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第4話

Author: ミントソーダ
この三日間、悠希の誕生日パーティーの準備に追われている。

同時に、彼の六歳から十八歳までのプレゼントもすべて買い揃える。

どうしたって血の繋がった子だ。今後会うことはなくても、十八歳になるまでは母親としての義務を果たさなければならない。

悠希の誕生日当日、招待された客が大勢集まっている。

美緒は悠希の手を引き、辰彦の隣に立って、人々の輪の中心にいる。

毎年誕生日には大はしゃぎする悠希が、今日はなぜか浮かない顔で、足元の小石を蹴りながら、しきりにドアの外を気にしている。

辰彦でさえ、頻繁に腕時計に目をやっている。

パーティーの準備に不手際があったのかと思う。

その時、ドアの向こうから女性の声がする。

「悠希!」

悠希はぱっと顔を上げ、目を輝かせ、目の前にいた美緒を突き飛ばしてドアへと駆け寄った。

「真理奈おばちゃん!」

美緒はよろめき、もう少しで転ぶところだったが、数歩後ずさってなんとか体勢を立て直す。

悠希はそれに全く気づかず、まるで巣に戻るツバメのように真理奈の胸に飛び込み、さっきまでの沈んだ表情は一掃され、口角を高く上げている。

「やっと来てくれたんだね。ずっと待ってたんだよ」

真理奈は笑って彼の頬をつねり、優しく言う。

「道が混んでて少し遅れちゃった。主役を待たせてごめんね」

辰彦も真理奈の方へ歩み寄り、いつもは冷たい顔に笑みが浮かんでいる。

足首のかすかな痛みをこらえ、人混みの中に立ち、夫と息子が自分を置き去りにして真理奈の周りに集まっているのを見て、苦い思いが心臓から全身へと広がっている。

もっと早く気づくべきだ。あの親子がこれほど異常な態度をとる相手は、真理奈しかいないのだと。

悠希が言っていた「すごく大事な人」というのも、彼女のことなのだろう。

周りの賑やかな人々は途端に静まり返り、顔を見合わせた後、しばらくしてようやく口を開く。

「あの方は誰?杉山社長と息子さんがわざわざ出迎えるなんて」

「もしかして、あちらが本当の奥様で、さっきは私たちが人違いを?」

「違うわよ。あれは杉山社長が海外留学時代に、どうしても手に入らなかった初恋の相手だって。最近帰国したばかりらしいわ」

「まあ、可哀想に。夫の初恋の相手が、息子の誕生日パーティーに堂々と現れるなんて……」

「しーっ、声が大きいわ。奥様がまだいらっしゃるのよ」

視線を戻した美緒は、心には苦さだけが残り、もう痛みは感じない。

今夜を過ぎれば、自分はもう「杉山夫人」ではなくなるのだから。

人々が噂話をしている間に、悠希はすでに真理奈の手を引き、宝物を見せるようにパーティー会場を案内している。

「真理奈おばちゃん、これ、僕が一番好きなキャラクターなんだ」

「これは僕が生まれてから今までの写真だよ」

「これは僕が自分で描いた絵なんだ」

……

辰彦は彼らのそばに付き添い、その目は穏やかな笑みを浮かべている。

パーティー会場を一周した後、三人はようやく美緒の前に現れる。

「真理奈おばちゃん、これが僕のママだよ」

さっきまでの興奮した口調とは違い、その言葉には明らかに不満の色が混じっている。

真理奈は平然とした顔で悠希の頭を撫で、笑って言う。

「美緒さん、悠希くんみたいに素直で聞き分けのいいお子さんがいて、本当に幸せですね」

美緒は微笑んだ。

「あなたにも、すぐにできますよ」

今夜を過ぎれば、息子の悠希だけでなく、夫の辰彦さえも、彼女のものになるのだから。

悠希は母の前に長居したくないようで、すぐに真理奈の手を引いて離れていく。

辰彦は無意識について行こうとしたが、その視線が、一人でぽつんと立ち、周りの賑やかな雰囲気と馴染んでいない美緒に触れた。

彼は珍しく声を和らげる。

「ここ数日、誕生日パーティーの準備で大変だっただろう。

悠希のことは真理奈が見てくれるから、お前は先に部屋で少し休んでいろ」

美緒は目を伏せ、その奥にある皮肉な色を隠している。

どれだけ堂々と真理奈と一緒にいたいのかしら。妻である自分、実の母親である自分に、息子の誕生日パーティーから席を外せと言うなんて。

しかし、結局何も言わず、身を返して二階へと上がった。

もう、こんな無意味なことに時間を浪費したくはない。

願い事をする時間になり、使用人に呼ばれて階下へと降りる。

パーティー会場では、悠希が巨大なケーキの前に立ち、願い事をしようとしている。

真理奈と辰彦が、彼の両脇に立っている。

その光景を見て、美緒は足を止めた。

あまりにも調和のとれたその光景は、誰かが加われば余計な存在に思えてしまうほどだ。

美緒の姿に気づいた真理奈は、申し訳なさそうに彼女に微笑む。

「美緒さん、本当にすみません」

そう言って彼女は悠希の隣の場所を譲ろうとする。

しかし、悠希は小さな手で真理奈の服の裾をしっかりと掴み、彼女を離そうとしない。

「ママ、真理奈おばちゃんにそばにいてほしいんだ」

辰彦は彼を一瞥し、同意した。

「今日は悠希の誕生日だ。彼の言う通りにしてやろう。お前も気にするな」

美緒はその場に立ち尽くし、静かに頷いた。

この父子そのものを手放す。どうでもいい立ち位置など、気にするはずもない。

悠希は目に見えて嬉しそうになり、目を閉じて両手を合わせる。

「楽しく大きくなれますように」

そう言って、一瞬言葉を切り、次の瞬間、ラスカリア語で言う。

「それから、真理奈おばちゃんが僕のママになりますように!」

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