All Chapters of 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める: Chapter 991 - Chapter 1000

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第991話

初め、紗枝は啓司がただからかっているのだと思っていた。だが、寝る時間になると、啓司は書類を手に彼女の前に現れた。「読んで聞かせてくれ」信じられない、といった顔で紗枝は睨む。「どういうつもり?もう寝るところなんだけど」「今の俺は、昔のことをほとんど忘れてしまった。だから必死に勉強しないといけないんだ。お前の声で読んで聞かせてくれ」彼は追い詰めすぎないように言葉を選んだ。仕方なく、紗枝は読み始めた。だが、読み進めるうちに、彼女はいつしか眠りに落ちていた。啓司はそっと手から書類を抜き取り、眠る彼女を強く抱きしめた。それからの日々、啓司は教師のように彼女を叱咤した。従業員の管理法や取引先との交渉術を徹底的に叩き込み、たとえ付け焼き刃でも彼女を成功へ導こうとした。紗枝は最初こそ身が入らなかった。だが、ある日会社に戻ると、夢美の姿を目にした。夢美は誇らしげな笑みを浮かべて言った。「紗枝、まさか私がまた来るなんて思わなかったでしょ?言っとくけど、今の私は業績トップの部署の新しいリーダーよ」紗枝は言葉を失う。黒木お爺さん、えこひいきもいいところじゃない。こんな真似をしてまで、黒木グループを潰すつもりなの?帰り際、夢美は吐き捨てるように言った。「今の営業本部には新しいルールがあるの。成績最下位の部署は解散っていう決まり。もし営業五課がこのまま最下位を続けるなら、部署ごと消えてもらうわ。新しい人材なんていくらでもいるんだから」営業五課が、って言うけど……要は私に出て行けってことよね。そんな屈辱、紗枝が飲み込めるはずもない。「安心して。消えるのが誰であれ、それは私じゃないわ」その瞬間から、彼女は俄然真剣に啓司の教えに食らいつくようになった。啓司はまさに優れた教師だった。厳しいが、彼の授ける知識は核心を突き、他では到底得られないものばかりだった。わずか一週間で、紗枝は第五課のほとんどの部員を従わせ、真面目に働かせることに成功した。「私って、なかなか優秀な生徒でしょ?この調子なら、営業五課も最下位脱出ね」得意げに報告した彼女に、啓司は表情ひとつ変えずに答えた。「まだ努力が必要だ」彼に残された時間は、あと一週間ほどしかなかった。週末。紗枝は逸之を遊びに連れて行こうと考えていたが、
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第992話

逸之はいま、どうしようもなくお兄ちゃんが恋しかった。人を見る目には自信があるのに、勉強となるとまるで歯が立たない。掛け算の数字が大きくなれば、結局は指を折って数えるしかなかった。もしお兄ちゃんがいてくれたら、とっくに暗算で解いていただろうに。傍らで見守っていた使用人は、胸が締めつけられる思いだった。まだ幼い逸ちゃんが、勉強に押し潰されそうになっているなんて。近頃の親の教育熱心さは、もはや恐ろしいとしか言いようがない。紗枝は頭をかきむしる逸之の姿に耐えきれず、思わず助けようと立ち上がった。けれど二歩も進まぬうちに、啓司が軽く咳払いをした。「紗枝、お前の課題は終わったのか?」足を止められ、彼女は渋々席に戻り、自分の問題に向き合った。まさかここまで厳しいとは思わなかった。いまの生活は、学生時代と何ら変わらない。「まだ終わってないの。今考えてるところ……」紗枝は口ごもりながら答えた。「ふん」啓司は鼻を鳴らすと、それ以上何も言わず仕事に戻った。その日は日差しが柔らかく、皆そろって庭で勉強や作業に励んでいた。澤村たちが車でやって来たとき、その光景は一目で目に入った。唯がドアを開けて降り、中へ向かって手を振る。「紗枝、逸之」声が届いた瞬間、二人は一斉に入口の方を見た。逸之の瞳がぱっと輝く。ついに来た。ママと僕を救ってくれる人が。澤村と景之は慌てず車を降り、警備員が門を開ける。三人は並んで中へ歩み入った。「パパ、澤村さんと唯おばさんがお兄ちゃんを連れてきたよ」逸之は啓司を上目づかいに見つめ、少しでも人間らしい温情を示して宿題をやめさせてほしいと願った。だって僕、まだ子どもなんだ。だが啓司は、この時間に彼らが来るとは思っていなかったらしく、あからさまに不快の色を浮かべた。「問題を続けろ」その一言で、逸之の瞳から光が消える。やっぱり愛されてなんかいない。自分で選んだパパだから、自分で受け止めるしかないのだ。近づいてきた澤村と唯の目に映ったのは、机に突っ伏して小六の問題に取り組む幼い逸之と、書類をめくる紗枝の姿だった。「……俺たち、来るタイミング悪かったか?」澤村が問いかける。唯は一歩前に出て、紗枝の手元をのぞき込んだ。「毎日こんなの見てるの?文字ばかりでびっしり。
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第993話

