タクシーが停る。
『光の里児童養護施設』の古めかしい表札。その門の前で降ろされた。 門の先は遊具のあるグラウンドになっていて、左に施設と思われる建物と寮がある。 そしてグラウンドを挟んで反対側に、隣接する住宅地やマンションに紛れるように小さなアパートが建っていた。 最初からアパートの方に停めて欲しかったと思った二人だったが、アパートの前にあるフェンスは、間違いなく光の里の敷地の境目である。「……お前、なんか知ってた ? 」
「ううん。だって今日会ったばっかりだし。年齢も聞いてないや。でもお酒絡みの話はしたから、二十歳は過ぎてるよ」
「ふーん。まぁ、今は十八歳までって規定が無くなってきてるらしいからな」
恵也は門に付いたインターホンを押す。
『はい』
「あ、アパートの方の深浦 彩の友人です。家に招待されてるんですが、敷地に入ってもよろしいでしょうか ? 」
『あぁ !! ええ。どうぞどうぞ〜』
「あざっす !!
よし、行くぜ」「あんたちゃんと喋れんだね」
「何それ、酷っ ! ってか、成人して仕事してりゃこんなの普通の事だろ ?
だいたい喋れねぇサイの方が心配だぜ、俺は」「そういえば、アバター配信だと流暢に喋ってたね」
「な ! 俺もビビったわ。だってアイツのファン半分以上女じゃん」
「多分、慣れれば……いや、今日見てた感じだと、音楽絡みになると急に壁が無くなる気がする」
「プロ意識ってやつかァ ?
えーと、201号室ここだな」部屋は二階だった。
表札も何も無いが、部屋に明かりがついてるのは外廊下からでもうっすらガラス越しに見える。恵也がインターホンを押すが……
カシュ ! カシュ !
「うわ、インターホンの音切ってやがんぜ」
「配信の雑音になるしね」
「おーい !! 来たぜー ! サーーーイ ! 」
トトトト……と、軽い足音がした後、すぐにドアが開いた。
「どうぞ」
「おう。あがるぜ」
「お、お邪魔します」
古い。第一印象はそれだけだ。
恵也が玄関を上がり、廊下を歩いて行く。それだけでドッドッと床が鳴る。「……」
言葉が出ない。
台所は別だが、一部屋しかないはずの造りに、ベッドとパソコンしか無い。 液晶が二台、ハードが床に四台、背景用のスクリーンと簡易照明はデスクに立てかけられている。 他はテーブルもソファも何も無いのだ。 気になったのは業務用ミシン。普段から使ってる形跡のあるものだ。「やばっ ! どうやって暮らしてんのコレ」
こんな時にパッと言ってしまえる恵也の性格が、霧香は少し羨ましくもあった。
物を持たいないタイプの人間なのだとは思うが、あまりに寂し過ぎる部屋だ。
「服とかどこに置いてんの ? 」
「隣も借りてるから。古くて誰も住んでないし、家賃の心配ないから」
「成程。でも配信……音取りどうしてんの ? 」
「小型アンプをパソコンに繋いでるかな。でも目の前の家二軒もたまたま空き家なんだ。三曲くらい弾いても苦情来ない。さすがに一日中引く時はここじゃ無理だけど」
恵也は荷物を端に置くと、壁に掛かったシンプルな時計を見上げる。
「じゃ、買ってきたもの確認して足りなかったらダッシュで行ってくるわ」
「そうだ。キリ、化粧品持ち歩いてる ? 」
「フルじゃないけど……お直しするくらいだよ。ファンデとかパウダーとか」
「アイシャドウとアイライナーは ? 」
「あったと思う…………うん。ある ! 」
パレットを広げて彩に見せる。
だが、ふと考え込むと、メモを取り出しリストを作る。「黒系が足りない。茶色じゃだめだ。後、緑も欲しい。口紅はその一番赤いやつと、一番ピンクが強いのどっちも使う」
リストを書く彩に霧香は「うーん ? 」と考える。
