All Chapters of 冷酷社長の逆襲:財閥の前妻は高嶺の花: Chapter 1081 - Chapter 1090

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第1081話

桜子は家族に付き添い、万霆の診察に同行しながら、心の内では次の手を静かに組み立てていた。父の病は軽視できない。桜子は三人の奥方と話し合い、まずは長男の樹、次男の栩に戻って来てもらい、父の顔を見せることに決めた。家の長兄・次兄として、担うべき責任がある。敏之は、柳川家から陽汰を呼び寄せ、万霆の診察を依頼した。外科なら桜子が一番だが、脳のこととなれば――陽汰が専門だ。一連の検査のあと。陽汰はCT画像を手に、落ち着いた口調で説明を始めた。高城家の面々は彼を囲み、息を呑んで耳を傾ける。ただ一人、樹だけは少し離れた外側に立ち、白衣の医師を静かに見つめていた。その目には柔らかな光が宿り、口元は弦月のようにわずかに上がっている。陽汰の流れるような解説が続く。ふと、長い睫毛が持ち上がり、彼の視線が正確に樹のほうへ向いた。二人の視線が、瞬時に絡み合う。樹の呼吸がわずかに止まり、慌てて目線を外す。表情は崩さない。けれど、胸の鼓動だけが早まっていた。陽汰は小さく、誰にも気づかれないように笑みを零し、すぐに真顔へ戻った。「皆さん、過度に心配する必要はありません。高城会長のご病状は、確かにここ二年でやや進んではいますが、皆さんが恐れるほどではありません。毎月の定期検査を欠かさないこと。そして、発作時に備えて、必ず身の回りに人を。処方は守って、きちんと服薬すれば、十分コントロールできます。食事はあっさり、油と塩、辛味と糖分は控えめに。血液が濃くなると、リスクが上がります」「......全部、父さんの大好物だわ」愛子は何度もうなずき、心の中で新しい献立を組み立てる。「参ったな......」栩が苦笑する。「これを聞いたら、親父、絶望の顔するぞ。あの人、誰よりも食いしん坊だから」「少しは大人しくしてくれないと。六十にもなって体を労われないなんて。この間なんて、深夜に二回も台所でケーキ盗み食いしてたの、私が直々に取り押さえたんだから!」桜子は腕を組み、頭を振る。陽汰は最後にもう一つ、はっきりと告げた。「何より大事なのは、穏やかな心の状態を保つこと。感情の大きな起伏や、怒りは避けてください。怒ると悪化しやすい。肝臓にも良くありません」皆が「了解」とうなず
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第1082話

桜子はゆっくりと水を一口飲み、穏やかに言った。「今回のジョッキークラブ、愛子さんも一緒に連れて行ってあげてください」万霆は一瞬、驚いたように目を瞬かせた。まさか桜子がそんな提案をするとは思っていなかったのだ。「桜子、私は......行きたくないの」愛子は慌てたように両手を振る。「人が多いところへ行くと、胸が苦しくなるの。それに社交も下手だし、敏之さんが行くのが一番いいと思う。どうしてもって言うなら、鈴子さんでも......」「でも、初詣とか縁日のときは、人が多くても平気でしたよね?」桜子は穏やかな笑みを浮かべたまま、核心を突いた。「そ、それは......」愛子の唇がきゅっと結ばれ、声が小さくなる。「そうね、今年は愛子を行かせましょう。毎年私では、外のメディアがまた妙な憶測を立てますわ」敏之は桜子の意図を察し、さりげなく助け船を出した。万霆は眉をひそめ、隣の愛子を横目で見た。「愛子、行きたくないのか?」愛子は首を激しく横に振る。万霆はそっと彼女の手を取り、掌の中で優しく包み込んだ。「お前はいつも公の場を嫌がるから、てっきりそういうのが苦手なんだと思ってた。無理はさせたくない。だが、本音を言ってくれれば、できる限り叶える」「本当に......嫌じゃないの。ただ......」愛子の目が潤み、今にも涙が零れそうだった。万霆はそんな彼女を見て、胸が痛んだ。この何年も、彼は愛子の心を癒したと思っていた。だが実際には、彼女の中の『若き日の影』は消えていなかった。ただ彼のために――『平気なふり』を続けていただけ。......結局、万霆は愛子を連れて行くことに決め、斎藤秘書に命じて夜のうちに彼女のためのドレスを準備させた。すべては――桜子の思惑どおりに進んでいた。......「桜子」席を立ったあと、愛子が追いかけてきた。おずおずとした声で尋ねる。「今年......どうして私を行かせようとするの?」桜子は振り向き、まっすぐに彼女を見つめた。「愛子さん、もう一生、隠れて生きるつもりですか?影に隠れて、誰にも見えない『透明な人』でいるなんて――あまりに残酷です」その声には強い優しさがあった。「昔のあなたは、誰よりも輝いてた。あの
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第1083話

