All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 171 - Chapter 180

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第171話

「まさか江川宏って、自分の二番目の義母を守るために、あれこれ騒いでたわけ?」「彼のことはどうでもいいけど」私はそっと唇を引き結びながら言った。「本当に気になるのは、もしこれが事実だったら、江川温子はどうなるのかってこと」今日、病院で彼女は、あんなに必死に娘のことを守ろうとしてた。でももし、自分が昏睡していたあいだに、その娘が自分の夫のベッドに這い上がっていたなんて知ったら――母娘で血みどろの修羅場になりそうじゃない?来依がちらっと私を見て、「なに考えてるの。悪いこと企んでる顔してる」と呆れたように言った。私は口角を上げて返した。「いつになったら、現場押さえられるかなって思ってただけ」来依は眉を上げた。「え、南ってそんな趣味悪かったっけ?」「追い込まれてるからね」江川アナ。今度こそ――必ず、一発で仕留める。この時間帯、バーの夜はちょうど始まったばかり。爆音の音楽が耳を揺らし、フロアでは男女が絡み合うように踊っている。まるで光と影が交錯する、別世界に迷い込んだようだった。いつものように個室に入ろうとしたけど、来依が私の手を取って言った。「今日は外にしようよ。外の方が……賑やかだし」「……うん、いいよ」わかってる。彼女はここ数年、伊賀と遊ぶのに慣れてた。伊賀は友達が多くて、いつも騒がしくて、楽しくて――その賑やかさが、きっと少し恋しかったんだと思う。私たちはソファ席に座り、来依が革張りのソファに身体を沈めながら、二つのグラスに酒を注いだ。しばらくして、ふいに彼女が口を開いた。「南、江川と離婚の申請したとき……どんな気持ちだった?」思いがけない質問に、私は一瞬動揺して、手元のグラスを握る指先に力が入った。「ちょっと……寂しかったかな。それと同時に、肩の荷が下りたような気もした」なんというか、すごく複雑な気持ちだった。来依は赤い唇にグラスを当てたまま、じっと私を見つめた。「その二つだと……どっちが大きかったの?」「……」彼女の問いは、図星だった。他の誰かに聞かれてたら、きっと私は平気な顔で「解放された気持ちの方が大きかった」って答えてたと思う。でも、来依になら、嘘はつけない。私はグラスの中の琥珀色の液体を一気に飲み干し、淡々とした
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第172話

私はびくりとして振り返り、目が合ったのは、澄んだ琥珀色の瞳だった。思わず胸に手を当てる。「……びっくりした、先輩」「ごめん」山田先輩はふっと笑って、「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、ちょうど通りかかっただけ」と言った。私は軽く笑って返す。「仕事?それとも友達と?」「友達」山田先輩は穏やかな声で言いながら、来依を見た。その目に、一瞬、どうしようもない諦めがにじんだのを私は見逃さなかった。彼の言う友達が誰なのか、言われなくてもわかる。来依もすぐに察して、口を開いた。「二人で話してなよ。私は踊ってくる」彼女はバーに入るなりコートを脱いでいて、中は黒のキャミソールのシルクワンピース。肩甲骨のラインがきれいに浮かび上がっていて、ダンスフロアに入ると、すぐに何人もの視線を集めた。踊り出すと、さらに目を引いていた。山田先輩が隣に腰を下ろしたのを見計らって、私は訊いた。「ケガ、ちゃんと治った?お酒はまだ飲めないんじゃない?」「たいしたことなかったよ。見た目が派手なだけで」そう言って、山田先輩は気にした様子もなく首を振る。目尻をほんの少しだけ上げて、柔らかく笑った。「俺は飲んでないよ。伊賀に付き合って来ただけだから」私は踊っている来依をちらっと見て、苦笑する。「……じゃあ、私たちって同じだね」ちょうどそのとき、ダンスフロアの方から突然、ざわめきと悲鳴が上がった。私と山田先輩が同時に顔を向けると、思わず息を呑む。殴っていたのは伊賀だった。彼は明らかに酔っていて、男を床に押し倒し、その胸元に拳を叩きつけていた。指さして怒鳴る。「お前、来依に触ったな!?誰が触っていいって言ったんだよ、ああ!?」「伊賀、あんた頭おかしいんじゃないの!?」来依が顔を真っ赤にして怒鳴り返し、彼の腕を引っ張って立たせる。「何の権利があってキレてんのよ!私が誰と踊ろうと関係ないでしょ!」伊賀は一瞬だけ言葉に詰まり、それでも強い口調で叫んだ。「関係ある!」「は?」来依は鼻で笑って見せた。「私が誰と踊るか、あんたに口出しする権利なんてないわ」そう言い放つと、彼を振り払って私たちの方へ歩いてきた。でも伊賀はすぐに追いつき、彼女の細い腕をぐっと掴んで言った。「なんで口出しできない
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第173話

