『ラブコメディ失調症』 ーマキナ医院・精神整形外科ー

『ラブコメディ失調症』 ーマキナ医院・精神整形外科ー

last updateDernière mise à jour : 2026-01-22
Par:  五月雨ジョニーEn cours
Langue: Japanese
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美女好きでしょう? 巨乳も好き? 大きいお尻とかも好きそうだね。後は綺麗な黒髪とかはどう? 漠然とした不安に侵され、人生の迷子になった僕が行き着いたのは、『精神整形外科』を名乗る不思議な町医者だった。 先生は僕の女性の好みを聞き、理想的な女の子を処方するから恋をしろ等と、訳の分からない事を言う。 そんな馬鹿げた話を嘲笑して、病院を後にしたが、その次の日、アルバイト先の本屋に1人の少女が現れた。 それはあの病院で話した理想的な女の子そのものだった。

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Chapitre 1

『夢は魅せられるもの』

「あら、小説家なの? 凄いね。物書きさんだ」

 丸メガネをかけて、ボサボサした黒髪の先生は、僕の目の前で気だるそうに椅子に踏ん反り返り、言う。

 そんな軽薄な態度には、あまり好感は感じられないものの、その先生の容姿は細身でスタイルが良く、顔もどこか外人じみていて、男の僕から見てもとても色っぽく、男前だった。

「いや、それは趣味の欄ですよ。ちまちまwebで投稿してるだけで特に人気は無いし。本業は……というか、そこに書いてあると思いますけど、フリーターですよ。秋葉原の裏道にある小さな本屋でアルバイトをしてます」

 僕は頭をぐしゃぐしゃ掻きながら、俯いてそう言った。

 それを聞き、ふーん。と唇を尖らせた先生は、問診票を抱えたまま、左手で持っていたペンの背を向けて、くるくる円を描く。

「いやーでも、小説書いてるなら小説家でいいんじゃない? ほらバンドマンの連中だって、フリーターだろうが無職だろうが、恥ずかしげなくバンドマンです!って言うしさ。そういう自負とか自己認識は大切だと私は思うよ。特に夢想家には」

 ああ、ちくしょう。

 夢想家って、言われちゃったな……。

 ため息を吐いて、あからさまに肩を落とす僕。

「そうですね……夢想家は夢想家らしく、明るく振る舞いたいもんですよ」

 その様子に、先生は肩をすくめながら、発言の補足とばかりに素早く口を開いた。

「おいおい、何も夢想家ってのは悪口じゃないよ。ネガティブに捉えないでくれ。そもそもこれを見るに、君はなんだか理屈っぽ過ぎるんだよな。理由とか意味とか、そんなのばっかり求めてるだろ? ちなみに変な事を聞くようだけども、君が理由や意味を求める事に対する、理由ってのはあるのかい?」

 先生は長い足を組み直しながら、診察に必要な事なのか、そうじゃないのかもわからない質問を飛ばしてくる。

 いや、言葉遊びのマトリョーシカじゃないんだから、変なこと聞くなよな……。

 僕は早くもここに来た事を後悔しそうになりながら、とりあえず正直に口を開いてみた。

「単純に不安なんですよ、理由も意味も無いと。例えば、蛇口を捻《ひね》る理由は水が欲しいからです。そして、水で喉を潤すのは意味がある事です。だって飲まないと死んじゃうから」

「そうそう、君は常に逆算的で打算的だよね。そんで、比喩が好きだ。なるべく自分が抱える不安や心情を誰かに伝えて納得させようとしてる。それが主幹のテーマ性となって、尖れば尖る程、大衆性や娯楽性が薄くなっていく訳だ、書いてるのはラブコメディなのにね。はははっ!」

 もはや小説の話なのか、僕の話なのかわからない。この人、絶対わざと話を混同させてるだろ。

「こと創作に関してはそうですね。でも、それだけなら僕はこんな“訳の分からないところ“には来ませんよ」

 ……って、あれ?

 僕、小説でラブコメを書いてるなんて、どっかで伝えたっけ……?

