か、片思いって……。 そんなこと、言われると照れますよ、係長……。 『と、とにかく僕は僕のできることをするつもりだよ。覚悟しておいてね』 電話先で係長も恥ずかしそうにしている様子が、声のトーンで伝わってきた。 あと前の会社のひとたちとの飲み会は今週末で決定した。送別会に再就職祝いも兼ねている。 「待ったか?」 係長の電話を切ると同時に龍太郎がやってきた。 「ううん、全然待ってないよ」 またみんなに会えるのが嬉しくて、つい頬が緩む。 「なんだ? ご機嫌だな……」 龍太郎が訝しんできた。 「今週、みんなで飲み会なんだ~。楽しみ~」 私はルンルン気分で答えた。 今日は作ったことがないコロッケにチャレンジするんだ。 あとできちんと、レシピを見ておかないとな。 そんなことを考えていた。 「おまえ……、また田村に会うのか?」 龍太郎の少しとがった声がした。 「え? ああ、うん。そうだけど、みんなも一緒だよ?」 私は右に並んで歩く、龍太郎の横顔を見上げた。 「……おまえ、二人きりに絶対になるなよ」 「なんで、なるわけないじゃん。そもそもこれは会社のみんなとの飲み会だから」 「おまえに三十分ごとに電話するからな」 久々に龍太郎の顔が魔王になっていた。 その表情はダークで、瞳は闇の力を誇示するかのような、妖しい光を放っていた。 「え? 怖っ。やめてよ」 「冗談だ。だけど、その日はおれの家に帰ってこい。必ずだ。破ったら許さないからな」 え? 声のトーンがパイプオルガンの最低音より低いんですけど……。 「……龍太郎、この際だからはっきり言うね……。私と龍太郎じゃ、どう考えても、釣り合わないよ……」 ツラい……。けど、そんなの誰が見ても一目瞭然だ。 「……なんで、そんなことを言うんだ?」 龍太郎の眉根に皺が寄る。 「だって、龍太郎は見た目もだけど、家柄も、職業も私とはまったく身分違いっていうか。ね? 龍太郎の家族も納得しないよ?」 涙が出そうだけど、これ以上、好きになったら私が壊れる。 「……おれには親が決めた婚約者がいる。だけど、おれはそいつにまったく興味がない」 えぇえ? 婚約者がいるの?? うそ……。 ショックで私の鼓動が早くなる。 「おれが興味
『え~、そんなことがあったの⁉︎ 大変だったね、雪音さん』 「そうなんですよ〜。今、やっと落ち着いたところです」 係長から少し前に着信が入っていたので、私は今、病院の外で係長と電話で話をしている。 龍太郎はというと、産婦人科の先生と話をしている。日菜の赤ちゃんの状態を聞いているのだろう。 絢斗は今、日菜の病室にいるはずだ。お腹の赤ちゃんの無事と、彼らがうまくいくことを願っている。 私は係長に絢斗に襲われた経緯はぼかして、『元彼が家に来て困ったから、龍太郎の家に行った』とだけ話した。 係長は電話先での私の様子がおかしいから、気になっていたらしい。 そりゃあ、そうだろうね、おかしいだろうね……。 係長との電話の時、龍太郎にあれだけ色々な場所にキスされて、変な気分になって話していたのだから。 ……だめだ。思い出すと、身体が変に熱くなるから、考えるのをやめよ……。 『でも、僕だったら元カノの家にまで行こうとは思わないね。すごい執念だね』 「はぁ……」 なんて答えたらいいか、わからない。絢斗が結局なにをしたかったのか理解不能だ。 『でもそれだけ、君がいい女だってことか』 係長の納得したような声が電話越しに伝わる。 い、いい女……?? か、係長~!! 係長だけですよ~! そんな言い方してくれるのは~!!! でも……、自分の気持ちに嘘はつけないから、私は係長に告げた。 「係長、私……、あ、あの龍太郎が好きなんです。なので係長の気持ちはありがたいんですが、ごめんなさい」 言えた……。 たとえ、付き合うことは無理でも、今は自分の気持ちに素直でいたい……。 『それはわかってたよ、雪音さん。……だけどせめて、僕に好きなひとができるまで、君を好きでいていいかな……?』 え? そんなこと言われて、ダメですとは言えないよ……。 『それに僕は僕なりに、君を守りたい。剣堂さんとはお付き合いはしていないんだよね?』 「あ、はい。付き合ってはいませんが、相変わらず、変な関係です……」 龍太郎本人は婚約者だと言い張っている。 龍太郎のことは好きだよ。 でも私は彼の隣に立てるような、釣り合うような女性じゃないんだよ……。 龍太郎は自分がいかにすごいか、次元が違うか、まるでわかっていない……。それが苦しい。
