LOGIN昨日まで、俺の存在なんて風の音よりも軽かった。
だけど今朝──廊下を歩くだけで視線が刺さる。 「マジで勝ったのか? クロが?」 「うっそ、夢じゃねえの?」 ──うるせえ。 注目されるのは初めてじゃない。でも、こんな風に見られるのは……正直、気分が悪い。 模擬演習での勝利。 それが本当に俺の力だったのか。それすら自信を持てないまま、俺は教官室の扉を叩いた。 「クロ・アーカディア、特別再評価演習に出頭せよ」 そう書かれた紙が、机の上に置かれていたから。 このセントレア魔導学院は、国家直属の魔導騎士団への登竜門。 一度でも結果を出せば、上層部がすぐに動く。それが、落ちこぼれの俺にも特別演習が回ってきた理由だ。 「次の対戦相手は、学院主席──フィア・リュミエールだ」 「……はい?」 名前を聞いた瞬間、心臓がひっくり返った。 学園内でも実力は頭ひとつ抜けていて、最強候補と噂されている。 氷属性の構築特化型で、演算速度だけなら主席級とも言われている。 たしかに同じ一年のはずなのに、俺にとっては完全に別世界の住人だった。 教官室を出て、演習場までの廊下を歩く。 周囲の視線が、いつもより多く感じた。 俺が特別演習に呼ばれた──それだけで、噂の材料には十分らしい。 心臓の鼓動は速い。でも、足は止まらない。 あとはもう、やるしかない。 《ゼロ、聞こえてるか……?》 《受信中。……情報確認。対象、フィア・リュミエール。一年次所属。構築演算速度:現行上位水準。将来的に、歴代最速領域に到達する可能性あり。》 《うん、やっぱムリそうだわ。俺、今日限りで消えるかも》 《過剰なネガティブ演算は非効率。落ち着け。》 《無理だっつーの……!》 演習場の空気が一変したのは、彼女が現れた瞬間だった。白銀の髪が揺れる。空気すら凍るような冷たい眼差し。無駄のない動作。静かな足音。 そのすべてが──異質な美しさに支配されていた。 「時間を無駄にするつもりはないわ。さっさと終わらせましょう、落第生くん」 声に棘はない。 ただ、何も期待していないだけ。 俺という存在が、ただの通過点に過ぎないのだと──無言で伝えてくる。 「……今日もいい天気っすね」 俺は笑った。心臓バクバクで。 《ゼロ。支援、フルでいけるか?》 《可能だ。ただし、演算過負荷が発生した場合、応答に遅延が生じる恐れがある》 《頼れるのは、お前だけだ》 《……了解。構築演算、準備開始──》 《両者、準備完了。演習、開始!》 演習場の空気が張り詰める。 フィアは小さく息を吐いただけで、構築を始めた。声も詠唱もいらない。手の動きすら、最小限。 ──《冷界晶陣(レイ・クラリス)》 魔素が一瞬にして凝縮され、空中に結晶の陣が組まれる。 氷の矢が、まるでレーザーのように一直線に俺へと放たれた。 「っ、ゼロ!」 「《防御構築、三重展開──今ッ!》」 俺の前に展開された光の壁を、氷が鋭く突き破ろうとする。 一枚目が砕け、二枚目がひび割れ、三枚目の直前で ──止まった。 「……ちょっとだけ、いい防御ね」 フィアが微かに目を細めた。 (ちょっとだけ、って……これゼロのガチ支援だぞ!?) 《警告。対象の演算式が、こちらの魔術構築に同期を開始》 《は……? 同期って、どういうことだよ──》 《構築フローを観察・解析し、自身の魔術展開に即時反映。高速なリアルタイム演算》 《……つまり、俺の動きが筒抜けってことかよ》 (──だとしても、やるしかねぇ!) 俺は手を振り上げ、ゼロの補助によって構築された魔術を叫ぶ。 《──閃雷刃!》 雷が空気を裂き、稲妻の刃が迸る。それは一直線にフィアへ── しかし、「甘いわ」 フィアが指先をほんのわずか動かす。 空中に展開された氷晶が、雷の軌道を読み切り、寸前で凍結させた。 バチッ──と火花が散り、俺の魔法は消えた。(やべぇ、やっぱ化けもんだこいつ……!) 《新たな魔術構築を推奨。だが、演算時間が不足──》 ゼロの声が、そこでノイズ混じりに途切れた。 《っ……ゼロ!?》 《……魔力制御に乱れ。構築演算にノイズが混入している》 《支援演算、安定性を喪失。リンク断を防ぐため一時停止》 「っ、ちょっと待てゼロ! 