「ふふふ。わかってるよ大丈夫だ。今の君は、それが創作だけじゃなく、現実の人生にも影響してどんどん深みに陥ってる。理由や意味をどれだけ探しても、確固たるこれだといったものが見つからなくて、日に日に心の火が弱くなってる。だからこそ私のところに来たんだろう?」

 ニヤリと不敵に笑う先生の顔は、訳の分からない看板を掲げた、小さな町医者だとしても、あまり許されるような顔じゃなかった。

 目を見開いて笑う。

 白い歯を食いしばり見せる。

 『本当、人間って面白いよね!』

 そんな歪んだ意思が見え透いた顔だったのだ。

 ──でも、口から出た内容はズバリ当たっていた。

 そう、僕は自身の創作に対する悩みを大きく膨らまし過ぎて、現実までもがその不安に侵されている。

 これを無気力というのか、鬱というのかはわからないが、とにかく理由や意味を重んじていた僕の価値観が、大衆的な娯楽性を拒絶するように歪むにつれて、生命力が低下するのを感じていた。

「あの結局これ、なんなんですか? 病名とか付くんでしょうか? 精神薬とかも飲む感じですか?」

 また変な質問をされる前に、矢継ぎ早にこちらから質問をした。

 すると先生は眉を上げて、少しだけ真面目な顔になる。

「ここは、“精神整形外科“だ。わかるかな? 精神科や心療内科とは違う。それに、僕は手術は出来ない。だから外科でもないのさ。整形外科ってのは、擦り傷とか骨折、そんなのがメインだろう? スッとする塗り薬をだしたり、ギプスで固定したりするけど、結局治すのは患者の仕事だ。私はそれの手助けをするしか出来ない」

