LOGIN何でもない朝なのに、どこか空気がピリついていた。
学院塔中層の教室。いつも通りの喧騒に包まれていたはずのその空間に、不意打ちのように響き渡ったアナウンスが、すべてを凍らせた。 『本日より、恒例の戦闘演習を開始します。 テーマは──“恋と戦争”のバトル』 一瞬、誰もが何を言われたのか理解できずに固まった。 「……えっ、今、恋って言った?」 「うそ、何その爆弾ワード……」 「三人チーム強制で、組めなかったら雑用班落ちらしいぞ!?」 ざわめきが一気に教室を包む中、俺──クロ・アーカディアは静かに、心の中で毒づいた。 (……マジかよ) あれ以来、教室の空気はずっと変わったままだ。 異常演算、クロ式。 フィア様の防御をぶち抜いた落第生。 誰も、俺に近づこうとしない。 俺のまわりには、またあの日のように、小さな無音が生まれていた。 《観測結果:対象個体は現在、心理的孤立フェーズに移行中。要因:演算異常による集団拒絶反応──》 (黙れゼロ。今それ言われんでもわかってる) そんな空気を、まるごとぶち破ったのは── 「よう、クロ! はい決定! チーム組もーぜ、バカとバカで!」 大声と共に、肩をドンと叩いてきたのは、いつもの男。 カイ・バルグレイヴ。でかい声とでかい拳、でかい態度。でも、どこまでも真っ直ぐな親友だ。 「……お前、こんな空気でよく話しかけられるな」 「いの一番に組むに決まってんだろ!恋と戦争なんだぞ?燃えるやつじゃん!」 「恋要素どこ行ったんだよ」 「いる? いるか!まあフィア様あたりが来てくれたら恋成立だな~って……」 ──その瞬間。 「私も、入れて。クロのチームに」 場が凍った。 銀の髪。氷の瞳。 氷晶の才女──フィア・リュミエールが、こちらに歩いてくる。 「……なんでお前が」 「あなたの観察を続けるって言ったでしょ。演習は実地研究に最適よ」 静寂と視線。カイは固まったまま、「……うそ、マジで恋成立……?」と小声でつぶやいた。 俺は小さくため息をついて、ほんの少しだけ口元を緩めた。 けれどこの瞬間から──俺たちの恋と戦争が、始まっていた。 ──午後三時。学院演習フィールド全域に、魔術起動のノイズが響き渡る。 校舎裏に広がる広大な山岳フィールド──通称《第七試練区》。 起伏に富んだ森林地帯や岩場、古代遺跡を模した遮蔽エリアなど、地形は多様。 全域で魔力探知が制限され、視認・気配による索敵がメインとなる実戦演習フィールドだ。 今日のルールはただ一つ。 「三人一組、全チーム同時参加のバトルロワイヤル」。 脱落判定は、演算刻印のダウンによる自動退出。 最終的に最後まで残った一チームが、今回の演習の勝者となる。 「なあクロ、恋はどこにあるんだ?」 「戦場のど真ん中にはねぇよ」 「だよなー。でもフィア様がチームにいるから、俺は満足」 「やかましいわ」 そんな冗談を交わしながらも、俺たちは順調に前進していた。 開始から一〇分。小競り合いを何度かこなし、敵の位置取りと構成もある程度掴みつつある。 「このあたり、反応なし。こっちも制圧完了」 フィアが淡々と報告する。氷の結界を背後に展開したまま、冷静に索敵を続けていた。 「よし、こっからが本番だな!」 カイが拳を鳴らしながら言った瞬間―― 前方の遮蔽岩が爆ぜた。 「っ──来たか!」 燃え上がる炎。その向こうから飛び出してきたのは、赤いショートの少女。 左サイドを刈り上げたアシンメトリーな髪が、火の粉の中できらめいていた。 ミナ・ガーネット ショートマントを翻し、炎術の演算刻印が浮かぶ右腕が、まるで火そのもののように輝く。 「アンタたち、覚悟できてんでしょうね!」 彼女の右拳が発光する。瞬間、空気が爆ぜた。 ブレイズ・クラッシュ ──魔力加熱による炸裂型の火術だ。 「おっとぉ! いい火ィしてんじゃん!」 カイが飛び込む。 両者の拳がぶつかるたび、熱風が渦を巻いた。 