元カレのことを絶対に許さない雨宮さん のすべてのチャプター: チャプター 481 - チャプター 490

512 チャプター

第481話

だが、二人の次女が行方不明になってからというもの……全てが変わってしまった。そもそも、これには久雄夫婦が長年海外で暮らしていたことも大きく関係している。今もなお行方不明で、生死すらわからない叔母のことを思うと、時也は思わず二人に視線を向けた。もしこのまま見つからなければ、この悔しさはきっと、死ぬまで心の底に残り続けるのだろう。「トキ、のどが渇いたわ」突然、祖母・守屋靖子(もりややすこ)がそう口にした。「おばあちゃん、ちょっと待ってて。水を買ってくるから……」時也はそう言ってから凛のほうを見た。「今、忙しい?」「ええ。何かお手伝いすることがあれば」「二人のそばにいてくれる?すぐ戻るから」「じゃあ、私が行きましょうか?」どうせ、凛も水を買いに来たところだった。時也は首を横に振った。「おばあちゃんは体調の関係で、いつも決まったブランドの弱アルカリ水しか飲まないんだ。この近くじゃ売ってなくて、向かいの通りにある輸入スーパーまで行かないと」「そうなんだ……それじゃ、行ってきて。私、ここでおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に待ってるから。安心して」「ありがとう」そう言って、時也は踵を返し、その場をあとにした。靖子は、凛の手をそっと取って、隣の席に招いた。「いい子ねえ。トキが、あんたとは友達だって言ってたけど、どうやって知り合ったの?」「ええ……共通の知人を通じて、です」海斗が一応、その共通の知人ということになる。「そうなの……あの子が女の子と友達になるなんて珍しいわ。あなたが初めてよ」靖子が楽しげに笑いながらそう言った。凛は内心でそっとつぶやいた。――それは、おばあちゃんが彼が昔、服を替えるように頻繁に彼女を変えてたのを知らないからですよ。「長いこと帰ってこなかったから、ずいぶん変わってしまったな……」ふいに、久雄が感慨深げに言った。その懐かしむような口調を聞き取って、凛はここ数年の帝都の変化について話し始めた。久雄は、彼女がすらすらと語る様子から、この街にずいぶん詳しいのだと感じて、ひとつ問いかけた。「お前は、地元の子なのかい?」凛は首を振った。「私は臨市で育ちました。ご存知ですか?南の丘陵地帯で、四季がはっきりしていて、山も川もある、とても綺麗なところなんです……」凛の語る風景は具体的
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第482話

凛は少し照れくさそうに笑った。心の内を見透かされたことには気づいていたが、だからといって取り乱すようなことはなかった。何しろ、初対面だ。多少の警戒心があるのは当然のことだろう。それに、お二人は自分よりずっと多くの年月を重ねてきた人たちだ。そのくらいの気持ちは、きっとわかってくれるはずだと思った。案の定、靖子はそっと凛の手を叩き、優しく言った。「お嬢さん、とくにあなたのように綺麗な子は、警戒心を持っていて当然よ。用心することが、自分を守る一番の方法だからね」「はい。私の声が聞き覚えがあるとおっしゃいましたが……私、臨市で育って、高校を卒業してから帝都に来たんです。それまで、お会いしたことはないはずなんです」「そうね」靖子は微笑んだ。だがなぜか、凛はその笑顔の中に一抹の落胆と寂しさを見て取った。久雄は穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。「昔は会う機会がなかったとしても、今こうして出会えたんだから――それが縁というものさ」凛はにこりと笑みを浮かべ、うなずいた。ほどなくして、時也が水を買って戻ってきた。二人の祖父母に、それぞれ一本ずつ手渡す。そして残りの数本を袋ごと凛に差し出した。「まだ何本かあるから。おじさんとおばさんに渡して。今日はおばさんのサイン会だし、おじさんも来てるんだろ?」「ええ、来てるわ」凛はそう頷いたが、受け取ろうか一瞬ためらった。「持ってって」時也は有無を言わせず、そのまま彼女に袋を押しつけた。「……ありがとう」「さっきは何の話してたの?ずいぶん楽しそうだったけど」時也が、ふと軽い口調で尋ねた。中に入る前から、時也は遠目にその光景を目にしていた。久雄の顔には穏やかな笑みが浮かび、ふだん最も機嫌を取るのが難しい靖子でさえ、ほんのりと口元を緩めていた。その光景を見て、時也はふと立ち止まった。二人が笑っている姿を見るのは、いったいどれくらいぶりだろう。昨年、海外へ会いに行ったとき、靖子はちょうど入院中で、久雄はため息ばかりつきながら、顔じゅうに憂いを浮かべていた。あのとき、半月ほど一緒にいたけれど、久雄の表情に、笑みの影すら見たことはなかった。だからこそ、時也は何度も二人に帰国を勧めたのだ。何しろ、守屋家のすべての事業は国内にある。それに、国内の気候や環境は、老後を過ご
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第483話

