All Chapters of 離婚協議の後、妻は電撃再婚した: Chapter 701 - Chapter 710

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第701話

真奈が呆然とする視線の中、黒澤は彼女の横に歩み寄った。真奈は声を潜めて尋ねた。「あなた、一体何を企んでいるの?」黒澤は笑みを浮かべたまま答えず、直接彼女の手を握った。その様子は、周囲から見ればただの恋人同士の甘い仕草にしか映らなかった。向かいにいた浅井はその光景を見て口を開いた。「黒澤社長、あなたと瀬川さんが婚約されるのは存じていますが、Mグループの件はあなたが口を挟むことではないのでは?」黒澤は目も向けずに言った。「大塚、彼女に見せなさい」「はい、黒澤社長」大塚が黒澤の任命書を浅井の目の前に差し出した。その書類を見た瞬間、浅井の顔色は一気に蒼白になった。大塚が説明した。「黒澤社長は1年前にMグループに1600億円を出資し、グループ株の25%を保有しています。会社に対する絶対的な決定権を持っています」「えっ、黒澤社長は1年前に1600億円も出資していた?これって本当なの?」「任命書はここにございます。嘘のはずがありません」「1600億って……それもう創業メンバーと同格の大株主じゃない……」……その言葉に、浅井の顔色はさらに引きつった。「そんなはず……ない!Mグループはもう一年も動いてるのよ?黒澤社長が出資したなんて、一度だって聞いたことない!この任命書、到底認められないわ!」真奈は、どうしても現実を受け入れられないといった浅井の顔をじっと見つめながら、心の中で静かに笑っていた。もともと黒澤から1600億を借りたとき、真奈ははっきりと、瀬川家の不動産と株式を担保に差し出すと告げていた。その後、瀬川家が破産してMグループに統合されると、黒澤は何の障害もなく、自分の取り分である株式を手に入れた。さらに、以前Mグループが設立された際にも、利息代わりとして真奈は黒澤にいくばくかの株式を譲っていた。ただ、そのときはまさか、こんな場面で役に立つとは夢にも思っていなかった。大塚が静かに言った。「田沼社長、この任命書には法的な効力があります。ご不満であれば裁判所に訴えることも可能ですが……恐らく、訴えても結果は変わらないかと」議論が平行線をたどるのを見た浅井が、苛立ちを抑えながら口を開いた。「たとえ黒澤社長が25%の株をお持ちだとしても、私は冬城グループから派遣された社長です。黒澤社長に、私を辞任させる権
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第702話

「浅井……いえ、田沼社長。私、ここに立ってから一言も発していないんですけど。どうして話の流れで、いきなり私が攻撃されるんでしょうか?」真奈はまるで訳がわからないといった顔で問いかけた。浅井はその顔を見るなり、睨みつけながら言い返した。「じゃあ聞くけど、黒澤社長があなたを庇うためじゃなくて、ここで私みたいな女を執拗に追い詰めてるって、本気で言えます?黒澤社長は原則を重んじて、女性には優しいって聞いてたのに……実際は、権力を振りかざして女性を押さえつけるような人じゃないですか!」その言いぶりといい、態度といい――まるでひどく理不尽な仕打ちを受けているかのようだった。浅井は昔から、被害者を演じさせれば右に出る者はいなかったが、今やその演技は円熟の域に達している。今のこの、悔しさを堪えて涙をこらえているような表情――誰が見ても、気丈で真っ直ぐな女性が理不尽にいじめられている、そう思わずにはいられないだろう。思わず庇いたくなるし、信じたくもなる。けれど、真奈は静かに言った。「黒澤社長があなたを辞めさせたのは、その立場にあなたがふさわしくなかったからです。私のせいではありません」浅井は真奈を睨みつけると、語気を強めて言った。「私は就任して、まだ一週間も経ってないでしょう!どうしてふさわしくないなんて言われなきゃいけないのですか?」「へぇ?そう、自覚はあるんですね?」真奈はゆっくりと眉を上げ、淡々と続けた。「田沼社長、自分で就任してまだ日が浅いとおっしゃいましたよね?私の知る限り、あなたが社長になってから、一つもまともに仕事を成し遂げていないはずですけど」浅井は冷ややかに笑い、言い返した。「仕事を進めるには時間が必要ですよ。その複雑さ、あなたにはわからないでしょうね!そもそも、A大学に入るのに裏口を使ったような人が、こんな大きなグループをどうやって管理できるっていうのですか?」その言葉に、周囲の人々が思わず顔を見合わせ、小声でひそひそと囁き合い始めた。真奈がA大学に裏口入学したという噂は、当時、上流階級の間で大きな話題となった。浅井がその過去を引っ張り出したことで、場の空気がざわつき、忘れかけていた人々の好奇心に再び火がついた。そんな中で過去を蒸し返されても、真奈はまったく動じることなく、穏やかに口を開いた。「ええ、田沼社長もA大学のご
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第703話

