Se connecter二十二歳の誕生日、家族全員のスマホ画面に突然、一つの投票ページが現れた。 【深沢杏奈(ふかさわ あんな)と引き換えに、もう一つの世界の深沢知世(ふかさわ ともよ)を取り戻しますか?】 父も母も「賛成」に票を入れた。 二人は言った。姉は事故で亡くなった、その後に生まれたのが私なのだ、と。 だから私は姉に命を一つ借りているのだと。 最後に、その投票画面が木島湊(きじま みなと)のスマホに表示された。 湊は五年間付き合ってきた私の恋人。そしてかつて、姉に命を救われた人でもある。 私は彼を食い入るように見つめた。 彼が一言でも「嫌だ」と言ってくれさえすれば、私はまだ耐えられる。 けれど、湊は長いあいだ黙り込んだ末、こう言った。 「これはただのテストだ。 昔、あの人に命を救われた。助けないわけにはいかない」 次の瞬間、彼は「賛成」を押した。 【全員の選択が完了しました】 【深沢杏奈は五日後、入れ替えが完了します】 母はほっと息をつき、私の頭を優しく撫でた。 「杏奈、いい子ね。お姉ちゃんが戻ってきても、ママはあなたのことを忘れないから」 私はそんな家族を見つめながら笑った。 「うん、いいよ。 戻ってくるのが、本当にあなたたちの望んでるお姉ちゃんだといいね」
Voir plusこっちの世界に来て三日目、元の家族から通話申請が届いた。アプリの画面が表示される。【母親、父親、木島湊から面会の申請があります】【接続しますか?】私は窓辺に座り、新しく迎えた茶トラを膝に抱いていた。陽射しが手の甲に落ちる。もう身体が透けることもなければ、カウントダウンが表示されることもない。結衣さんはリンゴの皮を剥いていた。通知に気づくと、ほんの一瞬だけ手を止めた。「杏奈、自分で決めていいのよ」直人さんも温かいミルクを持って部屋から出てきた。「会いたいなら、俺たちも一緒にいる。会いたくないなら、誰にも無理強いさせない」私は画面に目を落とした。申請一覧の一番下には、知世の名前もあった。私は、彼女から届いたものだけを開く。そこには戻ってきてほしいという言葉はなかった。ただ、数行のメッセージだけが残されていた。【杏奈、ごめんね】【私からちゃんと伝える】【私たちは、どっちも誰かのための道具じゃないって】【先生が言ってくれたの。私は悪い子じゃないって】【杏奈だって、誰かの代わりじゃない】目の奥が少しだけ熱くなった。私は返信した。【お姉ちゃんも、強く生きてね】それから、元の家族からの面会申請を拒否した。画面が消える。結衣さんは、どうして拒否したのかとは聞かなかった。剥いたリンゴを食べやすい大きさに切り、私の手元へ置く。「今日、海に行ってみる?」私は顔を上げた。急に喉がかすれた。「行ってもいいの?」直人さんがすぐに答えた。「もちろん。車のガソリンも満タンにしてあるぞ」その頃、元の世界の深沢家では、面会を拒否されたという表示が、いつまでも画面に残っていた。母は床に崩れるように座り込んでいた。髪はぐしゃぐしゃに乱れている。「あの子、ママにも会ってくれないの」知世はソファの隅で膝を抱えていた。「ずっと見てたよ。二人が見てなかっただけ」父は一晩中眠っていなかった。たった一夜で十歳も老け込んだように見える。残された資料をめくっているうちに、父は気づいた。私の名前が、一ページずつ消えていっている。卒業証書からは名前の部分だけが消えた。運転免許証の写真も、灰色の影になっていた。家族のグループチャットからは、『知世の器』という表示すらなくなっ
父がパラレルワールド研究センターのホームページの入口を見つけた時には、もう深夜だった。母はパソコンの前に張りついたまま、目を真っ赤にしていた。父が『深沢杏奈』と私の名前を入力する。ページは長いあいだ読み込みを続けた。やがて、赤い文字が表示された。【元の世界での親族関係は解除されています】【入れ替え対象者本人が、撤回権を自ら放棄しました】【呼び戻すことはできません】母は何度も何度もページを更新した。指でキーボードを叩く音が響く。「そんなはずないわ。あの子は私が産んだのよ。どうして呼び戻せないの?」サイトの画面は冷たく、同じ答えを繰り返した。【親族アンカーは切断されています】【元の家族に申請権限はありません】父が勢いよく湊を振り返った。「お前がやってみろ。杏奈が一番大切にしてたのはお前だ」湊は手が震えて、まともにスマホを持つことすらできなかった。自分のアカウントを入力する。画面が明るくなる。【参加者木島湊は、入れ替えに同意済みです】【呼び戻し権限はありません】湊はその文字を見つめたまま、膝から力が抜けた。壁にもたれ、そのままずるずると床へ座り込む。両手で目を覆い、肩を激しく震わせた。その時、母が突然、あの動画を思い出した。「杏奈が撮った動画、あの子、知世に『おかえり』って言ってた」震える手で動画を開く。画面の中の私は顔色が悪く、口元も不自然に強張っていた。【お姉ちゃん、おかえりなさい】【でも私は、この家族はもういらない】母の手から力が抜けた。スマホが絨毯の上に落ちる。その瞬間、アプリに突然、別世界の映像が映し出された。画面の中で、私は別の食卓についていた。結衣さんが私にスープをよそう。「パクチーは入ってないからね」直人さんはエビが乗った皿を遠ざけた。「杏奈はこれ、アレルギーだろ。パパが向こうに置いておくからな」私の膝の上には、一匹の茶トラが寝そべっていた。尻尾がゆっくりと、私の袖を撫でている。私は俯き、小さく笑った。ほんのわずかな笑みだったが、もう震えてはいなかった。元の世界の母が、勢いよく画面にすがりついた。「杏奈!」私には聞こえない。結衣さんは何かを感じ取ったように、スープを私のほうへ寄せた。「もう少し食べて。痩