帰り道、山田先輩がハンドルを握ったまま、ちらりと私に目を向けた。「来依のこと、まだ気にしてる?」「ううん」私は首を振った。「彼女は自分でちゃんと対処できるよ」来依は、何を選ぶときも、自分なりの軸を持ってる。自分の身の引き際を、ちゃんとわかってる人だから。「そっか」山田先輩は短く頷いてから、少し間を置いて言った。「MSの件は、考え直した?」「先輩、気にかけてくれてありがとう」そう言ってから、私は素直に伝えた。「今は、MSには行けない。最近いろいろあって……少し落ち着いてからにしたいなって思ってる」やるべきことを、ちゃんと終わらせて。心から納得できる状態で、仕事に向き合いたい。山田先輩はまったく気にした様子もなく、苦笑しながら言った。「ってことは……一日も同僚でいられなかったな」「え?」思わず聞き返す。山田先輩の視線はまっすぐ前を向いたまま。薄く開いた唇が、ふっとわずかに緩んだ。「どうしても先に片づけないといけないことがあってさ。そろそろ、山田家に戻る」「……山田家に?」思わず聞き返してしまった。だって静香さんの話じゃ、今の山田家って、もう定子さんの天下なんでしょう?彼が戻ったところで、まともな扱いなんて受けられるのかな。昼間、鞭で打たれた跡のことを思い出すと、自然と胸がざわついた。それでも山田先輩は笑っていた。どこか安心させるような顔で。「心配してくれてるの?」「……うん」「大丈夫」その表情は、どこまでも穏やかで、あたたかかった。「自分のことは、自分でちゃんとわかってる。もう、同じようなことにはならないよ」それ以上、私から言えることなんてなかった。でも、なんとなく思った。彼が山田家に戻るのは……きっと、あの子に関わっている。いや、もしかしたら――その子のため、なのかもしれない。海絵マンションの地下駐車場に着いたころ、私は少し遅れてシートベルトを外した。山田先輩が先に車を降りて、助手席側へまわってきてくれる。ドアを開ける手つきも、いつも通り優しかった。「もう上がって。夜風、冷たいよ」「うん」私は小さく頷いて、車を降り、マンションのエントランスへと向かった。そのとき――視界に飛び込んできたのは、黒いロン
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第174話