一方その頃。隼人は高原の「仮釈医療」に関する情報を徹底的に封じた。高原を襲った犯人も、すでに彼の掌の内である。その日、井上に所長から直通の電話が入った。「さすが社長だ!ここ二日、裏で高原の動向を探る連中が現れたよ。言われた通り、『高原は襲撃で死亡』って話を、それとなく流しておいた!」「助かった。礼は必ず、社長から」井上は報告をまとめ、隼人に伝える。隼人はオフィスで、新しく替えた携帯のロック画面をぼんやり見つめていた。――潮見の邸で同居していた頃。こっそり撮った桜子の写真。ノーメイクで、バルコニーの陽を浴びている。ふわりと笑う、その可愛さ。隼人の薄い唇が、無意識にやわらかく持ち上がる。瞳に、甘い光が差した。指先が画面の彼女の頬をなぞる。「うわぁ......若奥様、めちゃくちゃ可愛いっすね。これは誰でも一発でノックアウトっすよ」井上がキリンみたいに首を伸ばし、画面を覗き込む。「だろ。ほんと、きれい――」......はっ。隼人は慌てて携帯を伏せ、冷たい目を向けた。「誰が見ろと言った。首を引っ込めろ」「へ、へへ......美しいものは、つい」「『つい』じゃない」刹那、視線が刃のように光る。「......敬愛、です!若奥様への、敬愛!」井上は慌てて背筋を伸ばし、平謝りする。「それで、用件は」......さっきの全部、聞いちゃいねぇ!井上は内心で頭を抱えつつ、先ほどの内容を最初から繰り返した。隼人は淡々と頷く。想定の範囲内だ。すべては計画どおり。「秦に『高原は死んだ』と思わせる。そうすれば、あいつは警戒を解く。安心したふりをして、隙を晒す」「お見事っす......」井上は力強く首を縦に振った。少し迷ってから、口を開く。「社長、そんなに若奥様が恋しいなら、海門へ会いに行けばいいのに。行けば、きっと会ってくれますよ。若奥様だって、社長に会いたいはずです」熱が胸にぐつぐつと上がる。――今すぐ飛んでいきたい。けれど、隼人は小さく首を振った。「せっかく家族と過ごしてる。俺の都合で、その時間を奪いたくない。それに、今行けば高城会長を刺激する。今の彼は、俺に会いたくないだろう」井上は、卑下するほどに慎ましい主の
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第1084話

