クロたちの戦場の裏側。
砂煙の向こう、別の戦線では、また異なる静かな戦いが進行していた。 無言の土魔術士――レイン・アズレア。 長身痩躯、銀灰の髪が風に揺れる。 その背後には、同じクラスの控えめな二人の生徒。どちらも戦闘力は決して高くはない。 しかしレインは、彼らを決して見捨てなかった。 彼が展開するのは、派手さとは無縁の魔術。けれどその土は、誰よりも堅く、誰よりも強い。 「……下がってろ」 短くそう言うと、レインは静かに、指先を地面に添える。 瞬間、足元から土の紋が広がった。 「構造式展開──重層障壁《アース・バイン》」 次の瞬間、地面が隆起し、何層にも重なる岩の盾が仲間たちを包む。 「っ……! 防御魔法、強すぎじゃ……!」 「レインくん、すご……!」 だが、彼の視線はすでに前を向いていた。 立ちはだかるは、漆黒のコートを纏う少年。 ジン・カグラ。 銀の髪が淡く光を反射する。前髪は片目を隠すほどに長く、それでも隠せぬ鋭い眼差しが、空間ごと切り裂く。 その瞳は金色の刃のように鋭く、どこまでも見下ろしていた。 「……土。悪くはないが、遅い」 ジンの手がわずかに動いた。 「雷閃式・断層連打──《ゼクト=ラディア》」 刹那。空間が爆ぜた。 地面に触れる前に、雷が斬り裂く。 レインの構えた防壁が、一撃で切り崩される。 「ッ──!」 だが、それでもレインは下がらない。 土塊を高速回転させ、殴り飛ばす。 周囲の岩を変形させて罠を仕掛ける。 対して、ジンは一切の無駄なく、それらを的確に潰していく。 「君の守りは立派だ。けれど――勝ちに届かない」 「……わかってる」 レインが、少しだけ声を出した。 「でも……俺が倒れたら、あいつらまで終わる」 その一言が、すべてだった。 彼の土魔術は、誰かを守るためにある。 己ひとりで、勝ちに行くのではない。 足手まといと言われようが、彼は彼らを連れて最後まで行こうとした。 ──しかし。 無情にも、ジンは最後の一撃を放つ。 雷を纏った打突。 地面ごと抉る威力が、レインを吹き飛ばす。 【チームF:全員戦闘不能──】 「……いい盾だったよ、レイン・アズレア」 ジンが小さく呟く。 だがレインは、仲間たちが無事であるのを見届けたあとで、ようやく膝をついた。 彼の戦いは、静かで、誇り高かった。 ──そして。 夕刻に差しかかる頃。 バトルロワイヤルの場には、最後の二チームが残っていた。 クロ・アーカディア フィア・リュミエール カイ・バルグレイヴ そして。 ジン・カグラを筆頭とする、三人の静かなる強者たち。 「……さすがに強えぇ奴が残ってんな」 カイが歯をむく。 「上等。ここからが、ほんとの本番ってやつだろ?」 クロが一歩前に出る。 両手に電流を纏いながら、ジンと正面から向き合った。 砂塵の向こう、黒いコートの男がゆっくりと歩いてくる。 ジン・カグラ。 漆黒のコートをはためかせながら、向こうから歩いてきた。 一切の迷いも焦りもなく、ただ当然のように、戦場の中心へと進む。 「……最後の相手、ジンか」 「うわ、出たな……ボスキャラ感出すぎだろ」 カイが肩を鳴らし、にやっと笑う。 「でもまあ──こっちには落第生の奇跡がいるんでね!」 「……そういうのやめろ!」 「そっちのほうが燃えるだろ?」 俺は苦笑いしながらも、手に魔力を集め始める。 空気が軋む。雷が弾けるように、全身へと魔力が走った。 フィアは何も言わない。ただ冷静に、静かに横に立っている。 彼女もまた、目の前のジンという存在に対して、全神経を集中させていた。 「……フィア、いけるか?」 「当たり前よ」 彼女の氷が、すっと空間を冷やす。視線は鋭く、けれど内側には確かな熱があった。 ──そして、ジンが足を止めた。 「……面白い」 その一言が、合図だった。 一瞬で距離が詰まる。 (速っ──!) 視線が捉えた時には、もうジンの手から光が溢れていた。 「風式・断層斬」 斜めに切り裂かれた空間。その余波だけで、俺たちの立ち位置がズレる。 フィアが即座に反応し、氷の障壁を展開。 「氷晶結界・連層!」 ジンの風が裂き、フィアの氷が抑える。 その一瞬の空白を突いて、俺が飛び出す。 「閃雷刀!!」 両手から放つ、クロ式の雷撃。ジンに届くかと思ったその瞬間、彼は首をかしげただけで回避した。 (回避行動すらムダがない……) 「君の雷……まだ未完成だな」 ジンの金色の瞳が、俺を値踏みするように見つめてくる。 《クロ、注意。彼の演算速度は我々の約1.6倍。即興では分が悪い》 (知ってる。けど、もうやるしかねぇ!) 再び突っ込む。ジンの回避に合わせて角度を変え── 「喰らえっ!」 雷が、地面を削る。 しかし次の瞬間、俺の視界が揺れた。 (……やばい、また来た) 《演算処理限界が近い。ゼロ演算、強制遮断を推奨》 (まだ、止まるわけには──) 足元がふらつく。ジンの一撃が、寸前で俺の脇をかすめる。 「……限界だな、クロ・アーカディア」 (違う……まだ、終わっちゃいねぇ!) 全身に残る魔力をかき集める。 演算も構造も、何もない。ただ、力をぶつけるという原始的な衝動。 「喰らええぇぇぇぇッ!!」 雷でも氷でもない、ただの魔力の塊が俺の手から放たれた。 ドガァァァァァンッ!!! 会場の一角が爆ぜる。煙と破片が舞い、観戦していた生徒たちが息を呑む。 ジンはギリギリでかわしていたが、着地後の顔に、初めてわずかな驚きの色が走った。 「……ただの魔力放出で、ここまでの破壊力を?」 《記録:演算外魔力放出、異常値検出。仮称:クロ式・零構成》 (ゼロ……まだ動けるか?) 《再起動中。最小演算モードでの支援は可能》 ジンは、ゆっくりと構え直す。 クロチームも、わずかに息を整えながら立ち上がる。 ジンの視線が、再びこちらを捉える。 「……そんなもんか、クロ・アーカディア」 一歩、また一歩と近づいてくるその足音に、俺の身体が勝手に反応した。 呼吸が荒い。視界が霞む。 ゼロの支援演算も、最低限しか動いていない。 それでも──俺は前に出た。 「終わり……じゃねぇよ」 「まだやるのか。もう動けないだろうに」 「だからなんだってんだよ……動けるうちは、前に出るしかねぇだろ」 その時だった。 横から氷晶が弾け飛んだ。 「……ここは、任せて」 「フィア──っ」 彼女の放った氷槍が、空を斬る。ジンの足元へと無数の氷が襲いかかった。 ジンはそのすべてを風で払いながら、冷静にカウンターを打ち込む。 「風式・螺旋刃」 フィアの氷が、一瞬で切り裂かれた。 「……っく」 その衝撃に耐えきれず、フィアが膝をつく。 (ちくしょう……俺が、ちゃんと戦えてれば) その瞬間だった。 「──よっし、バカの出番だ!!」 叫びながら、カイが横合いから突っ込んだ。 「拳なら演算いらねぇんだよ!!」 ジンとカイの拳がぶつかり合う。 火花。衝撃。魔力の衝突。 一瞬だけ、ジンの足が止まった。 その隙を、俺は見逃さなかった。 「……一撃だけ。これで決める!!」 最後の力を振り絞り、構える。 雷でも魔力の塊でもない。ゼロと俺の、演算でも直感でもないただの意志を乗せた拳。 ジンの目が、かすかに動いた。 「──来い」 「うおおおおおおおッ!!!」 俺の拳が、ジンの正面から飛ぶ。 ──しかし。 「甘い」 彼の風が先に届いた。 (──やられた) 思考が途切れた瞬間、衝撃と共に俺の身体が吹き飛ばされた。 