その一言に、周囲はざわつきを増した。「え?田沼社長って卒業してなかったの?」「そんなはずないでしょ?ネットでは、高学歴でほぼ満点で卒業したって見たよ」「いや、聞いた話だけど、田沼社長は冬城社長の援助とコネでA大に入ったらしいよ。たしかに四年間は通ったけど、結果的には中退だったって……」中退が何を意味するか――この場にいる者たちにとって、そんなことは言われるまでもない。卒業論文が基準を満たさなかったか、あるいはインターンをまともに終えられなかったか。Mグループの社員は、たとえA大学出身でなくとも皆、選ばれし名門大学の卒業生たちだ。中退者など、普通ならこの会社の門をくぐることすらできない。いったい誰がコネで中に入り込んだのか。それはもう、火を見るよりも明らかだった。浅井の顔色は、見るに堪えないほど険しくなっていく。そのとき、黒澤の命を受けて彼女の荷物をまとめに行っていた秘書たちが戻ってきた。紙箱に詰められた私物が、次々とロビーに運び込まれていく。そして、中身は誰の目にも明らかだった。数十万円は下らないノートパソコンに、高級なコーヒーマシン、精緻な茶器、さらには値の張るワインまで――ひと目見ればわかる。パソコンを除いて、どれひとつとして仕事に関係のあるものはなかった。黒澤は冷静な声で言った。「荷物は正面玄関まで運んでくれ。前任の田沼社長には、ここをお引き取りいただこう」「はい、黒澤社長」大塚が一歩前に出て、浅井の目の前に立つ。「田沼さん、本日をもって解雇となります。どうか、お引き取りください」社内の人間が見守る中での公然たる解雇。それはもはや、浅井にとって侮辱そのものだった。浅井は悔しさに唇を噛み、拳を握りしめた。「解雇手続きはまだ終わってないわ!冬城グループだってMグループの株主よ!司さんが同意しない限り、あなたたちに私を追い出す権利なんて――」だが、その言葉を遮るように、大塚がすっと口を開いた。「田沼さん、念のため申し上げますが、黒澤社長はMグループの株式を25%お持ちです。これは、冬城グループが保有している20%を上回っています。たかが社長ひとりを解任することに、いちいち冬城グループの承諾は必要ありません」「……あんたたち……っ!」浅井は周囲を指さしながら、震える声で言葉を絞り出そうとした。だが
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第704話

