学びたい」と殊勝に語っていた。両親は最初は驚いていたが、自ら申し出る玲の誠意を汲み取り感心していた。しかし今となっては、俺には玲が一条家を内側から支配しようとしているとしか思えなかった。玲は俺の予想を遥かに超える勢いで、両親、特に父の懐に入り込んでいった。華が家を出ていったことをしばらく俺が隠していたことで、華の父・神宮寺家から連絡が入り、寝耳に水だった父は大恥をかいたと激昂していた。それ以来、父と俺の間には深い確執が生じている。父は一条家の名誉を重んじる人間だ。華が出ていった理由は、他の男との不貞という玲の言葉を信じ、その事実を隠していた俺の行動を許していなかった。また自分の妻の不貞にも気づかずに家を出ていかれた情けない息子と思われていた。「瑛斗、お前は一条家の名に泥を塗るつもりか。都合が悪くなると隠ぺいするとは何事だ」そう言われるたびに、俺の心は刃物で切り裂かれるような思いだった。DNA鑑定の偽造があったことも、まだこの時の俺は気づいていなかった。父の冷たい視線が俺を常に追っていた。食卓でも、書斎でも、父は俺を避けるように玲とばかり話すようになった。「玲さん、今日の茶菓子は珍しいものですね。どこで手に入れたのですか」
「実は玲が副社長になってから、社内で社員が大量に退職しているんだ。特に女性社員の離職率や、中堅の若い世代の離職率が著しく高い。しかも、玲が直接かかわる部門の離職率が異常なんだ。空が教育してくれた優秀な社員たちの中にも、お前がいなくなってから退職したやつもいる」俺の声には、焦りと社員たちへの申し訳なさが滲んでいた。「そうか……それはかなり気になるね」空の声にも緊張感が走るのが分かった。「社内では、ハラスメントに近い嫌がらせが行われているという噂もある。だが、第三者からの話だけでは状況証拠にしかならない。決定的な証拠が掴めないんだ。できれば、離職者から話を聞いたり、ほかに玲の悪事を示す具体的な理由や証拠が見つかればと思っている」俺の言葉に空は静かに耳を傾けていた。「分かった。まず離職者のリストを送ってくれるか?確認するよ」その言葉に俺は安堵した。やはり、空しかいない。「ああ、助かる。それと、もう一つ頼みがあるんだ」俺は深呼吸をして、最も重要な本題を切り出した。「N子会社を親会社の一事業部として吸収合併する予定だ。その準備が整えば、空、お前を本社に戻す。
社員たちの顔からは生気が失われつつある。特に玲が直接関わる部門では社員の離職率が異常なほどに高まっていた。俺は、このままでは会社が壊れてしまうという危機感に日々苛まれていた。「このままではどちらにせよ、俺の代で会社が衰退してしまうかもしれない。」玲の支配が日に日に増して強まっていく中で、俺は悩んだ末に決意を固めた。玲の脅迫の言葉が頭の中で反響する。玲に逆らえば、一条家も、そして俺自身も破滅しかねない。しかし、このまま彼女の言いなりになって大切な社員たちを見殺しにするわけにはいかない。(この状況を打破するためには一人では難しい。信頼できる協力者が必要だ。一条家の人間ではないが、会社の状況を深く理解しており、何より頭の冴える存在……。)俺の脳裏に、ある人物の顔が浮かんだ。その日の夜、意を決して久しぶりにその人物に電話を掛けた。受話器から聞こえてきたのは、あの時と変わらない穏やかで落ち着いた声だった。「もしもし、久しぶりだな。調子はどうだ?元気にやっているか?」数秒の沈黙の後、彼の声が返ってきた。「ああ、瑛斗。久しぶり。おかげさまで元気だよ。こっちは規模も小さいからね、伸び伸びやらせてもらっている」