「多分……イケる。キリなら、俺は大丈夫な気がする」
「ほんと !? 」
ほんの少し。
いや、半分は。 諦めていた。「じゃ、じゃあ、これから……よろしくね、サイ !! 」
興奮して、思わず霧香は手を差し伸べたが、彩は華麗にスルーする。
「……触るのは、まだちょっと……」
「……少なくても女性はバイ菌じゃないんだけどね……」
彩も立ち上がり、ウェイターの置いていった伝表を手に取る。
「キリ、少しショッピングに行こう」
「えぇっ !? な、なぜ !? 楽譜とか見に行くの ? 」
「いや、俺のやりたいイメージがあるから。
今から衣装買いに行って、家から音源取ってきて、それからどこかスタジオで……」そこまで言って彩は、会話に遅れて付いてくる霧香の感情にやっと気付く。
「あ……ごめん…… まだ何も決まってないのに」
「う、ううん。ちょっとびっくりしただけ。
全然大丈夫だよ」テーブル席で立ったまま手を差し伸べてみたり、伝票を持ったのにレジに行く気配がなかったり、そのまま立ち話をしたり。
それを見ていた、最初にオーダーを取りに来たやる気無さげなウェイターが霧香と彩の側に立つ。「お客っさぁん、帰んすか ? 帰らねぇんすか ? 」
店員から客に絡むとは世も末だ。客のいない理由がよくわかる。
「……なんだよテメェ、文句あんのか ! 」
彩を押し退け、霧香が舐め上げるようにウェイターを見上げ、今世紀最大のオチョクリ顔を決める。
そしてその横で彩が、腕を組み頷きながら「よしよし、流石俺の見込んだ男……いや、女だ」みたいな顔をしているのだ。「伝表持ってプラプラさせやがって……ちょっ、ちょっと待って……プクスーッ」
これには絡んだウェイターの方が先に吹き出してしまった。
「あはははは !! っつーかよぉ ! ソレ、女の子がしていいツラじゃねぇから !! マジで !
あ〜ビビッたぁ〜。俺マジで今、殴られるかと思ったもん」霧香は立ったまま、正直ドン引きしている。
当然だ。こんな給仕がいたら男女問わず恐ろしい。 だが、彼は正気だ。「ちょっとふざけただけだって。
あんたらSAIとKIRIっしょ ? 」そう。
ハランが用意した三人目はこの男だった。そもそも、霧香と彩を仲介したハラン。
昼時に二人を会わせ、この通りはどこも混んでいて入れない。初対面で行列に列ぶのは考えられない。絶対このファミレスを選ぶだろうと予測していた。 仕組まれていた顔合わせに、仕組まれた店、仕組まれたシフトの店員。 全ての歯車が今日いっぺんにハマったのは偶然だが、これを期待されていた。そして彩が口下手なのもお見通しで、霧香がそれをカバー出来るほど人間界に慣れていない。ネットで毎日メールのやり取りをしておきながら一向に進展しない……その様子を聞いた限り、絶対に霧香は仲介役を頼んでくるに違いないとも踏んでいた。
自分で言っていた、知らない他人に霧香と組ませるなら知り合いの安全な奴と組ませた方が安心……を、完璧にやりきった。
これが、蓮に嫌われるハランの性格なのである。そして、自分がどうして霧香にそこまで干渉するのかも、どこまで自覚しているかも怪しいものである。「え…… ? リスナーさん ? 」
「誰がリスナーだよ ! オレオレ俺だよ ! って詐欺じゃねぇし !!
ハランに『ドラムで加入出来る』って今メール来てさぁ」彩と霧香が「んん ??? 」っと顔を見合わせる。
「あの、ハランに頼んだのは、なんて言うか……会話の……」
「通訳だろ ? 日本人同士で何が喋れねぇだよしっかりしろ。ほんで丁度ドラム募集だからメンバーに入って欲しいって話だろ ? 」
「待って待って !! 情報量多いし ! そんな一気にまくし立てないでよ !!
