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last update Last Updated: 2025-08-30 10:58:19

 もうひとかけらのナッツを平らげた後、囁き鳥は少しずつ心を開き始めた。

 ミリーの語りかけに応じるように、ぽつり、ぽつりと記憶していた言葉の断片を話し始める。

 アレックスはミリーの手法を「非合理的だ」と呟きながらも、鳥が様々な声音で話した全ての言葉を、巨大な黒板に一言一句漏らさず書き留めていった。

 やがて黒板は脈絡のない単語で埋め尽くされた。「五番倉庫」「裏口」「鍵」「錬金術師」「銀の」……。

 アレックスはそれらを論理的に並べ替えようとするが、今ひとつ意味が通らない。そこでミリーが、ジャーナリストとしての取材経験から、「これは一つの文章ではなく、犯人たちの会話の流れを再現しているのかもしれない」と仮説を立てた。彼女は、単語を会話のキャッチボールのように並べ替えていく。

 二人の力を合わせた結果、ついに黒板には一つの計画らしき文章が浮かび上がった。「銀の鍵で、五番倉庫のそばにある、錬金術師の裏口を開ける」。

 計画の骨子は判明したが、最も重要な「どの錬金術師か」という情報が欠けている。

「それは単なる情報検索だ。新聞社のデータベースを当たれ。今回は衛兵隊に頼めないからな」

 アレックスに命じられて、ミリーはデイリー・ピープルの編集部に戻り、資料室に駆け込んだ。埃っぽい紙の匂いがする静寂の中、都市地図の中から膨大な数の錬金術師のリストを、一枚一枚、照合していく。

 深夜になって。ミリーはとうとう、全ての条件に合致する人物を一人だけ見つけ出した。彼女は、そのファイルに書かれた名前を見て目を見開いた。

(ダリウス・ホルダスですって……!?)

 都市で最も高名な錬金術師。ただの密輸事件ではなかった。ミリーは、自分たちがとんでもない事件に足を踏み入れてしまったことを悟り、愕然とするしかなかった。

 アレックスとミリーは、ダリウス・ホルダスの研究室と第五倉庫がある波止場の工業地区へ向かった。古い石畳の道には、そこかしこに色のついた水たまりがあり、空気は錬金術の触媒が混じり合ったような、独特の金属臭がした。

 二

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  • 魔術都市の分解学者   26:小さな恋の歌

     ダリウス・ホルダスの事件が一応の解決をしてから、魔術都市には束の間の平穏が訪れていた。 デイリー・ピープルの編集部も例外ではない。その日の午後は、大きな事件のない穏やかな時間が流れている。ミリーは溜まった雑務を片付けながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。「あ、あの……ミリーさん」 背後から聞こえたか細い声に、ミリーは振り返った。そこに立っていたのは、社会部の同僚であるレオだった。 ミリーと同い年の十九歳である彼は、気弱さが目立つ青年である。けれど優しい人柄だったので、ミリーは彼のことが嫌いではなかった。 レオは手に持った一通の封筒を握りしめながら、視線を床に落としている。そわそわと落ち着きのない様子だった。「レオ。どうしたの?」 ミリーが首を傾げると、レオは真っ赤になった。「ミリーさんは最近、例のアレックス・グレイ氏の時計塔に住んでいると聞いたよ。本当?」「うん、本当よ」「それは、その。アレックス氏の恋人になったとか、そういう……?」(はい!? 私がアレックスさんの恋人? パズルの分解にしか興味のないあの人の!) ミリーは驚きのあまりのけぞった。あまりの衝撃にめまいを覚えながら、慌てて否定する。「違う違う! 私がちょっと危ない事件に足を突っ込んでしまったものだから、身の安全のために時計塔に置いてもらっているの。アレックスさんの恋人? ありえないわ。だってあの人、愛とか恋とか優しさとか思いやりとか、とにかく人の心というものがちっともわからないのよ!」「えっと?」 ミリーの勢いにレオは戸惑っている。ミリーはようやく我に返った。「つまりアレックスさんの興味は論理的なパズルだけで、私なんか視界に入ってないわ。私だって仕事で頼りにしているだけで、恋人とかそういうのは一切ないから」「そっか。それならよかったよ」 レオは頷いて、封筒を取り出した。「こ、これ! その……もし、よかったら、読んでください!」