私は、彼の自信に思わず驚いた。……確かに、昔は彼のことが好きだった。でも、それが何?どうして彼は、私がいつまでもその場に立ち止まって、ずっと彼だけを選び続けるって、当然みたいに思えるんだろう。私の手首は彼の力の下でぐるりと回してみたけど、振りほどくことはできなかった。仕方なく、ひとつひとつ言葉を区切って伝える。「……私は、嫌なの。宏、手を離して」頭上から照らすライトが、彼の顔に影を落とす。目元の陰影はさらに濃くなり、唇からは冷えた霜のような声が落ちた。「いい度胸だな。ほんと、大したもんだ」そう言ったかと思えば、次の瞬間――彼は私をぐいっと押し込むようにして車内へと入れ、ドアを勢いよく閉めた。バタン、という音がやけに響く。私が開けようとしたドアを、彼は容赦なく押さえつけて閉めたままにする。完全に、私の行動を封じるように。外では、190センチ近い体格の男が二人、火花を散らすように対峙していた。まるで今にも取っ組み合いが始まりそうで、私はヒヤヒヤしていたけれど、宏が何か一言、静かに言った。ただ、それだけだったのに。山田先輩は目を伏せ、肩の力を抜いて、何かを飲み込むように黙った。その横顔には、落胆と抑え込まれた感情が滲んでいた。宏は再び車のドアを開け、私を中に押し戻すように乗せた。そのタイミングで、山田先輩がゆっくりと言った。「……宏、それが君に残された、唯一の手札なんだね」バンッ!!すぐに宏が車のドアを強く閉めた。顔に浮かんだ険しい表情と、鋭く張った顎のラインが、怒りを隠しきれていなかった。山田先輩の言葉は、見事に彼の神経を逆撫でした。「……発進しろ!」宏の怒声が飛ぶ。私は助手席側へ身体をずらし、ドアのロックを確認する。やっぱり、開かない。「……降ろしてよ!」だけど、その訴えを聞く間もなく、車はすでにエンジンをかけて発進していた。一定の速度で、静かに駐車場の出口へ向かって進んでいく。宏はシートにもたれ、目を閉じている。まるで、私の存在なんて最初からなかったかのように。私はもう我慢できず、ドアノブを無理やりこじ開けようとした。ガチャリとドアを少し開けかけたそのとき。強い力が私の腕を引き戻し、長い腕が私を包み込むようにして、ドアを再び閉める。
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第175話

どう考えても、山田家が彼とお母さんにしたことは、不義理の極みだった。山田先輩はただ、元々自分に返るはずのものを取り戻しているだけに過ぎない。私は宏を見つめながら言った。「それに、たとえ彼がどれだけ腹黒くても……私が騙されたとしても、あなたには関係ないわよ」「離婚手続きが終わっていないうちは、君はまだ俺の女だ」宏は、まるで呆れたように笑って、舌で頬の内側を押しながら言った。「南、俺を裏切るようなマネはすんなよ」そのまま運転席に目を向けて、淡々と命じる。「運転しろ。旧宅へ戻る」「……何する気なの?」私は思わず目を見開いた。「離婚手続きが終わるまでは、山田に勝手に会うのは禁止だ」その一言に、頭が沸騰しそうになる。私は必死に暴れて抗議した。「なんで私の自由をあんたに縛られなきゃいけないのよ!?」「俺は君の夫だ」宏の声は冷たく、揺るぎがなかった。「……」私は大きく息を吸って、皮肉を込めて笑った。「夫って何?私の言葉、一度でも信じたことある?」宏の眉がわずかに寄る。その瞳は深く沈んでいて、やや低い声で返してきた。「今日、病院でのことか?」「それ以外に何があるの?」彼はこめかみに指を当て、ため息まじりに答える。「南、もう子供じゃないだろ。通報したって、証拠がなきゃ何にもならないってことくらい、わかってるはずだ」「じゃあ、あんたは何?警察?それとも私の夫?」私は彼をじっと見つめて、できるだけ冷静に問う。どうして彼は、そこまで綺麗に線引きできるんだろう。口では「夫だ」なんて言いながら、私のことを一度も信じてくれたことなんてない。……人って、そこまで自分を分けられるものなの?宏はわずかに動きを止め、口元を引き結ぶ。「……でも、あいつらも犯人ってわけじゃない」私は拳を握りしめ、吐き捨てるように言った。「……あんたの愛人と、未来の義母だから?」「南、俺とアナは……」「言わなくていい」私は薄く笑って、でも目だけは冷たく彼を射抜いた。「私、山田先輩とは何もないって言ってるのに、あんたはまだ疑ってる。じゃあ……あんたとアナは?どうせもう、何回も関係持ってるんじゃないの?」その瞬間、空気が凍りついた。宏の声が鋭く冷たく響いた。「……俺の
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第176話