チーン——金属製のドアが開いた。凛がエレベーターの中から姿を現した。「先生」「どこ行ってた?」二人の声がほぼ同時に重なった。けれど、その響きはまったく異なっていた。凛はどこか軽やかで気楽そうだったが、陽一の声にはわずかな焦りがにじんでいた。その焦りの奥には、抑えきれない心配の色が隠れていた。「さっき下の階で瀬戸社長に会って、ちょっと立ち話してました。はい、先生、お水どうぞ」凛は袋の中からペットボトルを一本取り出して、陽一に差し出した。陽一の視線が、ふと袋に描かれたロゴに落ちた。それは、向かいの通りにある輸入食品スーパーのものだった……凛がわざわざそこまで行くとは考えにくい。となれば――「これ、あいつが買ったのか?」「はい。私が彼の祖父母のそばにいた間に、彼が向かいのスーパーに水を買いに行きました。おばあちゃんはこのブランドしか飲まないみたいで」陽一は手を伸ばして、それを受け取った。そのあと、凛は会場の中をちらりと覗き込んだ。「今の状況は?もう終わりました?」陽一は軽く頭を振った。「いや。まだ。並んでる人がけっこういるから、もう少しかかるかも」陽一の言葉に、凛は内心でため息をついた。ついさっき、あの混雑でさんざんな目にあったばかりだ。また中で押されたり転んだりするのは、もう勘弁してほしい。ただ……陽一の手にある本が目に入る。「先生、それ……もしかして、サインしてもらうつもりなんですか?」「最後まで待つよ。人混みに揉まれるのは遠慮したいから」「賢明な決断です!」凛は勢いよく頷いた。まさにそれ!とばかりに共感の全開モードだった。そんな様子に、陽一が思わず低く笑った。「先生、何がおかしいんですか?」「ゴホン…」軽く咳払いをして、陽一は急に真面目な顔になった。「……別に」「……?」なんだろう、絶対なにかある……先生、今、嘘ついたよね?でも証拠がない……!サイン会は本来、午後四時で終了の予定だったが、長蛇の列のせいで、結局五時近くまで延びた。陽一と凛は列の最後尾に並び、ようやく順番が回ってきたとき、本のページを開いて、サイン台に差し出した。「お母さん、お疲れ様。宛名入りのサインお願いね~」「ありがとうございます」敏子が顔を上げると、そこにはにこやかに立つ娘の姿。その隣
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第484話