この手術はあまりにもリスクが大きすぎた。澤村には完全な成功を保証する自信などなく、万が一啓司に何かあれば、紗枝に顔向けできない。それに、彼と啓司は幼馴染でもある。「手術をしなかったら、俺がこのままずっと……正常でいられるって保証できるのか」啓司が低い声で問いかけた。澤村は言葉を失った。もちろん、そんな保証はできるはずもない。つい先日も、啓司は記憶が混乱したばかりなのだから。頭の中に残された破片を取り除かない限り、いつ危険な状態に陥っても不思議ではない。ただ、その「いつ」がわからないだけのことだった。「未知の事態を恐れるより、いっそ賭けてみた方がいい」啓司は静かに続けた。「ああ」澤村は黙って頷く。「もし俺に何かあったら……紗枝と子供たちを頼む」「もちろんだ」澤村は一切の迷いもなく答えた。面倒を見るどころか、彼女たちを養うことさえ厭わない覚悟があった。紗枝には命を救われた恩があり、啓司には長年の兄弟のような気遣いに対する借りがあったからだ。「それならいい。もう心配はいらない」澤村の約束を得て、啓司の胸の重荷はようやく下りた。何しろ桃洲において、澤村家は一、二を争う名家であり、誰も手出しできるはずがないのだ。その頃、別の部屋では紗枝と唯が、黒木グループでの最近の仕事について語り合っていた。唯は心底感心したように目を丸くした。「あなた、本当にすごいわよ。夢美、きっと悔しがってるんじゃない」「最初はね。でも残念ながら、今や彼女は営業一課の課長よ。しかも、一番業績のいい部署なの」紗枝が淡々と答える。「何それ、あまりにできすぎじゃない」この社会に公平など存在しないことを、唯もよくわかっていた。公平を望むなら、誰よりも強く、誰よりも努力するしかないのだ。「そうだ、急に思い出したことがあるの。あなたに言い忘れてた」唯はスマートフォンを取り出し、画面を紗枝に差し出した。紗枝はそれを受け取り、視線を落とす。そこに写っていたのは、葵だった。バーのフロアで、ダンサーとして踊っている姿がはっきりと映っていた。「これ、二日前くらいに見かけたの。まさか彼女が今こんなことになってるなんて思わなかったから、あなたに教えなきゃって思ってたのに……すっかり忘れてた」紗枝はその写真を見ても
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第994話

