LOGINどのくらいそうしていたか、林道の方から落ち葉を踏みしめるバキバキと言う車の音が聴こえて来る。
霧香は顔を上げると、運転席から降りてくる見慣れた男の姿に何故かとても安堵した。「蓮……」
「 ??? そんなところで何してるんだ ? 」
「蓮……わたし…… ! 」
急に胸に飛び込んできた霧香を、蓮は冷静に見下ろす。屋敷からは人間の匂い。
「こんなことになっているんじゃないかと思ったら、案の定だ」
「もう人間界で生活していけない…… ! でも、帰るところもないの ! 」
蓮はそっと霧香の髪を指で梳きながら、穏やかに声をかけた。
「ここだけが全てじゃない。何度でもやり直せばいい。失敗しても当たり前。別な世界から来たんだから」
「……蓮は ? 」
「俺 ? 」
「どうして上手くやれてるの ? 」
「俺だって初めは違った」
霧香は蓮の腕から離れると、再び玄関前にしゃがみこむ。
「……サイを傷つけたの。軽蔑されたと思う」
蓮は霧香のそばに座ると、頷き、空を見上げる。
「丘の上だから星が見えるかと思ったけど、そうでも無いな」
「……ここ、そこまで高い丘じゃないよ」
「俺、彩がオーケストラやってた時、よくホールに聞きに行ってた」
「そうなの ? 」
「そもそも人間の世界に来るまで、電子楽器の類いに知識なかったし。古典的な音楽の方が馴染みやすかったんだと思う。
でもある日、チケットから彩の姿が消えて。楽器屋に来た団員に聞いたんだけど、ミスをしたパートにかなり厳しい言葉を吐くからって理由で……トラブル起こしてたって……」「……そうだったんだ……」
「俺はさ。どっちの言い分も分かるんだよな。だってお互い違う人間なんだしそりゃ考え方だ
「ピアニスト ? 中学生の子 ? ど、どうかな…… ? 」「やっぱり押しかけ禁止っすかね ? 」「あー……いや、そんな事ないと思うよ。 ただ、楽屋にはお母さんも来てると思うんだけど……厳しい人だから……。 一緒に行くわ」 そう言い、真理は楽団員で溢れかえる廊下へ霧香と恵也を通す。途中「モノクロだ ! 」と声が上がり、霧香は会釈を返す。ここにいる数十人があの公開配信に来てくれていた人間達だ。「この部屋よ。 わたし、ここで待つね。嫌われてるの」 真理が霧香にゴメンのポーズ。 霧香は一度深呼吸をするとノックをするが、鉄製の防火扉のような作りだ。中に聞こえるはずもない。 仕方なく、数センチ開けて声をかけるしかないが……。「なんなんだ ! 今日の演奏は !! 」 とてつもない女性の声量と罵声に思わず肩が飛び上がる。「ご、ごめんなさい ……ごめんなさい」「くだらない演奏すんじゃないよ ! 何やらせても駄目だな」 それと同時にパンッと乾いた音が響く。 霧香はドアノブを見つめたまま、固まってしまう。だが、廊下の雑音は中にも届いている。 扉が空いていることに気付いた母親がガバッと扉を開けると、霧香にキツい視線を向ける。「あらやだ。 何か御用でしょうかぁ ? 」 突然の豹変に霧香も恵也も硬直する。「あ、あの希星さんの演奏が素晴らしかったので、少しお会いできないかと思って」「あらーありがとうございますぅ〜。じゃあ、私はお邪魔かしら ? 」「いえそんな事は……」「どうぞ」 母親は扉を開けると、機嫌良さそうに出ていった。 あの母親がどんな人間か、大人なら誰でもすぐに理解出来る。「青い髪のお姉ちゃん