「じゃあ、何するんですか。今の口ぶりだと、なんも出来ないみたいな……」

 言葉を遮るように、先生は白いゴム手袋を嵌めた人差し指を、僕の目の前に立てた。

「ただ一つ。私にしかできない治療法があるのさ。そして、その為に処方するものがある。それはとてもよく精神に作用し、人によって様々な面白い効果を生む」

「なんですか、それ……?」

「デウス・エクス・マキナ──ご都合主義だよ」

 嫌な汗が額に滲むのと同時に。

 今更気が付いた、白衣の胸にあるネームプレート。

 目を見開き、白い歯を見せて笑う“薪無《まきな》“先生は、僕に向かって……

 そう、言ったんだ。

 * * *

店の裏でタバコを一本吸った後、僕はいつものようにシャッターを開けて、警報装置を解除した。

 正面扉から店の中に入ると、店内の半分を埋める中古本のニオイが鼻をつく。

 僕はこのニオイが嫌いじゃなかったが、それらは古書と呼ぶにはあまりにも下品な代物で、胸を張って好きだなんて口が裂けても言えなかった。

 店の奥のカウンターにカバンを置き、奥から入り口にかけて、電気をつけて行く。

 ワンフロアしかない店はそんなに広くは無いが、天井まで伸びた大きな棚が壁面を埋め尽くしており、品数だけは豊富だ。

 ……地震が来たらまず助からないだろうけど。

 僕は順々に開店準備をこなしていき、入り口付近に到達すると、DVDの置かれた棚に派手なピンク色のライトを照らす。

 棚には小さなデジタルフォトフレームが何個か設置されており、動画が流れるようになっていた。僕は慣れた手つきでそれの電源を入れる。

 すると。

 画面には、汗に濡れた裸の男女が現れた。

 男は女の股に顔を埋《うず》め、ぴちゃぴちゃと激しい水音を鳴らしている。

 そして、その水音すらかき消すほどの盛大な女の喘ぎ声が、狭い店内にこだまして僕の鼓膜を揺らした。

 ──そう。ここは、秋葉原の一角。

 アダルト専門のDVDと本を販売する『セル店』と呼ばれる場所。

 所謂《いわゆる》……。

 ──エロ本屋だ。

 古書のニオイを放っていたのは、壁にずらりと並んだ中古の成年漫画。

 その前には発売されたばかりの新刊が平積みで並んでおり、僕は目当ての一冊を手に取って、カウンターの裏まで持ってきた。

「昨日発売の新刊。あの、もつまる先生が別名義で原作をやってる成年漫画……これを読む為に今日は辛いワンオペを買って出たと言っても過言じゃないぜ」

 興奮を抱きながら、表紙の美麗なビジュアルイラストを端から端まで舐めるように眺めて、シュリンクをビリビリと破いた。

 ちなみに、もつまる先生とは『|臓物丸 直義《ぞうもつまる ただよし》』と言うラブコメディ小説家だ。なんだか物々しい名前なので、ファンはみんな愛称で呼んでいる。

 リアルとフィクションが入り混じった一風変わった学園ラブコメに定評があり、数は多くはないものの根強いファンがいる小説家だ。

 そのヒロインは大概、硬そうなガチガチのブレザーとロングスカートに身を包んだ巨乳美少女。男子高校出身の噂があるもつまる先生の、JKに対する変なこだわりが炸裂した素晴らしいヒロイン達である。

「おお! これは黒髪ロングの……! 多分モデルはあの短編の彼女だな! ああっ! こっちはふわふわのクセ毛! 3作目のサブヒロインにそっくりだ! なんと大胆な……! いやいや、こんなプレイしちゃっていいのかよ! 作画もあの伝説のweb絵師『ヒットマン稲沢』が担当してるだけあって、余すとこなく最高だな!」

 要所要所に目を通しつつも、パラパラと勢いよく捲っていく僕。

 雑誌掲載されていた作品集のページがおわり、単行本書き下ろしの話に入った時、僕は手を止め、ごくりと唾を呑んだ。

 前情報のないその部分だけは、どうにも緊張が走った。

 何故なら僕は、“あの娘《こ》“がそこにいるのではないかという懸念があったからだ。

 もつまる先生はおそらく、自分の小説のヒロインをモデルに、この成年漫画の原作を書いている。

 だとすればきっと……“僕の“あの娘も……。

 じわりと手汗が滲んで、指先に紙の端が吸い付き、上手くページを捲れない。

 その焦《じれ》ったさにやられながら、僕は昨日の薪無先生との会話を思い出していた──

* * *

「ちなみにさ、夢想家の君に聞きたいんだけど、夢についてどう考えてる? 見るもの? 叶えるもの? どっち?」

 なんだその質問は、馬鹿らしいな。

 と思いながら、僕はまたぐしゃぐしゃと頭を掻いた。

 真剣に答えるか一瞬悩んだが、これも診察なんだと胸の中で言い聞かせて、ちゃんと答える。

「いや、夢はみせられるものでしょ。何を馬鹿な事言ってるんですか?」

 僕がハッキリそう言うと、薪無先生は目を見開いて、口角を上げながら白い歯を見せてきた。

 薄茶色の光を反射した、ギラギラした目。

 虫取り少年が、見た事ない虫でも見つけたかのような、好奇心の爆発した目だ。

「なになに?! それ、詳しく聞かせてよ!」

 身を乗り出して、息がかかるほど顔を寄せた薪無先生に、僕は少し照れながら目線を逸らした。

「べ、別に面白い話じゃないですよ。普通に考えればわかるでしょ。夢ってのは、人が寝てる時に勝手に見せられるもんだ。だから人が抱く方の夢も同じで、勝手にみせられてるだけなんですよ」

「お? それは、二つある夢の意味を、君は同じ解釈で捉えてるってコト?」

「大体の人は、抱いた夢の事を、さも自分が主導しているように“見てる“とか言って、叶えたい目標みたいに語るけど、実際には夢の方が酷く格上だ。夢ってのは、本人の意思よりも強く、魅せられるだけのものなんですよ。例えばクラスで一番可愛い高嶺の花の女子みたいに……。一度視界に入ってしまったから意識してしまう。そんなもんだと僕は思うんです」

「おお!! なるほど!! 君の言う夢とは、否応なしに自身が惚れて惹かれるものであって、人はそんな夢の操り人形でしかないって事か! 流石、小説家だね! その考えとっても面白いよ。情け無い君のオーラも相まって超イカしてる! 超クールだ!」

 薪無先生は手を叩いて大声で笑うと、流れるように僕の肩をポンポンと二回叩いて、カルテに向かい、勢いよく文字を書き始めた。

 カルテと薪無先生の顔の距離は、大袈裟な迄に近く、目が血走る程ギンギンに開けられていて、笑っている。

 それはまるで狂気を孕んだ小説家の様だった。

 ──しかし。

 突如、薪無先生は手をピタリと止める。

 笑い顔をやめ、僕の瞳を覗きながら真剣そうに言った。

「ちなみにさ、君はセックス好き? 」

 唐突過ぎるぶっ飛んだ質問。

「は?! せ、せ、せっくす──?!」

 僕は素っ頓狂な声を出して、頬と耳に素早く到達する熱を感じていた。

 な、何を言い出すんだこの人?!

