明日香はまだ知らなかった。樹が、彼女の行方を追ってほとんど狂気に近い状態に陥っていたことを。帝都中をひっくり返す勢いで、あらゆる手を尽くして探し回っていたことを。夜が明け始めた。朝もやの帳が薄く晴れていく中、古びたアパートの通りには静かな光が差し込んでいた。近所のコンビニからは24時間営業の明かりが漏れ、ふと漂ってくるおでんの湯気やおにぎりの海苔の香りが、朝の訪れを告げていた。だがその穏やかな空気は、突如として現れた数台の黒塗りの車によって破られた。タイヤの摩擦音と同時に、静寂が引き裂かれる。田中が静かに口を開いた。「明日香さんが家を出た後、しばらくこのアパートに身を寄せていたことがあります。もしかしたら、今夜もここに......」その言葉を聞くと同時に、樹は後部座席のドアを乱暴に開けて外へ飛び出した。寝ていないはずの彼の動きは異様に素早く、鬼気迫るものがあった。周囲の建物を見渡し、彼の眉は険しく寄った。こんなところに、明日香が......?埃にまみれた階段は踏むたびに軋み、建物自体が呼吸しているかのように軋音を立てる。安全とは言い難い。いや、それどころか、どうしてまだ人が住んでいるのか不思議なくらいだ。その頃、明日香は、ちょうど浴室から出たところだった。バスタオルで髪を拭きながら、洗濯機にソファカバーを放り込む。昨日の冷えがこたえたのか、頭痛がひどく、朝から鼻が詰まっている。手術以来、少しずつだが体力が落ちている気がする。自分では元気なつもりでも、時折こうして体調の不安が忍び寄ってくる。ソファに腰かけた矢先――「ドンドンッ!」玄関のドアが、乱暴に叩かれた。何事かと不審に思いながらも、明日香はドアを開けた。「えっ?」次の瞬間、言葉よりも早く、樹が彼女を力強く抱きしめた。「痛いよ、樹。どうして、ここに......?」彼の胸に顔が押しつけられたまま、彼女の声はこもった。けれど樹は離そうとしなかった。何かを失って、それが今やっと戻ってきた。そんな切実な安堵が、彼の全身から滲み出ていた。低く震える声で、ぽつりと。「ごめん」やがて、彼はようやく彼女を放し、その後ろには千尋と田中の姿があった。「こんなに大勢で来なくてもいいのに」明日香は小さく苦笑し、ソファカバーを
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