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All Chapters of 桜華、戦場に舞う: Chapter 1411 - Chapter 1420

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第1411話

春長殿では、皇后がまだ髪飾りを外すこともなく、顔の化粧も落とさぬまま、瞳の奥に期待の光を宿らせていた。今日、御前から早々に陛下が今夜後宮を訪れるとの知らせがあり、長い間待っても陛下が夜伽の相手を選んだという話を聞かなかったため、心中ひそかに喜んでいた。相手を選ばないということは、中宮に来るということを意味していた。「蘭子、急いで陛下がお見えになったかどうか見てきて?」今夜だけで、もう三度目の催促だった。傍らで控えていた吉備蘭子が微笑みながら答える。「お急ぎになりませぬよう、皇后様。陛下がお越しになる際は、必ずお迎えの準備をするよう事前にお知らせがございます」「そうね、そうよね……陛下が春長殿にお越しくださるのも久しぶりで、すっかり忘れていたわ」皇后は鬢のあたりをそっと撫でながら、艶やかな笑みを浮かべた。「何といっても陛下と私は夫婦の間柄。夫婦喧嘩は犬も食わぬと申しますもの。今や大皇子も立派に成長なさったのだから、陛下のお心も自然と和らぐというもの」「陛下がお越しになったら、よくよくお話しください。ただし、大皇子のお帰りのことを急いて持ち出すのはいけません」蘭子が念を押すように言った。皇后は頷く。「分かっているわ。今夜は口にすべきではないでしょうね。けれど、いずれは早くお戻りいただかないと……今では左大臣様もお褒めくださっているのよ。これ以上慈安殿にお留めいただく必要もないわ。こちらに戻られても変わらずよく学ばれるでしょうに。あまり長く慈安殿にいらっしゃると、いずれは私という母を忘れてしまうのではないかしら……」蘭子が一瞬ためらい、それでも言わずにはいられなかった。「実のところ、大皇子様は今ではずいぶんとお利口になられました。このまま慈安殿にお留まりいただいてもよろしいのでは?陛下がお足留めをお解きくださりさえすれば、皇后様がいつでもお会いに行かれますし、大皇子様はお孝行な方ですから、決してお母様をお忘れになることはございません」だが皇后は首を振る。瞳の奥に悲しみが宿っていた。「孝行であっても、所詮はまだ年端もいかぬ身。人に吹き込まれれば、心も揺らいでしまうもの」蘭子の顔色が変わった。「皇后様、そのようなことを……太后様がそんなことをなさるはずがございません。そのようなお考えはお持ちになりませぬよう。太后様も大皇子様のためを思っての
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第1412話

後宮にあって、斉藤皇后が最も警戒しているのは徳妃と定子妃である。この二人はそれぞれ二皇子と三皇子を産み育てていた。確かに、定子妃の三皇子は実子ではなく、年もまだ幼い。さほど心配する必要もないはずなのだが——定子妃はもともと傲慢な性格で、家柄も申し分なく、権謀術数にも長けている。この一年余り、徳妃と共に後宮の事務を取り仕切るようになってからは、性格も幾分か抑制が利くようになり、人心掌握の術を心得るようになった。加えて上原さくらの工房や女学校を支援していることで、民間でも一定の評判を得ている。それに比べれば、徳妃の方がずっと慎ましやかだ。定子妃と共に後宮を管理しながらも、時折は皇后の意見を伺いに来て、心から皇后として敬っている。しかし徳妃の二皇子は聡明で利発、礼儀正しく慎み深い。太后と陛下のお気に入りである。今、皇太子を立てるとすれば、当然「長幼の序」に従うことになろう。だが皇子たちが皆成人した暁に、誰かが「賢者を立てよ」と言い出せば——大皇子にとって手強い敵となる。今や徳妃と定子妃の二人には共に後宮を管理する権限がある。当然、それぞれの皇子の地位も高まるというものだ。皇后が頑なに大皇子を手元に取り戻そうとするのには、先ほど述べた理由の他に、もう一つ重要な訳がある。斎藤家は自分の助けにならないどころか、足手まといになりかねない。万が一……万が一のことがあれば、皇后の座を廃されることだって不可能ではないのだ。大皇子が傍にいれば、陛下もいくらか顧慮してくださるだろう。このことは、口にすることも、深く考えることもできない。思い浮かべるだけで身が震える。一睡もできぬまま夜を明かした翌日、陛下が惠儀殿を定子妃に下賜されたという知らせが舞い込んだ。惠安太皇太后も、皇后に立てられる前は惠儀殿にお住まいだった。惠儀殿は冬暖かく夏涼しい。宮門の前には池が掘られ、そこには蓮の花が一面に植えられている。夏ともなれば、宮殿全体に蓮の清らかな香りが漂うのだった。惠儀殿の敷地内には、さまざまな品種の牡丹も植えられている。牡丹は花の王——本来であれば太后と皇后の宮にのみ植えることが許される花だ。御花園にもあるが、それは誰の所有でもない。惠儀殿の牡丹は元からあったもので、庭師が丹精込めて手入れをし、観賞用として大切に育てられてきた。それが今、定子
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第1413話