 初対面でする話か?!

 それを見て薪無先生は、余裕ぶった顔で笑う。

「はははっ! ごめんごめん、びっくりした? でも必要な事なんだ。答えてくれよ。何も童貞って訳じゃないだろ?」

 おいおい、これで僕がガチガチの童貞だったらどうするつもりなんだ……。

 めちゃくちゃ傷つくと思うぞ、その決め付け。

「ど、童貞ではないですけど……」

「うんうん。わかる、わかってるよ! 君は童貞でもないが、セックスがそんな好きじゃないよね? だからあえて聞いたんだ。辛気臭い君からは、中途半端な自慰のニオイがプンプンするからね!」

 楽しそうに話す薪無先生に対して、僕はジト目になって呆れる。

 これまでの会話で、数回はキレてもいいくらいの不躾な発言ばかり浴びせられている気がする。

 ……だが、上手くキレられないのはなんでだろうか。

 男前で妖艶なオーラを放つ不思議な人だからか、それとも医者としての信憑性がこの軽薄な態度に滲んでいるのか……。

 ともかく薪無先生は、言葉で言い表せない変な魅力を持った人だと感じていた。

「セックスってのは何も性行為だけの意味じゃないよ。交わるって意味さ。ほら、君は比喩が好きだろうから、あえてこういう話をしてるんだよ。良く言うだろ? 自己満足の事を自慰行為だって。だとすれば小説を他人に見せて、感想をもらうなんてのは、他人と交わるセックスに他ならない。そうだろ?」

「まあ……たしかに」

 少々強引であれ、普段自分が言いそうな比喩表現にむず痒くなり、こめかみをぽりぽり掻いた。

 薪無先生の口ぶりに、僕は納得したのだ。

「君も知ってるだろうけど、セックスはただヤればいいって訳じゃない。精神的な交わりの意味もある。相手の気持ちを考えて、相手が何に興奮するのか、何を求めているのかを考える必要がある。そして君もだ、君も相手へ同じように理解を求める。それをちゃんと擦り合わせて……」

