「シャドウ君 !! 」
帰るなりバッグを放り投げ、霧香は屋敷のエントランスでくつろいでいた黒猫に向かって猛突進する。 「あぁぁぁあああっ ! 緊張するよ〜っ !! 」 「や、やめろ ! 」 その喋る黒猫は霧香の使い魔で、主に屋敷のガードマンとして飼われている。『飼う』と言うよりは『同居』が正しいのかもしれない。 「あぁぁぁああっ !! 柔らかぁ〜……」 「いや……本当にやめろ下さい」 一向に吸い終わる気配のない霧香から隙をつき抜け出して、中心に置かれたグランドピアノの上を経由する。 「あぁ ! もっと撫でさせてよ ! 」 そして……一瞬にして筋骨隆々とした黒人男性へと姿を変えた。 「さぁ、撫でていいぞ」 「やだよ……」 シャドウはキッチンに一旦消えると、冷たいハーブティーを霧香に差し出す。御丁寧にお花の飾り付きだ。 元野良猫ながら、霧香に拾われ使い魔としての契約をしたシャドウにとって、ガードマンで働く以上の事をしても全く苦にならないようであった。 命の残り僅かな時間をカウントダウンする生活を考えれば、人型になって人間に言いたい放題言語が伝わるのも有難いことだった。 ただし、吸われたりするのは別だ。それはそれ。 何故なら、自分は愛玩動物としてここにいるわけじゃないからだ。 霧香がペットとして扱うようなら、シャドウの方から契約を切り、自由になれる。そういう魔法なのだ。 未だシャドウはブツクサ言いながらも、契約を切る理由は無いようだ。 自分を引き取った霧香の方が、余程人間界に疎く、心配で仕方が無いのだ。 「あのSAIと、明日会うことになっちゃった !! 」 完全に舞い上がってる霧香を、シャドウは呆然と見下ろす。 「知らない人間と会うべきじゃない」 「いや、それがね。ハランの知り合いだったんだって ! びっくり !! 世の中狭いよね〜」 「蓮には言ってあるのか ? 」 「え ? 蓮 ? なんで ? 関係ないじゃん 」 シャドウは屋敷からは出れない契約だ。故に、外で霧香が危険な事に巻き込まれないかは、お目付け役の蓮を頼りたいところなのだが……。 「最近、蓮もあれは危険これは危険、そればっかり」 「人間は法律があっても守らない奴がいる。だから警戒するに越したことはない」 「はぁい」 「すぐ飯にする」 この屋敷は、霧香が人間の世界で生きていけるよう最低限の設備を兼ね揃えた豪邸である。水周りは勿論、最新鋭の電化製品が揃った何不自由の無い居住地。 今となっては、人型になれるシャドウの趣味は料理だ。好きな量、好きな食材でいくらでも作り、食べれる事が彼の密かな幸せだ。 キッチン横の食堂スペースに、シャドウが大きな指輪のついたゴツゴツな手でサラダ、魚料理、肉料理を並べていく。メニューは肉料理が八割を占めているが、霧香は他人に文句が言える腕前では無い。素直に感謝して食べるしかない。ネコ科がサラダを用意してくれるだけでも驚きである。 「食ったら見回りに行ってくる」 「敵なんか来ないって」 「襲われる奴は皆んなそういうんだ」 本当は、この後霧香が大音量でベースを弾く音に耐えられないからである。防音部屋もあるのだが、ネット配信をするようになってからは配信部屋が設けられた。しかしそこは防音では無い。 近隣住民には聞こえないものの、猫のシャドウにとっては不快でしか無いのだ。配信時間になると人型になり、パトロールと称して夜風に当りに行く。 「あ、その冷蔵庫届いたんだ ! 」 ふとキッチンの隅に置かれた小さな冷蔵庫を見つける。台所で使うようなサイズではなく、一m四方の小型冷蔵庫だ。 「コレね ! 」 開けると青色の小瓶がギッシリ詰まっていた。現代のヴァンパイアの自制心をコントロールする源と言っても過言では無い。科学製法で作られた血液成分飲料水だ。