サイは凄く繊細で人見知りなんだから !! 」「おめぇは子離れ出来ねぇオバサンか ! 」
「オバサンじゃないもん !! 寧ろ今から男もやるもん」
「男もヤる !? こっわぁ」
「とにかく黙んなさいよ !! サイが逃げちゃうでしょ !! 」
「逃げちゃうって、野良猫じゃあるまいし ! なぁ ? 」
「ね ? サイ ! 」
そして二人、彩のいた方を向き……声を上げる。
「「居ねぇっ !! 」」
あまりの煩わしさから、彩は再びサラダバーへ出港していた。
「おい、帰ってこいよ ! バンドの話すんぞ」
「いやいや、ってか。あんたは何っ !? 通訳だけじゃないの !? 何でよ !? 」
「はぁ !? だから〜おめぇらドラム探してんだろ !? 」
そういい、ウェイターはハランから来たと思われるメッセージ画面を突き出した。
『ハラン『ドラム募集してる奴ら、今そこにいるから声かけてみて。青い髪の女と、幽霊みたいな男。男の方、上手く喋れないから面倒見てあげて』』
「うわぁ。マジか。んな急な……。
だいたい……今、結成の話したばかりだし、コンセプトはサイに任せる流れになったし……」そこへやっと彩が戻ってくる。
「「遅いよ ! 」」
「あ ! しかもテメェ、よく見たら単価の高ぇ野菜ばっか取りやがって !! 」
「……トマトは俺の嫁」
「なんだよ、こいつ普通に喋れんじゃん !! トマト、嫁ぇ言ってっけど ? 」
「あの、だからぁ〜 !! サイはわたしが苦手なの !! 」
何から説明すればいいのか……せっかく彩と話がまとまったところなのに、更に重なるイレギュラーに霧香は頭を抱えてねじれ出す。
だが、分からないのは彼の方で、彩に助けを求めるように視線を送った。「……………苦手なのに……一緒にバンド……… ?? はぁ ? どういう事 ? 」
彩はフォークを手に取り皿を手前に寄せると、そのウェイターを見上げて溜息混じりに声をかける。
「とりま着替えて。サラダ食べて待ってる。
稲野 恵也さん」「あれ ? なんだ。もう知られちゃってんの俺 ? 」
「多分、この街のバンド界隈であんたを知らない奴いない 」
「あー……まぁそうかもな。
んじゃ、着替えて来るから ! 逃げんなよ ! 」恵也は霧香に勝ち誇った様な顔でニヤつきながら着替えに消えていった。
「何あれ !? チョー嫌い ! 」
霧香のプリプリした態度が……いや、二人のやり取りが、この時彩には面白可笑しく見えた。
□□□
「あいつは稲野 恵也。臨時ドラムでよくライブハウスで見かける。ライブ当日急に出れなくなったドラマーの代わりにひょっこり出演する画期的なスグレモノ」
「へぇ〜」
結局、まだ未会計のまま二人はテーブル席にいる。
「どこにも所属してない。飽きっぽいんだ。練習嫌いでほぼライブだけやりたいタイプ」
「ん、えと……それで、何があいつ有名要素あるの ? 」
「実力だよ。だって知らないバンドに呼ばれて楽譜確認して、その日のうちにステージに立つんだから。ミスもない。
恵也の兄貴はプロだけど……その話は本人の気に触るから、聞かない方がいいかもな。死んだんだ。だから」「そう……なんだ……」
彩は未だ霧香と目も合わせないが、徐々に喋れて来ている。
「サイとしてはどうなの ? ハランの言うまま、あいつと組むの ? 」
「実力は問題ない。問題はコンセプトに悪影響を及ぼすようならやめて置くけど……」
「そうそう。それで、そのコンセプトっていうのは…… ? 」
そこへ、着替えを終えた恵也が戻ってきた。
「ほい、詰めて詰めて」
ドリンクバーのグラスを持ち、彩の椅子に押しかける。
思わず霧香は彩と並んで座る恵也をまじまじと見てしまう。飲食店勤務だからか髪はさっきまで束ねていたが、解いたらあらぬ方向に跳ねる髪。袖から見える腕は筋肉質なのに、洋服は全体的にカジュアルでデニムはダボッとしている。線の細い彩と並ぶと、倍の大きさにも見えるようだった。
「ほんで ? 今日結成 ? 記念日じゃん ? 話、どこまで進んでんの ? 」
「どこまでと言われても……」
霧香が彩を伺う。彩は頷くと、恵也に向かって同じ事を言う。
「今からショッピング行こうとしてて」
「あ ? ……なんで ? 」
「それなんだけど。
メモするから、恵也とキリで買ってきて。用意できたら俺の家に来て。住所書くから」「なにこれ ? スカート ??? え ? 俺、こいつの買い物に付き合うの !? やだよ ! 」
