All Chapters of 婚約崩壊寸前!初恋は遠ざかれ: Chapter 221 - Chapter 230

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第221話

「ん?」私はすぐには反応できず、ぼんやりしていると、康平がせかすように言ってきた。「今、お前ん家の下にいるんだよ。花火のこと、聞きたいって言ってただろ?ちゃんと話してやるよ」今日一日があまりにも疲れていて、正直断ろうかと思った。でも、康平が急に甘ったるい声を出してきた。「佳奈、早く降りてきてよ」「早くって、何を?」「下まで降りてこいって。せっかく来たのに、無駄足にさせる気かよ」「呼んだ覚えはないんだけど」「ひどいなあ。お前ができるだけ早くって言ってたくせに」……確かに私が「できるだけ早く」って言ったけど、こんな展開、さすがに予想外すぎる。心臓がなぜかドキドキし始めた。男女の境界線が曖昧になって、さらに動悸が激しくなる。こんなの、私らしくない。「やめとく。明日、私から会いに行くよ」康平は明らかに不満そうな声を出した。「えー、せっかく夜遅くに来たのに……しかも外めっちゃ暗いし……」その声に鳥肌が立ちそうだったけど、なんだかちょっと面白くもあった。ふと、前に病室で慎一が真思に「新鮮だ」って言ってたのを思い出す。慎一のせいで凍りついていた私の血が、康平の行動で少しずつ溶けていく。私も「新鮮」ってやつ、ちょっと感じてるみたいだ。今まで私に言い寄ってきた男の子は少なくなかった。でも、私はすぐに線引きしてしまうし、勉強や自己研鑽に夢中だったから、慎一に追いつこうとする日々の中で、他の男の子が私のペースについて来られるなんて思ったこともなかった。だから、ここまでしてくれる人はいなかった。青春の曖昧な恋心を経験したことがある人なら、これくらい普通だと思うかもしれない。でも私には、すごくリアルで、すごく「新鮮」だった。突然のハプニングで、これがホルモンのせいなのかは分からないけど、少なくともアドレナリンはかなり出てる気がする。「佳奈、もしお前が降りてこなかったら、俺が上がるぞ。上がったら、もう帰らないからな?知ってるだろ、俺、けっこうしつこいぞ」康平の声は、脅しというより、むしろ楽しんでる。私は呆れつつも、私にも「新鮮さ」を求める権利くらいあるよと思って、ついに折れた。「分かった、ちょっと待ってて」でも康平は、なぜかがっかりしたような声で言った。「医者紹介してあげようか?お前、目悪すぎて俺のイケメンぶり
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第222話

康平がやっと静かになった頃、私は深い眠りに落ちた。次に目を覚ますと、目の前には夜の海が広がっていた。黒い波が月明かりを受けてきらきらと輝き、空には数え切れないほどの星たちが瞬いている。オープンカーの屋根から身を乗り出し、車のボンネットに頬を預けていると、次の瞬間、夜空に大輪の花火が咲いた。ドン、ドン、と胸の鼓動に重なるような音が響く。心には小さな後悔があった。涙にならない後悔が、静かに瞼の隅からこぼれ落ちていく。私は、言ったことをすべて実現できるような人間じゃない。これまで数え切れないほどの約束をしてきたけれど、全部守れたわけじゃない。例えば、慎一と一生を共にしたいと願ったことも、それは叶わなかった。自分の法律事務所を開きたいと夢見たことも、結局できなかった。でも、今だけは違う。慎一を迎え入れることはできなかったけれど、せめてきちんと見送ろうと思う。本当は、彼は花火よりもずっと鮮やかに、私の心に咲くはずだったのに。私が花火を見上げていると、康平がじっと私を見つめていた。「女の子が花火好きなのは知ってるけど、なんでお前は笑わないの?」私は横顔を向け、花火の光が彼の肩に降り注ぐ。「ありがとう」康平にはきっと、私の気持ちはすぐには分からないだろう。でも、彼なりに理解しようとしてくれている。彼は花火の動画を撮って、ツイッターにアップしていた。【みんなが花火を見て幸せになれるなら、少しだけでも彼女に分けてあげてほしい】ただ、シェアしたかっただけなのに、鋭いネット民が花火が弾ける瞬間、車の屋根に反射した私の姿を見つけてしまった。青木さんのファンたちが、すぐに押し寄せてきた。康平はひどく気に病んでいた。綺麗な瞳が強く収縮し、顔には怒りが静かに広がっている。まるでお墓の前に揺れる鬼火のように、彼の目が燃えていた。私はスマホの画面から視線を外し、再び夜空を見上げる。康平にだけ聞こえる小さな声で、「大丈夫、もう慣れてるから」と告げた。ただ、いつもは物静かだった慎一が、この時ばかりは妙に目立っていた。私と康平にそれぞれ電話をかけてきたけど、どちらも出なかった。翌日、彼が堂々と真思を迎えに病院へ行く動画がネットに流れた。彼はスーツ姿で、花束を持ち、微笑みながら彼女に車のドアを開けてやる。「慎一、こんなふ
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第223話