その様子に、真奈は呆れたように黒澤を睨みつけた。今日は彼女にとって、久しぶりにすっきりとした一日だった。浅井が面と向かって罵倒され、そのまま追い出されるなんて、本人はきっと悔しさで気が狂いそうになっているに違いない。一方その頃、少し離れた場所で、幸江と伊藤は目と目で合図を送り合った。幸江がぼそりと尋ねる。「で、私たち……今、何すればいいの?」「いやもう、あの二人がイチャつきモードだし……先に退散した方がいいんじゃない?」先ほどのドタバタ劇では、二人ともまったく口を挟む隙すら与えられなかった。そのとき、大塚が彼らのもとに歩み寄ってきて、礼儀正しく言った。「伊藤社長、幸江社長、黒澤様が、二人とも上にお呼びです」「……いつ言ったんだよ?あの人の目には真奈さんしか映ってなかったぞ……」伊藤はもう呆れすぎて、ツッコミを入れる気すら起きなかった。恋愛する前は、あんなに無骨な鉄のような男だったのに、今じゃまるで羽を広げた孔雀。朝からずっと振り回されたと思えば――蓋を開けてみれば、ただの浅井潰しショーだったなんて。大塚は伊藤をなだめるように言った。「伊藤社長、どうかお気を悪くなさらず。黒澤様が、あとでお話したいことがあると仰っていました」「……わかった。今回はあいつの顔に免じてやるよ」長年の付き合いがなければ、さっさと帰るところだった!階上。真奈はすでに片づけられているオフィスを一瞥し、つぶやいた。「残念。ここ、浅井がペンキ塗り替えちゃったのよね。このクリームっぽい雰囲気、どうも好きになれないの」「君がそれを嫌うのは知ってる。だから昨日、別の部屋を用意させておいた」「別の部屋?」真奈は一瞬、驚きに目を見開いた。黒澤は彼女の手を優しく引き、廊下の先へと歩き出す。そして最上階――一室の扉が開くと、そこには改装が終わったばかりの空間が広がっていた。それは、まさに真奈の好みにぴたりと合った、ミニマルでアーティスティックなスタイル。デスクも、シャンデリアも、細部に至るまで丁寧に選ばれ、空間全体に洗練された調和が感じられた。しかもこの部屋は、先ほどのオフィスの倍近い広さがあり、温かみのある木製フローリングが敷かれ、どこか暮らしの気配すら漂っている。真奈はデスクに腰を預け、目を細めながら楽しげに言った。「いい芝居を見せて
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第705話

伊藤は何か重要な話でもあるのかと思っていた。だが黒澤が取り出したのは、二通の封筒だった。「……婚約の招待状?」伊藤と幸江は一瞬呆然とした。黒澤は眉間を軽く揉みながら言った。「ちゃんと中身を見てみろ」二人は封を切り、左右に開いて中を確認した。すると――「……これって、結婚式の招待状?」幸江がようやく気づいたように、目を丸くして言った。真奈は黒澤の胸に寄りかかりながら、満足げに微笑んだ。「そうよ。私たちの結婚式のね。で、あなたたちは――介添人」「マジかよ」伊藤は目を見開き、思わず声を上げた。「本当にやるのか?まさかのスピード婚とは!」「スピード婚って言わないでよ。真奈と遼介は、ずっと前から付き合ってたんだから」「ずっと前ってどれくらい?真奈が離婚してから、まだ四十八時間も経ってないだろ?こんなタイミングで発表したら、ニュースになってもおかしくないぞ」伊藤がやれやれといった顔で言うと、真奈と黒澤は顔を見合わせ、ふっと笑った。実はこの件は、すでに昨晩のうちに二人で決めていたことだった。招待状も、黒澤がその夜のうちに大塚へ指示を出し、印刷させたものだ。もちろん、最初に渡す相手は介添人となる二人と、黒澤の祖父。「婚約パーティーは先にやるけど、結婚式もそう遠くないわ。先に伝えておいたほうが、ドレスの準備とかも慌てなくて済むでしょ?」そう真奈が言うと――「ううっ……」幸江は目に涙を浮かべ、感極まったように言った。「私、人生で初めて人の介添人やるの!もう感動しすぎて言葉が出ない……」幸江は真奈をぎゅっと抱きしめ、鼻をすすりながら言った。「真奈、安心して。遼介の奴がもしあんたのこと少しでもいじめたら、私、絶対におじいさんに言いつけるから!あの人にきっちり叱ってもらうんだからね!」真奈はくすっと笑いながら答えた。「ありがとう。でもね、結婚式の前に、どうしても片付けておきたい大事なことがあるの」「えっ?」幸江は首をかしげ、きょとんとした顔で尋ねた。「婚約より大事なことなんてあるの?」そのとき、真奈の笑顔がふっと翳る。もう二日が経った。出雲の観察力なら、そろそろ異変に気づいていてもおかしくない。夕暮れ時。出雲は、静まり返った書斎の中で、パソコンの画面に目を落としていた。そこには、今まさに話題沸騰中のトレンド一覧が映し出さ
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第706話