定子妃の宮移りに際し、各宮からは祝いの品が届けられた。皇族や重臣たちもこの知らせを聞きつけ、続々と新居祝いの贈り物を送ってきている。何を贈るかについては、どこの邸宅でも奥方が決めるものだが、北冥親王家となると話は別だ。采配を振るうのは有田先生と道枝執事である。二人は蔵の中をあれこれと物色したが、適当な品が見つからない。あまりに高価すぎるか、ありきたりな金銀財宝の類ばかり。金玉の花瓶などでは見劣りしてしまう。珊瑚の樹や屏風といった大物もあるにはあるが、有田先生はいささか惜しく思った。珊瑚の樹は貴重品で、邸内にあるこの一基は王妃の婚礼の際、万華宗から贈られたものなのだ。やがて二人の視線は、蔵に最も多く保管されている品物に向いた——深水青葉先生の梅の絵である。これなら外聞も立つし、価値も相当なもの。しかも親王家には腐るほどある。物足りないというなら、間もなく雪も降り、梅も咲く頃だ。深水先生に新たに描いてもらえばよい。ただし、深水先生への敬意を示すため、まずは許可を求めた。深水青葉は特に異議はないと答えた。確かにこの手の作品は山ほどある。長年梅の花を描き続けてきたため、もはや体が覚えてしまっている。紙を広げ、筆を手にすれば、一、二時間で仕上がるのだ。夜に帰宅したさくらは、多少の名残惜しさを感じた。幸い、贈り先は定子妃で宮中に留まるのだから、外で勝手に売り払われる心配はない。定子妃も書画を愛でる方のはずだし——そう自分を納得させ、贈ることにした。さくら自らが宮中へ届けに赴くと、惠儀殿は今まさに門前市をなす賑わいぶり。この機に乗じて参内した貴婦人たちが、謁見の順番を待って控えていた。さくらがしばらく待っていると、誰かが中に知らせに入ったらしく、定子妃は公務で忙しいことを理由に、先にさくらを通してくれた。誰も文句を言う者はいない。なにしろ逆賊が都で暴れ回った時、玄甲軍を率いて勝利を収めたのは彼女なのだ。おかげで皆、今の安らかで豊かな暮らしを保っていられるのだから。さくらは礼を尽くして挨拶を済ませ、絵巻を差し出した。定子妃は最初、さして気に留める様子もなく、いつものように受け取らせようとしていた。ところが巻物に「深水」の字が貼られているのを目にして、はっとして尋ねる。「深水先生の寒梅図でございますか?」さくらは頷き、微笑みながら答
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第1414話