地面を転がり、全身が痺れる。 仰向けに倒れたまま、空を見上げた。 朱色に染まった夕空が、滲んでいた。 ──そして、静かに。 「勝者、ジン・カグラチームとする」 魔導審査機が、その判定を下した。 会場がざわめきに包まれる中、ジンは静かに背を向けて去っていく。 その背を見ながら、俺は──なぜか、少しだけ笑っていた。 「負けた……けど」 《記録:精神安定レベル、前回比+34%。心的成長を確認》 (……ゼロ。ありがとな) 《こちらこそ、君の限界突破に感謝する。正直、想定外だ》 俺は少しだけ、拳を握り直す。 「次は、勝つ」 それだけを胸に、俺は地面からゆっくりと立ち上がった。 遠くで、カイが大の字になって笑っている。 フィアは、乱れた髪をそっと整えながら目を閉じていた。 そして──観客席の最前列で、誰よりも真剣にこちらを見つめていた少女。 サクラ・ヒヅキの視線が、俺に刺さっていた。 “恋と戦争”の戦闘演習。 俺たちの初陣は、幕を閉じた。期末試験──終了。「……生きてる?」「ギリ……生存確認……」クロとカイは、教室の隅で机に突っ伏し、抜け殻のように力なく呻いていた。傍らでは、採点結果を記したプリントが何枚も並べられている。ギリギリ、赤点は回避。だがギリギリすぎて、逆に死んでいた。「補習……回避……成功……」「お、おれたち……夏を……取り戻した……!」その場にいた誰もが、思った。──こいつら、大丈夫か? 「でも、どうするの? 夏休み」サクラがプリントをまとめながら問いかける。「ゆっくり休む……か?」クロが死んだ目のまま答えるが、その肩を、「却下」ぴしゃりとレインが叩く。「えっ……?」「2学期は魔道選抜戦がある」「なにそれ初耳!」ミナが乗り出してくる。「この前の総合実技の結果を見て、学園が新制度導入を本気で検討中らしい。成績次第では、魔導騎士団への推薦もありえるって噂だよ」「マジか……!」「つまり、ここで抜けたら……置いてかれるってこと?」「その通り」クロとカイが同時に青ざめる。「うわ……俺ら、今のままだと完全に詰みじゃん……!」「ちょっとは自覚あったのね」フィアが呆れたように言ったその時──「──見つけたぞ、落第組!」教室のドアが勢いよく開かれた瞬間、空気が変わった。入ってきたのは、髪をかき上げた白髪の男。サングラスに派手なシャツ、足元はなぜかビーチサンダル。「トウヤ先生……!?」レインが驚いた声を上げる。彼はクロたちの担当教師──というより、問題児にばかり好かれる謎の男である。「よう、優等生のレイン。いや、優秀すぎて心配してなかったけどな。俺が来たのはこいつらのためだ」ズイッと指差されたクロとカイは、まだ机に突っ伏したまま動かない。「反応なし。死んでるか?」「生きてます……一応……」クロが弱々しく答えたが、すぐさまトウヤに襟を掴まれ、ぐいっと引き起こされる。「なら十分。準備しろ、今から合宿だ」「……え?」「合宿って、あの……どういう?」サクラが恐る恐る尋ねると、トウヤはサムズアップしながら答える。「学園長から正式に依頼された。『クロ・カイ・その他有望株を鍛えてこい。ボーナスつける』ってな!」「金目当てかい!」ミナが即ツッコむが、トウヤは悪びれもせずに笑った。「もちろん理由はそれだけじゃねぇ。──お前ら、魔道選
