Masuk「んー!んーんんっ!」 声にならない叫びをあげる華を無視し続けたまま、カシュが唇を重ね、舌を無理矢理に押し込み、彼女の呼吸をも奪う。『この体の華とのキスはもう最後』なのだと思うと、離れたくない気持ちが胸の奥から湧き出てきてしまったが、胸をドンドンッと何度も叩かれてやっと彼はゆっくり離れていった。「……もしかして、怒っちゃいました?」 「……はぁはぁはぁ……いや、まぁ、うん。そうね」 んーコレはまた殴られるかな?とカシュが思い、くっと歯を喰いしばる。だけど華は彼の頰に軽く手を添えただけにとどめ、「気持ちはわかるから……叩いたりなんかしないわよ、流石に」と照れ臭そうに言った。「人前でした事は!ちょっと腹が立つけどもね」「教会での結婚式だって人前でキスしたりしますよね?アレみたいなものですって」 「いやいやいや……今からするのは、別に結婚式でもなんでもないから」 「そうなんですよねぇ、そうなんだよなぁ……はぁ……」 カシュが華をスッと真っ直ぐに立たせて、ドレスのシワを綺麗に整える。呼吸を数回繰り返し、気持ちを落ち着けると「さてと、では……ボクに、棺までエスコートさせて頂けますか?」と言い、華の手の甲にそっと口付けを贈った。「……えぇ。お願いするわね、カシュ」 影のある笑顔を黒衣のヴェールで隠し、華がダンス前の様に膝を折って礼をする。二人は手を取り合い、一歩、また一歩と空っぽの真っ黒い棺へと進んで行った。 棺の前に立ち、カシュが無言のまま華の体を横向きにして抱き上げた。そんな彼へ腕を伸ばし、首元にギュッと華が強く抱きつく。「もし失敗しても、忘れないでいてね?」「もちろんですよ、華さん」 華の髪にカシュが頰を何度もすり寄せる。そんな二人の様子を側で見ていた野本が、「そう不安がる事はありませんよ。私が居るじゃないですか。ね?」と禍々しいオーラを纏ったまま、低い声で言った。「あぁ、それもそうですよね。もし失敗したら、全部野本さんのせいにして、色々責任をとってもらいましょう」 「え⁉︎——あー……そうきましたか。いやまぁ……いいですけどね、失敗しなければいいだけの話ですからねぇ」 そう言って、野本が仮面に隠れた頰を指で掻く様な仕草をした。 真っ黒い棺の中にカシュがそっと華の体を寝かせる。白いクッションに覆われた棺の中に彼女がきちんと横たわると
「——さてと、心の準備はいいかな?」 野本に問われ、華が無言で頷く。 店内での穏やかな中年のオジサマな姿しか見たことがなかったので、地を這うみたいな響きを持つ“今の彼”の声に対し、華は少しだけ怖気付いてしまったが、表には出さなかった。「ただの空き部屋に棺を並べただけでは面白味が無いと思ってね、ちょっとだけ演出してみたんだけど、気に入ってもらえたかな?」と、華に向かい、気分転換になればと努めて明るい声色で本多が声を掛ける。クラシカルなスーツ姿の本多が腕を広げ、周囲をくるりと見渡した。「コレはやっぱり館長の仕業でしたか。ふふっ、ありがとうございます。なんだか、いかにも“黒魔術”っぽい室内ですね」 カシュの手を握ったまま、華が部屋の中を彼と共に周囲へ視線をやった。 部屋は全体的にゆったりとした暗幕に覆われ、外が全く見えない。中心には“大きめな棺”が“白い物”と“黒い物”のそれぞれ一つずつ置かれ、すぐ側には刃の短い短いナイフが用意してある。真っ赤な薔薇の花弁が床一面を埋め尽くし、天井からは薄明かりが灯るランタンが不規則に垂れ下がり、この部屋が図書館内にあるただの空き部屋である事を完全に忘れさせる演出がしっかりとなされていた。