  • 魔術都市の分解学者   25

     研究室の床にへたり込んだまま、嗚咽を漏らしながら、フェリクスは全てを語り始めた。彼の言葉は途切れ途切れだったが、その光景はミリーとアレックスの脳裏に鮮明に映し出されていく。「あの日、先生は僕に言ったんだ。『君の研究は、今日から私のものだ』と。彼は、僕が長年心血を注いできた『生命創造』の理論を、全て自分の手柄として発表するつもりだった!」 彼は言う。今までダリウスに研究を提供していたのは、共同研究者の立場を疑っていなかったから。 それなのにダリウスは、最後の最後、最も大きな成果を発表する時になってフェリクスを切り捨てた。「僕はただ、論文を返してほしかっただけだ。でも先生は逆上して、もみ合いになって……僕が突き飛ばした弾みで、先生は薬品棚に……!」 彼は頭を抱えたまま、嫌々をする子どものように首を振った。「頭を強打した先生は、パニックになっていた。僕を睨みつけながら、何か別の調合を始めた。でも、魔力が制御できなくて……触媒が暴走してしまった。先生は、一瞬で炎に巻かれてしまった……」 フェリクスは顔を覆った。「殺すつもりなんてなかった。でも先生の無残な姿を前にして、僕は、悲しいはずなのに……心のどこかで、喜んでいる自分がいた。『これで、僕は自由になれる』って……!」 密室を偽装するために金属で密閉したのも、優れた錬金術師でありこの研究室を熟知していた彼であれば、造作もないことだった。 告白を終えて、フェリクスはただ泣きじゃくる。 ミリーは彼に駆け寄り、震える肩にそっと手を置いた。「あなたはただ、自分の才能を認めてほしかっただけなのね……」 これは事故だ。ミリーが彼を罪に問えるはずもない。 だがアレックスは、何かを考え込むように灰色の瞳に光を灯していた。◇ やがて衛兵隊が到着し、フェリクスはされるがままに連行されていく。「

  • 魔術都市の分解学者   24

    「さて。その前に一つ実験といこう」 アレックスは呟くと、部屋の隅まで行った。ガラクタのような魔道具類が並べられた、古びたガラス棚の前に立つ。「アレックスさん、何を――」 ミリーが最後まで言い終わる前に、彼は戸棚に手を掛けた。そのまま思いっきり引き倒す。 キィィン! ガッシャーン! ガラス戸が床にぶつかって、すごい音がした。割れたガラスが飛び散って、辺りはひどいことになる。 リンギがびっくりして飛び上がり、怯えたようにミリーの肩に止まった。「ふむ。こんなものか」「こんなものか、じゃないですよ! なんてことするんですか!」 ミリーが怒鳴ると、アレックスは肩をすくめた。「ここを片付けておいてくれ」「はぁ!?」 ミリーの抗議をまったく取り合わず、彼はさっさと机に戻り、また資料を読み始めた。それきり目を上げようともしない。「何なのよ、もう!」 ガラスの破片をそのままにはできない。ミリーは文句を言いながら、仕方なく片付けをした。◇ さらに翌日、ダリウス・ホルダスの荒れ果てた私設研究室にて。 アレックスとミリーは、「最終確認のため」と称してフェリクスをその場所に呼び出した。 研究室の中には、アレックスが時計塔から持ち込んだ黒板が、異様な存在感を放っている。そこには、ダリウスとフェリクスの才能の逆転劇を示す、冷たい論理がびっしりと書き込まれていた。「君こそが本物の天才だ」 アレックスは黒板を指し示した。「そして師であるダリウスは、君の才能に嫉妬し、研究を奪おうとした。だから君は自分の研究を守るため、ダリウスを殺した。違うか?」 論理的に追い詰められたフェリクスは、青ざめた顔で立ち尽くしている。しかし彼の口から飛び出たのは、罪を認める言葉ではなかった。 フェリクスはミリーに縋るように訴える。「違う! 先生は、先生は僕の才能を認めて、全てを託そうとしていたんだ! あの日も、共同研究者として僕の名前を発表すると約束し