「緑って、中々売ってなくない ? 普段使いするような色じゃないし」
「誰かメイク道具持ってそうな……」
そこで恵也がさも当然と言うような顔で答える。
「Angel blessの泉 蓮って知り合いなんだろ ? 」
霧香の肩がギクッと飛び上がる。
「ハランはともかく、蓮はダーク系のメイクしてるよな ? 聞いてみれば ? 」
「い、いや。まままままさかぁ〜。今バイト中のはずだし、流石に持ち歩かないでしょ〜」
「聞けばいい」
その背後で、彩は早速ハラン経由で話をつける。
「………今から持ってくるってさ」
「いやぁぁぁぁ」
霧香が頭を抱えてしゃがみ込む。
「なんだよ。仲悪いのか !? 」
「そうじゃないけど、〜〜〜っ」
「でもこれでメイク問題解決だな。
服は大丈夫か ? 」買ってきた服をハンガーにアクセサリーと掛けて、値札を取っていく。
「ああ。問題ない」
並べられた、男性物の黒系の服と、天使の様なフワリとした甘ロリの全身コーデが二つ。
「まず、最初に写真を撮る」
バックスクリーンを壁に掛け、霧香に着るように指示したのは甘ロリの方だった。
「え !? っていうか、ずっと気になってたんだけど、なんで女の子らしいのが必要なの ? 」
「いいから」
「んも〜。変に今日中にスケジュール入れまくるから忙しすぎ ! 」
ぶつくさ言いながら、霧香は服を抱えて脱衣所に消えていく。
「はいっ ! 着替えたよ ! 」
ヴァンパイアとはいえ、元天使である。この可憐な洋装が似合わないわけが無い。純白とは言え生地の質感で色々なシーンを魅せる服と霧香の美貌。
これだけで十分絵になる様な存在感だ。「ほはぁ〜……」
思わず感歎の息を漏らした恵也が、慌てて口元を手で隠す。
「日付を誤魔化して、数日前の写真として公開する」
「え…… ? どこに ? 」
「俺が見て検索した感じだと、インスタは放置状態になってるだろ ? そこがいい。
KIRIとは書いてなく、尚且つあの個性的なベースはアップしてた。 今日写真アップしても二日前に撮ったって書いて欲しい。つまり、一度舞台を降りたら『とんでもなく少女趣味』と言うキャラを貫いて欲しい。
そしてステージでは真逆に刺激のあるキャラを演じて『男性的に破天荒に振舞って』欲しい」
「それって…… ! 」
「KIRIの人物像は未だ独り歩きを続けてるし、あの炎上を見た時に思った。
必要なのはネタの多さだ。 ただ上手い、だけでは駄目だ。 『人に噂される事』。これが大事。炎上の後、俺の登録者数もKIRIの登録者数も大きく跳ね上がった。SNS、ブログ、配信サイトは腐るほどある。YouTubeをベースとして、他のアプリやツールでも『ヒント』を残して配信する。
分かる者にはファンサになるし、分からない者は辿りつける。そして新しいファン獲得の場にもなる。バレたらバラしていいアカウントを作る」霧香は概ね承諾の無言。
恵也は文句は無いが、不安の無言。「とにかく背景は合成でいいから」
「合成でいいの ? 」
「『おにゅうの服買ってきたけど、着てみたら可愛いのぉ〜見て〜』みたいな感じで撮りたい」
「ロリ服のわたし、IQ下がってない !? 」
「雰囲気雰囲気」
とりあえずグリーンの前に立ち、ピースをする霧香に恵也が吹き出す。
「ブハッ !! もっと、あは、もっとなんかフヒヒ、違うポーズねぇのかよ ! 」
「は、恥ずかしいよ」
顔を手で仰ぐ霧香に彩が追い打ちをかける。
「『この世でぇ一番可愛いのはア · タ · シ 』。はい、お願い」
「だっははははは !! 」
真顔で要求してくる彩に、更に恵也はツボにハマる。
「出来ないっ ! えぇ〜 ?