 薪無先生は僕の右手を掴むと、自身の手のひらと僕の手のひらをくっ付けて、しっかりと重なるように押し付け、整えた。

「こうやって、合わさった時……」

 そこから薪無先生は、今度は付けていた指を曲げて、半分だけハートの形を作る。

「ほら、やって……ハート、作れるでしょ?」

「え、ああ……はい……」

 僕も指を曲げて、ハートのもう半分を作った。

 一昔前の恋人がプリクラでやる様な、酷くチープなハートが完成すると、また薪無先生は目を見開いて、口角を上げた。

「やっと、愛が生まれるのさ」

 そう言って、満面の笑みを向けてくる薪無先生。

 おい、なんだよこれ……、勘弁してくれ。

 男同士で何やってんだ僕は、アホらしい……。

 そんな事を思いながらも、薪無先生のボサボサした前髪が、少しだけその切れ長の目にかかっているのを見る。

 それが妙に艶っぽくて、僕はなんだか堪らなく悔しくなった。

「いいか、少年! 自分を解放し、相手の解放をみるセックスは、超気持ちいいぞお!!」

 恥ずかしい事を恥ずかしげもなく、唾が飛ぶほどの大声で言い放つ。

「えーと。あの、それはいいんですが。僕、もう今年で21なので、少年ではないんですが……」

 それに冷めた口調で返して、僕は即座に手を引っ込めた。

 まだ、ハートの形を保っていた薪無先生は、ぽかんとした顔をしたが、また微笑みを取り戻し、椅子の背もたれへと戻って行く。

「男はいつまでたっても、少年なんだよ、少年。そして、“生“を司るのはどこまでも“性“だ。私達はどれだけ高尚でいようとしても、所詮はただの動物だからね」

* * *

 ──気が付けば、店の開店時間になっていた。

 結局僕は、ページを捲ることができず、単行本を閉じて、DVD売り場からこだまする喘ぎ声をかき消すように店内BGMを流す。

「はあ。なんなんだ、あの人……。あんな人に相談したところで、僕のこの不安は本当に取り除かれるのか……?」

 小さく呟いて、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしると、入り口の扉が開いた。

 客が来たのだ。

「いらっしゃーせぇー……」

 開店直後なんて随分と珍しいな……と思った矢先。

 僕は入って来た人物の姿に絶句した。

 真っ直ぐに伸びた黄金色の長い髪を持った、上品で綺麗な少女。

 僕は細胞の全てが震えるように直感した。

 そこに立っているのは、僕が狂おしいほどに溺愛し、偏愛した。

 “あの娘“なのだと──。

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『逆算からの算段という矛盾』
「どう? その後、夢乃マイちゃんとは上手くやってるの? まだ抱いたりはしてないよね?」 白いゴム手袋をはめた左手で、ペンをくるくる回す薪無先生。 いつもの軽い態度で、ずけずけとセンシティブな事を聞いてくる先生に対して、僕は不機嫌そうに答えた。「しらを切った割には、彼女と僕の仲に興味があるんですね。彼女が処方された女の子だって、ちゃんと先生が認めたら教えますよ」 薪無先生は眉間に皺を寄せて、こめかみをぽりぽり掻く。 その後、肩をすくめて、おどけて見せた。「あーもう、理由好きはこれだから困る! 悪かったよ! そんな怒るなって! 認めます! 夢乃マイは私が処方したご都合主義です! これでいい?」 言い終わればすぐに唇を尖らせて、横を向く。 怒られて不貞腐れる姿はまるで子供だ。 僕はため息を吐いて、話をした。「彼女とは、ここに来る日以外ほぼ毎日会ってますよ。呼ばなくてもバイト先に来るんで、強制的にエンカウントします。ここ最近は僕もそれを見越して、午前中のワンオペを増やしてるので支障はありませんが、問題は会っていない時ですね」 そんな話をしている間にもまた、薪無先生の横に置かれた荷物カゴの中から、僕のスマホの震える音が聞こえていた。 僕は何も言わずにそれを指を挿すと、薪無先生は僕のカバンからスマホを取り出す。「何これ。少年のスマホ壊れてんの? さっきからいやらしいくらいに震えてるけど……。ほい」 先生はスマホを掴んだまま、画面を僕に向けた。 鏡のようになった真っ暗なスマホの液晶には、自分の顔が映る。 年の割には童顔なれど、少々疲れた僕の顔は、いつしか先生に言われたように、とても辛気臭くはあった。 そして、ぼーっと。自分の右目の上にある古傷を思い出すように眺めていたら、突然画面が明るくなってロックが外れ、本体が揺れた。「お? ロック外れた? さあて、どれどれ〜、見てみようね」 当たり前とばかりに、スイスイと僕のスマホをいじる薪無先生。 僕は椅子から立ち上がって大声を上げる。「いや!! 見てみようね。じゃないですよ! 何勝手に人のスマホ見てるんですか!? マジで最低です!! 返してくださいよ!!」 そんな風に怒声を浴びせて、薪無先生の手からスマホを奪おうとするが、華麗にひょいひょいとかわされた。 それもその筈だ。 これは単なるジェ
last updateDernière mise à jour : 2025-11-28