これが無ければヴァンパイアが人間界で暮らすことなど現代では認められない。 「配達人はこの屋敷が視えるそうだ。 今回は間に合わせにこれだけ。あとは定期的に補充されるが、許可証が必要だそうだ。すぐに書類を提出しないとやばくないか……?」 「今日蓮に書類貰ってきた」 「ならいいが。 普通、揃ってから引っ越すもんじゃないのか。 お前が思う以上に、人間界に潜り込んでる天使や悪魔は多いぞ。気をつけるように……ただでさえ普通は高校生の年齢なんだから」 「分かったって。 よっしゃ ! じゃあ今日もいっちょ動画上げますか〜 ! 」 地獄から持ってきた十弦もある巨大なベースモドキが、霧香の相棒だ。そして人間界を知るために与えられたパソコンが、まさか動画配信用に使われるとは……用意した統括も思ってもいなかっただろう。 「それで ? SAIってのは……あの炎上した奴か」 「う……。それについてはこっちが炎上させた側、だね。 明日文句言われたらどうしよ。謝らなきゃ」 SAIと霧香の接点とは……。 時は一か月前に遡る。 □□□ 霧香は人間界に来て一週間程経過した頃、意外な方法で収入を得る事になった。 それが動画配信サービスの収入である。 「くっ〜〜〜 !! こいつ !! またランキングに入ってる !! 」 音魔法を使える霧香にとって、この魔法なら歌も楽器も万能な故、人間くらいなら簡単に誘惑できると簡単に考えた。動画と言う一度に多くの人間に聴かせられる便利さと、即興でいくらでも弾き歌える霧香にとって、外に出なくてもそれだけで金を得る事が出来ることを知り目から鱗だった。 だが人間の才能や好みは果てしなく多種多様で、食っていける程の稼ぎとは言えない。当然、そう簡単では無かった。 多弦ベースは事実存在するが、実用性としてはネタに近い。 更に霧香の楽器はチェロ程の大きさがあり、金属製の為ストラップで肩に吊らず、床に置き片足立ちで演奏する。音が鳴る原理と使う弦がベースと同じ……と言うだけかもしれない。 こんな物体がベースと呼べるのか疑問だ。ただでさえ十弦は琴のようにネックも幅がある。 完全に万人ウケはしない物体である。 加えて、霧香は手元のみの動画で、視聴者の興味はただただ珍しい物を抱えて音を出している……というだけの印象でしかない。 「こんな ! ただの顔がいいだけのイケメン天才がぁぁぁっ ! 」 液晶をガクガク揺さぶるが、暗に相手を認めているのがなんとも情けない。 「ベースだったら、私の方が上手いよね !? 私の方が上手いよね !? 」 「うるせぇよぉぉ……」 シャドウが耳を伏せて尻尾をパタつかせる。 「はぁ〜……。顔の善し悪しだけでファンが増えるなんて……考えもしなかった。顔って出さなきゃダメ ? わたしが認められるのは、このギタリストの『SAI』さんだけだわ 」 「別にいいじゃん。どうして張り合うかねぇ……。 じゃあ、お前。そのSAIさんに会って……ほら、なんか、ちょっと齧って来い。ヴァンパイアにして、部下にしろ」 「何それ応援してんの ? 破滅させたいの ? どっちっ ! いやいや、そんなことしたら人間界にいれなくなるよ !! はぁぁぁ〜。わたし音魔法も使ってるって言うのに、全然誰にも聴かれない。どうすれば視聴者って増えるのかなぁ ! もう〜焦れったいなぁ ! 」 「じゃあメールで、そのSAIさんに聞いてみたら ? ランキングいつも上位なんだろ」 「nice !! いや、いきなりメールって……いいのかな ? みんなコメント欄で話してるよ ? 」 「じゃあ、そこに書いてみたらいい」 「そうだね……。じゃあ……。 『私もベース弾いてます ! 良かったら聴いてください ! 』っと。 ここにLINKを貼って……」 数分後。 コメント欄、大炎上。 