私のためだけに必死になってくれる人に、私はもう何を言えるというのだろう。私だって、そこまで図々しくはない。穎子から祝電が届き、夜之介も私のことを思い出してくれた。海の向こうのクラスメートたちまで、みんな私のことで喜んでくれている。青木さんは私に謝罪した後、次の瞬間には芸能界引退をツイッターで宣言した。彼は名実ともに俳優界の頂点に立つ人で、数えきれないほどの企業と契約していたのに、「全財産を失っても、もう二度と人前には出ない」と言ってのけた。「これからは、玉緒のそばにいてやりたいんだ」と。彼女が守りたかった愛は、形を変えて守られることになった。巡り巡って、またすべては最初の場所に戻ったのだ。すべてが美しい結末だった。ただ、私はただ一つだけ、早瀬さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。彼女が犠牲にしたものの大きさを思うと、胸が痛んだ。私は、何も言えなかった。心の中で、早瀬さんに「ごめん」と言うしかできなかった。彼女は海に眠っているから、お墓に手を合わせる場所すらない。誰もが二人の愛に憧れるけれど、早瀬さんにとってそれは本当に救いだったのか、それとも罰だったのか、誰にも分からない。そのせいか、私は体調を崩し、もともと治りかけていた体がさらに悪化した。穎子には「そんなに道徳を背負い込んでどうするの」と皮肉られたけど、実はそうじゃないことは自分が一番よく分かっていた。そんなある日、真思がやってきた。彼女は慎一の弁護士を連れていて、二人して私の部屋に入ってきた。手には私と慎一の離婚協議書を持って。その弁護士は、いかにもやり手という顔つきで、冷たく書類をテーブルに叩きつけた。私は彼を無視して、でも職業病なのか、一枚一枚を丁寧に読み込んだ。彼は苛立ちを隠さず、「さっさとサインしてください。霍田社長はどれだけ資産があっても、あなたに分けるつもりはありませんよ。商売人ってのはそういうもので、結婚のたびに財産を分けてたらキリがないでしょう?あなたみたいな人、一生お金持ちと一緒にいたって何も手に入らないんですよ」と言い放った。私は、ただの財産を狙う元妻だと思われているらしい。でも私は、慎一が「多めに渡す」と約束してくれたあの夜のことを、今でもはっきり覚えている。彼は「今夜ちゃんと整理するから」と言っていたけど、たぶん帰らなかっ
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第224話