正直、思い知った。権力って、本当にすごい。たった一言。それだけで、私は「逃げられない」って痛いほど理解した。彼がそう命じれば、私の前に何人ものボディーガードが立ちはだかって、ひとつ息をする隙さえなくなる。私は黙って唇を引き結び、そのまま宏をすり抜けて部屋へ向かった。顔をそむけてドアを閉め、鍵をかける。……閉じ込めたいなら、勝手にすれば?どうせ今の私は、何者でもない。家に食べ物も飲み物も揃ってるし、使用人もいる。このまま離婚手続きが終われば、私は自由になれる。部屋の中は、結婚していた頃と何も変わっていなかった。使用人たちは、宏が自分の私物に他人の手が触れるのを嫌うのを知っていて、掃除のときも床や棚を軽く拭くだけで、物の配置は一切いじらない。私のスリッパ、スキンケア、ベッドサイドの本、ヘアゴム、全部——あの日のままだった。……でも。ベッドの反対側、宏が寝ていた場所には、はっきりと人が使った痕跡があった。この部屋に、彼は今も住んでいる。そして私がここに「いた」痕跡を、あえて消していない。少しだけ、意外だった。コン、コンッ。シャワーを終えて、髪を拭いていたとき。ドアの向こうからノック音がしたけど、私は無視した。しばらくすると、聞き慣れた声が静かに響いた。「……若奥様」土屋じいさんだ。驚かされたばかりだったせいで、思わず強めの声で返す。「……何?」私の態度にも関わらず、土屋じいさんは気にした様子もなく言った。「使用人がね、若様のお脱ぎになった服、全部血まみれだったって。私が見に行ったら、傷口がまだ開いてまして……医者を呼ぼうとしても、どうにも聞き入れてくれなくて。若奥様から、説得していただけませんか」私は深呼吸してから、わざと冷たく言い放つ。「アナに言えば?温子さんでもいいよ。あの二人の言うことなら、彼は一番よく聞くんだから」でも土屋じいさんは首を横に振って、苦笑を浮かべた。「いえ……若様が本当に想ってるのは、若奥様だけです。私も……旦那様も、それはずっと前から見抜いていました。ただ、若奥様が分かってないだけですよ」その言葉に、胸の奥が少しだけじんと痛んだ。本当に、彼の心の中に私がいるの?そんなこと、信じられるわけない。まるで冗談か、作り
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第177話

「できる。薬もある」宏はそう言って、ゆっくりと立ち上がり、私の方へ歩いてくる。その一歩一歩が、まるで私の胸の上を踏みつけているかのようだった。「教えるから、君がやれ」「じゃあ、自分でやればいいじゃない」私はそう吐き捨て、背を向けた。「南」乾いた手が、不意に私の手を掴む。声は低く、砂を噛んだようにざらついていた。「……痛い」たったそれだけの言葉で、私の心の防壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。しかも相手は銃創。下手に処置すれば命に関わる。私は彼を見つめながら、眉をひそめた。「宏、あんたってそんなに哀れな自分を演じるの得意だったっけ?」彼はうつむき、淡々とした口調で返す。「それで、情にほだされるか?」「……ほだされない」冷たく言い捨てて踵を返したその瞬間、また彼の腕に引き戻される。彼は、滅多に見せない低姿勢で、少しだけ頭を垂れて言った。「本当に、痛いんだ」――その瞬間、自分がほんとにバカだなと思った。だけど、思い出してしまう。あの時、彼が私の前に飛び出して、何のためらいもなく、弾を受けたことを。……心なんて、鬼にできるわけなかった。「薬は?」「ソファの上」私は黙ってソファに向かい、袋を手に取る。振り返ると、彼はすでにベッドに腰掛けていて、私の一挙一動を目で追っていた。袋の中を覗くと、ガーゼ、ヨードチンキ、止血剤……必要なものはすべてそろっていた。完璧なまでの準備。私は思わず彼に尋ねる。「ここまで準備して……まさか、アナにやらせるつもりだった?」あいにく、今頃あの子は、あなたのパパに付きっきりだけどね。そんな言葉が喉まで出かけて、飲み込んだ。宏は眉を寄せて言った。「南、君、その頭は飾りか?」「……」何度目かの毒舌だったけれど、もういちいち反論する気力もなかった。「服、脱いで」宏がローブを脱いだあと、私はそっと傷口のガーゼを剥がす。滲んだ血と、赤く裂けた皮膚が目に飛び込んできて、胸がひどく締めつけられた。なぜ、彼はあの時、あんなにも迷いなく私を庇ったのか。普通なら、自分を守る方が先じゃないの?答えは出ないまま、私は無言で傷の処置を続けた。宏は、薬のつけ方だけ簡単に指示して、それ以外は何も言わなかった。
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第178話