『ここで直リンク貼り付け宣伝とかw』 『他でやれよ』 『SAIに失礼じゃないの ? 』 「なにこれ。 ……心が……死ぬ……」 「コメント欄見る限り、お前が悪いんだろうな」 「やれって言ったのシャドウ君じゃん ! ……んん ? 」 「どうした ? 」 霧香のコメントに、見慣れたアイコンマークが返信してきた。 『SAI『聴かせて頂きました。お上手ですね。尊敬します』』 「ふっ !! ふあぁあああぁあああっ !! 」 「な、なんだ !? 」 「本人から褒められた !! 」 「社交辞令だろ ? 炎上しちまったから。 火消しと、イメージアップだよ」 「メールしちゃう ? メールしちゃう !? 」 「聞けっつーの !! 社交辞令だよ。 嫌われてんだよ ! 」 「『いつも、動画観ています……私はベースの動画を……』」 「聞けっつーの !! 人間界来て一週間で黒歴史生産するなっ !! 」 この黒歴史が、霧香の人生を左右する事態となるのだった。 何せ明日会うまでに発展しているのだから。 □□□ ディスプレイに映し出される機械的な自作ベースは、あまりに現実離れした異様さを醸し出す。そのメカニックなデザインは一部の人間には近未来感があり魅力的に見え、ある一方からは実用性は無くあくまでパフォーマンスの一貫であると評された。 十弦ベースは弾きこなせればそれなりに魅力はあるし、霧香はその実力が追い付いている。 霧香の貼った炎上リンク事件の後。 ギタリスト SAIこと深浦 彩は、霧香の……ベーシスト KIRIの動画投稿の全てを見続け、物思いにふけった。 そして、別のハードから楽譜と音源をコピーすると、KIRIのダイレクトメールに送信する。 『ギター動画やってるSAIです。先日は御視聴ありがとうございました。 ところでこの曲に興味ありませんか ? 弾けるベーシストが身近にいないのですが、KIRIさんなら可能でしょうか ? 大変不躾で申し訳御座いませんが、返信頂けたら幸いです。 ちなみに、通常の四弦、五弦ベースや副弦ベースの演奏も可能ですか ? 』 そして霧香はご丁寧にも、添付された楽譜を演奏し、音源をメールで送った。 そのやり取りが毎日続いた。 そんなある日だ。 『KIRIさん、バンド組んでらっしゃいますか ? もしフリーなら会ってお話しませんか ? 』 霧香が躊躇ったこともあり保留になっていたが、思いがけずハランの知り合いとあって、明日会うことになった。 それは彩にとって自分の限界の、最後の抜け道でもあった。 KIRIの演奏はパフォーマンスこそ尖ってはいるが、誰にでも出来る領域では無いと確信した。当然、魔法を使っている事など知らないのだからそう見えても仕方の無い事ではあるが……もう一つは、人間性だ。 ハランは蓮と違い、良くも悪くも計算高い。 故に秘密を保持出来ない者や、薬物乱用者、実力があっても人間性に乏しいような男とは、決して付き合いをもたないのだ。 少なくとも、ハランにとってはKIRIは普通以上ということだ。 ベーシスト KIRIに会えるのを、彩も期待で浮かれていた。 KIRIが女性である事も知らずに。 Prrrrrr !! Prrrrrr !! けたたましく鳴るスマホに彩は、少しうんざりと溜め息をしつつ通話ボタンをおす。 『店長の佐藤です。 あのさ。言ったよね ? そんな甘い職場じゃないって。ってか、無断欠勤三回目だよ !? 分かってるよね !? 』 「はい……」 『書類は郵送するから ! お店の備品とか持ってないよね ? あったら郵送でいいから返してね ! それじゃ、お疲れ様でした ! 』 一方的に解雇を告げられる。 確実に彩の怠慢であるから、特に言い訳もしなかった。 今の彩には、そんなことはもうどうでもよかった。 自分の音源にあのベースが加わったらどう化学反応を起こすのか……。 