惠儀殿の庭園は決して狭くはないが、御花園と比べては到底太刀打ちできない。ゆっくりと歩きながら眺めたり、立ち止まって花を愛でたりすれば、確かに半時間ほどは過ごせるだろう。だがさくらは足早に歩く癖がついている。花など、ひと目見れば十分だ。彼女にとってはどれも大差ない。山一面を埋め尽くす花々を見てきたのだ——霜に耐える寒梅、高嶺に咲く石楠花、三月の艶やかな桃の花、果てしなく続く色とりどりの山茶花。それらは真に圧倒的な美しさだった。今、鉢植えで丹精込めて育てられた牡丹を眺めても、さして興味が湧かない。そんなわけで、一周回る間に、まだお茶も飲み終えていない人たちがいる中、紅葉女御が工房の話題を持ち出し始めたところで、一行は既に惠儀殿の正殿に戻っていた。紅葉女御は作り笑いを浮かべる。「それでは中に入って、定子妃様にお祝いを申し上げましょう」だがさくらは答えた。「用事がございますので、これで失礼いたします」「王妃様」紅葉女御は慌てて声をかけた。さくらが振り返る。「何かご用でしょうか?」紅葉女御は慌てて笑みを取り繕った。「いえ、何でもございません。ただ、天下の女性に代わって王妃様にお礼を申し上げたく……王妃様は慈悲深くいらして、高いお立場にありながら苦しむ民のことを思ってくださる。妾どもには恥ずかしいばかりです」さくらは面食らった。高い立場にありながら苦しむ民を思う、とは何のことか。自分にそれほど立派な心構えがあるとは思えない。それに、自分が恥ずかしく思うのは勝手だが、なぜ「妾ども」などと言うのか。この「ども」とは誰を指しているのだろう?その場にいる妃嬪たちのことか?本当に天下の人々に代わって感謝しているのか、それとも恨みを買わせようとしているのか。自分を持ち上げながら、ついでに後宮の女性たちを貶めている——これは愚かなのか、それとも悪意なのか。清家夫人の顔色も著しく不自然になった。慌てて辺りを見回すと、案の定、多くの視線がこちらに向けられ、その表情もさまざまだった。「王妃様、ちょうど私も邸に戻るところでした。ご一緒させていただけませんか」清家夫人が慌てて口を開いた。清家夫人も工房には少なからず力を貸しているが、自慢げに言い立てたりはしない。今日それを持ち出したのは、さくらに向けられた人々の奇異な視線をそらすためだった
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第1415話

清和天皇は軍議を行う際、必ずさくらを御書院に召し出し、戦況についての討議への参加を認めている。この御書院での議席は、彼女が玄甲軍を率いて叛軍を打ち破った末に勝ち取ったものだ。血と汗で築いた地位に、異を唱える者はいない。軍情は関ヶ原と邪馬台から届く早馬の報告をもとに構成され、朝臣たちがその後に情勢分析を行い、後方支援体制を整え、戦略を練り上げる。しかし戦略が固まったとしても、清和天皇が直接勅命を下すことはない。あくまで進言という形を取る。この点からも、玄武と佐藤家への信頼が窺える。もっとも、その信頼は戦場での指揮に限られてはいるが。冬を迎えた今、将兵たちには防寒具が必要だし、より多くの武器も求められる。議論の大半は、この補給問題に集中していた。関ヶ原のスーランキーとビクターの状況は似ているようで、実は大きく異なる。ビクターはもはや退路を断たれているが、スーランキーにはまだ平安京皇帝という後ろ盾がある。ただし平安京皇帝はレイギョク長公主と度々対立し、朝廷も派閥争いで分裂状態……要するに混乱の極みで、スーランキーへの実質的な支援はほとんど期待できない。それでも、辛うじて逃げ道だけは残されているのだ。だがスーランキーにとって、この退路は屈辱以外の何物でもない。本来なら寧世王との連携で大和国軍を退け、その勢いで関ヶ原を併呑し、平安京皇帝と共に民の称賛を浴び、人心を掌握するはずだった。兄のスーランジーを上回りたい……それがもはや彼の執念となっていた。そのため戦場での彼は凶暴なまでの激しさを見せ、全力を尽くし、死ぬまで退かない覚悟で戦っている。北條守たちは本来、佐藤大将への寿祝いを持参しに行ったのだが、親房甲虎に嫌われてしまい、邪馬台には戻れなくなった。何とかして佐藤大将を説得し、関ヶ原に留まらせてもらう方法を模索していたところだった。ところが作戦を練る間もなく、平安京軍が攻め込んできた。そうなればもう迷うことはない。武器を取って戦うだけだ。北條守は関ヶ原で戦った経験があり、かつて佐藤家の人が彼を救おうとして敵に片腕を斬り落とされるという、重い恩義を受けている身だった。世の中には本当に因縁めいたことがある。激戦の真っ只中、今度は彼が佐藤三郎将軍を救おうとして、敵に左腕を削ぎ落とされたのだ。戦況が膠着し、止まらぬ出
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第1416話