「さすがって言ってほしい? 残念、私、手加減する気ないから!」 「最高だな! そっちが全力なら、俺も遠慮しねぇ!」 ミナの発火連撃を、カイが強化拳で迎え撃つ。 爆音とともに、演習場の地面が爆ぜ、土煙が舞う。 「火力もタイミングもいいな! 踊ってるみてえだ!」 「……ノリで来られるとムカつくんだけど!」 言葉の端々に毒はある。けれど、それは挑発というより――戦場での呼吸だった。 ミナの瞳が、まっすぐカイを見据えている。 (なんだよ、めっちゃ噛み合ってるじゃん……) 俺は少し呆れつつ、横目でフィアの方を見る。 「……片方、崩す」 フィアは短く言って、結界の隙間を駆け抜けた。 その動きに迷いはない。 そして次の瞬間―― 「凍結領域、展開」 魔術式が展開されるや否や、演習場の一角が薄氷に覆われる。 その範囲の中にいた相手チームの補助役が、反応する間もなく氷の槍に貫かれていた。 【戦闘不能判定──チームB:一名失格】 (早ぇ……) 淡々とした処理。けれどその速度と正確さには、鳥肌が立つ。 一人目、即時排除。 それでも戦場は止まらない。 ミナとカイは、いまだ火花をぶつけ合っている。 「もうっ、マジでアンタ面倒くさい!」 「言われ慣れてる! でも、今のお前は超カッコいいぜ!」 「は? なに急に……っ、バカじゃないの!」 怒ってるようで、どこか笑っていた。 それが、彼女なりの楽しいなのかもしれない。 けれど――限界は、確実に近づいていた。 「……っ、くぅ……!」 ミナの膝が、ついに落ちた。 魔素の消耗と、反動の蓄積。 さっきの咆哮とは裏腹に、呼吸が浅くなっている。 「ミナ……!」 もう1人のチームの仲間は、すでに戦闘不能。 残るのは、少女ただひとり。 1人残った少女、サクラ・ヒヅキは、さっきから一歩もその場を動いていなかった。 藍色の羽織に、繊細な花柄の意匠。 漆黒の長い髪は真っ直ぐに背を流れ、切り揃えられた前髪の奥から、淡い藤色の瞳がこちらを見ている。 その目は、恐れとも戸惑いともつかない感情を湛えながら、それでも必死に立ち尽くしていた。 着物風の衣が風に揺れ、まるで時間から置き去りにされたように、ただそこに在るだけだった。 (わかるよ、その気持ち) 俺は、かつての自分を思い出していた。 怖くて、踏み出せなくて、それでも立っていようとしたあの日のことを。 だからこそ、俺は構えたまま、彼女に静かに言葉を投げた。 「来い……」 サクラは、目を見開いた。 けれど、その瞳は答えなかった。 ただ、震えながら、こちらを見つめ返すだけだった。 その瞬間――判定結界が作動する。 【チームB、全員失格──】 光の幕が、彼女の足元に展開される。 彼女は戦わなかった。 戦えなかった。 それでも、最後まで逃げなかった。 サクラはその場に崩れ落ちたまま、肩を震わせていた。 俺は口を開かない。 その姿に、何かを言う資格が自分にはないと、どこかで分かっていた。 ただ、思う。 今の彼女はまだ、戦えない。 でも――きっと、いつか。 「クロ、行くぞー!」 カイが振り向いて手を振る。 左腕からは、まだ煙が立っていた。 「……ああ、今行く」 俺は深く息をつき、歩き出す。 この戦場では、火は灯り、燃え、そして消えていく。 でも──次に燃える火は、きっともっと強く、美しくなる。 サクラの目に、誰にも気づかれず、一滴だけ光が落ちた。それから五年が経った。《ニューエラ・アカデミー》は、世界中に20の分校を持つまでに成長していた。卒業生は5000人を超え、彼らは社会の様々な場所で活躍している。異常演算者への差別は完全に消え、共存が当たり前の世界になっていた。そして――クロとサクラには、4歳になる娘がいた。名前は、アイリ。風属性の魔術を使える、元気な女の子だった。「パパ、見て!」アイリが小さな風の渦を作る。「おお、すごいな」クロが褒める。「上手になったな」「ママが教えてくれたの」アイリが誇らしげに言う。