  • 魔術都市の分解学者   23

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  • 魔術都市の分解学者   22

    (フェリクスさんのあの白銀色の火傷。焼けた研究室に残っていた触媒と、そっくりな色だった。それじゃあやはり、彼が犯人? でも、涙を流してまで先生の死を悼んでいたのに?) ミリーは混乱した思考のまま、時計塔へ向かって町を歩いていく。ぼんやりとしていたせいで通行人にぶつかって、「何やってんだ!」と怒鳴られてしまう。そのたびに慌てて謝りながら、彼女はふらふらと歩き続けた。 時計塔までの距離が、いつもの何倍もあるように感じられた。 やっとのことで時計塔に帰り着いて、扉を開ける。 アレックスはダリウスの研究資料を床一面に広げて、その中心で山のように積まれた論文を読んでいた。リンギが彼の肩にとまり、乾いた紙をめくる音を『パラ、パラ、パラ』と小さな声で模倣している。 ミリーのただならぬ様子に気づいたのか、アレックスは億劫そうに顔を上げた。「アレックスさん……私、見てしまいました。フェリクスさんの手首に、あの現場にあったのと同じ、白銀の火傷の痕がありました」 ミリーの声は、自分でも気づかないうちに震えていた。 アレックスは驚かなかった。ただ、論文をめくる手がわずかに止まる。「そうか。やはり、そちらにも歪みはあったか」「驚いていませんね。何か見つけたんですか?」 アレックスは立ち上がると、ミリーを作業台の方へ手招きした。 作業台の上には、二種類の研究ノートが並べられていた。一方はインクが滲み、焦りや苛立ちが感じられる震えた筆跡。もう一方は美しく力強い筆跡で書かれた、革新的な理論のメモだった。「これはどちらもダリウスの研究室にあった。だが、この研究資料は奇妙だ」 アレックスが言った。「大部分はこの震えるような筆跡で書かれている。ダリウス本人のものだろう。だが時折、全く別の筆跡で、遥かに優れた考察が書き加えられている」 アレックスは、一枚のレポートを横に置いた。「で、これはフェリクスの過去のレポートだ。衛兵隊に頼んで王立学院から取り寄せた」「これって!」 ミリーは目を見

  • 魔術都市の分解学者   21

     捜査を終えて、アレックスとミリーはダリウスの研究室を後にした。潮の香りが、まだ鼻の奥に残る金属臭を少しだけ和らげてくれる。 衛兵隊はアレックスの指摘を受けて捜査方針の転換を余儀なくされて、現場は混乱していた。「僕は時計塔に戻り、この『残骸』の検分を続ける」 歩きながら、アレックスが言った。「ホルダスの論文(データ)を全て記憶した。天才がなぜ、そして、どのようにして凡庸へと墜落したのか、その構造を分解する」 彼はミリーに向き直る。「君は、関係者というノイズの多いデータ群にあたってくれ。特に、長年の助手だったという男……フェリクス・マイヤー。彼がこの事件の最重要の構成要素(パーツ)だ」「分かりました。取材ですね。彼が何か知っていると?」「さあな。だが、師の才能の盛衰を、最も近くで見ていた人間だ。何かしらの『歪み』を観測できるはずだ」(歪みを観測、ね……) ミリーは、人の心を機械部品のように語るアレックスの言葉に反発を覚えながらも、頷いた。◇ フェリクス・マイヤーの住まいは、王立学院の若手研究者用の宿舎にあった。 ダリウスの混沌とした私設研究室とは対照的に、フェリクスの部屋は簡素で、整然と片付いている。書棚には専門書が几帳面に並べられ、彼の誠実な人柄を物語っているようだった。 出迎えたフェリクス本人は、ミリーの訪問に少し驚きながらも、丁寧に応対してくれた。 師ダリウスの死がフェリクスに衝撃を与えたのだろう。彼はすっかりやつれ果てて、泣き腫らしたであろう目は赤くなっていた。(私には、誠実な人に見えるわ。恩師を尊敬して、死を悼んでいる。アレックスさんは『歪み』と言っていたけれど、私にはただ深い悲しみしか見えない。もちろん、詳しく話を聞かなければならないけど。彼が犯人とは思えない) ミリーは、憔悴しきった目の前の青年に、心からの同情を寄せた。 彼女が身分を明かして師の死について尋ねると、フェリクスは堰を切ったように想いを語り始める。

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