想像するだけで、高揚する。 初めて親にバイオリンを持たされた時を思い出していた。 「〜〜〜♪〜〜ーー〜♪」 そしてその親と別れ、孤児院に来た時の絶望も。 その度に口ずさむフォーレの『夢のあとに』の寂しげなハミング。 彩は間接照明を付けたままパソコンの明かりを頼りに、ベッドから毛布をずり下ろすと、そのまま床に丸まって寝付いた。「元々一緒に住んでたんだよね ? 」「うん。音楽関係者に間貸ししていいよって言われてたし、一応誰を呼ぶかはママに言うしね」 既に蓮と同居していた事実をぶち込む。「なんかさ〜。イケメンじゃん ? 前も言ったけどさぁ。好きになっちゃうとか、無いのっ !? 」「無いよ〜。 っていうか、お手伝いさんもいるし、全くの一人暮らしでは無いじゃん。 蓮は会話とかなくて割と部屋に引きこもってるから。だって普段はAngel blessのメンバーといて、他は黒ノ森楽器店で働いてるじゃん ? 一緒に住んでても、廊下ですら会わないんだよねぇ」「会わねぇんかい ! えぇぇ ? じゃあほんと、居るなぁってだけぇ ? 」「そんなもんだよ。わたしも配信部屋でひたすら投稿と生配信だし。 あ、でも。さすがに猫飼う時は相談したけどね。ほら、アレルギーとかあったら飼えないしさ」「そうなんだ〜。 ところで、蓮とハランはAngel blessは続けるの ? 」「うん。もちろん。楽器店と三足の草鞋を履くよ。 ここの加入の話は、京介から経由で聞いたのね ? 「行ってくれば」って話貰って。そして俺も即OKだった ! あはは」 ハランが左隣の霧香を見て微笑む。「だってさ。霧ちゃんと生活して、音楽もやれるって最高じゃん ? 」『最高』を断言である。 これにはヤラセと分かっていても、あまりの恥ずかしさに霧香は手でパタパタと顔を仰ぐ。「いやいや、でも……。 わたしたち、ゴシックをメインにやって行こうと思ってるんです。 そしてこの配信がアップロードされる頃には、五曲あげる予定なんだけど。 ひとつはゴシック・ロック、ゴシック・パンク、和ロック風ビジュアル・ロックって感じで。わたしはチェロとベースどちらもやるし、サイはバイオリンにも行くんで、是非聴いてみて下さいね。 激しいのも静かなのもやるんで、ご期待下さい」 全くハランへの返
動画撮影、当日。 朝食の皿が下がった所で、彩が切り出す。「これから撮影に入るから。カットはなるべく入れたくない。実写の編集めんどくさいんだ。余計な失言はなるべくしないでくれ。 大まかな流れはここに書いて来た」 そう言ってコピー用紙を全員に配る。 恵也が受け取ってブツブツ読み上げる。「食堂で俺とサイがキリと撮って、メンバー紹介して……俺の部屋紹介で猫 ? なにこれ、猫ってだけ書かれても分かんねぇよ 」「あの黒猫写真の一件を一度鎮火させたい。 シャドウ、申し訳ないがこの時だけ猫に戻ってくれないか ? 」 シャドウはキッチンで牛乳を飲んでいたが怪訝な顔で彩を見る。「俺をペット扱いしないでくれ」「そんな気ない。 家中映して、飼ってると公言してる猫がどこにもいなかったら『外飼してるんじゃないか』とか変な噂が出るかもしれない。ペットのマナーは叩かれやすいんだ。悪徳な人間はお前がよく理解していると思う」「そういう事か。 異論ない。うむ。霧香がそんな言われ方をするのは望まん。協力しよう」「それに人型のシャドウも撮りたい。これだけの食事や屋敷の清掃をやってくれる事に、俺たち全員は感謝すべきだ」「そうだね。賛成」「朝、こんなちゃんと食う生活久しぶり」「すげぇバランスも取れてるもんな」 これには全員一致で頷く。「じゃあ、シャドウ君。ケイの部屋で待機して、無理やりケイが抱っこしようとするのを、シャー !! バリバリって引っ掻いていいよ」「ほう」「ほう……じゃねぇよ ! だったら、一緒に猫カフェに引取りに行ったレンレンに懐くって絵面の方が普通じゃないの !? 」「ケイなら多少引っ掻かれても絆創膏が似合いそうだし、撮れ高的にケイで行こう」「これだから動画配信者はぁぁぁ」 シャドウは牛乳を飲んだグラスを洗い、猫型に戻
