初め、紗枝は啓司がただからかっているのだと思っていた。だが、寝る時間になると、啓司は書類を手に彼女の前に現れた。「読んで聞かせてくれ」信じられない、といった顔で紗枝は睨む。「どういうつもり?もう寝るところなんだけど」「今の俺は、昔のことをほとんど忘れてしまった。だから必死に勉強しないといけないんだ。お前の声で読んで聞かせてくれ」彼は追い詰めすぎないように言葉を選んだ。仕方なく、紗枝は読み始めた。だが、読み進めるうちに、彼女はいつしか眠りに落ちていた。啓司はそっと手から書類を抜き取り、眠る彼女を強く抱きしめた。それからの日々、啓司は教師のように彼女を叱咤した。従業員の管理法や取引先との交渉術を徹底的に叩き込み、たとえ付け焼き刃でも彼女を成功へ導こうとした。紗枝は最初こそ身が入らなかった。だが、ある日会社に戻ると、夢美の姿を目にした。夢美は誇らしげな笑みを浮かべて言った。「紗枝、まさか私がまた来るなんて思わなかったでしょ?言っとくけど、今の私は業績トップの部署の新しいリーダーよ」紗枝は言葉を失う。黒木お爺さん、えこひいきもいいところじゃない。こんな真似をしてまで、黒木グループを潰すつもりなの?帰り際、夢美は吐き捨てるように言った。「今の営業本部には新しいルールがあるの。成績最下位の部署は解散っていう決まり。もし営業五課がこのまま最下位を続けるなら、部署ごと消えてもらうわ。新しい人材なんていくらでもいるんだから」営業五課が、って言うけど……要は私に出て行けってことよね。そんな屈辱、紗枝が飲み込めるはずもない。「安心して。消えるのが誰であれ、それは私じゃないわ」その瞬間から、彼女は俄然真剣に啓司の教えに食らいつくようになった。啓司はまさに優れた教師だった。厳しいが、彼の授ける知識は核心を突き、他では到底得られないものばかりだった。わずか一週間で、紗枝は第五課のほとんどの部員を従わせ、真面目に働かせることに成功した。「私って、なかなか優秀な生徒でしょ?この調子なら、営業五課も最下位脱出ね」得意げに報告した彼女に、啓司は表情ひとつ変えずに答えた。「まだ努力が必要だ」彼に残された時間は、あと一週間ほどしかなかった。週末。紗枝は逸之を遊びに連れて行こうと考えていたが、
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