可愛い ! アタシは可愛い ! うーん。可愛い ? 多分……平均くらい ? 服は可愛い ! アタシの服可愛い ?? 」「フヒヒ。はぁ〜……あんな顔してんのに、ナルシシズム低ぇな……」
あんな顔、とは恵也も霧香が美少女だという認識はあるようだ。
そこへ、霧香のスマホが鳴る。「え !? まさか !
……はい」『インターホン鳴らねぇんだけどなにこれ、玄関に置いて帰ればいい訳 ? 』
「ごめん、今開ける」
事態を把握して恵也が玄関へ向かう。
「お疲れっす」
「恵也か、久しぶりだな。
メイク道具とスタイリング剤一式持ってきたんだけど、随分急だな。今日配信だろ ? 」「あ〜、キリも混乱してる。
サイの方が、スイッチ入っちまったって感じなんだよ。 とりあえず上がれよ。俺ん家じゃねぇけど」部屋に通された蓮が霧香を見て固まる。
「なにあれ、頭打ったか ? 」
「いや、見た目は可愛いんじゃねぇの ? 」
「いや、そうじゃなくて。
彩が女の写真撮ってる……」「あ、ああ……なんか仕事モードに入ると男女の垣根無くなるみたいだぜ……」
「訳分からん」
「蓮、ごめん。確実に持ってると思えんの他にいなくて」
「別にいいけど」
蓮に気付いた彩が、軽く挨拶を済ます。
そして……「突然で悪いんだけど、ベージュ系と髪の色邪魔しない程度のチーク入れて」
無茶振りをぶっ込んだ。
「俺がやんの ? なんで ? 」
「だって俺カメラ持ってるし。
恵也出来る ? 」「俺が化粧なんて出来るわけないじゃん」
「そういうこと」
「なんで !? 自分でやるよ !! 」
「動かないで ! なんか面白そゴフッ……メイクのシーンも後々公開するかもしれないから。『アタシが自分でメイクなんかしませんわ』。はい、どうぞどうぞ」
「……全く……。どうなってんだ……。
なんだっけ ? ベージュ系 ? ナチュラルな感じ ? 」蓮も「帰る」とは言い出さない。
寧ろ、一つだけ不安要素があった。「ふぇぇ……く、くすぐったい〜」
蓮の筆が動く度、霧香がムズムズとニヤける。
霧香と蓮。この二人の距離感を客観的に見て、彩はふと思った。「二人の付き合いは長いんです ? 」
「いや、知り合ってまだ一年弱だよ」
「もしかして、付き合ってるのかなって……」
「「はぁぁぁっ !? 」」
これに対して霧香は返答に詰まる。
交際などありえないはず。 だが否定した後、次に飛んでくる質問は「どこで知り合ったか」だ。黒ノ森楽器店だとしたら、あのファンの子達のようにハランと蓮に群がっていたか、と言う事に想像がいきがちになるだろう。 だが事実そんなことは無い。そうなると、今までライブハウスに出入りしていない霧香が、どう蓮と知り合ったのかは誰もが疑問に思うところだ。「えっと……知ってはいたけど、親しくなかったって意味で」
その点、蓮は冷静だった。
「実はこいつが高校行ってないの俺のせいなんだ」
霧香は聞いたこともない語りに「何を言い始めるのか」と引き攣り顔で蓮を睨む。
「子供の頃近所に住んでて知ってたんだけど、こいつの学力までは知らなかったし、同じ高校に誘ったら、こいつ受験落ちたんだよね」
まさかの高校に行ってない理由 !