彼は表情一つ変えず、ほんの少し眉をひそめただけだった。「俺がそんな暇人に見えるか?」……さぁ、それはどうだか。私はあの母娘の顔を見るだけでうんざりで、階下に降りる気すら失せた。振り返りざま、部屋に戻る前にひと言。「さっさと帰らせて。じゃないと、私が出ていくから」その直後だった。まだドアノブに手をかける前に、アナが駆け上がってきた。「宏、これ見て! あの南が――」私の姿を視界に捉えた瞬間、彼女の言葉はぷつりと途切れた。私も正直、顔なんて見たくなかったけど、ここまで名前を出されたら無視もできない。「なに?私がどうかした?案外私のこと気になってるんじゃない?」「な、なんであなたがここにいるのよ!?信じられない! 離婚したのに、まだ江川家に来るなんて……ほんと図々しい!」口では必死に取り繕っていたが、あの声色には――確かにあった。嫉妬と、焦りが。「アナ」宏の声が冷えきった空気を切り裂く。「三度は言いたくない。南は、まだ俺の妻だ」私は余裕の笑みで続けた。「ね?離婚の手続きがまだ終わってないから、法的にも情的にも、江川家にいる資格はあなたより上。私が図々しいなら……あなたは何?」「口だけは達者ね!」アナは私を睨みつけ、フンッと鼻を鳴らして言った。「宏とお父さんこそ江川家の人間よ!それに私、ふたりにとって一番大事な存在なの!私が江川家にいる資格がないって、そう言いたいわけ!?」「……」昨日ホテルで見た光景が脳裏をよぎる。胃がひっくり返るような気分で、私は少しだけ首を傾げながら応じた。「宏の方はよく分からないけど、お父さんとあなたは、ほんとに親密そうだったわね」親密――なんて言葉じゃ足りないくらい、だった。昨日ホテルで見た限り、あれはもうマイナス距離って言ってもいいだろう。この一言は、わざと苛つかせるためでもあり、探るためでもあった。そしてアナの小さな顔に、一瞬だけ動揺が走った。すぐに怒りで隠し、語気を荒げる。「ちょ、ちょっと!何が言いたいの!?お父さんと私の関係を侮辱する気!?あんた、ほんと最低!」あぁ、これで確信した。私はあの父娘の関係に、90%の確信しかなかった。でも今、残りの10%も彼女が自ら証明してくれた。もちろん、今はまだ証拠もないし、
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第179話