啓司は本当に責任感が強く、週末の間、紗枝と逸之をまるごと休ませることはなかった。夜になると、逸之の夢はいつも啓司に宿題を教えられる場面ばかりだった。「うう……ちゃんと勉強するから、怒らないで、怒らないで……」寝言でさえ、そんな必死の言葉が漏れる。啓司がふと逸之の部屋の前を通りかかり、思わず中へ足を踏み入れた。手を伸ばして逸之の腕に触れると、子供はすぐに目を覚ました。薄暗い明かりの中、啓司の姿を見たその瞬間、まるで幽霊でも見たかのように、身体を震わせた。「パパ……すごく眠いんだけど、宿題は明日にしてもいい?」その甘ったるい声に、啓司の胸が少し痛んだ。「宿題が一番大事なわけじゃない。一番大事なのは、問題を解決する方法を学ぶことだ。君は体が弱いけれど、他の子より劣ってはいけない。そうじゃなければ、どうやってママを守れる?これからは自分で勉強しなさい。体のことを理由に、人より遅れを取ってはいけない。わかったか?」逸之はなぜ突然そんなことを言うのか理解できなかったが、啓司が楽しそうでないのは感じ取れた。「うん、絶対にするよ」「じゃあ、また寝なさい」啓司はそう告げ、部屋を出てドアを静かに閉めた。逸之はなかなか寝付けず、景之にメッセージを送った。【お兄ちゃん、パパ最近ちょっと変だと思う】ちょうど寝ようとしていた景之は、メッセージを見て少しうんざりした。【どこが?】【どこがって言われても……】【なら言うな】景之は啓司のことにあまり興味がなかった。【わかった】少し落ち込んだ逸之。その様子を見かねた景之は、さらに訊ねた。【いったいどうしたの?】逸之は最近、啓司が自分と紗枝にあれこれさせていることを、正直に話した。【あー、テレビドラマでやってた末期患者が遺言を言ってるみたいな感じ】景之はぽかんとした。遺言……?冗談じゃない。【余計なこと考えないで。パパに何かあるわけないだろ。早く寝なよ】【わかった】逸之は素直に目を閉じた。一方、景之も眠れずにいた。もし啓司が本当に末期の病気だったら……どうしよう。彼はやはり、啓司に早く死んでほしいとは思わなかった。何と言っても自分はまだ成長途中で、ママを守れる力はない。最近もまだ、IMグループの背後にいる人物を突
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第995話

明一は言った通り、自分の腕時計を使って黒木お爺さんに電話をかけた。「ひいおじいちゃん、みんなが僕をいじめるんだ」ひ孫が学校でいじめられていると聞き、黒木お爺さんはたちまち学校へ駆けつけた。学校に着くと、明一は景之が他の園児たちに、自分と遊ぶなと言っていると訴えた。「景ちゃんが、そんなことをする子だったとは……」明一は小さな顔を憤りで歪ませた。「ひいおじいちゃん、いつになったらパパとママに会えるの。会いたいよ。パパとママがいないから、みんなが僕をいじめるんだ」黒木お爺さんはひ孫の言葉に胸を痛めた。「お前の両親は過ちを犯した。だがこれからは、このひいじいちゃんがお前の面倒を見てやる。誰にもいじめさせはせん。今すぐ景ちゃんを呼んで、きちんとお前に謝らせる」一方、景之はすぐに職員室へ呼び出された。黒木お爺さんは、やって来た景之を一瞥すると、思わず叱りつけた。「いくつになったと思っているのだ。どうして明一をいじめる。お前たちは兄弟だろうが」景之は、また明一に濡れ衣を着せられたのだと察した。「ひいおじいちゃん、僕がいつあの子をいじめたっていうの」「あの子がお前が他の子たちを自分と遊ばせないようにしたと言っておる」これもいじめになるのか……景之には、ただくだらなく思えた。「ひいおじいちゃん、あの子の言うことを鵜呑みにするのか。どうして他の子たちにも聞かないんだ。なんであの子と遊ばないのかって」黒木お爺さんは言葉に詰まった。まさか景之が自分に口答えしてくるとは、思いもしなかったのだ。「この子は……いい加減にせんと……」黒木お爺さんが叱り終えぬうちに、一本の電話が鳴った。手に取って確認すると、なんと澤村お爺さんからだった。彼は怒りを抑え、電話に出た。「珍しいな。お前から電話とは」「白々しい挨拶は不要だ。景ちゃんをお前が一人で職員室に連れて行ったそうじゃないか。あの子もお前の実のひ孫だろう。えこひいきするんじゃないぞ」澤村お爺さんの口調には、遠慮のかけらもなかった。黒木お爺さんの顔色がたちまち険しくなる。「わしのひ孫のことだ。お前に関係あるまい」「わしはもう景之をひ孫として迎えた。警告しておく、両家の関係をこじらせたくなければ、わしがそちらに到着するまで待つことだ。子供たちの問題はそれか
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第996話