「お……音楽にせせ、専念できたから……べべべ別に後悔してないし ! 」
「まじ !? 二次試験とか受けなかったの ? 」
「もう、諦め早かったっていうか……うん、そんな感じ」
しどろもどろだ。
人間の若者が高校に行ってない理由を、こんなふうに聞かれる事を知らなかったからだ。「こいつん家金持ちなんだよ。だから郊外の一軒家に一人で住んでんの。親が甘いんだよ」
「なるほどなぁ〜。そりゃ考えもんだな。俺もあんま行ってなかったけど、在籍はしてたからなー」
恵也は丸々と信じたようだが、彩には蓮と霧香は気の置けない仲に見える……それだけは揺るがない事実だと確信した。
「じゃあ、唇は〜。薄いピンクにオレンジ系のグロスで。キリ動かないでそのまま」
「無理 ! ダメ !! 自分でやる !! 」
「動くなって……」
これには自分でも顔が真っ赤になってるのが分かるくらいだった。霧香は近付いてくる蓮の顔を見ないようにギュッと目を閉じるが、かえって唇の感覚がリアルに感じる。
「かっ……かふ……かふ……うぅ」
「何その鳴き声。塗りにくい。真面目にやれ」
グロスの筆が左右に動くくすぐったさに身悶えている霧香と、容赦無しにやる事をやる、蓮のクールさが限界だった。
声を殺して肩を震わせている彩を見て、恵也は玄関に行き「もうダメだ〜っ」と腹を抱えて笑って一旦出ていった。 外から「だーっはっはっ !!!! 」と豪快な声が聞こえる。「こんな感じ ? 」
「うん。面白i……いい感じ」
「あっそ」
しばらく、写真撮影が続きようやく終わる頃には霧香もヘトヘトだった。
恵也は戻ってきたが、もう輪に入らず未だ笑いを堪えている。「あ〜……キッツ。服買ったくらいでこんな気合い入れて撮影する女、引くんだけど……大丈夫なの ? 」
「普通普通。みんなツイートとかしてるじゃん。
加工してる間、もう一着のロリ服に着替えて」「えっ !? まだ着るの !? 」
「これは今日の移動用。帰りもこれで帰って」
「私服も指定制限付けるのか ? なんか意味あるの ? 」
蓮のダイレクトな質問に彩は頷きながら霧香の脱いだ服を元のハンガーにかけ直す。
「『影じゃ何してるか分からない』って言われる有名人っているだろ ? 俺たちはおそらく、『言われて当たり前なパフォーマンス』を配信でやっていく。当然、私生活も探られる」
「先に私生活を作るって訳か……」
無謀としか言いようのない計画だと蓮は一瞬思った。だが霧香の自宅は、人間の目では見えない。自宅ではくつろげるだろう。
それに加えて、無知で何をしでかすかも分からない所を踏まえると、こうして彩に管理させることで自分も一歩引いて霧香を見守れる。「成程な」
「これから私生活は家以外、このスタンスでいて欲しい。近所のコンビニくらいならカジュアルでいいけど……。
どうしても目立つんだよなぁ。変装したところで髪の色が……。青い髪なんてそこらじゅうで見かけるのに……何が違うんだろう……」彩が首を捻る。
蓮の不安要素はまさにこれだった。 先手を打つしかない。「ちなみに、霧香の髪、俺が切ってんだけど……」
「「「えっ! 」」」
全員が驚く。
出来れば霧香には声を上げて欲しくも無かったが、そう言うしかない。「実は美容師免許取ってるんだ。バンドで食いっぱぐれた時の為に」
「へぇ〜。でも今、楽器屋じゃん」
「美容師なんてやったら忙しいし、バイトって訳にいかないだろ」
「あ、そっか」
「スタイリング必要な時は言って」
ここまで来て、ようやく霧香は『人間界の美容室には行けない』と統括から言われていたことを思い出した。