さくらは北條守が三叔父を救って片腕を失ったことを、実はずっと前から知っていた。三叔母からの手紙に書かれていたのだ。わざわざそのことを報告したわけではなく、佐藤家の近況や戦況を伝える中で、さらりと触れただけだった。さくらは返事を書いた時も、そのことには一切触れなかった。戦場では刀を交える中で、誰が誰を救ったかなど分からなくなることもある。出征した将兵が皆、五体満足で帰還することを願うのは当然だが、戦とはそれほど残酷なものだ。必ず血が流れ、犠牲が伴う。さくらは早くからこの件を知っていたが、清和天皇が北條守の奮戦と救援での負傷、そして功績について知ったのは、最近関ヶ原から届いた勝利の報告書を通してだった。先に早馬で送られてくる戦況報告には軍事情報のみが記され、誰の功績かまでは記載されない。功労者の名簿が添えられるのは、正式な勝利報告書だけなのだ。清和天皇は上機嫌で、軍議の際にわざわざ北條守を褒め称えた。まるで自分が彼を抜擢したのは正しい判断だったと証明したいかのように。それから、北條守を褒めたことでさくらの気分を害したのではないかと気にしたのか、議事の後で彼女だけを残し、こう言った。「人は皆、前を向いて生きるものだ。お前と彼の間のわだかまりも、もう水に流すべきだろう。いつまでも引きずっていては、苦しむのは自分だけだ」さくらは「はい」と短く答えるだけで、他には何も言わなかった。清和天皇は彼女がまだ気持ちの整理がついていないのだと思ったのか、微笑みながら続けた。「もしお前がまだ気が済まないなら、朕は彼の功績を記録せず、帰京も許可しまい。関ヶ原に十年でも二十年でも留め置き、それを罰とするのも良いかもしれんな」さくらはいささか面食らった。まさかそのようなことを仰るとは思わなかったのだ。第一に、自分と北條守の個人的な確執を、戦功と結び付けるべきではない。功を立てれば論功行賞すればよいし、過ちを犯せば規則に従って処罰すればよい。第二に、関ヶ原に十年も二十年もいることが罰になるのだろうか?ならば外祖父一家がこれまで長年関ヶ原を守ってきたのも、罰だったということになってしまう。それに妙に感じるのは、陛下が最近よく自分だけを残して話をされることだ。しかも取るに足らない雑談ではない。時には後宮の妃が汁物などを持参された際、半分を自分にも勧め
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第1417話

こうした状況が十日ほど続き、さくらは有田先生や大師兄と一緒に分析してみたが、結局のところ真意は掴めずじまいだった。最初は万華宗のことを探ろうとしているのだと思った。今回師匠は六眼銃と巨砲を改良しただけでなく、一声かければ多くの宗門が応じ、武芸界の諸派が京都防衛戦に参加したからだ。陛下の疑い深いお性格を考えれば、警戒されても不思議ではない。だが後になって、そうではないのかもしれないと思い直した。梅月山のことを聞かれても、師匠の話は求められず、面白い雑談ばかりを聞きたがるからだ。この二日間、陛下が最も好んで聞かれるのは、彼女が梅月山で喧嘩を起こして問題を引き起こし、師匠が各所を回って謝罪する羽目になった話だった。そんな話をするたび、陛下は腹を抱えて大笑いされ、心底楽しそうにしている。さくらには何がそんなに面白いのか分からなかった。問題を起こして帰れば師叔に叱られ、外出禁止、甕担ぎの罰、手のひら叩き、鉄釘の上での正座、あるいは尻の下に線香を置いて一時間の馬歩立ちなど、着物が焦げるのは日常茶飯事だった。こんな恥ずかしい話をすれば興味を失うだろうと思っていた。子供の悪戯は陛下が最も嫌われることだし、大皇子が悪戯をした時も大変お怒りになっていたのだから。ところが逆に病みつきになったようで、この日は山で牛糞爆破をしたことがあるかと尋ね、これが一番面白いのだと仰った。さくらは暫く唇を引きつらせてから答えた。「それもございましたが、陛下はなぜそれが面白いとお思いになるのですか?まさかご経験がおありなのでは」清和天皇は笑いながら言った。「お前の次兄が朕を誘ったのだ。彼は足が遅くて、いつも糞まみれになっていた」さくらは心の中で思った。次兄の足が遅いはずがない。足が遅いのは陛下の方で、次兄は陛下をお守りしていただけなのだ。天皇は笑いながらも、次第に目元が翳りを帯びてきた。ため息をついて呟かれる。「朕は上原二郎が恋しくてならぬ。このところ何度も夢に見るのだ」さくらの心の奥に張り付いていた古傷がえぐられ、針で刺されたような鋭い痛みが走った。目尻がほんのりと赤くなり、小さな声で尋ねる。「次兄がどのようなことを申していたとお聞きになったのでしょうか?」「昔のことばかりだ。もう話すまい」清和天皇は明らかに話を続ける気を失い、再び退下を命じた。
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第1418話