鈴はこくこくと頷いた。「はい」この世で、鈴ほど拓司を恐れている者はいないだろう。実のところ、幼い頃の鈴は、初めて拓司に会った時にはまったく恐れを抱かず、むしろあれこれといたずらを仕掛けていた。拓司は重い病を患っており、体は弱く、ほとんどの時間を薄暗い部屋で過ごすしかなかった。鈴はそんな病弱ないとこを快く思わず、一時期はこっそり拓司の後をつけ、石を投げつけることさえあった。拓司の頭に石をぶつけても、彼は一度も怒らなかった。そのため、鈴はさらに調子に乗った。ある雨の夜のこと。鈴は、拓司が外からひっそりと帰ってきて全身ずぶ濡れになっているのを見て、傲慢に口を開いた。「ちぇっ、どこ行ってたの?おじい様に言いつけてやる、こっそり外出したってね」しかし、彼女が数歩歩く前に、拓司は目の前に立ちはだかった。鈴は今でも、あの時の拓司の目を忘れられない。それはあまりにも冷たく、恐ろしく、まるで地獄から逃げ出してきた悪鬼のようだった。拓司は彼女の髪を鷲掴みにすると、近くの池まで無理やり引きずり、頭を水中に押し付けた。一回につき一分間、死には至らないが、鈴には強烈な苦痛が襲いかかる。その行為は三十分以上も続き、その間、拓司は一言も発さなかった。以来、鈴は二度と拓司に逆らわず、彼を見かけるだけで震え上がるほどになった。オフィスから出るときも、鈴の心臓はまだざわついていた。階下の営業部に向かうと、夢美が上の空の彼女を見て、不思議そうに尋ねた。「上の階で何してたの?」「別に。拓司さんに、この書類をお義姉さんに見せるよう言われただけです」鈴は答えた。夢美は彼女の手から書類をひったくり、目を通して特に問題がないことを確認すると、ようやく返した。「忘れないで、私たちは味方よ。啓司を手に入れたいなら、私の言うことを聞きなさい」「ああ」鈴は上の空で頷いた。夢美はそれ以上気にかけることはなかった。今月中に、必ず紗枝を黒木グループから追い出してやると心に決めていたのだ。鈴は紗枝のオフィスに戻ったが、何かを探ろうという気力はすっかり失せていた。紗枝にどうしたのか尋ねようとしたその時、一本の電話が鳴った。電話に出ると、相手は幼稚園の先生だった。「先生、どうなさいましたか」「紗枝さん、すぐに幼稚園に来てくださ
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第977話

景之は腕を組み、その瞳は落ち着き払っていた。傍らにいた明一は、すっかり呆然としている。なぜ澤村お爺さんまで景之の肩を持つのか――嫉妬の感情が、彼の胸の奥でますます膨れ上がっていった。その時、夢美が紗枝の後をついてやって来た。目の前の異様な様子を見て、すぐに自分の息子が虐められているのだと信じ込む。「明一、また景之に虐められたの?」夢美は紗枝をぐいと押しのけ、足早に駆け寄った。紗枝は内心で呆れ返る。「また」とはどういうこと?この人は、一体何が起きたのか理解しているのだろうか?その時、二人の老人はようやく、二人の子供の母親が来たことに気づいた。「どうしてお前たちがここに?」黒木お爺さんが先に口を開いた。夢美は口ごもり、言葉が出てこない――実は紗枝に隠れて後をつけてきたのだ。紗枝もその問いには答えず、まっすぐに尋ねた。「ここで一体何があったんですか?」澤村お爺さんは、明一が告げ口したことを紗枝に話すと、こう付け加えた。「他の子たちがみんな言っておったよ。あの子がいつも人を叩くから、誰も一緒に遊びたがらないんだと」その言葉を聞いた夢美は、途端に顔を曇らせた。「紗枝、あなたが保護者会の他の子たちに『うちの明一と遊ぶな』って言ったんでしょう!うちの明一を孤立させたいのね!」紗枝は思わず鼻で笑った。「だとしたら、私の権力も大したものね――明一は黒木家の曾孫よ。誰が彼を孤立させられるというの?」澤村お爺さんはすぐに紗枝親子を庇った。「紗枝ちゃんも景ちゃんも良い子だ。問題は明らかにそなたにある。子供の躾がなっておらんのだ!」言い終えると、彼は黒木お爺さんの方を向き、真剣な口調で告げた。「そなたの孫嫁は先日も汚い手を使ってうちの商売を奪おうとした。この件、よくよく考えた方がいいぞ!」最初は、二人の老人は子供のことで少し言い争っていただけで、大したことではなかった。しかし澤村お爺さんの「告げ口」が口をついた瞬間、黒木お爺さんの怒りは一気に噴き出した。「夢美、澤村家と黒木家の決まり事を忘れたのか?」本来、澤村家と黒木家は商売上で競合せず、両家の関係は常に良好だった。それぞれの領域で事業を経営し、互いの領域を侵さないことを、長年にわたり約束してきたのだ。澤村お爺さんにその場で指摘され、
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第998話