もしそれが本当なら、文字通りの大損だ。「出雲社長、実は……雲城の方でも少し問題が発生していまして、こちらからも資金の支援をお願いしたい状況なんです」「……何だって?」出雲の声が鋭くなる中、家村は相変わらず落ち着いた口調で続けた。「数日前、社長が2000億の資金を移された影響で、雲城内の複数のプロジェクトがすでに稼働停止に入っています。各主要株主や提携先の企業からは、支払いを強く求められており、私もできる限り引き延ばしてはきました。ですが……今、2000億を補填できなければ、会社は事実上の機能停止に陥る可能性があります。そしてこの状態が三日以上続けば――社長も、その先に待つ結末がどれほど深刻なものか、十分ご承知のはずです」その一言一言が、鋭利な刃のように出雲の神経を逆撫でした。「……そんな重大なことを、なぜ今になって言うんだ!!」「出雲社長、以前にもお伝えしましたが、そのときは問題ないとおっしゃられたので……」「もういい!」怒声が電話越しに響き渡った。「手段は問わん!借金でも融資でも、何でも構わない!雲城のプロジェクトを絶対に止めるな!それから、海城への資金も……今すぐ振り込め!!」電話の向こうでまくし立てる出雲の怒声を聞きながら、家村は静かに――だが冷ややかに、心の中で嘲笑った。数千億という巨額を、そう簡単にどこからか調達できるとでも?いったいどんな伝手があれば、そんな金額を無条件で借りられるのか。銀行がそんな無謀な融資を認めるはずもない。出雲は既に窮鼠猫を噛む状態だ。だがそのとき、家村の脳裏にふと、別の復讐の手段がひらめいた。「承知しました、出雲社長。何とか手を尽くします」「今夜十二時までに、必ず解決策を報告しろ!」家村はちらりと壁の時計に目をやった。針はすでに十一時を回っている。残された時間は、わずか一時間。……ほんとに、人の使い方がえげつない。家村は穏やかに言った。「はい、最善を尽くします」そう言い終えると、家村は一方的に通話を切った。そのまま、すぐさま真奈の番号を押す。一方そのころ、真奈は黒澤の家にいた。ちょうどバスルームから出てきたばかりで、肩にタオルを掛け、濡れた髪を拭いているところだった。鳴り出した携帯を肩に挟み、応答すると、電話の向こうから聞こえてきたのは家村の声だった。
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第707話

翌日、出雲は、朝早くからカフェで誰かを待っていた。彼は苛立たしげに腕時計に目を落とす。そのとき、店員がそっと近づいてきた。「お客様、もう一時間もお待ちですけど……コーヒーのおかわり、いかがですか?」店員の視線には、どこか奇妙な色が混じっていた。出雲のスーツは仕立ての良い高級品。整った顔立ちに、隙のない所作――どう見てもみすぼらしい男には見えない。その目の意味に、出雲自身も気づいていた。眉をひそめ、目の前のすっかり空になったカップに視線を落とす。これまでの彼は、常に金に糸目をつけない暮らしをしてきた。コーヒーを何杯もおかわりするような節約とは無縁の人生だった。だが、今の彼の財布には、本当に金がなかった。「……もう一杯」出雲が不機嫌そうにそう言ったとたん、店員の目には、さらに露骨な軽蔑の色が浮かんだ。こんなに格好いい見た目なのに、たった2杯のコーヒー代も持っていないなんて!ちょうどそのとき、カフェの外から家村が慌てた様子で駆け込んできた。彼の姿を目にした瞬間、出雲の怒りが一気に噴き出す。「なんでこんなに遅い!?電話で話せない内容なんてあるのか?わざわざ来る必要なんてあったのか!?」この一時間で、自分がどれだけの白い目を向けられたか――「本当に申し訳ありません、出雲社長。飛行機が遅れまして……到着が少し遅れてしまいました」家村は深く頭を下げ、誠実な態度で謝罪する。その姿に、出雲は苛立ちを押し殺すように手を振り払った。「……昨夜、融資の件は目処がついたって言ってたよな?結局どうなったんだ?」「これまで取引のあった銀行数社に連絡しましたが、いずれも融資には消極的でした。金額が大きすぎて、リスクを恐れているようです」その言葉を聞いた途端、出雲の怒りはさらに勢いを増した。「……仕事も終わってないくせに、よく海城まで顔を出せたな?」「ですが、銀行以外で――融資を受けられる可能性があるところが一つあります」「誰だ?そんな巨額を一括で出せるやつなんて限られてるはずだ」数千億。そんな資金力を持つ企業に、出雲が心当たりを持たないはずがない。家村は、じっと彼の顔を見据えながら、静かに口を開いた。「――Mグループの実権を握る男、最上道央です」「……最上、だと?」その名を聞いた瞬間、出雲の表情が一変した。警戒の色がその目に浮
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第708話