「ちょっとサイ ! わたしもやだよ ! 」
「男が好きそうなものじゃないと駄目だから男が選んだ方がいい。迷ったら画像送って」
「何でサイは一緒じゃないの ? 」
「俺はこれから生配信してくる。宣伝用のゲリラ配信。
そこでコンセプトとメンバー二人の加入を発表する。名前は伏せて、後から公表する。 その後、三人で配信用の音楽撮って、公開生配信する」「公開 !? どこで ? 」
「黒ノ森の隣にスタジオブースがあるだろ ? 防犯上、中が見えるあそこは丁度いい」
「夕方、ライブするって事だよね ? 」
「ああ。その時と、キリが帰宅する時の服も買ってきて。
試着した時写真撮って送って。髪は束ねて。シルエットだけ先の配信で写すから。 キリ、六弦弾けるんだよね ? 」「うん。大丈夫」
「もし時間が無かったら俺の持ってく。
十六時迄に俺のアパート迄来て」そう言うと、彩は慌ただしく帰って行った。
「マジ…… ? 」
「せめてちゃんと説明しろよな〜。
なんか時間ねぇみたいだし、俺らも行こうぜ」「あ、うん」
そして恵也がテーブル席を見て「あ ! 」と声を上げる。
「あいつ ! 俺に金出させる気かよ ! 」
伝表がベロリと置かれたままだった。
「いいよ、わたし払うし」
「いやいや、こーゆうの普通あいつが払うだろが。ったく……」
そう言いながら恵也は会計に向かう。
「え、払うってば」
「んじゃあ、超有名になったらヒモになるから、今日は俺が出すぜ」
「最低なご馳走様……」
「それより見ろよ、この買い物リスト。ちんぷんかんぷんなんだけど俺」
彩が物思いにふけっていた時を思い出すと、霧香には何となくその全貌が見えて来た。
スマホを取り出し、SAIのSNSから今日の配信サイトを確認する。「十五時からアバター配信サイト、十七時からYoutubeで公開生配信。場所も出てる……」
「マジでっ !? 」
そこへ、着信。
「ウゲ !! 」
蓮からだ。
「は、はい」
『お前、今どこいるの ?
っていうか、何 ? うちのスタジオレンタルされてんだけど ? 』「あー……あーッとね。なんかバンドメン募どころか今日からもう活動で今からヤラセの配信と買い物で忙しいし……」
『ごめん、何言ってるか全然分かんないんだけど』
「だ、大丈夫だよ。うん。普通にレンタルして楽器弾くだけだから」
『はぁ……』
返事も無く、溜め息だけで通話を切られる。
「誰 ? 」
「泉 蓮。知り合いなの。急にスタジオレンタルしてどうしたんだよって文句」
「でも、レンタルしたの俺らじゃねぇしなぁ ? 」
「しょうがないじゃんね !? わたしたちもなんも聞いてないんだからねぇっ !!? 」
「それなー。ほんと分かんねぇわ。
まぁ、今日ドラム叩けんなら気合い入れてくぜ ! まずは服屋だな。えーと……『Dream Rabbit』……え、あの店に行くの ? 俺が ? 」「しょうがないじゃん ! サイが着ろって言うんだから ! 」
「え !? お前の意思とか尊重されないの !? 」
「わたし、その店知らないし。なんかワクワクしてる ! 」
「……………………………………………おめぇ………店の前に言ったら、多分意見変わるぜ……… ? 」
「なんで ? だってわたし男装するんだよ ? 」
□□□□□□
通りを徒歩で十分歩いた先のアパレルショップの複合ビル。オシャレきらめく流行テナントの一角に、突如出現した夢の中のような……いや、何か可愛いとやり過ぎの狭間のようなショップが入っていた。
テナントの床面積は広いはずなのに溢れるラブリーなアクセサリー、うさぎのぬいぐるみ、プリティなバッグに埋もれて入口しか見えない。洋服は更に店の奥にあるようだ。この店だけで全身丸ごとコーディネート出来る、夢みる乙女御用達の『甘ロリ専門店』である。甘ロリは白やピンクの、いかにも天使のような清純系の色合いで構成される洋装ロリータ服である。
「……」
「……」
恵也は霧香を見下ろす。
霧香は別段、店の商品には「可愛いね」くらいの感情はあるようだが、不思議そうに眺めるだけで入ろうとしない。「はい。到着っすよキリさぁん」
「店、あってるんだよね ? 」
思わず恵也に確認する。
「『Dream Rabbit』だろ ? あってるぜ……」
「え……と、間違ってない ? わたし衣装で男装するって言ってんじゃん ? 」
「電話してみるか ?