澤村お爺さんは、黒木お爺さんが「景ちゃんはお前の実の曾孫ではない」と繰り返す場面を思い出すと、腹の底から怒りがこみ上げてきた。唯は、なぜ急にまた曾孫を授かる話に戻ったのか、全く予想していなかった。その瞬間、澤村お爺さんが突然咳き込み、しかもなかなか止まらなかった。唯はすぐに手を伸ばして祖父の背中をさすり、孫の澤村和彦(以下、和彦)も慌てて駆け寄った。「まったく、体調も良くないくせに無理して出てくるんだから。何か用があるなら、まず俺を呼んでくれればいいじゃないか」和彦は呆れたように言った。しかしその一言で、祖父の咳はさらにひどくなる。唯は和彦を睨みつけた。「あなた、少しは黙っていられないの?おじい様がこんなに咳き込んでいるのに、平気なの?」そう言うと、再び祖父に目を向け、優しく声をかける。「おじい様、怒らないで。私たちが悪いの。曾孫のこと以外に、他に何か欲しいものはありませんか?私たち、できる限り叶えますから。だって、まずはちゃんとお付き合いして、それから結婚のことを考えるって、前に約束したじゃないですか」澤村お爺さんの咳はようやく少し落ち着き、彼は何か思いついたように口を開いた。「じゃあ、先に妊娠してから、ゆっくり恋愛するというのはどうだね」和彦と唯は息を呑み、言葉を失った。ちょうどその時、紗枝が通りかかり、澤村お爺さんの言葉を耳にして、心の中で密かに思った。おじい様の考え方って、本当にオープンなのね……一方、黒木お爺さんはすでに夢美を連れてその場を去っていた。澤村お爺さんはさらに説明を続ける。「今の世の中、授かり婚なんて珍しくもない。誰もお前さんたちを笑ったりはせん。とにかく一度試してみて、うちの和彦がちゃんとやれるかどうか、確かめてみないとな」その言葉に、唯はますます何と返していいのか分からず、和彦は耳まで真っ赤になった。「おじいちゃん、これ以上変なこと言うなら、老人ホームに送り込んで、話し相手にばあさんでも見つけてやるからな」澤村お爺さんは、言葉を詰まらせる。紗枝は祖父と孫の面白いやり取りを見て、思わず笑ってしまった。一方で、景之は教室へ勉強の準備に向かった。途中、明一が一人で立っているのを見かけ、そちらへ歩み寄る。明一は景之が自分の方へ歩いてくるのを見て、殴り
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第999話