今止まられたら!」 応答はなかった。俺の脳内から、ゼロの声が完全に消えた。 《マジかよ! このタイミングで!》 目の前に、フィアの氷晶陣が再び形を成す。もう一撃もらえば、終わる。 なのに── ゼロからの次の演算指示が、届かない。 (くそ……次は、どうすりゃ……) そのとき、俺の中に流れ込んでいた魔力が、勝手に暴れ始めた。 ゼロの式構築を中途半端に真似たまま、形にもならないまま。 「ちょ、待っ──!」 暴発した。雷が、音もなく閃いた。 構築途中だったゼロの演算式に、俺の思考と魔力の癖が強引に割り込んだことで、完全に想定外の魔術が、放たれた。 けれど、それは─ 「……っ!」フィアが目を見開く。 彼女の氷晶陣、その一部を突き破って、雷の軌道が斜めに切り込んだ。 防御の隙間、たった数ミリ。 そこに入り込んだ雷が、フィアの肩先をかすめる。 演習場が、沈黙した。 (俺は今……なにをした……?) ゼロの声が、ノイズの後に静かに戻ってきた。 《分析完了。……発動魔術、形式外構造。分類:偶発演算》 《偶発──つまり……事故?》 《ああ。しかし、その事故を成立させたのは君だ。君の癖、判断、即興の流し方……設計外だが、効果はあった》 ──気づけば、俺も、フィアも動けなかった。彼女は、静かに氷の構築を解くと、低くつぶやいた。 「……破られた。論理外。非合理。なのに……通ってしまった」 演習は、引き分け扱いで終わった。 審判も教官も、何が起きたのか理解しきれていない様子だった。 「魔術構造、ログに残せてるか……?」 「未分類の演算形式? 初期段階か?」 「クロ・アーカディア……今の魔法、どこで習得した?」 ざわつく教官たちの声を背に、俺はそそくさと演習場を抜け出した。 (絶対バレたと思った……!) ゼロの声が脳内に戻ってくる。 《検出はされていない。君の魔術は、自然演算の偶発変異として処理されている》 《つまり……奇跡ってことか》 《奇跡ではない。可能性だ》 ──そう言われても、自分がなにをしたのか、正直まだわからない。 ただ、あの一撃で。俺は、あのフィア=リュミエールの防御を破った。 それだけは、間違いない。 放課後。夕暮れの屋上。 今日一日が夢だったんじゃないかと確かめたくて、俺は風に吹かれていた。 「ここにいるとは、予測外だったわ」 聞き覚えのある、低く冷たい声が背中から降ってきた。 振り返ると、制服のままのフィアが立っていた。 夕陽を背に、氷のような瞳だけが淡く光っている。 「な、なんかご用スか、フィア先輩」 「先輩じゃない。同級生よ。……演習相手だった」 言葉は冷たいのに、不思議と怒っている感じはしなかった。 「一つだけ、言っておくわ」 一拍置いて、彼女はつぶやく。 「あなたの魔術……面白かった」 その言葉に、一瞬、思考が止まった。 「え、今、褒められた……?」 「違うわ。ただの事実よ。理論は滅茶苦茶、動きも非合理。でもなぜか、突破された」 「それは……偶然で……いや、まあ、その……」 「ふふ……しどろもどろね。やっぱり、あなたは落第生だわ」 フィアが、初めてほんのわずかだけ、口元を緩めた。 それは──氷の仮面に、ヒビが入ったような笑みだった。 「またね、クロ・アーカディア」 フィアがそう言って背を向けたとき──ふと、俺は声をかけかけた。 「……その、肩。……さっきの、平気だったか?」 背中越しに、白銀の髪がわずかに揺れる。 「かすっただけよ。……でも、ありがとう」 それだけ言い残して、彼女は去っていった。 《ログ保存完了。対象:フィア・リュミエール、感情反応──揺らぎの兆候》 《ゼロ……今のって、もしかして……》 《詳細不明。ただし、演算上は関心と類似する反応が観測された》 《……マジかよ》 笑いがこみ上げる。 奇跡みたいな勝利と、奇跡みたいな一言。それでも、 「少しだけ、信じてみてもいい気がしてきた」 「俺だって……マギナリストを目指していいんだってさ」 それは、たった一つの偶然が生んだ、最初の変化。落第生と最強AI、そして氷の才女の物語が、ようやく動き出した。それから五年が経った。