地毛で生えてる霧香の青い髪は勿論毛根も、まつ毛も、体毛全てが青い。 それ故、美容院に行ったら驚かれる事は間違いない。美容師は言いふらしたりしないかもしれないが、人間としてありえない体質であることは変わりない。「わ、わたしも美容院苦手で……蓮意外には触られたくないかなぁ〜……」
「なんだ、仲良いじゃん」
「別に……悪くないよ」
霧香が事ある毎に蓮に拒否反応を示すのは、心のどこかで惹かれているからかもしれない。
しかし二人の関係は統括に定められたお目付けだと言うだけ。 霧香は職場の先輩……くらいの距離感だと、自分で蓮の存在を決めつけてしまっている。時間が経てば経つほど、余所余所しくなっていく。
「よし。これで写真OK。スマホに送るから、インスタに公開して」
「分かった」
「次にバンドのミーティングに移る」
全員が輪になって座り込む。
蓮はそれを遠巻きに眺める形で参加することになった。十六時半。 黒ノ森楽器店がある雑居ビルに四人は移動していた。 このビルには七つの音楽スタジオがあり、その内三つは楽器店と同じフロアにある。 この三部屋の特徴は簡易防音で多少狭いがレンタル代が安い。更に一番楽器店側の音楽スタジオは背面以外はガラス張りで外から見えるのが特徴だ。 普段は黒ノ森楽器店で試奏ルームとして使われる事もあるが、外から丸見えと言う構造上、実力によっては試奏した後にどこかのバンドに引き抜かれるようなことも昔はあった。 上の階には残りの四部屋があり、そのスタジオは更に多人数で使用出来るスペースがある完全防音室。外界から遮断された一般の音楽スタジオだ。 彩が選んだのは、楽器店側の見えるスタジオ。 聞きたい人は生配信を聞けばいいし、映像は観なくても目の前で本人が喋っている……と言う仕組みだ。そもそも多少の音漏れがする程度だ、何を弾いてるかくらいは分かる。 そろそろ学生たちも駆けつける時間だ。 店には他の店員とハランがいるが、蓮がここで見付かったら女子が押しかけて身動きが取れ無くなる。 取り急ぎ、集客用のデモを録画して各所アップロードしなければならない。 ドラムの位置が気に入らないのか、叩いては移動しを繰り返してる恵也。服装はいつも通り。 調律が終わって、ひたすら宣伝のSNSを書き込む彩。朝から全身真っ白で、一応着替えてきたものの、霧香にも恵也にも気付かれない。 一方、霧香は黒のデザインビキニに、自前の本日履いていた編み上げブーツ。立て膝で弾かなければならない巨大なベースの構造上、パンツスタイルがベストだが、あえてセクシーさを強調させる為、ストッキングとレザービキニの下着用と言うかなり際どいスタイルだ。 メイクは一切の可愛らしさを捨てきった魔女の様な妖艶な仄暗さ。生き血を啜ったかのように真っ赤な口紅。「おい、見つかる前にやるぞ ! 」 申し訳程度に備えられたロールカーテンのそばで、スプレー缶を持った蓮が霧香を椅子に座らせる。「彩、纏めるって言っても……少し派手目に散らした方がいいのか ? 何か付けるのか」「華やかにクールな感じで。後は感性を信用してる」「あっそ。どーも。 じゃあ……」 蓮はヘアコームを持った手で霧香の髪を躊躇いなくスイッとあげる。「おぉあぁァァァァ……」 どこからか悲鳴なのか苦悶なのか声がする
タクシーが停る。『光の里児童養護施設』の古めかしい表札。その門の前で降ろされた。 門の先は遊具のあるグラウンドになっていて、左に施設と思われる建物と寮がある。 そしてグラウンドを挟んで反対側に、隣接する住宅地やマンションに紛れるように小さなアパートが建っていた。 最初からアパートの方に停めて欲しかったと思った二人だったが、アパートの前にあるフェンスは、間違いなく光の里の敷地の境目である。「……お前、なんか知ってた ? 」「ううん。だって今日会ったばっかりだし。年齢も聞いてないや。