離婚成立を待つ日々、私は何度も慎一が世間の目に触れるのを目撃した。彼は真思と一緒に街を歩き、食事をし、映画を観て、私の評判が持ち直してからというもの、青木さんのファンたちは私に同情するようになった。かつて私を責め立てていた刃のような言葉たちは、今や一斉に慎一に向けられている。【これはもう、賞味期限切れのイチャイチャどころじゃない!全部ガラスの破片だよ!】【姉さんにもっとイイ男見つけてあげようぜ!顔も金も、霍田慎一より上の男を!】そんなある日、康平から電話がかかってきた。受話口の向こうは風の音が激しい。「もし、俺を利用したいなら、いつでも使ってくれていいよ」私はまだふわふわした頭でベッドに横になっていたけれど、康平の声は今までにないほど真剣だった。だけどそのとき思ったのだ。たとえ慎一と離婚したとしても、康平は私が軽々しく思いを寄せていい相手じゃない。私と彼は、何もかもが合わない。だから私は冗談めかして言った。「ねぇ、あなたって慎一より顔も金も上って条件、満たしてると思う?」「はぁ?」康平は怒りのあまり語尾が伸びて、早口でまくし立ててきた。「金だ金だって、金さえやればいいのかよ?全部あんたにやるよ!顔って?顔が良くても飯は食えねぇだろ!おまえ、飯食いすぎも体に悪いんだぞ?俺と一緒なら九十九歳まで生きられる!つかさぁ、俺の良さ分かってねぇだろ?俺は若いし体力あるし、まだ童貞なんだぞ?あんな年寄りのしなびたキュウリなんか比べ物にならねぇ……」康平の愚痴は止まらない。電話で話しているうちに、私はそのまま眠りに落ちてしまった。翌朝、目を覚ました瞬間、スマホの向こうから彼のわざと低くした声が響いてきた。「起きた?」私は驚いてベッドから飛び起き、冷や汗が額を流れる。まだ状況が呑み込めない。そのとき、玄関の向こうから彼の叫び声が聞こえてきた。「おい、何してんだよ!起きたならドア開けろ!俺、もう死にそうなんだけど!」彼は玄関を開けるなり、私をぎゅっと抱きしめてきた。ひんやりした額が私のおでこに当たる。突然のことに、私はすっかり冷たい空気に包まれてしまった。本当に寒くて、思わず震えが走る。彼は口をとがらせて言った。「もうちょっと熱出してくれたら、湯たんぽ代わりにできるのにな」なんだか様子がおかしい。顔がますます熱
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第225話

病は山のように崩れ落ち、去るときは糸を引くように静かに消えていく。この病気は、まるで私にまとわりつく恋人のように、しつこく離れてくれなかった。最近、私はすっかり痩せ細ってしまったけれど、慎一に別れてから不幸になったと思われたくなくて、わざと分厚い服を着込んだ。自分を武装し、普段は使わないサングラスまで引っ張り出して、落ちくぼんだ目元を隠した。空は鉛色に沈み、電話が鳴ったとき、まるで天を裂くような稲光が走った。慎一の低い声が雷鳴とともに聞こえてきて、どちらの声がより重いのか区別もつかなかった。彼がせっつく。「まだ着かないのか?」私は窓の外、霞んだ景色を見やった。天地はぼやけて、すべてが影法師のように溶けていく。雨は世界を薄い膜で包み、すべてを隔てて、聞こえもせず、見通すこともできない。それなのに、どうして私はこんなにも胸が痛いのだろう。「もうすぐ着くよ」時計を見ると、まだ朝の七時。慎一がコネを使って、特別な手段でも使ったのかもしれない。役所が開く時間まで待てなかったのだろう。彼はもう、私と一刻も早く正式に離婚したくてたまらないのだ。タクシーの運転手が聞いてきた。「お嬢さん、こんな朝早くに役所に行っても開いてないよ?」私はどう答えていいかわからず、「構いません、そっちへ向かってください」とだけ頼んだ。道は滑りやすく、スピードも出せない。ただ私の心だけが急いていた。でも、役所の前に待っているのは、土砂降りの雨だけ。慎一に電話をかけると、冷たい声で「すぐ着く」とだけ言われ、すぐに切られた。あとは延々と忙しい音。私は手を震わせながら、手のひらの中に握りしめていた卵を見つめた。朝、家を出る直前、ドアの前で食べようとした卵。でも慎一に遮られて、そのまま手にしたまま、今や冷たくなっている。子どものころ、父が「誕生日の始まりはゆで卵を食べること」と言った。けれど慎一は、私が少しでも幸福になることを望んではいないのだろう。私はひとり、傘を差して雨の中に立ち、冷えた卵の殻を剥いて、少しずつ口に運んだ。靴も裾もすっかり濡れて、体は震えるほど冷たいのに、私はまるで修行僧みたいに、静かに佇んでいた。この離婚は、私が望んだことだ。だから私は、ここを離れるわけにはいかない。私は静かに、遠い空を見つめ、どれほど待
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第226話