龍太郎に視線を注いだまま、絢斗が唇を噛んだ。 「そうか、そうだよな。だからおまえといた思い出は、こんなに後になってからも、ずっと心に残っているのか……。なるほどなぁ、悔しいな……。雪音、おまえはおれのこと、少しでも好きでいてくれたか?」 絢斗の目のふちは赤い。 「……好きだったよ。でなきゃ、こんなに長く一緒にはいなかったよ……」 「そうだよな。身体の相性も良かったもんな。……おれとのこと、忘れないでくれよ」 絢斗がふっと片方の口角をあげて笑う、龍太郎への当てつけらしい。 「やめてよ! こんなところでバッカじゃないの!!」 「ふ、歪んだ愛だな。見苦しいぞ、絢斗!! おれは雪音を何度も昇天させているからな、貴様はおれには勝てん!!」 おぉぉい!!! なに言い出したんだ、龍太郎は。 昇天させられたことなんかないよっ!! てか、そういうこと、してないじゃん、まだ。 あ、まだって言っちゃった!! とにかくこの話題、もうやめてよ……。 「雪音、顔が赤いぞ……。そうか、おまえ、このひとと、やっぱりもうそういう関係なんだな。そりゃそうだよな、泊まってる時点で、そうか……」 絢斗の視線が彷徨う。 ち、違う。……がここはもう敢えて否定しない。する必要もない。 「さぁ、雪音、行こうか?」 龍太郎の背景にピンクの薔薇が咲き誇る。 「……雪音を幸せにしてやってください」 絢斗が龍太郎を正視しながら、大きな声で叫んだ。 「ふん、おまえに言われるまでもない。雪音はおれが一生涯かけて幸せにするから安心しろ。おまえはきちんと結婚して子育てをしろ。いいか? 子供にだけは悲しい思いをさせるなよ!」 最後の言葉は母子家庭だった龍太郎の思いが、詰まっていたように感じた。 突然、周りから拍手喝采された。気がつくと噴水の周りにたくさんのひとが集まっていた。 「なんだ。ドラマの撮影じゃなかったのか。すごいな、俳優かと思ったぞ」 「兄ちゃん達、幸せになれよ」 「あんた、父親になるのかい? 若いけど、きっとやっていけるさ」 「フラれたお兄ちゃんも頑張れよ~」 あちこちから声援が聞こえる。 二人の声が大きいので、ひとが集まったのと、龍太郎が目立ち過ぎだ。 ぎゃあ!! いつからこんなにひとが……!! 恥ずかし
「……雪音……」 絢斗は悲痛な面持ちだった。 「……いいお父さんになってね」 これだけのことが言えるようになったのは、きっと恋のチカラだ。 どこからか湧き上がってくる、強い感情、強さ。これがきっと本当の恋だ。 「絢斗とやら、もういいか?」 龍太郎が時計を見ながら、口にした。 時刻は午後三時だった。 絢斗はなにも言わない。うつむいて拳を握り締めている。 「どれだけそうしてようが、おまえになんかやらない。コイツはおれのもんだからな」 龍太郎が私の肩を、いきなり抱き寄せた。 絢斗が顔をあげて、龍太郎と私を見つめる。そして露骨に顔をしかめた。 「こんな面白いヤツ、逃したおまえが悪い」 龍太郎が絢斗に喧嘩を売り出した。 「ちょ、ちょっと……」 私は小声で龍太郎に抗議する。絢斗を興奮させて大丈夫か? 「フハハハハ。コイツを幸せにするのは、おれなんだよ! 残念だったなぁ? こんな面白い女を逃して……」 龍太郎は絢斗を煽っている。なにか目的があるのか? 「……そうッスよね。そんな面白い女を手放した、おれが悪いんスよ」 絢斗がしんみりした声で返した。 え? このひと達、さっきから私を『面白い女』としか言ってないんだけど……? 普通、こんな可愛い女性とか、こんないい女とか、そういう言い方しない? まぁきっとどちらにも、自分は該当しないんだろうけど……。 うっ、言ってて悲しい。 「だが、おまえは父親にはなれたんだ。それは感謝しろよ。一度はコイツと別れて、別な女を愛したんだ。その結果だ。きちんと良い父親になれ」 龍太郎が絢斗を諭す。 「……おれが父親? ……ふふ。なれますかね? 実は結婚もまだ自信がなくて、戸惑ったまんま進んじゃったんスよね……。まぁ、半分は思い通りにならない雪音への当てつけっスよ。はは」 絢斗が乾ききった笑いを浮かべた。 はぁ? なにそれ? 結婚ってそういう気持ちでするものなの?? 「ふ、ははは。思い通りにならない?」 龍太郎が突然、笑い出した。 「だからこそ、いいんだろうが。雪音が簡単にいいなりになる女なら、おれはこんなに好きにはならない。つまらない。コイツは自分がないようで、きちんと自分を持っている。今までそれをただ出してこなかっただけ、それだけだ」