秦は白露の手を握り、その掌を優しく撫でながら、満面の笑みを浮かべた。「やっぱり白露、あなたが一番しっかりしてるわね。本当に頼もしい!今回はよくやってくれたわ......母さん、あなたに感謝しなきゃ」「お母さん、私に約束してた『あの件』、覚えてるよね?」白露の声は冷え冷えとしていた。秦は一瞬沈黙した。やがて立ち上がり、ベッドサイドの引き出しを開け、茶色の封筒を取り出して彼女の前に放り投げた。白露は弾かれたようにそれを掴み、宝物のように胸に抱きしめた。「これ......何?」「後で家で見なさい」だが白露は一刻も待てなかった。椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、そのまま部屋を出ようとする。「待ちなさい」秦の冷たい声が背後から飛ぶ。「なに?」白露が振り返る。「私はまだわからないのよ。初露の婚約を壊して、あなたに何の得があるの?」秦は闇の中で冷たく笑い、侮蔑を隠さず言い放つ。「本田家の優希があなたを選ばなかったから?ただの腹いせ?たとえ二人を引き裂いたって、優希はあなたを見向きもしない。あなたは本田家には入れないのよ」「ふん......正解。腹いせよ」白露は封筒を握り締め、唇を歪めた。五官がひきつり、笑みは次第に狂気を帯びていく。「人間なんて、最後は『気持ち』で生きてるのよ。私、間違ってる?悪いのは、初露と優希じゃない!」......自室に戻った白露は、震える手で封筒を破いた。中から出てきたのは――初露・自閉症スペクトラム障害診断書。「......っ、ハハハ......ハハハハ!」白露の目に、鋭い光が宿る。狂気と勝利の輝き。これは――宮沢家にとっての絶対的な機密だ。『家の恥は外に出すな』名家の掟。世間に知られたら、一族の体面は地に落ちる。もしこの診断書が本田家の手に渡れば?初露の婚約は――即刻破談だ。本田家の当主が寵愛しているのは、優希ただ一人。次期継承者として育てた孫の嫁が、精神疾患持ちの『欠陥者』だと?――ありえない。白露の手が震える。興奮で、携帯を掴む指が滑りそうになる。「昭子」電話の向こうで、のんびりした声がした。「何よ、今パック中なんだけど」「明日、時間ある?見せたいものがあるの」白
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第1085話

年に一度の祭典が、予定通り幕を開けた。毎年のジョッキークラブは、国内の財閥・名門が総出で参加する。公式のライブ配信もある。友好国の王室関係者まで顔を出す。――史上まれに見る熱気だ。会場の主催は年替わり。今年は白石家の番だった。会場は、白石家が半年前に完成させたばかりの中環馬場。一般公開より先に、この大舞台。達也は上機嫌だった。これ以上の門出があるか。これ以上の宣伝があるか。一挙両得、とはまさにこのこと。宮沢家は、宮沢裕也が高齢で第二線に退いているため、こうした場にはほぼ出てこない。今回は光景が夫人の秦を伴って出席。隼人は単独で向かう。出発間際。白露が超ハイヒールに、ピンクのタイトなミニドレスを身に付け、息を切らして現れた。光景は、その場違いで力みすぎた装いを一瞥し、首を振る。「馬場は屋外だ。そんな短いスカートで、風が吹いたらどうする」言い終えると背を向け、先に車へ。秦と白露を置き去りにした。白露は内心、煮えくり返っていた。だが表には出さない。せっかく巡ってきた機会だ。もう怒らせるわけにはいかない。秦が車に乗ろうとしたとき、白露が腕を引いて囁く。「お母さん......あれ、ちゃんと着けた?」「......ええ」秦は、ひどく気まずそうに答えた。今朝、あれを身につける前に、どれだけ心の準備が必要だったか。ナプキンのように敷くだけ――そう自分に言い聞かせても、羞恥は消えない。自分は宮沢グループの夫人だ。この年で、もう『それ』に頼るなんて......あまりに体裁が悪い。「お母さん、予備は?今は漏れがひどいでしょ。一枚じゃ足りない」「どうやって?あんな大きい物、どこに入れるの」秦は顔を真っ赤にして歯を噛む。「入場する夫人たちは、せいぜいクラッチ一個よ。大きなバッグなんて笑われるでしょう?一枚で足りるわ。最悪、水を飲まなければいいだけ。それに、今日を越えれば、もう『こんな物』に頼らなくて済むのだから」ぶっきらぼうに言い捨て、彼女も車へ。白露は別の車に乗り込みながら、今の言葉を反芻した。――今日を越えれば。どういう意味?次の瞬間、白露の脳裏で、稲妻が走った。......午前十時。中環馬場は押すな押すなの人波。今年の観客数
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第1086話