だが当然ながら、そんなことを吉田内侍に言えるはずもなく、ただ礼を述べて立ち去った。その後も清和天皇は同様で、議事の後には必ず彼女を呼んで雑談をした。時には半時間、時には一時間ほど。次第にさくらも慣れて、平然としていられるようになった。臣下として、陛下が有能な友人の代役を演じることを求めるなら、それくらいはできる。ただ、午後の休息時間は陛下が仮眠を取られるべき時間なのに、今は無駄話に費やされてしまっているのが気がかりだった。この期間中、徳妃が数回汁物を運んで来られ、定子妃も数回、敬妃も数回、紅葉女御まで足を運ばれた。御書院は妃嬪の立ち入りが許されていないため、直々に汁物を持参されても、殿外で吉田内侍に託し、内侍が運び入れるしかない。ただし、皇子や皇女を伴って来られた場合は、しばらく御書院に入ることができる。さくらがここにいることを知っているため、運ばれてくる汁物には必ず彼女の分も含まれていた。さくらは時折汁物を飲みながら、もし誰かが陛下への害意を抱き、汁物に毒を盛ったなら、自分も道連れになるのだろうと考えることがあった。今日来られたのは徳妃で、二皇子を伴っておられた。清和天皇は母子を殿内に招き入れた。さくらは御書院で徳妃に何度かお目にかかっており、印象は悪くなかった。第二皇子も幼いながら謙虚で礼儀正しく、徳妃の教育が行き届いていることが窺える。清和天皇も二皇子を殊の外可愛がっておられ、彼が来るたびに心からの笑顔を浮かべられる。徳妃は微笑みながら宮人に指示して汁物を運ばせ、二椀に分けた。一椀はさくら専用で、にこやかに言った。「一昨日伺った折、親王妃が少し咳をしていらっしゃるのを聞きましたので、今朝早くから厨房に川貝と枇杷の薬膳スープを煮させました。肺を潤し咳を鎮め、乾燥を和らげる効き目がございます」さくらは礼を述べた。「徳妃様のお心遣い、恐縮でございます」「ひと言申しつけただけのこと、何の苦労でもございません。遠慮なさらずに」徳妃は親しげな口調で促した。「温かいうちにどうぞ」「ありがたく」さくらも遠慮せずに受けた。宮中の煮物は本当に贅沢な材料を使っている。この数日喉の調子が良くなかったので、川貝枇杷湯はまさに願ったりだった。天皇は自分の汁物を一口飲むと、立ち上がってさくらの椀を覗き込んだ。薄い黄色に澄ん
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第1419話