………….………駄目だ。繋がんねぇ」「もしかして、もう配信始まってる !? 」
霧香がアバター配信サイトを開くと、既に彩は配信を開始していた。だが、多くのアパレルショップからのBGMと雑踏音でヴォリュームを上げても聞こえず、ワイヤレスイヤホンを取り出す。
「おい、片方貸せよ」
霧香と恵也は一先ず通路の反対側、吹き抜けになったエスカレーター横の椅子に座り配信を見守る。
現在の視聴者数『1206人』。だが時刻は既に十四時過ぎ。学生たちの放課後に突入。また十人、さらに二十人とドンドン増えてゆく。
コメント数は『5000件』。全員が言いたい放題で流れ行くコメントを目で追うのは不可能に近い。 アバターは、喋る蛸がウネウネと身振り手振り忙しなく動いているだけだ。『……それでね。今日、本決定したんで、これから別の動画サイトで演奏とかお披露目するって感じで……(ワーパチパチ♪)あ、応援有難うございます。
それでねー、色々考えたんだけど、個人的には俺と正反対にしたくて。全部。
え ? メンバー ? それは最後に少しだけお見せします。公表は夜まで待ってね』「こいつの視聴者数この時間でこれかよ。お前も多いんだよな ?
おい、もうつべこべ言わず買ってかないと間に合わねぇんじゃねぇ ? 何か他の用途で使うんじゃねぇの ? 次の『コンバットチキン』は完全に男向けの店だし……なんか理由あんだろ ? 」「う、うん。そうかも」
二人は慌てて店の前に戻る。
「オーダーは白系で纏めて、ヘッドドレス ??? も欲しいって。あとは靴も。
よく見りゃ全身丸ごとだぜ ? 」「うわー、ふわふわで可愛いね」
霧香は目の前にあったうさぎのぬいぐるみを持ってみたが……
バサバサ……
「え…… ? 」
服と繋がってた。
ウェストにうさぎが引っ付いてるデザインだった。
「え ? それがいいの ? 」
「あわわ。ち、違っ !
え、えーと、白系で…… ? 」霧香がこんがらがってる側で、恵也は店員を呼ぶ。
「はぁい」
店員完全にオフの日はギャルっぽいのに、ちゃんと店に合わた服で仕事してる。
「白系でこの子に似合う服を、全身選んで欲しくて。靴も全部」
「かしこまりました〜。他に好きなモチーフとかございますか ? リボンとか光り物とか」
「あ、いや。えーと、もしかしたら衣装に使うかもしれないんで、派手目で」
「わぁ〜衣装ですかぁ ! じゃあベースはこの新作のワンピに、パニエとヘッドドレスもお付けして……髪がお綺麗なので、変に色味は入れない方がいいかもしれませんね。小物で少し出す感じで……」
霧香はキョロキョロ。初めてデパートにきた子供のように。なんなら既に飽きている。
「じゃあ試着いいですか ? 」
「どうぞこちらです」
「霧香、写真撮っておくらなきゃ ! 」
「キリ、でいいよ」
「いや、俺もケイでいいけども ! 早く着替えて ! 」
イヤホンから聞こえる小出しではあるが、彩のタコ入道が言っていることで、何となく察しがついてきた。
『それで、前から知り合いだったんですけど、まぁ〜ここで言ったら分かっちゃうかな ? ベース有能でさ。
いや他にもドラムもいるんですよ。 ほんと三人で改まって喋るの、初めてに近いからね』「髪の毛上げて」
「今束ねる ! 」
『実力やばい。流石、ハランの紹介だなぁって。……あ、そうなんですよ全員ハランが共通の知り合いで。
一応、お知らせもあるんですけど……』「写真OK !! 俺、荷物持ってくから、先にコンバットチキン見てて ! 上の階 !! 」
「はーい ! 」
「黒でイカついやつな ! 」
『YouTubeとかブログの初心者向け動画なんかはこれまで通り配信します。
それで、この今のタコ配信は、俺のソロの小ネタ配信になりますかね。 音楽関係とかギターの投稿もYouTubeでやろうかなって考えてます。他のショート動画サイトは今の所未定なんだけど、顔出しとか演奏とかはYouTubeメインで。 で、もうチャンネルあるんで登録お願いします』「帽子も欲しくね !? グローブで手隠さないと、すぐバレるぜ !? 」