店に着くと、店員がすぐ四人を個室へと案内した。それから注文を済ませ、鍋が運ばれてくると、具材を次々に鍋へ投入。ぐつぐつと煮立ち始めた。さすがは早苗が激推ししていただけのことはある。味は確かで、食材も驚くほど新鮮。ただし、出汁の辛さも想像以上だった。途中、凛は席を立ってトイレへ向かった。戻ってくると、テーブルの上には見覚えのない一品――アイスが置かれていた。「冷たいから、辛さが和らぐよ」陽一が短くそう言う。凛は笑顔で「ありがとうございます」と返しながら、心の中で思った。先生って、本当に優しくて、気が利く人だなぁ。食事を終えると、陽一が立ち上がり、そのまま会計へ向かった。店の隣には屋台とフリーマーケットが広がっており、人であふれかえり、熱気と喧騒に包まれていた。敏子がふと「ちょっと覗いてみたい」と言い出し、慎吾はうれしそうにその隣についていった。陽一がまだ出てこないうちに、家族三人が揃って夜市へ向かってしまうのは、どうにも気が引けた。そう思った凛は、店の入り口でひとり待つことにした。ほどなくして、陽一が紙袋を提げて出てきた。「さっき気に入ってたみたいだったから、店員に詰めてもらったんだ。今夜のうちに食べてね。残っても置いといちゃだめ。メロンは一晩経つとお腹壊しやすいから」「ありがとうございます」凛は素直にうなずいた。「おじさんとおばさんは?」「遊びに行きましたよ」凛はフリーマーケットのほうを指差した。「じゃあ、僕たちも行ってみようか?」「いいですね!」凛はそれこそ望んでいたことだった。陽一を待っていなければ、きっととっくに敏子たちと一緒に行っていたに違いない。二人は並んでフリーマーケットの通りを歩いた。道の両脇には、ずらりと露店が並んでおり、売られているものも実にさまざまだ。食べ物、飲み物、服、雑貨、それにおもちゃや手作りの遊具まで――どこを見ても、目移りするほどの品揃えだった。アクセサリーの露店の前を通りかかると、凛はふと立ち止まり、ひとつの品に目を留めた。「これ、いくらですか?」彼女が指さしたのは、グレーのヘアクリップだった。「200円」「どうやってつけるのがいいですか?しっかり固定されて、緩みにくい方法とか」凛は以前、ネットで買ったヘアクリップを使ったことがあった。けれ
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第485話

「できたよ」陽一の声が静かに響いた。凛はそっと首を動かし、左右に振ってみる……意外なほどしっかりと留まっていて、ぐらつく気配はまったくなかった。「まあ!彼氏さん、覚えるの早いのね。私がやるより上手じゃない?」店主の女性が笑いながら声をかけてくる。陽一は口元にごく小さな笑みを浮かべた。「彼は私の……」凛は慌てて否定しかけたが――その言葉を、店主は聞く前から軽く遮った。「昔はね、女性が髪を結うのは既婚の印だったの。夫婦仲が睦まじければ、夫が自ら妻の髪を結ってあげたものよ。私の故郷ではね、男が女の髪を梳かすのは白髪になるまで添い遂げましょうって意味があるのよ。でも今の男たちは、髪を結ってあげるなんて面倒くさがって、櫛で梳かすのすら渋るような怠け者ばかりで。でも、彼氏さんは偉いわね」店主は陽一に称賛の眼差しを向けた。「覚えも早いし、何より手をかけることを惜しまない。そういう人、今どき本当に珍しいわよ」「違うの――」「お嬢さん、彼氏を大切にしなさいね。このご時世、いい男なんて、そうそう残ってないわよ」店主の言葉がまたも凛の言葉を遮った。「……」最後まで話させてくれないの?凛が言葉を飲み込むのと、二人は露店を離れ、フリーマーケットの通りを再び歩き出した。しばらく無言のまま進んでいると、不意に陽一が口を開いた。「……覚えたか?」「……え?」「髪の結い方」凛は絶句した。いや、後ろ向いてて何も見えてなかったんですけど?!「もう一度、教えてあげようか?」「いいえ、結構です」凛は慌てて手を振った。べつに髪なんて、わざわざ結わなくても、ざっと挟めば十分。「僕の手際を信じてない?」「……信じてないのは、自分の手際のほうです」凛は苦笑まじりにそう返すしかなかった。陽一は黙り込んだ。どうせ習っても習っても、最終的には失敗するだけだ。ならば……最初から諦めたほうが楽だ。二人は寄り道しながらゆっくり歩き、通りの端近くまでたどり着いたところで、ようやく敏子と慎吾に追いついた。「お母さーん!」「あれ?そのヘアクリップ……」敏子は一目で娘の髪がアップにされているのに気づき、視線が自然と後ろのグレーのクリップに向かった。「なかなか可愛いじゃない。質もよさそうね。どこで買ったの?」凛は振
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第486話