さくらが立ち去ると、清和天皇の笑顔は跡形もなく消えた。汁物を二、三口飲んだだけで、徳妃と二皇子を下がらせた。徳妃は何も言わず、侍女に後片付けを命じ、二皇子の手を引いて退出していった。吉田内侍が殿の扉を閉めると言った。「陛下、まだ議事の時刻ではございません。少しお休みになりませんか?」これまで陛下は昼間に必ず仮眠を取られていたが、さくらを呼んで話をするようになってからは、一度も昼寝をしていない。清和天皇はこめかみを揉みながら答えた。「そうだな、少し頭が痛む」「御典医をお呼びいたしましょうか?」「いらぬ。典薬寮の無能どもでは、頭痛一つ治せない。薬ばかり飲まされて効果がない」清和天皇は立ち上がって奥の間に入り、着衣のまま横になった。頭痛がさらに激しくなったように感じられる。吉田内侍が寝具を掛けてやると、天皇は突然目を開き、ぼんやりと呟いた。「朕は最近、どうしてしまったのだろう……」吉田内侍は慰めるように答えた。「陛下は戦のことをご心配され、心身ともにお疲れでございます。しばらくお養生なされば回復されるでしょう」天皇は明らかに自分の思考に沈み込んでいた。「さくらは朕がなぜ彼女を呼んで話すのか、お前に尋ねたことがあるか?」「はい、確かにお尋ねになりました」吉田内侍が答えた。「お前は彼女になんと答えたのだ?」天皇は吉田内侍を見つめ、目を細めた。吉田内侍は答えた。「ありのままをお伝えいたしました。陛下が若将軍をお慕いになり、そのため親王妃と昔のお話をなさりたいのだと」清和天皇は少し黙り込み、うなずいた。「確かにその通りだ。まさにその通りなのだ」目を閉じ、両手で額を押さえながら言った。「下がれ。朕は一人で考えたいことがある」「はい。殿外におりますので、何かございましたらお声をかけください」吉田内侍は心配そうな眼差しを向けてから、身をかがめて退出した。さくらが禁衛府に戻っても、御書院での出来事が頭から離れなかった。もはや吉田内侍の説明で自分を納得させることはできない。これは尋常ではない。特に徳妃のあの眼差しを思い出すと、まるで何かを見抜いたような、意味深な表情だった。敵意はないが、背筋が寒くなるような視線だった。夕刻に勤めを終えて屋敷に戻ると、食事も取らずに深水青葉と沢村紫乃、有田先生を書斎に呼び、今日御
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第1420話

病気の演技にも心得がある。今日御書院で気まずい思いをしたからといって、翌日すぐに病気で勤務もできず、屋敷で療養が必要だなどと言うわけにはいかない。それでは暗黙の了解を破ってしまい、今後君臣の関係が極めて気まずくなり、お互いにしこりを残すことになる。高位の人にとってはさほど問題ではないが、さくらと玄武は臣下の身である以上、あまりに面子を潰すわけにはいかなかった。相談の結果、明日はいつも通り禁衛府に出仕し、兵を率いて城外の秩序維持に当たり、数日後に小さな事故を演出することにした。以前方々で盗賊が横行したため、多くの人々が京に避難しようと押し寄せたが、通行証がなく入城できず、城外に留まっているのだ。城外では三姫子の施粥に倣い、名門や富裕層も救援活動を行うようになったため、彼らはなかなか立ち去ろうとしない。食べ物も飲み物もあり、病気になれば薬をもらえ、寒ければ綿入れを分けてもらえる。苦しいことは苦しいが、真冬の道中で故郷に帰るよりはましだった。そのため城外では日々小競り合いや騒動が起き、さくらは特に御城番の兵を派遣して秩序維持に当たらせていた。この件は難しいことではない。その後二日間、さくらは兵を率いて城外を巡回し、秩序を保った。流民は確かに多かったが、御城番が統制を取ることで、整然と列を作って粥を受け取っていた。午前中は城外で過ごし、午後は宮中で朝臣たちと軍政について協議した。協議が終わると、彼女は他の人々と一緒に退出した。これまで清和天皇は昼に彼女を残していたが、午後以降は基本的に引き留めることはない。夕食後は上奏文の批閲で深夜まで忙しく、それから寝殿に戻って休むのが常だった。計画通り、さくらが城外を巡回している最中に馬が驚き、落馬して脚を痛めた。御城番の衛士に支えられて親王家に運ばれる。紅雀に包帯を巻いてもらった後、使いを出して休暇を願い出た。清和天皇はこの知らせを聞くと、小林御典医を屋敷に派遣して治療に当たらせた。さくらは芝居を打つからには徹底的にやる主義で、落馬で確かに怪我はしたものの、それほど深刻ではない。御典医は脈診しかできず、傷の様子を直接見ることはできない。紅雀が既に添え木で固定していたため、小林御典医は脈診の記録だけを持って宮中に復命した。診察記録は当然ながら重篤に記録されており、小林御
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