真思は唇の端をピクピクさせ、顔だけは笑っているものの、その目には冷たさが宿っていた。「ふふ、安井さん、ちょっと口が悪すぎるんじゃない?そんなにムキになってどうしたの?」私は微笑みながら、真思に視線を向けた。「心配してあげてるだけよ。放し飼いだなんて、惨めに聞こえるじゃない」真思の顔はみるみる青白くなり、慎一の腕に絡めた手をぎゅっと握りしめた。けれど、彼女は雲香よりよほど分別がある。騒がず、怒らず、ただ慎一に向かって、「慎一、もう行こう。お父様とお母様がお待ちかねよ」とだけ言った。まるで、慎一の両親に自分が認められていると、私に言いたげな態度だ。だけど私は、別に構わない。どうせなら見届けてやろうじゃないか。慎一が、霍田当主が健在なうちに、彼女を本当に霍田家に迎え入れることができるのかどうか。慎一は何も弁解せず、反論もしなかった。ほんの少しだけ私を振り返り、冷淡で落ち着いたまなざしを投げかける。「行くぞ」私たちの間には、どこか一番身近な他人のような距離感がある。その「行くぞ」という一言も、きっと真思にも向けられたものだったのだろう。私も後を追ったが、立ち尽くしていたせいか、足がすっかりしびれていたのを忘れていた。バランスを崩し、そのまま慎一に倒れ込んでしまった。慎一は、まるで背中に目があるかのように、私が声を上げるよりも早く、手首をしっかりと支えてくれた。華奢な私の手首は、彼の大きな手の中で今にも折れてしまいそうだ。彼との距離はとても近く、呼吸も手のひらも熱いのに、彼の声は氷のように冷たい。「何年も前の手口、今さらまた使うつもりか?」その嘲りに、私は怒りがこみ上げた。幼い頃の想いは純粋だった。お金も、権力も、複雑な世間のしがらみもなかった。ただ、好きだから好きだった。それなのに、どうして彼はそんな安っぽい言葉で、私の過去を踏みにじるのだろう。皮肉を言うのはタダだろうけど、私は彼の目をまっすぐに見つめ返し、怯まず言い返した。「何年経っても、あんたがまだ引っかかってるのは、どうして?それこそ、惨めじゃない?」拳を握りしめ、手首をひねっても、慎一の拘束からは逃れられなかった。「安井さん、そんな言い方しないで」真思が慎一の反対側で彼の肩を軽く揺すった。「慎一、気にしないで。安井さん、サングラスのせいで足元見
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第227話

慎一の激しく上下していた胸が、ようやく少しずつ落ち着いてきた。彼は思い切り真思の肩を引き寄せ、そのまま強く抱きしめた。「ペットを飼うことの何が悪い?俺が飼うなら、ちゃんと言うことを聞く子だけだ。お前みたいな扱いにくい奴はごめんだな。千万円の花火?そんなの大したことじゃないよ。真思、今夜、お前のために街中を花火で埋め尽くしてやる。本当の盛大さってものを見せてやるよ。仮に彼女をペットとして飼うとしても、俺はお前よりも幸せにしてやるさ。今のお前の惨めな姿を見てみろよ。康平と一緒にいるくせに、全然幸せそうに見えねぇぞ?」「慎一、やめて。ここ人が多いし、落ち着いて話せる場所じゃないわ」真思がうまく場を取り持った。彼女の声には、さっきよりもずっと自信があった。胸の奥を鋭くえぐられるような痛みが走る。思い出すたびに、骨の髄まで痛みが染みてくる。慎一が私にどれだけ不満を持っていようと、あの花火のことを持ち出すのは違う。彼は知らない。あの花火が、私にとってどれほど大切なものだったのか……心が締め付けられる。「そうね、あなたの理屈からすれば、私の人生なんて、あなたほどずっと幸せじゃないわ」悔しくて、体中が震える。「この一ヶ月間、たった一秒でも、自分のまだ生まれていない子どものことを思い出したことある?」この言葉に慎一は明らかに動揺した。さっきまでの傲慢な雰囲気が消え、忘れていたはずの何かが彼の中で急に目覚めたようだった。その様子を見て、私は静かに笑った。「ないでしょ?もしあったなら、どうしてあんなふうに雲香と平然と向き合えるの?自分の子どもを奪った相手を前に、どうしてそんなに心穏やかにいられるのよ。もし考えたことがあるのなら、どうしてあんなに堂々と女と遊び歩いていられるの?私だって、あなたの半分でも冷たくなれたなら、今みたいにみじめな自分にはならなかった。あなたにこんなふうに侮辱されることもなかったのに!そう、やっぱり私はあなたほど幸せじゃないわ」「ちょ……」真思の顔がみるみる曇る。こんなふうに公然と話題にされて気まずそうだ。「ちょっと、番号札取ってくるね。話したいことがあるなら早く済ませて」真思は小走りでその場を離れた。慎一は、支えを失ったみたいにふらつき、最後には階段に座り込んでしまった。あんなに大きな背中なのに、
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第228話