サクラが微笑む。「この子、才能あるわ」「そうだな」クロも嬉しそうだ。二人の家は、アカデミーの近くにあった。毎日、教師として働き、夜は家族と過ごす。そんな平和な日々が続いていた。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ある休日、12人全員が集まることになった。場所は、最初に約束の海に来たビーチ。「久しぶりだな、みんな」クロが仲間たちに声をかける。「ああ、久しぶり」カイが笑う。ジンも微笑んでいる。「みんな、元気そうだな」ミナとフィアは、親友同士で話している。「最近、忙しくてさ」「わかるわ。私も」レイン、レオ、リア、マルクも談笑している。「久しぶりの休みだ」「楽しもうぜ」アイリは、他の子供たちと遊んでいた。そう、他の仲間たちにも子供ができていたのだ。ジンとフィアの息子。
《ニューエラ・アカデミー》開校から三年が経った。学院は今や、世界中から注目される存在となっていた。卒業生は1000人を超え、彼らは社会の様々な場所で活躍している。「信じられないな」クロが校長室で書類を見ながら呟く。「三年で、ここまで大きくなるなんて」「君たちの努力の賜物だ」ルーク司令官が訪問し、そう言った。「いや、みんなのおかげです」クロが謙遜する。「先生方、生徒たち、支援者の皆さん」「すべての人の協力があったから」ルークが微笑む。「謙虚だな、相変わらず」「それで、今日はどうされたんですか?」「実は――」ルークが真剣な表情になる。「君たちに、新たな提案がある」「提案?」「世界各地に、《ニューエラ・アカデミー》の分校を作らないか」その言葉に、クロは驚いた。「分校……ですか?」「ああ。ヨーロッパ、アジア、アメリカ」「世界中に、この教育を広めたい」「でも、俺たちだけでは……」「大丈夫だ」ルークが安心させる。「各地のWAU支部が協力してくれる」「そして、君たちの卒業生が教師になる」クロが考え込む。確かに、素晴らしい提案だった。しかし、責任も大きい。「みんなに相談してみます」クロが答える。「わかった。返事を待っている」ルークが去った後、クロは仲間たちを集めた。「分校か……」ジンが考え込む。「やりがいはあるな」「でも、大変だぞ」カイが心配する。「俺たち、各地
《ニューエラ・アカデミー》開校から一年が経った。 初期の生徒たち300人は、今や立派な異常演算者に成長していた。 そして、新たに400人の新入生を迎えることになった。 「すごい人数だな」 カイが新入生の名簿を見ながら言う。 「400人も」 「需要が高まってるんだ」 ジンが説明する。 「異常演算者への理解が深まり、正しい教育を受けたいという人が増えた」 「いいことだな」 クロが微笑む。 「俺たちの活動が、実を結んでる」 新入生歓迎式が開かれた。 壇上には、12人の教師だけでなく―― 1期生の代表として、ユウキとアカネも立っていた。 「新入生の皆さん、ようこそ」 ユウキがマイクを手に取る。 「僕は、1期生のユウキです」 「一年前、僕もここに入学しました」 ユウキが自分の経験を語る。 「最初は不安でした。本当に、異常演算を使いこなせるのかって」 「でも、先生方の丁寧な指導のおかげで、今ではこんなに成長できました」 ユウキが風の魔術を披露する。 美しい風の渦が、会場を包む。 新入生たちが感嘆の声を上げる。 「すごい……」 「僕たちも、あんなふうになれるのかな……」 アカネも続ける。 「私も、最初は自信がありませんでした」 「でも、仲間と一緒に頑張ることで、強くなれました」