昭子という人間には、まったく人間性が感じられなかった。もし美希が彼女に冷たく接していたのなら、母娘の縁を切ろうとする理屈も多少は通る。しかし、現実は違った。美希は惜しみない愛情を注いでいたのに、昭子はあっさりと、より権勢のある青葉を母として認めてしまったのだ。紗枝は、こんな人物と口を利くだけ無駄だと思い、はっきりと言った。「前にあなた、自分で言ったじゃない?血の繋がりは永遠に変わらないって。あなたの体には美希の血が流れているんだから」その言葉に、昭子はぐうの音も出ず、かつて自分が吐いた言葉で論破されたことに激怒した。「とにかく、美希に伝えて、訴えを取り下げるように言って!あいつ、もう長くないんだから。もし訴えを取り下げてくれれば、父さんが死後の面倒を見るって言ってるのよ!」この一家は、誰一人として人でなしではない者がいない。紗枝は美希に対して特別な同情は抱かず、淡々と言い放った。「好きにすればいいわ」そう言うと、何の感情も込めず電話を切った。稲葉家では、世隆が昭子の電話が終わるのを見届け、急いで尋ねた。「どうだった?」昭子は首を横に振り、不満げに答えた。「あの女、全然協力しようとしないの」世隆はため息をつき、苛立ちを滲ませる。「お前の母親はもともとあの子のことが嫌いだったんだ。あの子が協力したところで、どうにもならんさ」「今となっては、美希は俺と離婚したがるし、太郎は俺の財産を狙って訴訟を起こしてくる。俺はもともと海外で何不自由なく暮らしていたのに、あいつらに無理やり帰国させられたんだ」昭子はそれ以上言わず、今度は太郎に電話をかけた。一方、太郎は、いつも偉そうにしていた姉から電話がかかってくるのは初めてで、どこか気だるげな声で電話に出た。「おや、親愛なるバレリーナのお姉さん、今日はどうしてこの弟のことを思い出したんだい?」昭子は彼の嫌味な口調を聞き、不機嫌に命じた。「すぐに訴えを取り下げなさい。さもないと、ただじゃおかないから!」「うわあ、こわいこわい」太郎はわざと苛立たせるような口調で答える。昭子は怒りで歯ぎしりした。「今、しょぼい会社にいるからって、偉くなったとでも思ってるの!信じられないかもしれないけど、あなたの会社なんて、いつでも潰せるのよ?」「いいよ、じゃあやっ
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第1000話

この頼みを聞かされても、拓司はすぐには頷かなかった。沈黙の後、彼は率直に口を開く。「あなたは昭子の実の母親であり、僕にとっても義母にあたります。そして世隆さんは義父です。そんなお二人が裁判で争う中、僕が手を貸すというのは、道理に合わないでしょう」その答えを聞いても、美希は諦めなかった。拓司が自分に会いに来たのは、決して昭子のためではないことを、彼女は心の奥で理解していたからだ。「私がこの人生で一番申し訳ないことをしたのは、紗枝よ。この様子じゃ、この過ちを償うのはもう難しいかもしれないわね。でも、全力で私自身の財産を取り戻すつもり。それで紗枝に償いをしたいの……」拓司は黙って彼女の言葉に耳を傾け、口を挟むことはなかった。病院を後にすると、拓司は太郎に指示した。「ここしばらく、人をつけて美希さんをしっかり守ってくれ」太郎は首をかしげ、尋ねた。「何かあったんですか」「僕の言う通りにすればいい」拓司はそれ以上、説明を加えなかった。「はい」太郎は深く詮索せず、ただ頷いた。どうせ自分には大して関係のないことだと思ったのだ。太郎と別れると、拓司は車に乗り込み、すぐに自社の弁護団に電話をかけた。目的は一つ――美希をこの裁判で勝たせること。ただし、表沙汰にはできない極秘の作戦だった。牡丹別荘。紗枝は帰宅すると、手持ち無沙汰に携帯を取り出し、ニュースを眺めていた。するとやはり、美希が離婚訴訟を起こすという報道が目に入る。見出しにはこうあった――「かつての国際的有名ダンサー、末期がんで再婚相手を提訴。その裏に隠された悲しい理由とは」記事を読み終えた紗枝は、心の中で納得した。アクセス数を稼ぐために三流メディアが書いた記事で、話題のトップテンにも入っていなかった。今の美希は、もはやかつてのように世間の注目を集めるダンサーではなく、誰からも関心を寄せられていなかったのだ。紗枝は、以前美希から渡された封筒を再び手に取った。中には、開廷が明後日だと書かれている。紗枝は自分の目で法廷を見届け、美希が一体何をしようとしているのか確かめることにした。あっという間に、開廷の日が訪れた。紗枝はわざわざ休暇を取り、裁判所へ駆けつける。入り口で、世隆に付き添う昭子の姿を見かけた。二人は身を寄せ合い、何やら話しながら時折笑みさ
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