「父さんに頼めばもっと大それた事を出来たんだろうけど、私はあの人に貸しを作りたく無くってね、申し訳ない」 「いえ!もう私的には場所をお借り出来ただけでもう光栄と言うか、なんと言うか」「……ちょ、華さん、何でちょっと乙女っぽい顔をしてる?」 じと目でカシュに見られ、華の肩がびくっと跳ねる。彼女的にはファン心理的な反応でしかなかったのだが、婚姻契約をしていなくても“自称・華の伴侶”である身としては、決して気分のいいものではなかったみたいだ。 グイッと腕を掴み、カシュが華の体を胸の中に引き寄せる。「もうさっさと始めちゃいましょう、華さん」 「ここまで来たら、もうノリと勢いで押し切る感じね」 「えぇ、そうですよ。なので最後に……キス、してもいいですか?」 「待って!ひ、ひ、人前よ⁉︎」 焦る華を無視し、カシュは顔を上げて瀬田をじっと見詰めた。「瀬田先生、しばらくあっち向いていてくれませんか?」 「あぁ、わかったよ」 ハイハイ、と軽く手を振って瀬田が後ろを向く。人様のキスシーンなんぞ進んで見たいタイプではないので、むしろ一々
二人の前には重苦しい、重厚な扉が——……だったのなら雰囲気が出て丁度良いのだが、残念ながら図書館内にある一室でしかない部屋の扉は、ただの会議室にでも続くみたいな風貌だ。扉の一部に嵌め込まれた縦長な曇りガラスの向こうには、何かが元気に動く姿がチラリと見て取れ、室内には既にもう誰かが居る事を二人に告げている。「早速開けてもいいですか?」 「えぇ、もちろんよ」 ここを開ければ後戻りは出来ない。 もちろんする気もないのだが、それでもちょっとだけ後ろ髪を引かれつつ、カシュが扉をゆっくりと開ける。すると、先に室内で待っていた甥っ子の葵が彼を目敏く見付け、「——母さん、叔父さん達が来たよ!」と大声で叫んだ。「こら、騒ぐな!」と言い、瀬田が葵を担ぎ上げ、自分の肩に座らせる。目線が急に高くなったせいで「うわ!」と葵は驚いた声を一瞬だけあげたが、すぐに慣れ、瀬田の髪の毛をしっかりと掴みながら脚をバタバタとさせて喜んだ。「……すっかり子持ちのお父さんね」 子供に遊ばれている瀬田の姿を見上げ、頭から漆黒のベールを被った華がくすくすと笑う。「そうだな。“婚活”だなんだと日々明け暮れていた時期が、今じゃ懐かしく思えるよ」「ははは。数週間程度の子育てで、父親面される子供も大変だねぇ」 そう言ったのは、図書館の館長である本多さんだ。 彼は“人間である母親”の事が大好きなロマンスグレーのオジサマなのだが、“本の精霊”である自分の父親に対しては色々と複雑な心境を抱えているせいか、瀬田に恨みがあるわけではないのに言葉がつい辛辣になってしまった。「いくら“母親からの愛”に飢えてはいても、“新米パパ”さんな瀬田先生に当たっちゃダメですよ?本多さん。お父さんが邪魔でお母さんにかまってもらえない者同士、いっそ君達が仲良くするとかはどうだい?ねー葵君?」 ウルカの勤めるカフェの店長である野本が、普段とは全く違う風貌をして、室内にある椅子に寄り掛かりながら本多と葵に声をかけた。 優しい風貌をした白髪の小柄なご年配のオジサマでしかないはずの彼は今、腕には身の丈以上もある大鎌を持ち、顔には口元だけが見える髑髏の仮面を付け、黒衣のローブを全身に纏っている。コレがハロウィンのコスプレでもあればまだ可愛げもあるというものだが、見た目通りの生き物なせいで、彼の周囲は禍々しい空気で満ちていた。「