「この袖、弦に触る気がする」
「スイマセーン ! 似た感じのテイストで半袖ありますか ? 」
「こちらか、こちらはいかがでしょうかねぇ」
「うーん。こっちかな。
よし、写真 ! 」『あ、そうですチャンネル名が未定のタコになってるけど、実はバンド名もまだ決まってないんですよ(チャリーン♪)あ、ありがとうございます。そう。だからそういう意味でも初々しい配信なんで、皆んな来てくれるといいな。
勿論演奏も……デビュー作って訳じゃないから試奏程度だけど、セッションあるんで。結構、楽しめると思うんだよね』「よし、買えたな !? 」
「うん。もうヘトヘト。っていうか荷物ヤバイよ」
「しょうがねぇ。タクシーで行くか」
『あとここだけの話、その二人のやり取りがなんか面白てさ。
仲悪そうなのに、案外感性同じなんじゃないかとか思ったりしてさ(〜〜〜♪)あ、時間だ』タクシーに荷物を詰め込み、運転手に彩が書いた住所を見せる。
「……ここ、光の里の敷地にあるアパートですよね ? 」
「光の里 ? 」
「はい。児童養護施設ですよ」
「え……養護施設 ? 」
霧香も恵也も一瞬はポカンとしたものの、なんだか目まぐるしいスケジュールに終われ、深く考える余裕はなかった。
「ええ。行先にお間違いありませんか ? 」
「はい。大丈夫です」
『では、あっちのチャンネルで、待ってま〜す。夕方5時からね〜』
プツンと配信音がきれた所で、恵也はイヤホンをザザザと服でふいてから霧香へ返した。
その後は二人とも無言だった。十六時半。 黒ノ森楽器店がある雑居ビルに四人は移動していた。 このビルには七つの音楽スタジオがあり、その内三つは楽器店と同じフロアにある。 この三部屋の特徴は簡易防音で多少狭いがレンタル代が安い。更に一番楽器店側の音楽スタジオは背面以外はガラス張りで外から見えるのが特徴だ。 普段は黒ノ森楽器店で試奏ルームとして使われる事もあるが、外から丸見えと言う構造上、実力によっては試奏した後にどこかのバンドに引き抜かれるようなことも昔はあった。 上の階には残りの四部屋があり、そのスタジオは更に多人数で使用出来るスペースがある完全防音室。外界から遮断された一般の音楽スタジオだ。 彩が選んだのは、楽器店側の見えるスタジオ。 聞きたい人は生配信を聞けばいいし、映像は観なくても目の前で本人が喋っている……と言う仕組みだ。そもそも多少の音漏れがする程度だ、何を弾いてるかくらいは分かる。 そろそろ学生たちも駆けつける時間だ。 店には他の店員とハランがいるが、蓮がここで見付かったら女子が押しかけて身動きが取れ無くなる。 取り急ぎ、集客用のデモを録画して各所アップロードしなければならない。 ドラムの位置が気に入らないのか、叩いては移動しを繰り返してる恵也。服装はいつも通り。 調律が終わって、ひたすら宣伝のSNSを書き込む彩。朝から全身真っ白で、一応着替えてきたものの、霧香にも恵也にも気付かれない。 一方、霧香は黒のデザインビキニに、自前の本日履いていた編み上げブーツ。立て膝で弾かなければならない巨大なベースの構造上、パンツスタイルがベストだが、あえてセクシーさを強調させる為、ストッキングとレザービキニの下着用と言うかなり際どいスタイルだ。 メイクは一切の可愛らしさを捨てきった魔女の様な妖艶な仄暗さ。生き血を啜ったかのように真っ赤な口紅。「おい、見つかる前にやるぞ ! 」 申し訳程度に備えられたロールカーテンのそばで、スプレー缶を持った蓮が霧香を椅子に座らせる。「彩、纏めるって言っても……少し派手目に散らした方がいいのか ? 何か付けるのか」「華やかにクールな感じで。後は感性を信用してる」「あっそ。どーも。 じゃあ……」 蓮はヘアコームを持った手で霧香の髪を躊躇いなくスイッとあげる。「おぉあぁァァァァ……」 どこからか悲鳴なのか苦悶なのか声がする