《ニューエラ・アカデミー》は、世界中に20の分校を持つまでに成長していた。卒業生は5000人を超え、彼らは社会の様々な場所で活躍している。異常演算者への差別は完全に消え、共存が当たり前の世界になっていた。そして――クロとサクラには、4歳になる娘がいた。名前は、アイリ。風属性の魔術を使える、元気な女の子だった。「パパ、見て!」アイリが小さな風の渦を作る。「おお、すごいな」クロが褒める。「上手になったな」「ママが教えてくれたの」アイリが誇らしげに言う。サクラが微笑む。「この子、才能あるわ」「そうだな」クロも嬉しそうだ。二人の家は、アカデミーの近くにあった。毎日、教師として働き、夜は家族と過ごす。そんな平和な日々が続いていた。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ある休日、12人全員が集まることになった。場所は、最初に約束の海に来たビーチ。「久しぶりだな、みんな」クロが仲間たちに声をかける。「ああ、久しぶり」カイが笑う。ジンも微笑んでいる。「みんな、元気そうだな」ミナとフィアは、親友同士で話している。「最近、忙しくてさ」「わかるわ。私も」レイン、レオ、リア、マルクも談笑している。「久しぶりの休みだ」「楽しもうぜ」アイリは、他の子供たちと遊んでいた。そう、他の仲間たちにも子供ができていたのだ。ジンとフィアの息子。
《ニューエラ・アカデミー》開校から三年が経った。学院は今や、世界中から注目される存在となっていた。卒業生は1000人を超え、彼らは社会の様々な場所で活躍している。「信じられないな」クロが校長室で書類を見ながら呟く。「三年で、ここまで大きくなるなんて」「君たちの努力の賜物だ」ルーク司令官が訪問し、そう言った。「いや、みんなのおかげです」クロが謙遜する。「先生方、生徒たち、支援者の皆さん」「すべての人の協力があったから」ルークが微笑む。「謙虚だな、相変わらず」「それで、今日はどうされたんですか?」「実は――」ルークが真剣な表情になる。「君たちに、新たな提案がある」「提案?」「世界各地に、《ニューエラ・アカデミー》の分校を作らないか」その言葉に、クロは驚いた。「分校……ですか?」「ああ。ヨーロッパ、アジア、アメリカ」「世界中に、この教育を広めたい」「でも、俺たちだけでは……」「大丈夫だ」ルークが安心させる。「各地のWAU支部が協力してくれる」「そして、君たちの卒業生が教師になる」クロが考え込む。確かに、素晴らしい提案だった。しかし、責任も大きい。「みんなに相談してみます」クロが答える。「わかった。返事を待っている」ルークが去った後、クロは仲間たちを集めた。「分校か……」ジンが考え込む。「やりがいはあるな」「でも、大変だぞ」カイが心配する。「俺たち、各地
《ニューエラ・アカデミー》開校から一年が経った。 初期の生徒たち300人は、今や立派な異常演算者に成長していた。 そして、新たに400人の新入生を迎えることになった。 「すごい人数だな」 カイが新入生の名簿を見ながら言う。 「400人も」 「需要が高まってるんだ」 ジンが説明する。 「異常演算者への理解が深まり、正しい教育を受けたいという人が増えた」 「いいことだな」 クロが微笑む。 「俺たちの活動が、実を結んでる」 新入生歓迎式が開かれた。 壇上には、12人の教師だけでなく―― 1期生の代表として、ユウキとアカネも立っていた。 「新入生の皆さん、ようこそ」 ユウキがマイクを手に取る。 「僕は、1期生のユウキです」 「一年前、僕もここに入学しました」 ユウキが自分の経験を語る。 「最初は不安でした。本当に、異常演算を使いこなせるのかって」 「でも、先生方の丁寧な指導のおかげで、今ではこんなに成長できました」 ユウキが風の魔術を披露する。 美しい風の渦が、会場を包む。 新入生たちが感嘆の声を上げる。 「すごい……」 「僕たちも、あんなふうになれるのかな……」 アカネも続ける。 「私も、最初は自信がありませんでした」 「でも、仲間と一緒に頑張ることで、強くなれました」