□□□「ここでやるんだね。お客さんと楽団の人が一緒にトイレとかロビーに溢れてるの不思議だね」「確かにな。根本的に団体競技だし、ファンが殺到するって無いのかもな」 殺到することも勿論ある。 だが一般の楽団員に限っては追っかけなどはいない。 複数の人間に囲まれている奏者はいるが、恐らく部活の後輩や、友人知人、そんなところだ。「ピアノまだやってるかな ? 」「十二時までだろ ? 今、十一時。最後の二、三組くらいじゃね ? 」 二階に上がり、大ホールの扉を開け放つ。 聴こえて来る可愛らしい曲調のピアノ。「前の方は身内でいっぱいだね。後ろで見よ」(静かに ! ) 四歳程の幼女だ。 小さな掌で一生懸命、鍵盤を押し込む。 霧香のテンションが上がっていく。(可愛い ! )(静かにって言ってんだろ ! ) やがて演奏が終わると水色のドレスを来た天使はぽてぽてと下がって行った。(はぁ〜。なんかこういうのも新鮮)(確かに。ちょっと癒されたよな) 次に、あの子犬を転がしたような幼女の余韻が消えぬうちに次の少年がスタンバイに入る。(あと何人だっけ ? )(確かプログラムに……) ーーーーーーー♪ーーーーーーーー 刻が止まる。 それは生き物の本能か。 それとも服従してしまう程の攻撃力なのか。 少年の演奏が始まり、霧香も恵也も一瞬で五感を支配される。 激しい連弾と力強い鍵盤の押し込み。 絶妙なペダルのタイミングと会場全体に溢れ満ちる音。 何より中性的で可憐な面持ちの少年に、つい見入ってしまう。(おい、キリ) 霧香は立ち上がり、最前列近くまで移動する。 少年の叩く鍵盤を見ながら……いや、ステージから湧いてくる
霧香と恵也が出た頃、蓮もバイトへ向かう。車のキーがポケットにある事を確認し、玄関の姿見で襟をただす。 その時、薄らと写り込む背後の人影にギョッとする。「お前……」 彩が立ってた。「何 ? 今日は俺をドッキリさせる動画とか撮ってる ? 」「え ? いや、違うけど ? 俺も出かけてくる」「こんな朝から珍しいな」「ミミにゃんから連絡来たから会ってくる」「へ〜。ミミ……ミミにゃん !!? 」 蓮が彩の肩を揺さぶる。「正気か ? まだ何も聞いてないし……って言うか…… ! 」「一人で女性と喋れるのか ? 」と言うところを慌てて飲み込む。霧香の話では、仕事と割り切った時は案外いけるようだと聞いていたからだ。言ってしまったら急に意識してしまうかもしれない。「ま、まぁ。なんて言うか。頼むぜ。が……頑張れリーダー」 蓮の渾身の励ましを聞き流し、どこか上の空の彩だ。「……あのさぁ」 彩は眉を寄せ、口をウィっと横に広げて蓮を見上げる。「『ミミにゃん』って、『ミミにゃんさん』って呼べばいいの ? どうなの ? そう言う社会性、俺知らない」「あ〜。最初は『ミミにゃんさん』でいいんじゃない ? で、相手が『ミミにゃんでいいですよ』とか『かしこまらなくてください』とか言われたら、後は雰囲気でさ」「雰囲気……」 かなり不安そうではあるが、蓮も仕事。ハランは先にシフトに入っている。恵也も霧香もいないのだから仕方がない。これが彩の仕事である。「気になるけど気が重い」 蓮は時刻を確認すると、ふらふらと出て行った彩を呼び止める。「どこまで ? 」「楓JAPAN芸能の隣のスタジオだってさ」「 ? ああ、地下
屋敷のエントランスのピアノのそば。 腕組みをするシャドウと、ピアノの椅子に腰掛けた恵也が話し込んでいた。「気をつけてな」「ああ。でもジャンクダックの連中が来るような場所じゃないし……」「分からんだろ。とにかく霧香を一人にするな」 午前九時。 ピアノの練習をしている子供もみたいと霧香に言われ、早目の出発となった。 恵也が準備を終え、先にエントランスで待っていたらシャドウがピアノの上で猫になり寝ていることに気付いた。だがシャドウは恵也を見るなり人型に変わる。 恵也は猫型のシャドウを構いたくて仕方が無いのだ。シャドウはそれが煩わしい。「シャドウくん……なんであんな強ぇんだ ? 」「元々野良だからな。食べ物一つで命懸けだ」「でも、猫の餌ばら蒔いてる奴とか結構いるじゃん ? 」「ああ言うのは一時だけなんだ。他の人間に注意されると突然来なくなったり、ポケットに入る量しか持ってこなかったり不安定だ。それに子供も苦手だ。何故か今はそうでも無いが、当時は……仲間を拐っていくやつもいた」「飼うからじゃないの ? 」「いいや。次の週には公園に……。死んで行った仲間が多い」「え ? それ犯罪だよな ? 」「……人間は恐ろしい。昨日まで何でも無かった奴が、急激に変わったり、動物に八つ当たりしたりする」「…………」「常に外は危険だ。公園という小さな世界ですら、色んな人間を見た」 極端かもしれないが、シャドウの見てきた人間の社会は酷く悪意に満ちていた。 当時、彼の指す公園では子供の連れ去りや高校生の虐め、サラリーマンの自害など、色々な事が起こっていた。 シャドウは保護猫カフェに引き取られてからは外に出ていない。 今も屋敷の敷地からは越えられない結界があるのだ。「