私と慎一の離婚は、思いのほか大事になってしまった。理由は簡単。離婚成立したその晩、彼は宣言通り、真思に街中の花火をプレゼントしたのだ。あの人は、私に見せつけるために、すべての愛情を彼女に注ぐんだと、わざわざ派手にやってみせた。私たちの新婚旅行の時よりも、遥かに盛大だった。どこを歩いても、足を止めて見上げる人であふれていて、誰もが「きれいだなぁ」とため息をついていた。ニュースやネットの話題も彼のロマンチックな振る舞いを競って取り上げて、【若き日の救いが互いの光となった】とか、【七瀬真思のヒーローがついに虹色の雲に乗って彼女のもとへ】なんて、まるでおとぎ話のように煽り立てていた。そして、ようやく私と彼の離婚も世間に広まり、ネット中が騒然となった。私なんて、ただの一般人。もともと、早瀬さんと青木さんの離婚騒動の余波で静かに消えていくはずだったのに、慎一のおかげで、世間の噂話のネタにされる羽目になった。みんなの視線が集まる中、私もつい顔を上げてしまう。すると、康平がぱっと私の目を手で覆った。その手は緊張でじっとりと汗ばみ、指先が少し震えていた。私はまばたきをした。まつげが彼の手のひらに触れ、彼はびくっとしたが、手を離さなかった。次の瞬間、彼は私の離婚証明書をさっと取り上げ、私が目を開けたときには、それはもう足元で灰になっていた。彼はいたずらっぽく手を広げ、きらきらした目で言った。「新しい人生の、スタートな」穎子がシャンパンを振って私たちに狙いを定める。康平は私の前に立ち、歯をむき出しにしながらシャンパンまみれになった。すぐにもう一本を取り返して反撃。私にはもともと友達が少ない。今日は穎子と静かに誕生日を過ごしたかっただけなのに、康平がどうしてもついてきた。彼は三人には広すぎるレストランをまるごと貸切にして、二人で店内を駆け回ってはしゃいでいる。みんな楽しそうだけど、私はまだぼんやりしていた。慎一の最後の冷たい言葉が、耳に焼きついて離れない。でも……それでも、今年の誕生日は案外、悪くなかったかもしれない、と思った。みんなは、私と慎一の離婚の真相なんて知らない。さらに、私たちが別れたその足で、真思が本当に戸籍謄本を持ってきて、慎一と結婚届を出そうとしたことも。慎一は驚きもせず、彼女に「別の日にしよう。今日は縁起
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第229話