「本当に結構です、僕……」陽一は少し間を置いて、続けた「好きな人がいます」「……なんだって!?」慎吾の目がぱっと輝いた。「本当か?告白はした?なんでまだ付き合ってないの?」地獄の三連質問。陽一は一瞬固まった。「……」言うんじゃなかった。それからしばらくして、四人は家の前で別れることになった。陽一は左へ向かい、自宅のドアを開けて中へ。一方、敏子たち一家三人は右の道へ進みながら、振り返って笑顔で陽一に声をかけた。「庄司くん、今日はごちそうさまでした」「いえ、そんな。今日はおばさんのサイン本までいただいて、むしろ僕のほうが得しましたよ」そのひと言で、敏子の顔がほころんだ。家に戻った凛は、いつものようにシャワーを浴びる準備を始めた。髪をざっとまとめて結び、バスタイム用のキャップをかぶる。濡れるのを防ぐための、いつもの習慣だった。しかし、後ろに手を伸ばしてみると、指先に触れたのはあのグレーのヘアクリップだけ。その瞬間、凛はようやく、自分の髪がすでにしっかりとまとめられていることに気がついた。鏡の中の自分を見つめながら、首を左右に大きく振ってみる――けれど、クリップはまったく揺るがなかった。ちぃ——この手際、なかなかうまいわ。なのにどうして、私は何回やってもできないの?納得いかない……非科学的すぎる……ああもう、腹立つ!そのころ、敏子と慎吾は洗面を終え、すでに部屋に戻って横になっていた。明かりをつけたまま、夫婦で並んで話し込んでいる最中だった。泉海からの連絡が届いたのは、ちょうどそのときだった。【敏子先生、おめでとうございます!】【『七日談』の本日の売上が、またしても過去最高を更新しました!さらに、いくつかの映像制作会社から連絡があり、映像化権を購入したいとの申し出が来ています】【30分ほど前、出版社からも連絡がありました。第一刷がすべて売り切れ、工場では今まさに徹夜で増刷に入っています。それから、二度目の印税もすでに振り込まれていますので、のちほどお送りします】【本当は電話で伝えたかったんですが、もうお休みかと思って……とはいえ明日まで待てなくて!嬉しすぎて我慢できず、ついメッセージにしちゃいました笑】敏子はメッセージを読み終えると、喜びを抑えきれず、隣にいた夫を勢いよく抱きしめた
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第487話

敏子のもともとの言葉は、こうだ。「何を食べるか迷うなら、一番高いものを選べばいい。値段がすべてじゃないけど、少なくとも誠意の一つの形にはなるわ」案の定、レストランの名前を聞いた広輝は、眉をひそめかけたものの、すぐに納得したようにうなずいた。感謝の気持ちを表す場なら、それだけの価値がある食事になるのも当然だ。金曜日、夕暮れ時。広輝は約束の時間より十分早く着いたが、凛の一家はそれよりも先に到着しており、すでに個室で待っていた。もともと凛は、すみれのことも誘っていた。だがすみれはここ二日間、連日残業続きで、どうしても時間が取れなかった。「本当に来ないの?広輝も来るんだけど」凛の言葉に、すみれは面倒くさそうに目を白くして、ふんっと鼻を鳴らした。「だから何?あの人がいるからって、私が行かなきゃいけないの?」「だって、あなたたちカップルでしょ。食事のあと、エスコート役として家まで送ってくれるかもしれないし」「はっ、誰があんなのに送ってもらいたいのよ。車くらい自分で持ってるし!それに、私たちが偽カップルってこと、あんたも知ってるでしょ。からかわないでよ……」個室内——広輝はにこやかに挨拶した。「おじさん、おばさん、本当にご丁寧に。ちょっとしたことなのに、わざわざお食事までご用意いただくなんて」「いやいや、そこはちゃんとお礼しないと」慎吾は笑いながら手を差し出した。「石川さんを凛に紹介してくれたおかげで、今の『七日談』があるんだから」敏子も傍で微笑みながらうなずいていた。雨宮夫妻は、広輝の想像以上に若々しかった。慎吾は背が高く、それだけでなく、どこか知識人らしい気品をまとっていた。服装や物腰、話し方にいたるまで、すべてに清雅さがにじんでいる。敏子は言うまでもない。淡いアイボリー色のドレスをまとい、長い髪を一本の簪でゆるくまとめ、慎吾の隣に立つ姿は、しとやかで落ち着いており、どこか非凡な雰囲気を放っていた。一見しただけでは、三十代か四十代と言われても納得してしまいそうなほどだった。一同着席した。ほどなくして料理が運ばれてきた。慎吾は自ら持ち込んだ上等な酒を開け、グラスに注ぎ、まずは一杯目を広輝に。「ことわざにもある通り、一滴の恩には泉で報いるべし。この一杯、感謝を込めていただく。桐生社長、本当にあ
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第488話