出雲は、こめかみに手を当てて眉間を揉みながら、重く疲れた声で言った。「……わかった。最上の言う通りでいい。2000億で構わん」その言葉を聞いた瞬間、家村は内心で冷笑した。だが、表情には一切出さず、穏やかな口調で続けた。「ただし、この2000億、無償の融資というわけではありません」「まだ条件があるのか?」「2000億ですよ。条件がないわけがありません」出雲は息を整えて尋ねた。「で、条件は何だ」「最上社長の条件は二つです。ひとつ、これは私人として出雲社長に貸す金であること――すなわち、これを機に敵対関係を終わらせ、今後は友好としての関係を築きたい、との意志表明です。そしてもうひとつ。今後、出雲家は八雲に対して一切の妨害や圧力を加えてはならない。それから、利息は銀行の標準よりもやや高めです。この二つの条件にご承諾いただければ、即日でも貸し出し可能とのことですが……もし、どちらか一つでも拒まれるようでしたら――」家村は、それ以上何も言わなかった。だが、出雲にはもう、最上の意図が手に取るようにわかった。結局は、この間の八雲への一件だ。あれに対する和解の申し出に他ならない。上も、出雲家がそう簡単に潰せる相手じゃないと悟ったか。だからこそ、一歩引いてきたわけだ。出雲はふんと鼻を鳴らしながら言った。「最上も、なかなか話の分かる男じゃないか。2000億出すなら、利息が多少高かろうが問題ない。出雲家が再始動すれば、半年も経たずに元は取れる」その尊大な物言いに、家村は思わず吹き出しそうになったが、なんとか感情を抑え、表情ひとつ変えずにうなずいた。「まさに出雲社長のお見立て通りです」「なら、段取りは任せる。契約の細かいところには目を光らせろよ。私人融資ってことでいい、会社の帳簿に載らないだけの話だ」出雲が承諾の意を示すと、家村はすぐに立ち上がりながら言った。「かしこまりました。それでは、早速手続きを進めます」だが、出雲が言った。「待て」「何か問題でも?」「少し金を振り込んでくれ。月末に会社で精算する」その一言に、家村はほんのわずかに眉を動かした。会社に今、金なんて一銭も残っていないってのに、出雲は平然と月末精算などと言えるものだ。心の中では呆れ返っていたが、顔には出さず、家村は言われた通り出雲に20万円を送金した。
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第709話