「……上手くいくと思いますか?」「これからの“儀式”の事?……ふふっ、さぁねぇ。こればかりは『やってみないと』な部分だから」「失敗なんかしたら、ボク……生涯独身になるんですけど」「私なんか、この歳で死んで終わりなんだから、貴方の方が幾分マシね」「……『死んで消える方』が、『愛おしい人を目の前で失って終わり』よりもマシだと、ボク的には思うんですけど」「……何度も言うけど、失敗しても、私を追ってはダメよ?」「『肉体の死と、記憶の死。私を二度も殺す気か』ですよね。……はぁ……もう、そこまで言われると、ボクじゃ太刀打ち出来ないってわかっているのが悔しいですよ」 長いため息を吐くカシュに対し、華がくすっと微笑みを向ける。 彼女の表情はとても穏やかなものだが、内心はもう、緊張で胸が押し潰されそうな状態だ。だが、それを気付かせまいと必死に取り繕い、決意を深める。 これはもう、“呪いの魔女”・“ハンナ・アダムス”の唯一の子孫であろう、自分にしか出来ない事なのだと。 半ばカシュに対して強制的に“魔女の呪い”を“解呪”すると決めさせたあの日からもう、彼女らはメモに書かれた文面の読み解きミスは無いか、他に方法は無いか、抜け道は無いか……調べに調べ、考えに考え、相談し、賛同者を増やして今日という日を二人は迎えた。『卒業式の日を目標に、解呪を成功させましょうか』 そんな話をしたのは、もう二年前の事だ。 華が“魔女の部屋”の時間経過を止める効果をフル活用して“魔女”としての能力を高め、研鑽し、どこまでなら“解呪の条件”に対して影響しないかを探りながらこっそりと人目を盗んで愛を深める日々は、正直悪いモノでは無かった。そのせいか、もしコレで“解呪の儀式”が失敗でもしたらと思うと、どうしたって恐怖が体を支配する。得体の知れないバケモノが背後から音も無く近づき、彼女の肩を、二の腕をも掴み、ズルズルと死の淵の中へと引き摺っていこうとしているのではと感じる程だ。 カシュもカシュで、内心では『こんな日なんか来なければいいのに』と思っていた。廊下を二人で歩いている、今この瞬間でも……だ。 現状に対しての不満が今でもほとんど無く、“解呪をする”と決める前よりも華が心を開いてくれたおかげでむしろ状況は改善されていたので、『もうこのままでいいじゃないか』という気持ちが、出逢い
「——用意は出来た?華さん」 「えぇ、もちろんよ」 そう答えた華は今、真っ黒なドレスに身を包んでいる。デザイン的にはマーメイドラインのウェディングドレスっぽいのだが、ベールやロングタイプの手袋といった小物の類までもが漆黒と言えるほどの黒い衣装なので、デザインはこんなでも、“花嫁”という言葉よりも“魔女”という言葉の方がしっくりくる出で立ちだ。「さぁ、お手をどうぞ」 「ありがとう、カシュ」 素直に礼を言い、華が揃いのデザインの黒い手袋をしたカシュの手を取る。 長いドレスの裾を掴み、ゆっくりと歩く姿は新郎新婦を連想するものがあるが……彼らはこれから“結婚式”を挙げるわけではない。「しかしまぁ……卒業式でまで、あんなアホな事をするだなんて思ってもいなかったわ……」 ふと数時間前の事を思い出し、華が呆れた顔をしながら息を吐いた。「あ、あれは……転入初日に宣言した通りにした方が、クラスメイト達も楽しいかと思って」 「だからって、何も、卒業証書を受け取ったその瞬間に『これでボク達、結婚出来ますね!』と叫んだのはドン引きだったわよ?」 