「知らねーよ。見てねぇもん」 絢斗の口から、信じられない言葉が飛び出した。 「け、結婚するんじゃないの? 日菜さんと」 「結婚? ああ、それな、どうしようかなぁ。最近、あいつといてもつまんねーんだよ。なんつーか、損得勘定のかたまりみたいな女でよ。幻滅したわ」 ……なにそれ……? なに言ってるの? 「……日菜さん、妊娠してるよ?」 自分のことじゃないのに、なぜか胸が痛い。 日菜は今も、お腹の赤ちゃんのことでいっぱいいっぱいだろう。 それに日菜は図々しいが、そこまで憎めない相手だったようにも思う。 「……な⁉︎ に、にに妊娠? う、嘘だろ?」 「嘘じゃないよ。さっきいた総合病院に切迫流産で緊急入院してる。絢斗、お父さんになるんだよ? 早く行ってあげて」 「……なんでだよ。おれは、おれは雪音、おまえのことが忘れられずに、こうして会いにきたのに……。なんでだよ!!! なんでこんな現実なんだよぉ!!」 「自分の行動にはきちんと責任を持て。それが大人だ」 落ち着いた口調で話したのは龍太郎だった。 「な、なんで、おれはおまえの存在のありがたさにようやく気づいたのに、こんなことってあるのかよ!!!!」 絢斗が力なく、その場にしゃがみこんだ。 意味がわからない。絢斗と別れた時、絶望したのは私だよ……。 ボロボロになって、ようやく立ち直って……、どこまでふざけてるの? 「なんか主導権が絢斗にあるみたいな言い方だね……。私はあなたとやりおなす気なんて、さらさらなかったよ?」 ずっと思ってた。 平等に付き合い出したはずなのに、いつからか相手の都合に合わせて、それで上下関係ができて、その中で生きるようになっていたって……。 それはただの依存に過ぎない。捨てられるのが怖くて、自分に自信がなくて、言いたいことも言えないような、弱虫な自分……。 でも少しずつでいいから、きちんと自分の人生を生きていきたい、自分の足で……!! 「なんかおまえ、短期間で変わり過ぎじゃねぇ? その男のせいか?」 絢斗が龍太郎を見た。龍太郎のメガネが光っていて、その表情は読めない。 「……そうかもしれない」 私は淡々と答えた。龍太郎のことは好きだ。 絢斗なんかどうでもよくなるぐらい、彼が好きだ。 だから、私は変わりたい……!!
「で? おまえはなにが望みだ? こんなことをしてなんになる?」 龍太郎が苛立ちを隠さずに訊ねた。 「……おれはずっと、思いどおりにならない雪音にイライラしていました。雪音は遠距離になってから、ますます笑わなくなって、全然可愛くなくて、おれの言ったことを守らないし」 「おれの言ったことってなんだ?」 私を差し置いて、二人で話をしている。 「たとえば、一人暮らしになって、朝起きる自信がないから、毎朝起こしてほしいって頼んだら、それすらも毎朝できないっていうんですよ? 普通、彼氏が頼んだら、それぐらいしてくれてもいいじゃないですか? 彼女なんだから。その点、日菜はおれのいうことをぜ~んぶ聞く女でした」 「莫迦が。雪音はおまえの母親じゃないぞ。それにおまえ社会人じゃないのか? 自分のことは自分でしろよ。雪音も夜勤があったりで大変だったはずだ」 龍太郎が心底呆れた声を出し、続けて口にした。 「おまえは、自分のことばっかりだな……」 龍太郎の声は底冷えがした。 「だっておれ、まだ二十二歳っスよ。おれはあんたみたいな大人とは違う。彼女に甘えて、なにが悪いんですか?」 開き直った絢斗が下唇を噛んだ。 「……絢斗は変わらないね。私も付き合い出した頃はそれでよかったよ。でも二十歳を過ぎたあたりから、これでいいのか、ずっと疑問だった」 私はずっと胸の中に溜め込んできたものを吐き出す。 「……なんだ、それ。おまえ、ずいぶんと偉そうだな」 絢斗が眉間に皺を寄せた。 「そうやって女性を下に見てるとこも、女性に順位をつけることも、ずっと嫌だった。きちんと私も嫌だって言うべきだった。それは反省してる」 絢斗は明るいが、そうした話題で男性陣とふざけ合って、笑いをとることもあった。 「……おれさ、おまえとやり直してやろうと思って、散々探したけど、今ので、もう冷めたわ」 絢斗が盛大なため息をついた。 やり直してやる? なに? その上から目線……。 「あのさ、日菜さんの今の状態、……知ってる?」 私は絢斗に訊ねた。日菜は入院にしてからも絢斗に一応連絡したと言っていた。