放課後の鐘が鳴り終わる頃、クロとカイは机に突っ伏して、屍のようになっていた。「……しんだ……」「演算構造って、人を壊すためにあるだろ……」授業の終わった教室では、掲示板の前に人だかりができていた。そこにいたサクラが、呟くように言う。「……今回の期末、赤点取ると、夏休み返上で補習だって……」「え?」クロが死にかけの声で反応した。「いや、ほら、例年ならなんか特例とか……」「今年はマジらしいぜ」カイがあくび混じりに言ったが、その顔は目が虚だった。サクラはちらりとクロのほうを見て、小さく眉を寄せる。「……クロくん、大丈夫かな……」「はい、いただきました」すぐ近くから声がして、ミナが机を叩きながら立ち上がった。「そう言うと思ったよサクラ。じゃ、あんたが責任取って教えてやりな」「ええっ!? なんで私が……!」「心配するってのは、動く理由ってこと」ミナはきっぱりと言い放つと、くるりとクロの机の前に回り込み──「というわけで、勉強会やるよ。場所はクロの部屋で決定」「はぁ!?」クロの抗議も待たず、ミナはそのまま隣の席にいたカイの襟首をつかむ。「あんたも来い。言うまでもなく、点数ヤバい組だからな」「ちょ、ちょっと待てってミナ! オレは今まだ立ち直れて──おわっ!」そのままカイは椅子ごと引きずられ、教室のドアに向かっていく。ちょうどそのタイミングで、通路を通りかかったフィアとレインが顔を覗かせた。「あれ、ミナたちどうしたの──わっ……!?」「ん……?」「ちょうどいいとこ通ったな。あんたらも手伝え」「えっ!? あたし今、帰り道だったんだけど!?」「僕は関係ないと……」ミナは問答無用でフィアとレインの襟もつかみ、強引に方向転換させる。「文句はあとで聞くわ。全員連行。ほら、サクラも行くわよ!」「えっ、えっ!? 私も!?」ミナがずかずかと教室を出ていく。その後ろを引きずられながら、三人が続き、サクラも慌ててついていく。教室には、取り残されたクロがぽつんと残された。「……なに、今の……誘拐?」クロの部屋に入ると、ミナが真っ先に床にどかっと腰を下ろした。「さて、さっさと始めるよ。夏休みを取り戻すためにね」「なんでお前が一番やる気あんだよ……」カイがぶつぶつ文句を言いながら、壁際に寄りかかる。「……相変わらず何もないわね、
マリナの構築した防壁が、鋭く砕けた。「っ……そんな──!」フィアの《連晶矢》が三段式に再構成され、回避不可能な角度と収束密度で襲いかかる。術式干渉による中和すらも許さず、マリナの火水障壁を突き破った。「防げると思ったのが──甘かったわね」フィアが静かに、剣先を向けたまま言う。膝をついたマリナは、肩で息をしながらも唇を吊り上げる。「……はは。お嬢様って、容赦ないんだ……」演算具の破損が限界を超え、マリナはフィールドから強制退場した。同じ頃、林の切れ間ではサクラが風圧に押し込まれていた。「──風式・旋牙散弾!」ユウリの術式が、螺旋状の風刃となって空間を引き裂く。サクラは扇で受け止めるが、押し返せない。「っ……まだ……!」地面を蹴るも、風が絡みついて動けない。その時だった。「氷式・展弓──《裂氷穿》!」冷気が風を裂いた。背後から放たれた矢が、風壁を貫き、ユウリの肩すれすれを撃ち抜く。「っ……この術式は──」フィアがサクラの前に立っていた。「援護、遅れたわ」「い、いいえ! ……ありがとう!」サクラがわずかに頬を赤らめながら言い、再び扇を構える。「こっちは任せて。あなたは下がって」「でも!」「今のあなたじゃ、この相手には耐えられない」淡々と告げられた現実。悔しさに唇を噛みながら、サクラは後退する。「……お願いします、フィアさん」そして、空気の温度が一気に変わった。フィアとユウリ。才気と知性がぶつかり合う、氷と風の演算対決。だがユウリは、ちらりと戦場全体を見渡した。マリナが倒れ、ザガンもカイとの打ち合いの末に、膝をついていた。「……なるほど」眼鏡を直しながら、静かに口を開く。「ここまでか」そして、左手を高く掲げた。「この戦闘、我々ノクスチームは降参します」その宣言が結界に反映され、残りの敵全員が瞬時に脱落判定となる。サクラが思わず叫ぶ。「……降参!? なんで……!」「……合理的判断だ」ユウリはそう言って、サクラではなく、フィアを見た。「君たちの連携は、我々よりも高度だった。驚いたよ。ここまでとはね」そして全員が駆ける。レインは地を滑るように、カイは肩を引きずりながら、サクラは息を切らしながら、フィアは淡々と。向かうのは、ただひとつの場所。「クロが……まだ、戦ってる!」ブレイサ