「家の後ろ盾がなけりゃ、あんなの泥と同じ。桜子様のハイヒールの底の汚れにも及ばないわ!」「何枚も偽名持ってるって?結局は『バツイチ』の中古女。宮沢家に捨てられた女よ」と、ある成金夫人が鼻で笑った。若い令嬢たちは同時にその女を冷たい目で睨んだ。「桜子様は高城家の正妻の一人娘よ。正真正銘の貴族令嬢。あなたみたいに負け犬根性で妬んでる人の方がよっぽどみっともないわ」「今どき離婚が欠陥って考え、時代遅れすぎ。むしろ、金と権力のある女にとって、結婚なんて足枷よ」「そうそう。それにインタビュー見たでしょ?隼人本人が『自分の不倫が原因』って認めたのよ?そんな男、普通なら追い出して当然でしょ!」夫人の顔は怒りで真っ赤になったが、反論できなかった。嵐のような日々をくぐり抜けた桜子。いまや盛京で、彼女のファンは雪だるま式に増えていた。才色兼備、品格、そして強さ。――彼女を嫌う理由なんて、誰にも見つからない。......主催者である白石家が最初に入場。続いて宮沢家。光景と秦が腕を組み、報道陣の前に登場。久々のツーショット。『夫婦不仲』という噂を一蹴した。その後ろを歩くのは白露。ドヤ顔でカメラの方へ体を向け、ポーズを取りながら進む。まるで女優気取り。だが――残念ながら、一枚もカメラは彼女を映さない。報道の焦点は光景夫妻に集中。白露は必死に目立とうとしても、母親の『悪名』すら越えられない。良い評判はない、悪い評判でも母親に負ける。――実に、惨めだった。「なんだ、隼人は来てないの?待ちくたびれたのに~!」と、花形記者が不満げに唇を尖らせる。「まさか来ないなんてありえないでしょ。もうちょっと我慢しなさい!」「でも今日って『四大家族』全員集合でしょ?うわー、修羅場じゃん!」カメラマンたちがざわめき、アングルを微調整。「桜子様も来るはずだし、昭子も出るでしょ?つまり、隼人をめぐるバトル!一方は『元妻』、もう一方は『噂の相手』!これは――修羅場確定じゃない?」「前に桜子様が宮沢家の使用人の葬儀を取り仕切った時、隼人が記者たちの前で『俺は桜子の男だ』って言ったの、覚えてる?」「言ったからって何?自己申告だけで真実になるなら楽ね」「男の
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第1087話

「誰のことだ?」正太が眉をひそめた。「他に誰がいるの。秦の次女、宮沢家の四女――初露よ」昭子は水を得た魚のように、何気ないふりで続ける。「このところね、うちの兄が家に全然帰らないの。初露と外で『ふたりの巣』を作って、毎日ベタベタよ。こないだマミーが体調崩して病院に行ったときも、付き添ったのは私。はぁ......『嫁をもらえば母を忘れる』っていうけど、まだ初露と結婚もしてないのに、マミーも私も記憶から削除だわ~」「昭子、言い過ぎですよ」本田夫人がたしなめる。初露の肩を持つ気はない。だが当主の正太に、息子への不満を抱かせたくはなかった。「その宮沢家の四嬢、相当の美人なんだろう」栄次が笑う。「俺は優希をよく知ってる。女にあそこまで本気になるのは初めてだ。つまり、初露は優希の心をしっかり掴んだってことだ」「秦の娘が、わしの孫の心を掴む?寝言は寝て言え」正太は塗り込めたような眉を吊り上げ、杖をドンと突いた。「婚約もしてないのに同棲だと?それが名家の娘の振る舞いか。何というはしたなさ。悪名高い秦、やはり娘の躾もなっておらん!」「まあ、父上もそんなに心配なさらず」栄次は口端をゆがめる。「こっちは男側だ。損はしませんよ」その一言で、本田夫人はわずかに安堵の息を吐いた。昭子の目尻には、薄闇の笑みが差す。――優希がどれだけ初露を愛していようと、どれほど娶りたがろうと。秦の娘である限り、本田家の門は開かない。ちょうどその時、左右の記者群からどよめき。「宮沢社長だ!」「本当に隼人だ、隼人が来た!」一斉にレンズが向き、シャッター音が波のように押し寄せる。昭子は全身に電流が走ったように震え、レッドカーペットの向こうを見つめた。黒のスーツに身を包んだ隼人が、ただひとり、ゆっくりと歩みを進める。彫りの深い顔は静かな冷ややかさを湛え、山の頂の残雪のように触れ難い。きらめく瞳には冬の星の光。歩みの一つ一つに、支配者の覇気が滲む。傲然と、しかし乱れず。――距離を拒むその冷酷さが、どれほど多くの女を狂わせてきたことか。もちろん、昭子も例外ではない。「昭子、行くわよ。何を突っ立ってるの」本田夫人が袖を引く。「......お母さん......かっこよすぎ......」
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第1088話