「……いや、ボク的には、そう言ったボクの元まで全力疾走したうえ、袴姿なのも顧みず、履いている皮のブーツでボクの顔面に華麗な回し蹴りをいれた華さんの方にドン引きでしたけどねぇ」 カシュが獲物でも掲げるみたいに卒業証書を高らかに持ち、『華先生!これでボク達、結婚出来ますね!』と叫んだ瞬間、卒業式の会場となった体育館は一瞬でお祭り騒ぎとなった。参列していた保護者的にはどう反応していいのかとても困ったであろうが、少なくとも、生徒達は明るいムードに溢れていた事だけは間違いなかった。 ……華が、彼の体が真横に吹っ飛ぶ程の回し蹴り入れるその瞬間までは。「大丈夫よ。あの場に居た人達は誰もあの瞬間を覚えてはいないから」 「“魔女”である事を自覚した“魔女”って、本当にタチが悪いですよねぇ」 カシュの体が真横に吹っ飛び、一瞬何が起きたのかも分からずに唖然とした会場内に向かい、マイクを片手に持った華が『今見た行為は全て忘れなさい!』と叫んだだけで、存分に魔力の乗った“言霊”の効果で全て事なきを得た。 卒業式に参列していた理事長や人外達にまでは流石に影響力が無かったようだが、面白い事が大好きな彼等は『教育者なのに不謹慎だ』『体罰は許せな
「——葵、“黒い服”には着替えたかな?」 上から下まで全て真っ黒なゴシックロリータ風のドレスを着込んだウルカが“小さな少年”に声を掛けた。彼女に“葵”と呼ばれた“少年”は、「うん」と短く答えながらウルカの腕の中に辿々しい足取りで向かって行く。あと数歩で彼女の胸の中にすっぽりと収まりそうになった時、葵は首根っこをぐっと掴まれ、子猫のように上へと持ちあげられてしまった。「甘えるなら俺に甘えとけ、葵」 「……えぇぇぇ。“父さん”にぃ?またぁ?」 不服そうな瞳を、葵が瀬田へと向ける。どうやらこの子供は、瀬田とウルカの二人の子供のようだ。「いいじゃないですか、ちょっとくらい。子供がこうやって可愛く甘えてくれるのなんて今のうちだけなんですよ?」 ブーブーと文句を言い、ウルカが口を尖らせる。見様見真似で葵も「そうだそうだ!」と言ったもんだから、瀬田はちょっと不貞腐れた顔になった。「コイツは“インキュバス”だから、“我が子”だろうが信用しきれないんだよ!」「ハッキリ言ったなぁ!父さんのくせに!」 「あぁ言うさ!その点以外はちゃんと愛してる!とも、ついでに言ってやるぞ!」と、ちょっと巫山戯た声色で言いながら、瀬田が葵の小さな体を全力でくすぐり始めた。「ぎゃ!やめ!ちょ!かぁさぁぁぁぁん!」 「助けなんか呼んでも無駄だぞ?ウルカは今お洒落着姿だからな、暴れる子供を助ける気なんか起きるはずがない」(……ハイハイ。『邪魔しちゃダメ』って事ですね。普通に可愛がればいいだけなのに、もう) すっかり瀬田の扱いに慣れたウルカが、『傍観する』と決め込む。結婚してもうすぐ三年目ともなると、言葉が足りなくてもすっかり彼の意図を色々読み解けるようになったみたいだ。「二人で遊ぶのは止めませんけど、時間だけは守って下さいね?“儀式”の開始時間は待ってくれませんから」 「そ、そ、そうだよ!だから、だか……あははははははっ!くるし!も、やめ!このクソ親父!しまいにゃ噛むぞっ」 「そんな乳歯でか?可愛い事を言うなお前は!」 「うるさい!馬鹿にすんな!体は小さくたって、中身はほぼ大人と変わらないんだからな」 「二歳児程度の体をしておきながら、そんな事を言われてもなぁ」「……あのね、浩二さん。“インキュバス”だとはいえ、まだ実際には“赤ん坊”なんですから丁寧に扱ってあ