先日、海斗の会社に乗り込んで大騒ぎした、晴香の実母と、あのチンピラの弟のことをふと思い出した。もしあのとき子どもが無事に産まれたら……と思うと、背筋が寒くなる。海斗の母・美琴なんて、泣き崩れていたかもしれない。広輝は小さく舌打ちした。ほどなくして、手配していた代行運転が到着した。「お客様!お客様!少々お待ちください——」広輝が後部座席のドアを開けて乗り込もうとしたそのとき、レストランのマネージャーが慌てて追いかけてきて声をかけた。「どうした?」「実は先ほど、スタッフが個室を片付けていた際に、ストールを一本見つけまして。そこにブローチもついていて、おそらくどなたか女性のお客様のお忘れ物かと……」凛の一家はすでに帰ったあとで、マネージャーが駆けつけたときに残っていたのは、同席していた広輝だけだった。それで、とっさに声をかけたのだ。「わかった。俺が渡しておくよ」「ありがとうございます」広輝はストールを受け取り、後部座席に軽く放り込みながら、明日あたり配達サービスを使って凛のもとへ届けるつもりでいた。「じゃあ、お願いします」「かしこまりました」車が動き出してほどなく、悟から電話がかかってきた。「おい、マジかよ!まだ来ねえのか?もう何時だと思ってんだよ。今、全員お前待ちだぞ?ここ数日遊びすぎて、足腰ヘロヘロになってんじゃねーの?」電話越しには、音楽と人の声が入り混じる賑やかなざわめきが聞こえる。ナイトクラブか、バーか。「うるせえ!失礼なやつだな!待ってろ、今すぐ行くぜ!」広輝は住所を確認すると、そのまま代行運転の運転手に行き先を伝えた。向かった先は、バー・Slide。店の前に着くと、悟がすぐに姿を見せ、広輝の肩に腕を回してそのまま中へと連れていく。「ずいぶん急いで来たね。まさか女の子の優しい腕の中から這い出してきたんじゃないよね?」「這い出すわけないだろ。ちゃんとした食事会だよ。余計なこと言うな」悟は口を尖らせて言った。「どうせ嘘だろ」「俺には彼女がいるんだから、変な噂やめてくれ」「偽装カップルじゃなかったっけ?」悟はニヤニヤしながら言った。広輝の笑みがふっと消え、目に冷たい光が走った。「……誰に聞いた?」「すみれが言ってた」「いつの話だ」悟は少し首を傾げて考え込ん
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第489話