引越しは一日がかりだった為、撮影は次の日に持ち込まれた。 四人分を一日でとなれば当たり前のことだが、意外と持ち込む荷量が多かったのはハランだった。ハランはこれからも今までいたマンションは契約し続ける事を告げていたが、それでも段ボールで部屋の半分が埋まった。 彩は今まで作り溜めた音源をいくつかピックアップし、全員に夕食後に渡した。 コンセプトやチェロの件は蓮と打ち合わせ済みで、ハランも文句無し。そのまま事はスムーズに動き出し、全員楽譜を受け取った。「それで、二人にお願いがあるんだけど」「俺とハランに ? 」「俺たちは……ネット配信をメインで活動する。ステージに立つことは少ないと思う。 ネットで気軽に配信出来るメリットってのがある。 例えば生配信。生配信のコメントなら、コメントしたファンは直接俺たちに言いたいことが伝わってるっていう独特の空間の楽しみ。ファンとの距離感が強いんだ。会ってもいないのに同じテーブルで喋っていると錯覚するくらいに」「うん。俺も蓮も分かってるよ。今まで俺たちがミュージシャンとして活動してきた事とは、根本的に変わるって事だよね ? 」 彩は頷き、別に用意していた用紙を二人に見せる。これは恵也や彩のDMに来ていた『霧香と蓮、もしくは霧香とハランに交際していて欲しい』という、多くの支持を得ている、ファンからきたメッセージのプリントアウトである。 蓮は頬杖を付き溜息をつく。ひと目で不機嫌になるのが分かったが、ハランはメッセージを見てクスクスと笑い足を組み直す。「皆んな、意外な事考えるなぁ〜」「……で ? これがなにか関係あるの ? 」 ここで切り出せる彩もなかなかメンタルが強い。「撮影中、なるべくキリに絡んで欲しい。隙あればキリを奪っていくスタイルで。 最初はこう言う、キリに向かってくる下衆の勘繰りをさせない様にと考えたんだけど……もう、このファンの期待に答えようと思う。 好きなだけ勘繰らせて、なんなら『どっちと付き合っ
大まかの引越しが済んだ。 あの個人宅配のお爺さんの息子は運送会社を引き継いでいて、引越し業はしていなくても好意で引越し手伝いをしてくれた。本業が心配になるレベルで何時でも対応してくれる。「親父から面白い楽器運んだって聞いてさ〜」「あぁ。わたしのマシンです。これですよ」 霧香がポストの側でスマホに写ったベースモドキ……命名マシンを見せる。「はえ ? これ楽器ですか ? 」「取り付けてある機材はベースなんですよ」「あー自作楽器ね。ピックアップとコントローラーと弦があれば……音鳴るもんね」 言えない。この人の良さそうなおじさんの、更に人が良さそうなお父様に、このくっそ重い鉄製のマシンを一往復運ばせたなど。「ま、頑張りぃや。 ところで、ここに荷物置きっぱなしでいいの ? ここから上まで距離あるんじゃないの ? 」 郵便ポストの横、林道に積み上がった四人分の荷物。「え、ええ。なんか筋トレしたい奴がいて」「そう。 ところで楽器やっとるっちゅーたら、ライブとかすんの ? お嬢さん美人だもんなぁ」「あ、ありがとうございます。 インスタグラムでKIRIって検索したら出てくると思うんで見てみてくださいね。写真凄く載せてるんで」「ほぉー写真かァ〜」 そこへ恵也がやってくる。「おいちゃん、ありがとうございました。 こちら、四人分の本日の支払いの方印鑑押しましたんで。週末には振込させていただきます」「構わんよぉ〜。それもこんな林の入口でいいんかいな ? ま、ほぼ何でも屋みたいな運送屋だからね。何時でも声かけてよ。 これ、名刺ね。深夜でも早朝でも重量と大きさ伝えてくれればなんでも運ぶよ。 あ〜、俺何処から来たんだっけ ? 来る時は分かってたのに ! そのうち知ってる道に出るかぁ」 運送屋はそういうと、帰って行った。「さてと。ケイ、人が見てないか確認しててね」「おっけ」