タクシーが停る。『光の里児童養護施設』の古めかしい表札。その門の前で降ろされた。 門の先は遊具のあるグラウンドになっていて、左に施設と思われる建物と寮がある。 そしてグラウンドを挟んで反対側に、隣接する住宅地やマンションに紛れるように小さなアパートが建っていた。 最初からアパートの方に停めて欲しかったと思った二人だったが、アパートの前にあるフェンスは、間違いなく光の里の敷地の境目である。「……お前、なんか知ってた ? 」「ううん。だって今日会ったばっかりだし。年齢も聞いてないや。でもお酒絡みの話はしたから、二十歳は過ぎてるよ」「ふーん。まぁ、今は十八歳までって規定が無くなってきてるらしいからな」 恵也は門に付いたインターホンを押す。『はい』「あ、アパートの方の深浦 彩の友人です。家に招待されてるんですが、敷地に入ってもよろしいでしょうか ? 」『あぁ !! ええ。どうぞどうぞ〜』「あざっす !! よし、行くぜ」「あんたちゃんと喋れんだね」「何それ、酷っ ! ってか、成人して仕事してりゃこんなの普通の事だろ ? だいたい喋れねぇサイの方が心配だぜ、俺は」「そういえば、アバター配信だと流暢に喋ってたね」「な ! 俺もビビったわ。だってアイツのファン半分以上女じゃん」「多分、慣れれば……いや、今日見てた感じだと、音楽絡みになると急に壁が無くなる気がする」「プロ意識ってやつかァ ? えーと、201号室ここだな」 部屋は二階だった。 表札も何も無いが、部屋に明かりがついてるのは外廊下からでもうっすらガラス越しに見える。 恵也がインターホンを押すが…… カシュ ! カシュ !「うわ、インターホンの音切ってやがんぜ」「配信の雑音になるしね」
「多分……イケる。キリなら、俺は大丈夫な気がする」「ほんと !? 」 ほんの少し。 いや、半分は。 諦めていた。「じゃ、じゃあ、これから……よろしくね、サイ !! 」 興奮して、思わず霧香は手を差し伸べたが、彩は華麗にスルーする。「……触るのは、まだちょっと……」「……少なくても女性はバイ菌じゃないんだけどね……」 彩も立ち上がり、ウェイターの置いていった伝表を手に取る。「キリ、少しショッピングに行こう」「えぇっ !? な、なぜ !? 楽譜とか見に行くの ? 」「いや、俺のやりたいイメージがあるから。 今から衣装買いに行って、家から音源取ってきて、それからどこかスタジオで……」 そこまで言って彩は、会話に遅れて付いてくる霧香の感情にやっと気付く。「あ……ごめん…… まだ何も決まってないのに」「う、ううん。ちょっとびっくりしただけ。 全然大丈夫だよ」 テーブル席で立ったまま手を差し伸べてみたり、伝票を持ったのにレジに行く気配がなかったり、そのまま立ち話をしたり。 それを見ていた、最初にオーダーを取りに来たやる気無さげなウェイターが霧香と彩の側に立つ。「お客っさぁん、帰んすか ? 帰らねぇんすか ? 」 店員から客に絡むとは世も末だ。客のいない理由がよくわかる。「……なんだよテメェ、文句あんのか ! 」 彩を押し退け、霧香が舐め上げるようにウェイターを見上げ、今世紀最大のオチョクリ顔を決める。 そしてその横で彩が、腕を組み頷きながら「よしよし、流石俺の見込んだ男……いや、女だ」みたいな顔をしているのだ。
昼時だ。当然、黒ノ森のバイト二人も休憩中だった。 学生が授業中の平日は、二人にとっても少し余裕がある時間帯である。「なぁ、今日さ。霧ちゃんと彩が会ってんだ。多分今頃」 ハランの魂胆は見え見えだったが、流石に蓮は聞き流す事は出来なかった。「なんで ? あいつらネットの中だけの付き合いだったろ ? 」「俺が仲介したんだよ。だって話聞いたら二人とも会いたがってたしさぁ」 蓮は霧香の行動にどこまで介入してもいいのか、いつも悩んでいる。プライバシーの問題もある……と言うのは建前で、自分の意のままに行動して欲しいとは口が裂けても言えない。「……ふーん。でも彩は……あいつ大丈夫なのか ? 