店を出ると、三人とも酒が入っていたため、それぞれスマホで代行を手配した。待っているあいだ、悟がタバコをくわえた。だが、ポケットを探ってもライターが見つからない。広輝に尋ねると、相手は車を指差して「後部座席にある、自分で取れ」と言った。悟は車のドアを開けて、身をかがめて後部座席を探った。「……あった」悟はタバコに火をつけ、ライターを広輝に返す。そのとき、さっき後部座席で見かけたストールのことを思い出し、口元ににやりとした笑みを浮かべた。「へぇ、いつから車でやる趣味ができたんだ?」広輝はきょとんとした顔で、「やるって……何の話だ?」と返す。「とぼけんなって。じゃなきゃ、あのストールは何だよ?女しか使わないだろ。しかも淡い黄色だぜ。さっさと白状しろって。どの女が落としてったんだ?」広輝は口元を引きつらせた。「でたらめを言うな」「おやおや、認めないなんて、お前らしくないな」「認めるもんか!あれは凛の母親の忘れ物で、明日返す予定だったんだよ。勝手に想像すんな。頭ん中エロで汚染されてるんじゃないか?そろそろ洗浄した方がいいな」「凛さんのお母さん?」悟は目を丸くした。「なんでその人の私物が、お前の車にあるんだよ?」その隣で、海斗がつい耳をそばだてた。広輝は口を開きかけたが、ふと視線を巡らせ、二人の顔に浮かんだ好奇の色を見て、にやりと笑った。そして、急に真実を話す気をなくした。「まあ、もちろん理由はあるんだが……」「どんな理由だよ?」悟がぐいと詰め寄る。「いやさ、お前がそんなに知りたがることか?お前なんか関係ないだろ?」悟は胸を張って言い返した。「あるに決まってんだろ!凛さんのこと、しばらく聞いてなかったからさ。前に俺が足を骨折して半月以上も入院してたとき、わざわざ見舞いに来てくれたんだよ。あんなに気にかけてくれる人、こっちだってちゃんと気にかけなきゃダメだろ?」「へぇ、凛がわざわざ見舞いに来たのか?」広輝が突然声を張った。視線の端で、海斗の反応をさりげなくうかがっている。海斗はわずかに身を傾けて、眉をひそめたような表情を見せながら、何気ないふりをしていたが、その耳はしっかりとこちらの話に向いていた。自分からは何も言わないが、明らかに聞く気満々だ。「もちろん!凛さん、俺にめっちゃ優しいんだ!」悟が誇
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第490話

「え?」悟はぽかんと口を開けたまま、何が言いたいのかすぐには理解できなかった。「……あの時、凛と別れたのって……間違いだったのかな」「……海斗さん」悟はどこか言葉にしづらそうな顔で彼を見た。「今さら、それ言うんっすか?」海斗は無言で目を伏せた。「凛さんなんて、本当に素敵な女性じゃないんっすか!もし俺だったら、全力で大事にして――」……っ。しまった、と気づいた悟は慌てて言葉を繕った。「ち、違いますからね?変な意味じゃなくて、ただのたとえ話っすよ?もし俺が海斗さんの立場だったら、絶対に凛さんを手放したりなんてしないって、そういう話!」いい女って、付き合っている相手がいない可能性がゼロに近いほどだった。いったん手放したら、そりゃもう、あっという間にライバルだらけだよ。「正直言うとさ、俺の誕生日の日、凛さんは嬉しそうにお祝いに来てくれたんだ。なのに海斗さん、みんなの前でいきなり別れ話を切り出したじゃないんっすか。あのときは、本当に頭が真っ白になったんっすよ。広輝もさ、そのあと俺に小声で言ってきたんっすよ。『海斗、そのうち痛い目見るぞ』って」まさか、それがこんなにも早く現実になるなんて思ってもみなかった。長年の付き合いだったし、もう少しやり取りが続くかと――まさか、今回ばかりは凛が本気で背を向けるなんて、誰が予想しただろう。「海斗さん、今の気持ちはすごくわかります。でも、凛さんはもう……」「間違ってたって、自分でも思ってるし、謝った」海斗は目を伏せ、手のひらの中でタバコを握りしめた。「それでも、凛は許してくれないんだ……悟……どうすれば、凛を取り戻せるんだろうな」その問いに、悟は完全に詰まってしまった。凛の性格を考えれば、もう一度やり直すなんて、まず無理だろう――でも、それをどう言えばいいのか。なんと返せば、海斗が壊れずに済むのか。海斗の沈んだ横顔を見ていると、悟の胸にもじわりと重たいものが広がっていった。「海斗さん、いい女って、世の中にはたくさんいるんっすよ。前を向きましょうよ。新しい出会いがあるかもしれないし」海斗はかすかに笑い、握りしめたタバコはすでにぐしゃりと潰れて、煙草の葉が指の間からぽろぽろとこぼれていた。「ああ……確かにな。いい女は、世の中にたくさんいる。でも――凛は、たった一人
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