康平は、さっきのようにふざけた様子はもう見せなかった。ただじっと私を見つめるその視線は、だんだんと熱を帯びたものから、緊張した色に変わっていった。彼の喉仏が何度も上下して、まるで飲み込んでも飲み込んでも足りないほどの唾液をこらえているようだった。その様子は、私の返事を待っているのがはっきりとわかる。思考は康平の言葉に引きずられるように、ふわふわと過去へとさまよっていった。あの頃の私は、康平のことを本当にひどい奴だと思っていた。男の子特有の大きな体格、重たい頭、それが私の肩にずっしりのしかかって、痛かったのを覚えている。あの時の彼は、今みたいに力加減ができるようになっていなかったし、距離の取り方もわからなかった。こんなふうに熱い視線で私を見つめて、心まで焼かれるようなこともなかった。私はちょうど離婚したばかりだった。刀の山から抜け出したばかりで、また火の海に飛び込むなんて、絶対に無理だと思っていた。私は自分のことを、慎一みたいに、相手が誰でも平気で付き合えるタイプじゃないと思ってる。それに、もし新しい恋を始めるとしても、子供の頃から犬猿の仲だった康平と、なんて。自分の命が長すぎて退屈してるわけじゃない!でも、今の彼は、ずいぶん変わったように見える……私の迷いは、康平の瞳にそのまま映って、どこか痛みを帯びた色を落とした。突然、彼が口を開いた。「まだ慎一のこと、好きなのか?」「違う!」汚い言葉でも聞いたかのように、私はすぐに否定した。「ただ……その……」「もういい、聞きたくない!」彼は私の言葉を強引に遮った。「佳奈!俺は今まで何度もお前に冗談を言ってきたけど、今回は本気だ。本当にお前が好きで、一緒にいたいと思ってる!」私は心臓が跳ね、思わず身を引いた。背中が車のドアにぶつかって、もう後ろへは下がれない……私はもう結婚して、離婚も経験して、それなりに大人になったと思っていた。なのに、まさかこんなふうに年下の「ガキ」に、真正面から告白される日が来るなんて、夢にも思わなかった。「前はお前がまだ離婚してなかったから、あまり踏み込めなかった。お前が逃げるんじゃないかって怖かったし、変な噂が立つのも嫌だったから……」康平はそう言いながら、目の端が赤くなり、声も震えていた。「ごめん……」自分でもなぜ謝るのかわからなかっ
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第230話

慎一が現れたことで、場の空気は一気に重苦しくなった。彼の車が目の前に止まった瞬間、私は思わず体を震わせてしまう。彼は、今ごろ真思と一緒にいるはずじゃなかったの?あの人は、彼女に最高のものを尽くすって言ってたじゃない!どうして、どうしてこんな所にいるの?なんで私の家の前に……?心の中の感情がまた暴れだす。何度も何度も、どうして彼は私の人生をかき乱すことができるの!できることなら重い病気にでもなって、全部忘れてしまいたい。この男のことも、全部きれいに!車のヘッドライトが私を照らし出し、ぼうっとしていた十秒。気づけば、私は反射的に康平の頬を両手で包み込み、息をゴクリと呑み込んでいた。康平はにやりと笑った。「佳奈、今のお前、まるで変態のエロ魔王みたいだぞ?」うっ……思わず彼の頬をぎゅっとつねる。「いってぇ……」と康平は小さく呻き、私を見上げるその目は、まるで小悪魔そのもの。その視線が、なんだか妙に色っぽい。「やめてよ……」私は思わず目をそらす。今この瞬間、私は初めて気づいた。康平って、普通に男の人なんだ。しかも、けっこう顔がいい。彼は少し首をかしげて、突然舌先で私の指先に触れた。びくっ!その感覚は、まるで全身に走る電流。痺れと熱が一気に広がって、思わず手を離しそうになる。だけど、彼は私の手をぐっと押さえつけ、逃がしてくれなかった。「お前にこれだけじゃ、まだ足りないんだ」私はもう子供じゃない、今この行動がどんな意味を持つかくらい、分かる。耳の奥で、康平の言葉が、何度も何度もこだまする。「俺とキスしてみろよ……」もし彼とキスしたら、私は本当に、慎一との関係に終止符を打てるのかもしれない……心の中で天使と悪魔が喧嘩している。落ち着こうとするけど、「外」にも「内」にも問題がありすぎて、どうしても心が静まらない。私が迷っているのがバレたのか、康平はもう我慢できなくなったみたいで、しゃがれた声で囁く。「お前の元夫が、今、こっちに歩いてきてる」元夫――なんて、他人行儀な響き。康平は私の手の上に手を重ね、頬をすり寄せてきた。まるで若いキツネがじゃれるような仕草で、甘く誘惑する。「復讐、したくない?」「復讐?」「そう。俺を使えばいい」彼は親指で私の唇を押さえて、そのままぐっと引き寄せる。鼻先が触れるく
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