でもお酒絡みの話はしたから、二十歳は過ぎてるよ」「ふーん。まぁ、今は十八歳までって規定が無くなってきてるらしいからな」 恵也は門に付いたインターホンを押す。『はい』「あ、アパートの方の深浦 彩の友人です。家に招待されてるんですが、敷地に入ってもよろしいでしょうか ? 」『あぁ !! ええ。どうぞどうぞ〜』「あざっす !! よし、行くぜ」「あんたちゃんと喋れんだね」「何それ、酷っ ! ってか、成人して仕事してりゃこんなの普通の事だろ ? だいたい喋れねぇサイの方が心配だぜ、俺は」「そういえば、アバター配信だと流暢に喋ってたね」「な ! 俺もビビったわ。だってアイツのファン半分以上女じゃん」「多分、慣れれば……いや、今日見てた感じだと、音楽絡みになると急に壁が無くなる気がする」「プロ意識ってやつかァ ? えーと、201号室ここだな」 部屋は二階だった。 表札も何も無いが、部屋に明かりがついてるのは外廊下からでもうっすらガラス越しに見える。 恵也がインターホンを押すが…… カシュ ! カシュ !「うわ、インターホンの音切ってやがんぜ」「配信の雑音になるしね」
「多分……イケる。キリなら、俺は大丈夫な気がする」「ほんと !? 」 ほんの少し。 いや、半分は。 諦めていた。「じゃ、じゃあ、これから……よろしくね、サイ !! 」 興奮して、思わず霧香は手を差し伸べたが、彩は華麗にスルーする。「……触るのは、まだちょっと……」「……少なくても女性はバイ菌じゃないんだけどね……」 彩も立ち上がり、ウェイターの置いていった伝表を手に取る。「キリ、少しショッピングに行こう」「えぇっ !? な、なぜ !? 楽譜とか見に行くの ? 」「いや、俺のやりたいイメージがあるから。 今から衣装買いに行って、家から音源取ってきて、それからどこかスタジオで……」 そこまで言って彩は、会話に遅れて付いてくる霧香の感情にやっと気付く。「あ……ごめん…… まだ何も決まってないのに」「う、ううん。ちょっとびっくりしただけ。 全然大丈夫だよ」 テーブル席で立ったまま手を差し伸べてみたり、伝票を持ったのにレジに行く気配がなかったり、そのまま立ち話をしたり。 それを見ていた、最初にオーダーを取りに来たやる気無さげなウェイターが霧香と彩の側に立つ。「お客っさぁん、帰んすか ? 帰らねぇんすか ? 」 店員から客に絡むとは世も末だ。客のいない理由がよくわかる。「……なんだよテメェ、文句あんのか ! 」 彩を押し退け、霧香が舐め上げるようにウェイターを見上げ、今世紀最大のオチョクリ顔を決める。 そしてその横で彩が、腕を組み頷きながら「よしよし、流石俺の見込んだ男……いや、女だ」みたいな顔をしているのだ。
昼時だ。当然、黒ノ森のバイト二人も休憩中だった。 学生が授業中の平日は、二人にとっても少し余裕がある時間帯である。「なぁ、今日さ。霧ちゃんと彩が会ってんだ。多分今頃」 ハランの魂胆は見え見えだったが、流石に蓮は聞き流す事は出来なかった。「なんで ? あいつらネットの中だけの付き合いだったろ ? 」「俺が仲介したんだよ。だって話聞いたら二人とも会いたがってたしさぁ」 蓮は霧香の行動にどこまで介入してもいいのか、いつも悩んでいる。プライバシーの問題もある……と言うのは建前で、自分の意のままに行動して欲しいとは口が裂けても言えない。「……ふーん。でも彩は……あいつ大丈夫なのか ? 女性スタッフと喋ってるのも見たことないけど……」「これで慣れてくれれば面白いじゃん」 何が面白いというのか。ハランは蓮をいじりたくて仕方がないのか、それとも他意があるのか誰も理解できない。「だって、ギターとベースだし丁度いいじゃん。 