女性スタッフと喋ってるのも見たことないけど……」「これで慣れてくれれば面白いじゃん」 何が面白いというのか。ハランは蓮をいじりたくて仕方がないのか、それとも他意があるのか誰も理解できない。「だって、ギターとベースだし丁度いいじゃん。 彩はほら……あいつは元々人並み以上にメンバーにも高い技術を求め過ぎる。前回もそれで破綻してるし。 霧ちゃんなら彩の要求に全部応えられると思うんだよね」「霧香は魔法で演奏してる。彩がそれを知った時、絶対同じことになる」「ん〜。じゃあ、そうなる前にお前、同じベースなんだから教えてあげれば ? 今は魔法を補助輪代わりにして、バレる前に移行すればいいじゃん ? 」「俺のベースと霧香のベースはラインが違いすぎる」 その時、ハランのスマホにメッセージが届く。「噂をすれば霧ちゃん」 笑みを浮かべて液晶を蓮に向ける。「えーと……『会話が続かなくて』…&hel
霧華と彩は翌日、昼十二時にファミレス前に集合となった。動画の炎上のこともあり、霧華は不安だった。やり取りはDMや楽譜のデータだけだったし、ディスプレイに写る彼しか知らないのだから。それは彩も同じはずだが、彼の場合は期待の方が大きいかもしれない。道行く全員が霧香の前を通る度に、二度見するよう振り返る。そして意外にも、霧香のファッションにもあった。スタッズの付いた黒のシャツに黒のレザーパンツ。全身黒にアクセサリーてんこ盛りとはなかなか痛々しいはずなのだが、それで絵になってしまうのが霧香……いや、ヴァンパイアの恐ろしさでもあり魅力でもある。「あの……」そこに、通行人の一人が霧華のそばで止まった。ギターケースを背負った二十歳程の男性。彩だ。「こ、こんにちわ。SAIさんですか ? 」「はい………にちわ……」整った顔立ちではあるが、肌は青白く、カラーで脱色した白い髪が更に彼の印象を儚いものにしていくかのように。それ故にインパクトが無く、幸薄い感じもする。服装も白いシャツに白いパンツ。清涼感100%を擬人化したようだ外見だった。「えと……『KIRI』です。今日は来てくださってありがとうございます ! あの〜、動画の炎上の事も……謝りたかったんですよ」「あぁ。あれは……別に……。はい。大丈夫だったんで……」彩は霧香と視線も合わせず、幽霊の様な白い顔で……いや、真っ青な顔
「シャドウ君 !! 」 帰るなりバッグを放り投げ、霧香は屋敷のエントランスでくつろいでいた黒猫に向かって猛突進する。 「あぁぁぁあああっ ! 緊張するよ〜っ !! 」 「や、やめろ ! 」 その喋る黒猫は霧香の使い魔で、主に屋敷のガードマンとして飼われている。『飼う』と言うよりは『同居』が正しいのかもしれない。 「あぁぁぁああっ !! 柔らかぁ〜……」 「いや……本当にやめろ下さい」 一向に吸い終わる気配のない霧香から隙をつき抜け出して、中心に置かれたグランドピアノの上を経由する。 「あぁ ! もっと撫でさせてよ ! 」 そして……一瞬にして筋骨隆々とした黒人男性へと姿を変えた。 「さぁ、撫でていいぞ」 「やだよ……」 シャドウはキッチンに一旦消えると、冷たいハーブティーを霧香に差し出す。御丁寧にお花の飾り付きだ。 元野良猫ながら、霧香に拾われ使い魔としての契約をしたシャドウにとって、ガードマンで働く以上の事をしても全く苦にならないようであった。 命の残り僅かな時間をカウントダウンする生活を考えれば、人型になって人間に言いたい放題言語が伝わるのも有難いことだった。 ただし、吸われたりするのは別だ。それはそれ。 何故なら、自分は愛玩動物としてここにいるわけじゃないからだ。 霧香がペットとして扱うようなら、シャドウの方から契約を切り、自由になれる。そういう魔法なのだ。 未だシャドウはブツクサ言いながらも、契約を切る理由は無いようだ。 自分を引き取った霧香の方が、余程人間界に疎く、心配で仕方が無いのだ。 「あのSAIと、明日会うことになっちゃった !! 」 完全に舞い上が