「ぎゃ ! 」 霧香がスタジオを出たところで吃驚して声を上げる。 ドアのすぐ側に彩がボーッと立っていた。 霧香の声を聞きつけて、廊下に顔を出した蓮も少し驚く。「え ? お前……ずっといたの ? 声掛ければいいのに」「いや、よく分かんないけど入りにくい気がして」「別になんもしてないよ」 彩がそう感じた、というだけで、音や声が漏れていた訳では無い。霧香の繊細な感情だけ伝わって、何となくとどまったのだ。「出直そうか、迷ったんだけど……もう徹夜で頭グラグラするし階段登りたくない。無駄に広くて歩幅狭い階段何アレ辛い……」 流石にあまり眠らない彩もお疲れ様モードである。「キリ、部屋のドアノブに服掛けといた。蓮、キリの化粧、頼んでいい ? 」「いいけども。じゃあ飯食ってから呼んで。何時出発 ? 」「分かんない。ケイに聞いて」「なんでお前が知らないんだよ」 彩は蓮に向き直ると、妙に真剣な面持ちで声をかけた。「蓮、ちょっといいか ? 」 そう言い、二階を指差す。彩が部屋に来て欲しいと言う。自ら部屋に誰かを呼ぶのは珍しい事だった。「わたしリビング行ってる〜」 霧香が興味無さげに朝食へ向かう。 蓮が意外そうに彩を伺う。「……込み入った話 ? 霧香が出掛けてからでも……」「何となく……早い方がいいかなって。 あと、曲の相談も少し。ハランは歌詞書けるけど曲は作らないって言うし」「ん。おっけー」 彩と蓮。二階へ向かう。「俺が何してたか、分かってて開けなかったんだろ ? 」「……キリと契約してから匂いにも敏感になった。キリの感情も流れて来るし……正直、案外アンタとキリの距離
本来、駅でストリートピアノを弾いている存在を知っているかを聞きたかったのだが、思い付かなかった。その代わり、その日の不快な思い出を口にする。「蓮はさ。Angel blessはフェードアウトしていくんでしょ ? 年齢的にももう誤魔化せないし……。モノクロでしばらく人間界に残るんでしょ ? 」「ん ? なんの話 ? 」「わたし、このままモノクロームスカイを続けて写真とか撮られてたら、いつかこのバンドのファンの子の記憶とか消して……新しい人生を始めなきゃならないのかなって」 ハランが霧香に吹き込んでいた話だ。 寿命がない自分達の生きるすべ。 記憶操作魔法で自分の年齢を曖昧に、存在も曖昧に感じるよう魔法をかけ、あたかも初めて見た人だと認識させる……古来から人里で暮らす寿命の無い者が使う術である。「記憶操作か」「うん。いつかそうなるでしょ…… ? でも、抵抗があるんだ。モノクロのKIRIが居なくなってしまう気がして。お客さんの記憶操作なんてするなら、やっぱり顔も出さずにVTuberでやればいいじゃない ? 仮面とかもカッコイイし」 蓮は顔を上げると、先程まで霧香の首筋にかかっていた髪をサラりと戻す。霧香が何に悩んでいるのか理解しきれない様子で静かに隣に座る。「海外とか……モノクロを知らない人が多い地域に行けばいいじゃん。現にハランは人間界にいる他の天使の養子縁組で身分証作ってるから、あいつは最初韓国にいたんだよ」「あ……李って、じゃあ親の姓なんだ」「そう。身分は病院の息子。医療魔法を仕事にしてる天使だよ」「それって……完璧じゃん !? 」「まさか。使える魔法は限られてるから万能じゃない。でも、その『せめてこうだったら』って一つの症状で死ぬのが病気だからな。やっぱり、完璧かな ? 」「うん。全ての医者と患者が欲しい魔法だよね&