彩はほら……あいつは元々人並み以上にメンバーにも高い技術を求め過ぎる。前回もそれで破綻してるし。 霧ちゃんなら彩の要求に全部応えられると思うんだよね」「霧香は魔法で演奏してる。彩がそれを知った時、絶対同じことになる」「ん〜。じゃあ、そうなる前にお前、同じベースなんだから教えてあげれば ? 今は魔法を補助輪代わりにして、バレる前に移行すればいいじゃん ? 」「俺のベースと霧香のベースはラインが違いすぎる」 その時、ハランのスマホにメッセージが届く。「噂をすれば霧ちゃん」 笑みを浮かべて液晶を蓮に向ける。「えーと……『会話が続かなくて』…&hel
霧華と彩は翌日、昼十二時にファミレス前に集合となった。動画の炎上のこともあり、霧華は不安だった。やり取りはDMや楽譜のデータだけだったし、ディスプレイに写る彼しか知らないのだから。それは彩も同じはずだが、彼の場合は期待の方が大きいかもしれない。道行く全員が霧香の前を通る度に、二度見するよう振り返る。そして意外にも、霧香のファッションにもあった。スタッズの付いた黒のシャツに黒のレザーパンツ。全身黒にアクセサリーてんこ盛りとはなかなか痛々しいはずなのだが、それで絵になってしまうのが霧香……いや、ヴァンパイアの恐ろしさでもあり魅力でもある。「あの……」そこに、通行人の一人が霧華のそばで止まった。ギターケースを背負った二十歳程の男性。彩だ。「こ、こんにちわ。SAIさんですか ? 」「はい………にちわ……」整った顔立ちではあるが、肌は青白く、カラーで脱色した白い髪が更に彼の印象を儚いものにしていくかのように。それ故にインパクトが無く、幸薄い感じもする。服装も白いシャツに白いパンツ。清涼感100%を擬人化したようだ外見だった。「えと……『KIRI』です。今日は来てくださってありがとうございます ! あの〜、動画の炎上の事も……謝りたかったんですよ」「あぁ。あれは……別に……。はい。大丈夫だったんで……」彩は霧香と視線も合わせず、幽霊の様な白い顔で……いや、真っ青な顔
「シャドウ君 !! 」 帰るなりバッグを放り投げ、霧香は屋敷のエントランスでくつろいでいた黒猫に向かって猛突進する。 「あぁぁぁあああっ ! 緊張するよ〜っ !! 」 「や、やめろ ! 」 その喋る黒猫は霧香の使い魔で、主に屋敷のガードマンとして飼われている。『飼う』と言うよりは『同居』が正しいのかもしれない。 「あぁぁぁああっ !! 柔らかぁ〜……」 「いや……本当にやめろ下さい」 一向に吸い終わる気配のない霧香から隙をつき抜け出して、中心に置かれたグランドピアノの上を経由する。 「あぁ ! もっと撫でさせてよ ! 」 そして……一瞬にして筋骨隆々とした黒人男性へと姿を変えた。 「さぁ、撫でていいぞ」 「やだよ……」 シャドウはキッチンに一旦消えると、冷たいハーブティーを霧香に差し出す。御丁寧にお花の飾り付きだ。 元野良猫ながら、霧香に拾われ使い魔としての契約をしたシャドウにとって、ガードマンで働く以上の事をしても全く苦にならないようであった。 命の残り僅かな時間をカウントダウンする生活を考えれば、人型になって人間に言いたい放題言語が伝わるのも有難いことだった。 ただし、吸われたりするのは別だ。それはそれ。 何故なら、自分は愛玩動物としてここにいるわけじゃないからだ。 霧香がペットとして扱うようなら、シャドウの方から契約を切り、自由になれる。そういう魔法なのだ。 未だシャドウはブツクサ言いながらも、契約を切る理由は無いようだ。 自分を引き取った霧香の方が、余程人間界に疎く、心配で仕方が無いのだ。 「あのSAIと、明日会うことになっちゃった !! 」 完全に舞い上が