「やば……。途中バイオリン落とすかと思った」「無茶な事するから……」「だって前奏だけギターソロだったから」「でも、こういう曲いいね。クラシックが母体になってるのと、バリバリロックなのに間奏はバイオリンとチェロが主体なの新鮮」「バンドでバイオリンってどうなのって気はしてたけど、すげぇ体力奪われる。気持ちいい」 もう一度三人でテーブル席に戻る。 霧香は先程のチェロとドレスの写真をインスタにアップロードする。 彩はSNSで告知。 『近日中 重大発表あります』 庭を眺めながら、恵也がぼんやりと口にする。「ゴシックバンドで『ゲソ』ってネーミングどうなの ? 」「「……」」「和風じゃん ! コミックバンドじゃん ! もっとカッコイイのとか耽美なのにしようぜ ! せめてロックなの……」「そういうセンス無いんだよな」「歌詞は書けんのに ? キリは ? 」「え !? うーん…… 。か、感染地帯とか ? 」「いる !! 感染では無いけど有名な地帯いる !! もっと無いのか !? 」「えぇ ??? じゃあ……バイオリンとマシンで、バイオマシン…… 」「『汚染』から離れろ ! サイはなんか出せよ ! 候補 ! 」「……人外S。ジンガイズ……」「人間辞めましたって !? 自己紹介しろなんて言ってない ! じゃあ、取り敢えず保留な !?」 □□□□□□ そして迎えた六時半。 朝食が並んだリビングで、ハランの笑みがビキビキに引き攣っていた。 その向かいで、何事も無いかのようにパンをちぎって口に運ぶ蓮が居る。「えーと……。いつ来てたのお前……」「昨日。夜」 ぶっきらぼうに答える蓮に、ハランが深くため息を着く。「あっそ。 そう言えば、明日有給取ったろ ? 引越しか ? 」
恵也は朝方五時に起床すると、住宅地を二週ランニングし、庭で筋トレをするのが日課になった。 その日は、昨晩出掛けたはずの霧香が今はスタジオに彩といるのが見えて安心する。 見慣れないものに興味が湧いた恵也は、筋トレを中断し、スタジオへ向かった。「おはよう」「ケイ、丁度良かった。これが終わったらミーティングしたいんだ」「はあ。いいけど。これって……」 霧香が応接間から持ってきたアンティークチェアにドレス風の衣装を着て座っていた。 黒地のシャープなスリット入りのドレスに真っ青な青い薔薇とリボンが付いた大人っぽい雰囲気だ。 そして霧香が抱えているのは、あのガラスのチェロだった。「指板は持ったままで、顔を寄せて……もっと左手に唇つけて。右手はピッチングの形で」 カシャ !「インスタ用 ? 」「そう。なんならPVにも使いたいな。はぁ〜装飾楽器はテンション上がる」「へぇ〜。これアクリル ? 」「ガラスだよ。蓮から貰ったって」「うえぇぇっ !? あ、昨日か !! うぇ〜いレンレンやるじゃ〜ん」 霧香は恥ずかい気持ちを隠すように意地でも澄まし顔を貫こうとするが、二人からは丸わかりだ。「何がよ。別に、契約者も出来たしってお祝いに貰っただけだし」「いやいや、超すげぇじゃん、いくらすんのこれー。やべぇ〜。 そのドレスも ? 」「このドレスはシャドウがミシンとキリの着てない服を持ってきてくれて……」「お前が作ったの !? 」「……最高。最新式のミシン最高。昔のも味があっていいけど、スペックが違う。なんでも縫えるし刺繍も出来るし……ハマりそう」「もう……ハマってんじゃん」「このチェロも弾かせて見たけど、音も悪くない。