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『むせ返る初夏に濃色の青』
 十五歳のあの頃、僕は美術部だった。 僕は別段、芸術に執着していた訳でもなかったが、流れ着いた美術部の空気は悪くなかった。 そこには、大勢の中の孤独というものがあり、群れをなしていても、唾を飛ばす事はなく、各々は黙々と自身の制作に努める。 あの、一種の修行というか、瞑想というか、そんなものにも通ずるような、半端に重い空気感が僕は嫌いじゃなかった。 そこでは僕は、絵を描いていた。 絵は常に勝手な妄想を許そうとした。 筆を走らせ、白紙のもとへ滲む、色とりどりの個性と感性は、その一切を他者の価値観に縛られる事なく。  誰もが理解に苦しむだろう、局所的な偏愛をも、おおらかに受け入れるような顔をしていた。 でも、そんな無垢すぎる白紙の、何ものでも受け入れようとするその素振りが、僕を深い母性で包み込むと同時に、途方も無い不安を押し付けようとした事を覚えている。 白無地とは、時に残酷なものだと。 僕はその時、知ったのだと思う。 ──そして。 “あの娘“もそこにいた。  目を引く金髪の彼女は、とても上品であり、所謂《いわゆる》、お嬢様という印象だった。 ただそれも、今思えば。というところであり、当時の僕は彼女がお嬢様だなんて、特に思った事はなかった。 彼女は、明るくて、優しく。 それでいて、意志は強く。行動力がある。 その上また、部の中でも群を抜いて美人でいて可愛いものだから、芸術の美的感覚なんぞを知った気になっている悲しき男子共は、気品漂う彼女の存在に、すべからく骨抜きになっていた。 そんな、常に人の輪の中心に咲く彼女の筆は、油彩であった。 学生の時分で絵を描くものにとって、真っ先に油彩を取るというのは、大袈裟に言えば、富の象徴だったと思う。 油彩とは、画材に酷く金がかかる物だからだ。 そういうところで見ても、やはり彼女は金銭に困窮する事とは無縁のお嬢様という存在であった事に気付かされる。 一方。 人々の片隅に、ひっそりと潜んだ僕はと言えば、小悪党にも満たないちんけな悪ガキで。 人がいない間に教材室の鍵を拝借しては、そこからバレない様、使いたい色の水彩ガッシュを一本、二本とくすねて使い、金を浮かせていた。 ──そういう、二人。 水彩を描きむしる哀れな僕と。 油彩を厚く伸ばす可憐な彼女。 僕は、彼女に興味など無か
last updateDernière mise à jour : 2025-11-29
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『慌しい哺乳類の飛翔』
 次の休みの日。 僕と彼女は、上野駅で合流をした。 その日、彼女は私服だった。 白い襟付きのロングワンピースに身を包んだ彼女は、学校にいる時よりも一層美しく、長い金髪も相まって、遠目から見てもわかるほどに際立っていた。 僕はそれを見て、美術部員の悲しき男子共を出し抜いたという優越感が立ちのぼり、鼻を伸ばす。 ただし、僕はただの夏制服だった。 その中でせめてもと思い、ワイシャツだけはおろしたてにしたものの、待ち合わせ場所までの道中に初夏の厳しい日の光を浴びてしまい、結局は汗で萎びてしまう。 この着飾る事への美的感性を持たないあたりが、やはり僕も悲しき男子共と変わらない大衆の一部である事を思い知らされ、ため息を吐いた。「それでは行きましょうか」「……うん」 互いの感想も特にないまま、口数も少なく歩き始めた僕達は、何とも言わずに美術館の方へと向かった。 僕は最初、何故いきなり上野に誘われたのかと不審に思ったが、まあ美術部で上野と言ったら美術館で間違い無いだろうと思い、調べた結果、特別展の内容を見て納得した。 フェルメール展がやっていたからだ。 それは、僕が拾ったウルトラマリン──。 フェルメールブルーの件だろう。 彼女は、その絵の具が使われた作品を見せるために、今日僕を誘ったのでは無いかと考えた。 だから昨晩の僕といったら、ろくすっぽ寝ずにフェルメールについて調べ、朝を迎えていた。 それはなにも知識をひけらかしたかったわけじゃない。ただ、彼女と同じ立ち位置で絵を見たかっただけなのだ。 ──しかし。 程なくして、美術館の前にたどり着いた時。 なんと、彼女は美術館に目もくれず、そのままスタスタと速度を落とさずに道を進んで行くではないか。 それに驚いた僕は、思わず声をかけた。「ちょ、ちょっと!? あの、美術館ここだけど……フェルメール展を見るんじゃないの?」 すると振り向いた彼女は、不思議そうな顔をして僕を見つめていた。「美術館? いえ、そこに用事はないですよ」 おい、マジか。 美術部の僕達が、美術館を素通りするのは流石におかしいだろ。 ウルトラマリンをあんなに大事そうに抱えておいて、君の目当てはフェルメールじゃないって言うのかよ。「ウソ……」 じゃあ、僕のあの努力は一体……。 絶望した僕は、ぽつりと一言呟いてしまう
last updateDernière mise à jour : 2025-12-03
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