もしそうなら、この女は、私が思っていたよりもずっと厄介な存在だった。温子はふと微笑んだ。唇にはまだ血色がなかった。「全部、宏が親孝行なおかげよ。この数年、私はずっと病床にいたけれど、何不自由なく過ごせたの。それにね、だからこそ私は、安心してアナを宏に任せられるのよ」「へぇ」私は口角を引きつらせて、彼女の言外の意味を聞き流すふりをした。「それは……よかったですね」自分が愛人になるだけじゃなく、娘にも愛人をやらせてる。しかも娘はその道にどハマりして、ついには実の母親の夫にまで手を伸ばした。そう思いながら、私は部屋に戻ろうとした。「南さん」けれど温子に呼び止められた。「今回お邪魔したのはね、アナがちょっと妙な写真を受け取って……それが、あなたにも関係があるようなの。私たちだけで宏に見せるのもどうかと思って。だから、できればご一緒に見てもらえたらって」私は眉をひそめる。どうにも嫌な予感がした。宏は片手をポケットに突っ込んだまま、淡々とした声で言った。「下で話そう。南はまだ朝飯も食ってない」階段を下りると、アナが我慢できない様子で口を開きかけたが、宏が冷ややかに彼女を睨んだ。「言ったろ。彼女はまだ朝飯を食べてない。何をそんなに急いでる?」そう言ってから、私の肩をぽんと叩いて、食事を促した。アナは口を尖らせ、不満げに言った。「また彼女の味方するんだ!写真見れば分かるってば。私は宏のために言ってるのよ!」「もういいの、アナ」年の功というのか、温子は焦る様子もなく、落ち着いていた。「まずは南さんに朝食を。宏、あなたもまだでしょう?早く行ってちょうだい」私もお腹が空いていたので、そのままダイニングへ向かった。土屋じいさんが使用人に朝食の支度を指示する。江川家は資産家だけれど、おじいさんの代から無駄遣いを嫌っていて、この旧宅ではその方針が受け継がれているらしい。だから、食事はきっちり二人分。香り立つ野菜のお粥、ぷりぷりのエビ餃子、カニカマ入り厚焼き卵、さっと茹でたオクラ、そして季節の果物が添えられていた。「……気に入った?」私が無言で食べ進めていたのを見て、隣に座っていた宏がふと手を止めて、微笑んだ。私は思わず顔を向けた。ほんの一瞬、彼の目に優しさが灯ったような気がし
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第180話

彼はバッと立ち上がった。顔には陰鬱な色が広がっていて、しばらくのあいだ私を見下ろすように睨みつけたあと、歯を食いしばりながらひと言だけ吐き捨てた。「……寝るとき、枕は高くしておけよ」夢でも見てろってか。さすがに頭にきて、私も勢いよく立ち上がり、そのまま客間に向かって歩いていった。そこでひそひそ話している母娘を睨みつけながら言った。「で?何の用?」「宏!」アナが得意げに立ち上がり、私を通り越して宏を見つめたまま、とんでもない爆弾を投げつけた。「ねえ、知ってた?南が妊娠してるその子、ひょっとしたらあなたの子じゃないかもしれないのよ?」空気が、一瞬で凍りついた気がした。怒りが一気に込み上げ、思わずビンタを張ろうとした。けれど今回はアナのほうが一枚上手で、すでに警戒していた彼女は私を突き飛ばしながら、一通の封筒を私に向かって投げつけた。軽蔑に満ちた笑みを浮かべながら言う。「さあ、見てみなさいよ。宏にどう説明するつもり?」封筒は私の体に当たって床に落ちた。拾おうとした瞬間、私よりも早くそれを掴んだ人がいた。宏だった。彼は封筒をしっかりと握りしめ、そのまま背筋を伸ばして立ち上がった。節のはっきりした手で中身を取り出し、数枚の写真を見た――その瞬間、彼の口元がぐっと引き結ばれた。穏やかだったはずの輪郭が冷たく引き締まり、見るからに怒りの色が広がっていくのが分かった。私の心も、それと同時に谷底へと沈み込んだ。呆然としながら手を伸ばし、せめて写真を見ようとしたその時。指先が写真の端に触れた瞬間、宏はガッとその手を引いた。一連の動作には抑えきれない怒気が滲んでいて、私の手は空中で止まり、動けなくなった。「宏、見たでしょ?」アナは唇を吊り上げて、やけに優しい声で言う。「彼女、ずっと浮気してたのよ。あのお腹の子だって、ほとんど山田時雄の子に決まってるじゃない」宏の気が緩んだ一瞬をついて、私は無理やり写真を一枚もぎ取って見た。そこに写っていたのは――ホテルの部屋の前に立つ、私と山田先輩の姿だった。……え、私と先輩がホテル?一瞬頭が真っ白になって、それからすぐに思い出した。「アナ……あんた、私を貶めるために、ずいぶん手の込んだことしてくれたのね。合成写真まで使ってくるとは」「へぇ
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