《ニューエラ・アカデミー》が開校してから半年が経った。生徒たちは、目覚ましい成長を遂げていた。「すごい……」クロが訓練場で生徒たちの模擬戦を見ながら呟く。「半年前とは、別人みたいだ」ジンも頷く。「基礎がしっかりしてきた」「このまま成長すれば、立派な異常演算者になるだろう」訓練場では、二人の生徒が戦っていた。一人は、風属性のユウキという少年。もう一人は、炎属性のアカネという少女。「《風刃・連撃》!」ユウキが風の刃を連続で放つ。アカネが炎の壁で防御する。「《炎壁》!」しかし、風刃が炎壁を突破しそうになる。「まずい……」アカネが焦る。その時、アカネは授業で習ったことを思い出した。(ミナ先生が言ってた。防御が破られそうな時は、攻撃に転じろって)「《爆炎弾》!」アカネが攻撃に切り替える。炎の弾丸が、ユウキに向かって飛ぶ。「うわっ!」ユウキが慌てて回避する。その隙に、アカネが距離を詰める。「《炎拳》!」炎を纏った拳が、ユウキに命中した。「勝負あり!」審判役のカイが宣言する。「アカネの勝ちだ」「やった!」アカネが喜ぶ。「ありがとうございます、ミナ先生!」ミナが笑顔で親指を立てる。「よくやった」「でも、ユウキも悪くなかったぞ」カイがユウキに声をかける。「攻撃は完璧だった。ただ、相手の反撃を予想できなかった」「はい……」ユウキが悔しそうに言う。「次は、勝ちます」
開校式の朝。《ニューエラ・アカデミー》の校門前には、300人を超える新入生が集まっていた。年齢も経歴も様々。10代の若者から、30代の大人まで。すべてが、異常演算者として正しい教育を受けるために集まった。「すごい人数……」サクラが緊張した顔で言う。「みんな、私たちを見てる」「大丈夫だ」クロが励ます。「俺たちは、彼らの先輩だ」「胸を張っていこう」12人が壇上に上がると、大きな拍手が起こった。「ようこそ、《ニューエラ・アカデミー》へ」クロがマイクを手に取る。「僕の名前は、クロ・アーカディア」「この学院の教師の一人です」300人の視線が、一斉にクロに注がれる。「皆さんは、今日からここで学びます」「異常演算の使い方、制御の仕方、そして――」クロが一呼吸置く。「どう生きるべきか」「異常演算者として、社会とどう関わるべきか」「それを、僕たちが教えます」次に、ジンがマイクを受け取る。「僕は、ジン・カグラ」「クロと共に、この学院を運営しています」ジンが冷静に続ける。「この学院には、ルールが一つだけあります」「それは――仲間を大切にすること」「異常演算者は、一人では生きていけません」「仲間と助け合い、支え合う」「それが、僕たちの信念です」その言葉に、生徒たちが深く頷く。他のメンバーも、次々と自己紹介をしていく。カイの熱い挨拶。ミナの親しみやすい言葉。サクラの優しい笑顔。フィアの冷静な分析。レインの短いが
休暇から戻った12人を、オブシディアン基地で盛大な歓迎が待っていた。「お帰りなさい!」ルーク司令官とエリス・ノヴァが出迎える。「ただいま戻りました」クロが笑顔で答える。「休暇は、どうだった?」「最高でした」サクラが嬉しそうに言う。「みんなで、たくさん思い出を作りました」ルークが満足そうに頷く。「それは良かった。では、早速だが――」「育成機関の件、どうするか決めたか?」「はい」クロが前に出る。「12人全員で、やらせていただきます」その言葉に、ルークが嬉しそうに微笑む。「そうか。嬉しいな」「では、さっそく準備を始めよう」会議室に移動し、詳細な打ち合わせが始まった。「まず、機関の名称だが――」ルークが資料を開く。「政府からの提案は《異常演算者育成アカデミー》だ」「うーん……」カイが首を傾げる。「堅苦しくないか?」「確かに」ミナも同意する。「もっと親しみやすい名前がいいわね」「なら……」ジンが提案する。「《ニューエラ・アカデミー》はどうだ?」「新時代の学院、という意味だ」「いいね!」サクラが目を輝かせる。「前向きで、希望がある感じ」全員が賛成し、名称が決定した。「次に、場所だが――」エリスが地図を表示する。「政府が用意した候補地が、3つある」画面に映し出されたのは、どれも広大な土地だった。「海沿いの土地、山間部の土地、都市部の土地」「どれがいいかな?」