両親はようやく気づいた。自分たちが取り戻した知世は、思い描いていた「深沢知世」ではなかった。白いワンピースを着て写真を撮ろうとはしない。ケーキの前に座って笑うこともない。湊を親しげに呼ぶこともなければ、用意された料理を黙って食べることもない。突然抱きしめられるのを怖がる。香水の匂いも嫌う。カーテンは全開にできず、テレビの音量も大きすぎてはいけない。最初のうち、母はまだ辛抱強く宥めていた。「知世、向こうの世界でつらい思いをしてたのは分かってるわ。でも、少しずつ慣れていかないと」知世は耳を塞ぎ、クッションに顔を埋めた。「私はずっとこうだった。私に慣れようとしなかったのは、二人のほうだよ」母の表情が強張った。反論しかけたものの、「自閉スペクトラム症」という言葉を思い出したのだろう。昔、母は診断書を隠した。医師から渡された支援プログラムの資料も捨てた。子供が病気なわけがない、甘やかされてわがままになっただけだと言って。今、その知世が目の前に座っている。爪を手の甲に食い込ませ、何本もの赤い傷を作りながら。母が止めようと手を伸ばすと、知世は悲鳴を上げた。父はベランダで、一晩中たばこを吸っていた。翌日、父は私の部屋を漁り始めた。日記やマイナンバーカードや、写真を探していた。けれど、私の部屋はもう、二人の手ですっかりピンク色に作り変えられていた。手帳はない。集めていたカードもない。賞状もない。机の隅に貼ってあった、『今日も深沢杏奈でいよう』というシールさえ、母が自分の手で剥がしてしまった。母はゴミ箱の前に膝をつき、中を必死に探したが、ゴミはとっくに回収されていた。最後に見つかったのは、半分ほど破れた古い落書き帳が一冊だけ。その中に、一枚の付箋が挟まっていた。【今日はママにお姉ちゃんに似てるって言われた】【だから今日はいい日だった】母は口元を手で覆った。喉の奥から、かすかな泣き声が漏れる。湊がやってきた時、知世は窓辺で震えていた。湊は、私が書いたあのノートを手にしながら、知世へ近づこうとする。「知世、怖がらなくていい。杏奈が書いてくれたんだ。俺は胃が弱いから、冷たいものは飲めないって」知世はそのノートを見た瞬間、涙をこぼした。「杏奈は、あなたまで差し出したの?」
知世が戻ってきて三日目。深沢家は、もう限界を迎えていた。知世は、私が使っていたベッドで眠ろうとしなかった。香水の匂いがする、シーツのピンク色が目に痛いし、照明が明るすぎる、と。母が電気を消すと、今度は頭を抱えて震え出した。苛立った父が、リビングの照明をつける。「じゃあ、一体どうしてほしいんだ?」知世は壁際で小さく身体を丸めた。呼吸がどんどん速くなっていく。「大きな声、出さないで、耳が痛い」母は焦り、涙を流した。「知世、ママがあなたを連れ戻したのは、あなたを苦しめるためじゃないのよ」知世が顔を上げた。「苦しめるつもりがなくても、苦しいの」その言葉がこぼれた瞬間、母の泣き声が止まった。まるで初めて、その言葉を聞いたかのようだった。夕食には、母は海鮮料理とパクチー入りのステーキを作った。「小さい頃、好きだったでしょう?」知世は匂いを嗅いだだけでえずいた。顔は紙のように真っ白になっている。「これ、食べたくない。匂いがきついって、何度も言った」父の箸が宙で止まった。「でも、お前は小さい頃……」知世が遮った。「小さい頃は、好き嫌いするなって言われた。吐いたら、わがまま言うなって言われた」隣に座っていた湊の手の甲に、青い血管が浮き上がった。水を渡そうとしたのだろう。けれど、彼が近づいた瞬間、知世はすぐに後ろへ下がった。コップが床に落ちて割れる。知世は頭を抱え、突然甲高い声を上げた。「押さないで!ろうそくを買いに行かせないで!」リビングが一瞬で静まり返った。母の顔から、少しずつ血の気が引いていく。「ろうそく?」知世の唇が激しく震えていた。「八歳の誕生日の日、二人が喧嘩してた。ケーキにろうそくがないと見栄えが悪いって。私は外は車が多くて怖いって言った。パパは、いつまでも変な子みたいにしてるなって言った。ママは、買ってこられないなら帰ってこなくていいって言った」父の手が固まった。あの日の雨音が、まるで全員の耳元で蘇ったかのようだった。知世は膝を強く抱きしめた。「街灯が眩しかった。車のクラクションがうるさかった。私は耳を塞いで、道路のそばに立ってた。誰かがどけって叫んでたけど、よく聞こえなかった」だんだん息ができなくなっていく。母