この日、黒澤おじいさんが、真奈のために高級オーダーメイドブランドの店舗を特別に手配してくれていた。婚約衣装の採寸を受けるためだ。将来のブライズメイドを務める予定の幸江は、自ら申し出て真奈に同行した。ブランドショップの前には、スタッフたちがすでに長時間待機していた。ふたりの姿を見つけるなり、すぐに笑顔で出迎えに来る。「黒澤夫人、幸江様、こちらへどうぞ」黒澤夫人と呼ばれるのは初めてで、真奈は思わず頬を染めた。その様子を見た幸江が、にやりと笑ってからかった。「黒澤夫人……ああ、なんて耳ざわりのいい響き!婚約が済んだら、あなたは私の弟嫁ね。もう親戚ってわけだわ」「もう、美琴さん、からかわないでよ!」結婚そのものは初めてではない。けれど、こうしてきちんとした式を挙げるのは、これが初めてだった。ショップの奥へと案内され、彼女の目の前に広がったのは、ずらりと並んだ夢のようなドレスの数々。「うわあ、あのじいさん、本当に太っ腹だなあ。私なんて、長年あの人の世話をしてきたのに、こんな大盤振る舞い一度もしてもらったことないわ。やっぱり孫の嫁ってだけで特別扱いよね。ほんと、ひいきしすぎ!」幸江は口ではぶつぶつ文句を言いながらも、気づけばすでにブライズメイド用のドレスに手を伸ばし、あれこれと選び始めていた。その頃、店の奥では一人のデザイナーが設計図を丁寧に抱えて真奈のもとへやって来た。「瀬川様、こちらが黒澤様ご自身のご指示のもと仕立てられた、婚約衣装のデザイン案です。どうぞご覧ください」真奈が目を通すと、そこに描かれていたのは、贅を尽くした白のマーメイドドレス。裾に向かって流れるように広がるシルエットの上には、びっしりと細かなダイヤモンドが散りばめられており、その輝きはまるで銀河のように美しく、思わず息を呑むほどだった。「これ……彼が自分で指示したの?」「はい、黒澤様は本当に奥様のことを大切に思っておられます。ご予算については一切制限なしとのご指示をいただき、デザインもすべて黒澤様ご自身が選ばれました。きっと奥様のお好みだろうと仰って。さらに、このデザイン画も、黒澤様の目の前で何度も修正を重ね、最終的にご満足いただいてから、ようやく奥様にお見せするようにと承りました」少し離れたところで話を聞いていた幸江が、ぱっと駆け寄ってきて首を伸ばし、デ
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第710話

二人の様子は、まるで本物の祖母と孫のように親しげだった。「……どうしてあの人たちが?」幸江は顔をしかめながら、すでにうんざりした様子だった。あの年寄りの姿を見るだけでも気が滅入るのに、今日はよりによって浅井まで連れ添っているのだ。すぐそばにいた女性マネージャーが声を潜めて言う。「数日後に冬城グループの社長もご婚約なさるそうで、今日は大奥様が未来の孫嫁さんにドレスを見せに来られたようです」幸江は眉をひそめて言った。「はあ……海城のハイブランド店なんて、数えるほどしかないっていうのに。よりによって今日、ここで鉢合わせなんて……運が悪すぎるわ」「運が悪い?わざと嫌がらせに来たんでしょう」海城のハイブランド店が多くはないとはいえ、同じ日に、同じ店舗に――そんな偶然、そうそうあるはずがない。浅井がどこかから情報を嗅ぎつけて、冬城おばあさんを引き連れて、わざわざ見せつけに来た――そう考えるのが自然だった。「田沼様、こちらは今シーズンの最新デザインの婚約ドレスです。どうぞご自由にお選びくださいませ」スタッフが丁寧に並べた幾列ものドレスを、浅井の前にずらりと披露した。浅井は冬城おばあさんの腕をとってソファに腰を下ろさせながら、甘えるように言った。「おばあ様、婚約パーティーにはどんなドレスが似合うと思いますか?」「控えめながらも華やかで、気品のあるものがよろしいわね」保守的な冬城おばあさんが選ぶドレスは、いつもどこか伝統的なテイストが入っていた。だが、どれを見てもこれといった決め手はないようで、あれこれ目を通しては小さく首をかしげていた。そのとき、浅井の視線がふと真奈に向けられた。彼女はわざとらしく声を上げる。「おばあ様、あそこに瀬川さんがいらっしゃいますわ」冬城おばあさんは軽く眉をひそめ、浅井が指さす先を目で追った。そこには、真奈の姿があった。彼女を見た瞬間、冬城おばあさんの脳裏に、あの夜の鋭い視線と、強気な言葉がよみがえった。冬城おばあさんは途端に表情が険しくなり、吐き捨てるように言った。「……あの女まで、なぜここにいるの?」「黒澤夫人は当店の大切なお客様でして、黒澤様が特別にウェディングドレスと婚約衣装をオーダーされました。今日はその仕上がりを瀬川様にご覧いただくためにお越しいただいたんです」スタッフは
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