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第18話

Auteur: 几時
静乃は通りかかった車を呼び止めて乗り込み、冴木家の住所を告げて運転手を急かした。

しかし運転手はのんびりとハンドルをいじるばかりで、車は一向に動き出さなかった。

「運転手さん?」

静乃がさらに促した。

だが、運転手はまるで聞こえないふりをして、静乃を無視し続けた。静乃が車を降りて別の車に乗り換えようとしたそのとき、車窓が外から二度、コンコンと叩かれた。顔をのぞかせたのは見覚えのある男――律真の側近だった。

静乃は不快そうに眉をひそめて窓を下げた。「律真はもう帰っていいって言ったはずよ。これはどういうつもり?」

視線の隅で運転手を一瞥した瞬間、すべてを悟った。

この運転手も律真の仲間なのだ。

「律真社長から、これを渡すようにと」男は丁寧に小さな箱を差し出した。静乃がそれを受け取ると同時に、運転手は急にアクセルを踏み込み、車は勢いよく走り出した。揺れに身を委ねながら、静乃はゆっくり蓋を開けた。

一目見た瞬間、思わず悲鳴をあげてしまった。

手から滑り落ちた箱が鈍い音を立てて床に転がった。

静乃は口元に手を当て、目を大きく見開いた。

箱の中には切り落とされた指が一本入っていた。

その指には指輪がはまっていて、ついさっき自分が触れたあの男の手のものだとわかった。

恐怖と罪悪感が一気に押し寄せ、視界が滲んだ。大粒の涙が頬を伝い、肩が小刻みに震えた。運転手はバックミラー越しに、終始その様子をじっと見ていた。

静乃はわかっていた。自分が車を降りたら、この運転手は今のことをすべて律真に報告するだろう。

だが、もはや律真がどう反応しようと構わなかった。

今はこの狂った男から離れたい。

できるだけ遠くへ。

車が冴木家の門の前で止まると、静乃は逃げるように外へ飛び出した。遠くから、玄関先に立つ蓮司の姿が見えた。

蓮司は静乃の顔色の悪さに気づき、慌てて駆け寄った。彼は彼女を支えながら身体を見て、突然顔色を変えた。「その血はどうしたの?すぐに医者を呼ぼう」そう言って有無を言わさず彼女を抱き上げ、そのまま階段を駆け上がった。

その時、静乃はようやく自分の服に血がついていることに気づいた。

あの切断された指の血だろう。

蓮司が医者を呼ぼうと声を張り上げかけた瞬間、静乃は慌ててその口を手で塞いだ。

「待って……今は呼ばないで」

二人は寝室に入り、静乃
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