昭子は、まるで蓮根の穴のように、たくさんの打算を胸に抱えていた。――隼人と並んで入場するチャンスを、逃すわけがない。彼と肩を並べて歩けば、間違いなくメディアは騒ぎ立てる。女性たちの嫉妬を一身に浴びるだろう。しかも、世間はきっと『隼人の同伴者』だと誤解するに違いない。あの男はどんな公式の場でも、常にひとりだった。高城突に言えば、桜子と結婚していた三年間ですら、妻を同伴したことは一度もない。もし今日、彼女がその隣を歩けたら――それだけで、世界中に示せる。自分は特別な存在なのだと。男の言葉なんてどうでもいい。重要なのは、行動だ。この誤解が成立すれば、桜子との間にきっと溝ができる。そうなれば、あとはその隙を突くだけ。昭子はそんな皮算用を胸に、隼人の方を見つめた。彼がこちらへ歩み寄る。心臓が暴れ、頬が熱くなる。「隼人お兄ちゃん......」だが、隼人の顔には一片の情もなかった。冷たい。まるで氷の彫像。そしてその瞳は――彼女を見てはいなかった。彼の視線は、昭子の頭上を越え、もっと遠く、別の誰かを探していた。まるで、自分が空気になったようだった。昭子は歯を食いしばり、ドレスの裾をつまんで前へ進む。そのとき――「高城家が到着しました!」記者の叫びが、場を揺らした。隼人の全身が一瞬で沸き立つ。血が熱を帯び、瞳に光が宿る。振り返り、彼はその名を待つように顔を上げた。真っ白なリムジン・リンカーンが、ゆっくりとレッドカーペットの中央に停まる。最初に降りたのは、タキシード姿の樹。そして彼は、ドアの向こうから伸びた白い手を優雅に取った。姫の登場。その瞬間――誰もが息を呑んだ。兄妹だと分かっていても、なお目を奪われる。完璧な美男美女。カメラがシャッターを切るたび、歴史に残る一枚が増えていく。隼人の世界から、音が消えた。心臓の鼓動だけが響く。――彼の視界にあるのは、ただ一人。桜子。胸が痛む。熱く、苦い。情けないほど、嫉妬が溢れた。いつか、自分もこうして堂々と彼女の手を取り、「この人が、俺のすべてだ」と言える日が来るのだろうか。今日の桜子は、まさに天上の光。普段のような赤いルージュも、鋭いスーツ姿もない。淡
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第1089話