白髪の少年の防御式は、クロの《閃雷刃》すら届かせなかった。 三重に展開された光の盾が、蒼雷の刃を受け止める。 「君では、まだ届かない」 静かなその声に、クロは一瞬──ジンの面影を見た。 《演算衝突、出力不足。お前の雷式では現段階の結界強度に届かない》 「……知ってる。けど、何なんだよ、あいつ……」 《外見・動作反応・式展開速度……どの因子も、ジンの演算と類似。だが、人格応答が一致しない。ジンの模倣体と推定する》 「ジンそのものじゃないってことか」 《その通りだ。だが、倒さねば先には進めない》 クロは奥歯を噛んだ。 (模倣でも、コピーでも関係ない。あれが立ちはだかるなら──) 「ぶっ壊すまでだ」 その頃、他の戦線では激闘が続いていた。 カイとザガンの殴り合いは、ほとんど魔術というより原始的な力比べだった。 「おらああッ!」 拳がぶつかるたび、岩盤が砕け、土砂が舞う。 ザガンは無言で殴り返し、カイの肩に重たい一撃を叩き込む。 「……効くな、それ」 (けどよ──) カイはニヤリと笑う。 「こっちも楽しくなってきたとこなんだよ!」 一方、風術式の斬撃が空を走る。 「風式・双翔刃!」 サクラの風刃が弧を描いてユウリを狙うが、眼鏡の少年は動じなかった。 「風で風を裂くなら、角度を変えるべきだ。読めている」 手をかざすと、風の盾が展開され、サクラの攻撃が押し戻される。 「っ……!」 「だが、惜しい。平均よりは精度は高い」 「褒められても、嬉しくないです!」 「氷式・連晶矢!」 空気を裂いて放たれた氷の矢が、鋭くマリナを射抜かんと迫る。 マリナは即座に手を交差させた。 「火水式・反波障壁!」 炎と水の二重螺旋が瞬時に広がり、氷矢を受け止める。 だが―― 「……っ!」 障壁の表面にヒビが走る。 矢の収束度が、以前より明らかに上がっていた。 「その氷、さすがに強いじゃん……!」 「あなたの演算はもう解析済みよ」 フィアの声は静かだったが、瞳の奥にある意志が揺るがない。 再び矢を番えるその動作に、マリナがわずかに息を呑む。 「……へえ。やるね」 火と水の均衡を保つように構えるマリナ。 しかし、その演算の波に、フィアの氷が着実に迫っていた。 「次で、終わらせる」 「……来なよ。受けて立つ!」 氷が
《総合演算実技・最終決戦。開幕まで、30秒》 観覧席に緊張が走る。 広大な演習フィールドは、複雑な地形へと変貌していた。 砂地、岩場、林、湖──環境ごとにエリアが区切られ、それぞれの戦術を試すにふさわしい構成だ。 クロ・アーカディアは、中央の岩場エリアで立っていた。 「ついに始まるな……」 カイが拳を握る。筋肉の熱が演算とともに上がっていくのが伝わる。 「演算準備は完了。初手から動くわよ」 フィアは氷の弓を片手に、冷静な目で前方を見据えていた。 クロはゆっくりと右腕のブレイサーに触れる。その奥で、ゼロの声が響く。 《環境読み取り完了。風向き、西南西。視界制限区域:林エリア。演算接続、問題なし》 「緊張してるか?」 《私は緊張という概念を持たない。だが……お前は以前より呼吸が整っている。良い兆候だ》 クロは小さく笑う。 (……ゼロ、お前も少しずつ変わってきてる気がするよ) そして向かい側。 そこに構えるのは、ユウリ・ロウエン率いるチーム《ノクス》。 黒のハーフコートをまとい、黒髪を後ろで束ねた眼鏡の少年が、まるで術式そのもののような無駄のない姿勢で立っていた。 「開幕直後は観察に徹する。マリナ、ザガン、無駄な接敵は避けろ」 「は〜い。でも、ちょっとは暴れていいでしょ?」 紅と蒼の非対称チュニックを着たマリナ・フィオナがくるりと踊るように肩を回す。ポニーテールが陽光に揺れる。 「喋りすぎだ。集中しろ」 2メートル近い巨体が重たく呟く。ザガン・クレイドは、鋼のような装甲を肩に抱き、両腕を重く下げたまま、しかし隙がない。 その後方には、無言で控える3人の術士たちの姿もあった。 いずれもユウリの指示に従うように動きを最小限に抑え、あくまで補助に徹しているようだ。 姿勢も表情も整然とし、無駄がない。まるで戦術演算の一部のように、ただ静かに配置についていた。 《敵チームノクス、構成確認。戦闘力予測:高。ユウリは計算型統制。マリナは複合火水術士。ザガンは物理・地金術混合型。どれも癖がある》 「つまり──やりがいあるってことだな」 そして、もう一チーム。 本来ならばジン・カグラが率いるはずのチームだった。 だが、そこにジンの姿はない。 「……来てないのか?」
医務棟の回復室には、淡い魔力の光が満ちていた。 天井から吊るされた演算灯が、術式の紋を空中に浮かべながらゆっくり回転している。 「……肩の張り、だいぶ取れてきたな」 カイがベッドに腰を下ろしながら、腕を回してみせる。 その周囲では、魔導看護師たちが静かに回復魔法を展開していた。傷や疲労を癒す術式が、身体の深部にまで染み渡っていく。 「筋肉は回復するけど、演算の消耗は……まだ抜けないわね」 フィアがブランケットを肩にかけたまま、軽く目を閉じた。彼女の髪の先には氷晶が残っているが、それすらも今は溶けつつあった。 「ふぁ……やばい、眠くなってきた……」 ミナはあくびを噛み殺しながら、ベッドに突っ伏す。炎術士らしからぬぐでっとした姿に、サクラがそっと笑った。 「みんな、無事でよかった。ほんとに……よかった」 「……バテたな」 レインがタオルで顔を拭いながら、淡々と応じる。彼の演算具も一部が焦げていたが、言及する者はいなかった。 クロは、壁際の椅子に腰かけたまま、ただ腕のブレイサーを見つめていた。 《演算補助機構:安定化済み。だが過負荷率は72%。明日の戦闘に備えるには、さらなる調整が必要だ》 ゼロの声が頭の中に響く。 その言葉の裏には、限界は超えてきたが、代償も大きいという含みがあった。 「……演算、明日も行けそうか?」 《完全な回復にはあと六時間は必要だ。明日には問題ない》 クロは小さく息をついた。 それでも──手は、震えていなかった。むしろ、どこか落ち着いていた。 ブレイサーに、そっと手を添える。 (俺は──このままで、ジンに勝てるのか?) だが、その問いへの答えはまだ出ない。 ただ、確かな疲労だけが身体に残っていた。 回復室を出たのは、夕食の時間が過ぎてからだった。 空は深い群青色に染まり、学園の灯が点々と瞬いている。 クロは自室の扉を開け、無言のまま中へ入った。 「……ふぅ」 制服を脱ぎ、ベッドに投げ出す。 そのままブレイサーに手をかけて外すと、金属が軋むような微かな音を立てた。 ──ガチャ 机に置いた瞬間、どこか空虚な響きが部屋に広がる。 (……なんでだろうな。勝ったはずなのに) 何かが足りない気がしていた。 いや、違う。何かが届かなかったのだ。 あの《閃雷刃・最大収束》──確かに三チームを倒し