《ニューエラ・アカデミー》が開校してから半年が経った。生徒たちは、目覚ましい成長を遂げていた。「すごい……」クロが訓練場で生徒たちの模擬戦を見ながら呟く。「半年前とは、別人みたいだ」ジンも頷く。「基礎がしっかりしてきた」「このまま成長すれば、立派な異常演算者になるだろう」訓練場では、二人の生徒が戦っていた。一人は、風属性のユウキという少年。もう一人は、炎属性のアカネという少女。「《風刃・連撃》!」ユウキが風の刃を連続で放つ。アカネが炎の壁で防御する。「《炎壁》!」しかし、風刃が炎壁を突破しそうになる。「まずい……」アカネが焦る。その時、アカネは授業で習ったことを思い出した。(ミナ先生が言ってた。防御が破られそうな時は、攻撃に転じろって)「《爆炎弾》!」アカネが攻撃に切り替える。炎の弾丸が、ユウキに向かって飛ぶ。「うわっ!」ユウキが慌てて回避する。その隙に、アカネが距離を詰める。「《炎拳》!」炎を纏った拳が、ユウキに命中した。「勝負あり!」審判役のカイが宣言する。「アカネの勝ちだ」「やった!」アカネが喜ぶ。「ありがとうございます、ミナ先生!」ミナが笑顔で親指を立てる。「よくやった」「でも、ユウキも悪くなかったぞ」カイがユウキに声をかける。「攻撃は完璧だった。ただ、相手の反撃を予想できなかった」「はい……」ユウキが悔しそうに言う。「次は、勝ちます」
開校式の朝。《ニューエラ・アカデミー》の校門前には、300人を超える新入生が集まっていた。年齢も経歴も様々。10代の若者から、30代の大人まで。すべてが、異常演算者として正しい教育を受けるために集まった。「すごい人数……」サクラが緊張した顔で言う。「みんな、私たちを見てる」「大丈夫だ」クロが励ます。「俺たちは、彼らの先輩だ」「胸を張っていこう」12人が壇上に上がると、大きな拍手が起こった。「ようこそ、《ニューエラ・アカデミー》へ」クロがマイクを手に取る。「僕の名前は、クロ・アーカディア」「この学院の教師の一人です」300人の視線が、一斉にクロに注がれる。「皆さんは、今日からここで学びます」「異常演算の使い方、制御の仕方、そして――」クロが一呼吸置く。「どう生きるべきか」「異常演算者として、社会とどう関わるべきか」「それを、僕たちが教えます」次に、ジンがマイクを受け取る。「僕は、ジン・カグラ」「クロと共に、この学院を運営しています」ジンが冷静に続ける。「この学院には、ルールが一つだけあります」「それは――仲間を大切にすること」「異常演算者は、一人では生きていけません」「仲間と助け合い、支え合う」「それが、僕たちの信念です」その言葉に、生徒たちが深く頷く。他のメンバーも、次々と自己紹介をしていく。カイの熱い挨拶。ミナの親しみやすい言葉。サクラの優しい笑顔。フィアの冷静な分析。レインの短いが
休暇から戻った12人を、オブシディアン基地で盛大な歓迎が待っていた。「お帰りなさい!」ルーク司令官とエリス・ノヴァが出迎える。「ただいま戻りました」クロが笑顔で答える。「休暇は、どうだった?」「最高でした」サクラが嬉しそうに言う。「みんなで、たくさん思い出を作りました」ルークが満足そうに頷く。「それは良かった。では、早速だが――」「育成機関の件、どうするか決めたか?」「はい」クロが前に出る。「12人全員で、やらせていただきます」その言葉に、ルークが嬉しそうに微笑む。「そうか。嬉しいな」「では、さっそく準備を始めよう」会議室に移動し、詳細な打ち合わせが始まった。「まず、機関の名称だが――」ルークが資料を開く。「政府からの提案は《異常演算者育成アカデミー》だ」「うーん……」カイが首を傾げる。「堅苦しくないか?」「確かに」ミナも同意する。「もっと親しみやすい名前がいいわね」「なら……」ジンが提案する。「《ニューエラ・アカデミー》はどうだ?」「新時代の学院、という意味だ」「いいね!」サクラが目を輝かせる。「前向きで、希望がある感じ」全員が賛成し、名称が決定した。「次に、場所だが――」エリスが地図を表示する。「政府が用意した候補地が、3つある」画面に映し出されたのは、どれも広大な土地だった。「海沿いの土地、山間部の土地、都市部の土地」「どれがいいかな?」