さっき、彼が自分を見る目は冷たかった。だが――桜子を見つけた瞬間、隼人の眉目はほどけた。氷が解け、春の光が射したみたいに。彼のことは、子どもの頃から知っている。あの頃の彼は、たしかに優しかった。けど、淡々としていた。今のこの表情は、違う。桜子が、どれほど特別か。どれほど大切か。はっきり分かる。昭子は奥歯を噛みしめた。目のふちが赤くなる。隼人が女神へ向かって歩いていく。生涯ただひとりの愛へ。桜子だって、彼が来るのを見ていないわけがない。背が高い隼人は、群衆の中でひとりだけ際立つ。彼が歩くたび、視線が雪崩れ込む。「桜子。あの小僧、こっち来るぞ」樹が耳元でからかうように囁く。いつもは厳しい兄の声が、少し柔らかい。「相手しない。見えないフリしてやる」桜子はむくれた。けれど鼓動は乱れる。「今日は別々に動くって約束したのに。余計なことはしないって。どうして言うこと聞かないわけ?前は甘い言葉ばっかで何でも従うくせに。犬の嘘つき」お嬢様は怒っていた。犬。嘘つき。樹の鋭い顔に、こらえきれない笑みが浮かぶ。――なるほど。叩くのは親愛、罵るのは恋ってやつだ。ちょうどその時、万霆と愛子が腕を組み、レッドカーペットに姿を見せた。ざわめきが走る。今日の愛子の装いは、桜子が前もってサイズを測り、こっそり仕立てたもの。色は桜子と同じ矢車菊ブルー。ただし愛子はより端正に、タイトなツイードのセットアップ。帽子には薄いヴェール。清らかな美貌を半分隠し、山あいに咲く蘭のような気配をまとわせる。「うわ、万霆だ!背筋の通り、あれで何歳だよ。四十代前半に見える」「三十年前は絶対とんでもない美形だった。今の隼人にも負けない。遺伝子が強いんだな、子どもたちみんな似てる」「分かる!」「愛子、きれい......見惚れちゃう」「昔、秦よりも評判だった。TVCの看板女優だもの」「本当に、惜しかった。若い子は知らないだろうけど、あの人の全盛期は圧倒的。あの事件で引退しなければ、秦なんて日の目を見なかったさ。今のあの女の地位、愛子が作った隙で手に入れたようなもんだ」愛子の頬がぱっと赤くなる。恥ずかしさで、万霆の腕をぎゅっと掴んだ。「俺の隣だ。何を怖がる」万霆
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第1090話

愛子は、心の底から満たされていた。むしろ、もらいすぎている――そう思うほどに。---高城家の登場で、再び会場が沸き立った。そして隼人が桜子へと歩み寄るその光景が、さらなる注目を浴びた。フラッシュが一斉に瞬き、まるで雷鳴のような音を立てる。万霆は険しい目で、かつての婿を睨みつけた。胸の奥に湧く怒りを抑えきれない。「殴ってやりたい......」そんな言葉が喉まで出かかった。「高城会長」隼人は深く息を吸い、真っすぐに桜子を見つめた。「あなたの娘さんと、一緒に入場してもよろしいでしょうか」彼の声は低く、誠実だった。「桜子さんを、俺の同伴としてお迎えしたいのです」桜子の頬がわずかに赤く染まる。彼女がここまで照れる姿は、滅多にない。「宮沢社長。あなたのような方に付き添いたい女性は星の数ほどいるでしょう。うちの桜子じゃなきゃ、ダメなんですか?」万霆の声は冷え切っていた。容赦の欠片もない。「はい。桜子さんでなければ、意味がありません」隼人は一歩進み、手を差し出した。「俺の隣は、彼女のためだけに空けてある」その一言に――観客たちはどよめき、歓声を上げた。「キャー!」「甘い!甘すぎる!」離れた位置の昭子には、言葉までは聞こえない。けれど、周りの興奮ぶりを見れば察する。――どうせ、自分の耳が喜ぶような話ではない。万霆の顔は黒雲のように陰る。桜子はいつも控えめで、人前で目立つタイプではない。それに、隼人に対してまだ怒っている。だから冷ややかに口を開いた。「宮沢社長、私は――」その瞬間。隼人が彼女に一歩近づき、何のためらいもなく、堂々と彼女の手を取った。桜子の息が詰まる。次の瞬間、彼の腕に引き寄せられ、胸の奥に抱きしめられた。その姿は、まるで世界に向かって宣言するようだった。――高城家の令嬢は、俺の女だ。「桜子、行こう」隼人の声は穏やかで、けれど有無を言わせない強さがあった。彼女の手を、決して離さない。「......ばか。強引すぎる!」桜子の頬は真っ赤に染まる。「強引じゃない。チャンスを作っただけ」隼人は唇の端を上げ、耳元で囁く。「気づいてるだろ。俺、けっこう構ってほしいタイプなんだ」二人の姿は
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